魔女っ子の住処
「ここぞよ」
しばらく歩いていると、アルキマがおもむろにそう告げた。
「えっ……ここって!」
アルキマが指した場所は小綺麗なビル。そしてその看板には『二十四時間営業 マリボウ』と書かれている。
「てっ、これって漫画喫茶じゃん!」
僕の声に反応し、通りかかった人が奇異な目でこちらを見てくる。
「あ、ぅ……」
しまった、つい大声を出しちゃったよ……。
そんな僕の気持ちなどお構いなしにアルキマはのんきな口調で、
「どうしたぞよか河辺殿」
「あのさ、アルキマはここがどういう場所か知ってるの?」
「河辺殿はおかしなことを聞くぞよな。ここはこの世界の宿屋ぞよ?」
宿屋……。まぁたしかにそう言われればそうかもしれないけど……。
「う~ん、まぁいいか。ちなみに阿澄さんっていつもここに泊まってるの?」
「宿屋自体は何回か変えておるぞよが、この世界に来てからは基本ここと同じような場所ぞよ」
はぁ……。
アルキマの話を聞いて肩を落とす。
なるほど、阿澄さんが漫画が勝手に増えていくって言ってた意味がようやくわかったよ。そりゃそうだよね……だって漫画喫茶だもん。
「では入るぞよ河辺殿」
「ま、待って! 今日はここに泊まるのはやめておこう」
「むむ? なぜぞよ?」
そそくさと漫画喫茶に入ることを提案するアルキマに僕は慌てて口を挟んだ。
だってそうでしょ? 僕の背中には泥酔して寝込んでる女の子。そんな女の子を連れ込んで漫画喫茶になんか入ったら店員にどう思われるかわかったもんじゃないよ。
下手したら警察沙汰になるかもしれない……。そう考えると、とてもじゃないけど入り口に足を進められなかった。
「あー……。え~っとさ」
アルキマにどう説明したらいいのか悩む。
「そ、そうだ! 今日は僕の家に行こう」
「河辺殿の家ぞよか?」
「うん。僕、一人暮らしだから家に誰もいないしさ。何より阿澄さんって今は魔力が戻ってるんでしょ? だったらこんな酔ってる状態の時に人目につくとこにいたら危ないんじゃない?」
「ふ~む。たしかに一理あるぞよ。では申し訳ないが河辺殿の家に一晩泊めてもらうとするぞよ」
「決まりだね。それじゃあ行こうか」
ふぅ……何とか誤魔化せた。でも実際のところ、こんなか弱い女の子を一人で漫画喫茶に置いて帰るのはなんだが気が引けた。
「ん~むにゃむにゃ」
ふと背中を見ると阿澄さんが幸せそうな顔で寝息を立てている。
「ふふっ」
その寝顔と先程の暴れっぷりのギャップに僕は自然と笑みがこぼれた。
「河辺君、河辺君、起きて~」
──ゆさゆさ──
「ん、ん~?」
体が揺れる。
まだ意識が完全に覚醒しないまま、ゆっくりと目を開ける。
「おはよう河辺君」
「あ、阿澄さん!」
「アルから聞いたよー。河辺君、昨日はリナを背負って家に泊めてくれたんでしょ。ごめんね、また河辺君に迷惑掛けて」
阿澄さんに言われ、昨晩のことを思い出す。
そうだ、昨日は阿澄さんをうちに泊めたんだった。
阿澄さんを家に運び終えた後、疲れていたのか僕もそのまま眠ってしまったらしい。
「あ、あの……体の方は大丈夫?」
他に聞きたいことは山ほどあったけど、とりあえず阿澄さんの容態を聞いておく。
阿澄さんは笑顔を作ると、
「うん。リナはもうバッチリだよ。これも河辺君のおかげだね。えへへ」
「そっか、それは良かった」
とりあえず阿澄さんは無事みたいで安心した。
「よくないぞよ! お嬢! 昨日はあれほど注意していた魔法を一般人に使ったぞよな! おかげで三人に魔法を見られてしまったぞよ! 少しはこっちの後始末のことも考えるぞよ」
「ごめーん。でもリナ、昨日のことは曖昧にしか覚えてないんだよね。河辺君、リナって本当に魔法使ったの?」
「う、うん。何か光がパァーって出たと思ったら男がバッタになっちゃったんだよ」
自分で言ってても未だに昨日のことが信じられない。
でも阿澄さんとアルキマの会話や、昨日の出来事を目の当たりにしては信じないわけにはいかなかった。
「おっかしいなー。こっちにきてからは変化魔法使えるほどの魔力なんてなかったんだけどなぁー」
僕の言葉を聞いても阿澄さんは未だに納得いかない様子だ。
「我もそれに関しては不可解だったぞよ。お嬢の魔力といったら、こうして我と会話できるくらいしか残ってなかったはずぞよ。それが昨日は急に変化魔法が使えるほどに魔力が回復したのは驚きぞよ」
阿澄さんとアルキマは二人でう~んと唸りながら考え込む。
「ねぇ河辺君、リナが魔法使う前に何か変わったことなかった?」
「えっ」
昨日? え~っと、たしか阿澄さんが魔法使う前に阿澄さんが泥酔して、そのせいで男達に絡まれて……。それから……。
「あっ」
思考を巡らせていると重大なことを思い出す。
僕……阿澄さんとキスしちゃったんだ!
その光景を思い浮かべると、突然恥ずかしさが込み上げてきた。
「ん? どうしたの河辺君? 何か顔赤いよ」
そんな僕を不思議に思ったのか、阿澄さんが僕の顔を覗き込んできた。
「い、いや、なんでもないんだ」
阿澄さん、キスのこと覚えてないのかな? 良かったような、ちょっと残念なような……。
「そのことはひとまず置いとくとして、お嬢、河辺殿に我等のことを話しておいた方がよいのではないぞよか」
「う、うん、そうだね。もうここまで巻き込んじゃったもんね」
阿澄さんはそれまでとは違い真剣な顔つきになると、
「あのね、昨日も話したけど、リナは本当はこの世界の住人じゃないの。リナの本当の名前は、リリーナ・アミス・ローズマリィ。魔法の国からやってきた正真正銘の魔女っ子なんだ」
「リリーナ・アミス・ローズマリィ……」
なるほど、だから阿澄莉奈なのか……うまいな。
心の中で阿澄さんのネーミングセンスに感心する。
「阿澄さんが魔女だっていうのは信じるよ」
「『魔女』じゃなくて『魔女っ子』だよ河辺君。そこ重要なんだから間違えないでよね。リナはまだ若いんだから」
頬を膨らませ阿澄さんは力説する。
「あ、うん……。ごめん」
どっちもたいして変わらない気がするけど……。
そう思いつつもとりあえず阿澄さんに同意しておく。どうやら本人にとってはかなり重要なことらしい。
「それで、その魔女っ子の阿澄さんがどうして人間界に来たの?」
僕は何気なく気になったことを質問してみた。
「う、うん……それは……」
阿澄さんの表情が途端に暗くなる。
あれ? 僕、何かマズイこと聞いちゃったかな?
しばらくの沈黙の後、阿澄さんはポツリと呟いた。
「妹に……会いに来たの……」
「えっ妹さん! へぇ~阿澄さんって妹いたんだ」
てっきり阿澄さん自身が妹キャラだと思っていたのにまさか姉キャラだったなんて意外だ……。
「それでその妹さんは今どこに?」
「わからないの……」
「え!」
「妹はね、五十年前から行方不明なの。それでね、つい最近ようやくこの人間界に来てることがわかったの。だからこっちに来れば妹に会えるかもって思って……」
「そ、そうなんだ……」
阿澄さんにそんな複雑な事情があったなんて……。事情を知らなかったとはいえマズイこと聞いちゃったな……。
僕の心境を察したのか、阿澄さんが大げさにおどける。
「あはは、やだなぁー、そんなに暗い顔しないでよー。この世界にいることはわかってるんだから、そのうち会えるって」
「あはは。そうよだね、きっとすぐに見つかるよ」
阿澄さんの気遣いを無駄にしないために、同調しておく。
あれ? 待てよ。そういえば阿澄さん今気になること言ってたような……。
「あのさ、阿澄さん、ちょっと気になったことがあるんだけど、いいかな?」
「うん、なになに?」
「さっき妹さんが行方不明になってから五十年って言ってたけど……阿澄さんって本当は何歳なの?」
僕のその言葉を聞くと阿澄さんは慌てた口調で、
「か、河辺君! 女の子に年齢聞くのは失礼だって前にも言ったでしょ!」
「ご、ごめん。でも魔女って歳取らないって聞いたことがあったから、ちょっと気になっちゃって」
阿澄さんは物凄い剣幕で僕に詰め寄り、
「あれはこの世界の迷信! 人間は魔女について偏見持ちすぎだよー」
「う、うん。そ……そっか」
よっぽど聞かれたくないんだな……。
これ以上はこのことについて触れない方が良さそうだ。
僕は心の中でそう決断した。その時──
「お嬢は百九十二歳ぞよ」
アルキマがしれっと阿澄さんの年齢をバラしてきた。
「ひゃ、ひゃくきゅうじゅうに?」
あまりのケタ違いの数字に思わず声が裏返ってしまう。
「わーわーわー。ち、違うのー! そうじゃないのー」
パニック状態になった阿澄さんは顔を真っ赤にして手をぶんぶん振り回す。
「何をそんなに恥ずかしがっておるぞよ。まだお嬢は歳を気にするような年齢ではないぞよ」
「それは魔法の国での話! こっちの世界ではリナの歳はおばあちゃんだよー」
「ほおーそれは知らなかったぞよ。まだまだこの世界には知らないことが多いぞよな」
「感心してる場合じゃないでしょ! 河辺君にリナの歳バレちゃったじゃな~い! うえ~ん、アルのバカー」
半べそをかきながらアルキマを睨みつける阿澄さん。
と、とりあえずこの場を落ち着かせなくちゃ……。
「あ、あの……阿澄さん」
「河辺君、違うの~。リナはおばあちゃんじゃないの~。リナの話聞いて~う、ひっ、ぐすっ……」
「うん、大丈夫だよ。阿澄さんのことおばあちゃんだなんて思ってないよ」
実年齢はともかくとして、こんなに可愛い子をとてもじゃないけど、おばあちゃん扱いなんてできないよ。
「ほ、ほんと?」
「うん、ほんとうだよ」
「そ、そっか。えへへ」
僕の返答に安心したのか、ようやく阿澄さんは泣きやんだ。
「あのね、私たち魔女は人間よりずっと寿命が長いの。だから肉体的に歳を取るのはこっちの世界基準では十年に一歳くらいかな。だからね、人間と比べると実年齢と肉体年齢がずれちゃうんだよ」
「あー、なるほど」
つまり阿澄さんの年齢はこっちでいうところの十九歳くらいか。となると僕より二つくらい年上ということになる。どっちにしろ年上であることには変わりないんだな。そこだけはちょっと釈然としないけど……。
とりあえず僕は納得した。
「ん?」
ふと時計が目につく。時刻は八時六分を指し示していた。
「あっ、やばっ」
「どうしたの?」
「ごめん阿澄さん。僕、学校に行かなくちゃ。話の続きは後でいいかな」
「あ、うん」
「今日はバイトも入ってないし、真っ直ぐ家に帰ってこれるから、阿澄さんはそれまでここにいて。家にあるものは自由に使っていいから」
言いながら急いでカバンを持って玄関を出る。昨日、制服のままで寝てしまったので身支度する時間はほとんどゼロなのが救いだった。
「それじゃあ阿澄さん行ってくるね」
「うん、いってらっしゃ~い」
「っ!」
見送りの言葉を掛けてくれる阿澄さんの笑顔に思わずドキリとする。
なんかこういうのって新婚夫婦みたいでいいかも……。
急いで学校に向かわなければならないというのに、呑気にそんなことを考えてしまった。




