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魔女っ子とのご縁

「うぅー。くっ、苦しい、げぷっ」

 明らかに食べ過ぎの胃袋に手をあてながらバイト先に向かう。あの後、玉泉さんと麻祐理はお互いに一歩も引かずに、ひたすら強引にお弁当を食べさせてきた。結局、二人のお弁当の半分以上は僕が食べたことになる。本来は小食の僕にとって、かなりの重労働だった。

 おかげで今は歩くのもしんどいくらいにお腹がパンパンだ。

 こんなんでバイト大丈夫かな……。相方の佐藤さん、結構厳しいんだよね……。

──ガコン──

「おはようございます」

「おはよう河辺君」

 自動ドアをくぐり、僕はいつものように小林さんに挨拶をしてからバックルームに向かう。

──ガチャ──

「おはようございます」

「おっはよ~う! 河辺君」

「えっ! 阿澄さん!」

 な、なんで阿澄さんがここに?

「阿澄さんどうしたの! 代役は前回だけだったはずじゃ?」

「ああ、河辺君来たね」

「店長、どういうことですか? 佐藤さんは今日も休みなんですか?」

「ああ……それなんだがね」

 僕が状況説明を促すと店長は深刻そうな顔つきで口を開いた。

「実は佐藤さんから今日電話があってね。佐藤さんのお父さんの容態が思った以上にひどいらしくて、しばらく実家で看病させてほしいと申し出があったんだよ」

「えっ! それは大変ですね……」

 佐藤さんの実家ってたしか農家だったはず。お父さんがそんな状態じゃさぞかし不安だろうな……。

「そこでなんだけどね、しばらくの間は佐藤さんのシフトのところは阿澄さんが代わりに入ることになったから」

「えっ、あ、なるほど! そういうことだったんですか」

「うん! しばらくの間よろしくね河辺君」

 そう言うと阿澄さんは僕に満面の笑顔を向けてくれる。

「う、うん」

 佐藤さんには気の毒だと思うけど、正直に言えば阿澄さんとまたバイトができるのはちょっと嬉しかった。こんなこと思っちゃう僕って最低かな……。

「それじゃあレッツゴー! 今日も張り切って頑張っちゃうよー」

 まぁいいか……今はそんな難しいことを考えなくても。再び阿澄さんに出会えたこの巡り合わせを神様に感謝して今日も頑張って働こう。


 阿澄さんとバイトを始めて三時間。何故だろう? 阿澄さんとバイトしていると物凄く時間が過ぎるのを早く感じる。いつもはけだるく感じるこの時間も、心なしか気分が軽く感じていた。

「ありがとうございましたー」

 笑顔でお客に挨拶する阿澄さん。

「……」

 やっぱりあの笑顔かな……。阿澄さんの笑顔を見てると何だか凄くやる気が出てくる。僕は品出し作業を中断し、阿澄さんをボーッと眺めていた。

「ん? どうしたの河辺君

「あ、いや、何でもないよ」

 慌てて阿澄さんから視線を外す。

 いかんいかん……今は仕事中だ。

 雑念を払うように首を左右に振り、作業を再開した。


 阿澄さんとのバイトも問題なく順調に進み、残り時間も三十分。疲れを感じながらも、もうすぐ終わりだと思えば気分は自然と高揚してくる。事件はそんな時に起こった。

「わからないってどういうことだ!」

「あぅ……。ご、ごめんなさい」

 ん? な、なんだ? 

 突然、店内に怒声が響き渡る。

「どうしたの阿澄さん?」

 急いで阿澄さんの元へ駆け寄ると、カンカンに怒ったサラリーマンを目の前に阿澄さんが涙ぐんでいた。

「お客様どうかなされましたか?」

 とりあえず状況確認のため客に尋ねてみる。

「どうもこうもない。いつもワシがやっていることをこの店員がわからないと言うんだ」

「あぅ、ぐすっ……ごめんなさい」

 再び客に怒鳴られ、涙ぐみながら謝罪する阿澄さん。どうやら客の対応で何かわからないことがあったらしい。

 ふと横を見るとサラリーマンはゴルフバッグを抱えていることに気づく。

 あーなるほど……。

 僕は瞬間的にこの客の要望を悟った。

「お客様、大変申し訳ありません。こちらの店員はまだ新人でございまして、この作業は教えておりませんでした。よろしければ私が代わりにお受け致します」

「ふん! 新人だから許されるとでも思っているのか! そんなものは言い訳にすぎん。客からすれば店員などみんな一緒だ。常に全員が最善の状態でいることが当然だろ」

「誠に申し訳ありません」

「大体な、ワシはいつもこの店を贔屓して使ってやってるんだぞ。その客の顔も覚えていないとは何事だ! 接客業たるものお客の顔を覚えるのも仕事のうちだろ! お前達はそれでも接客のプロか!」

 はぁ……。いるんだよなぁ……こういう客。自分の普段のストレスをぶつけるかのようにここぞとばかりに文句を言ってくる。おまけに自分がやってることが正義だと思ってるからタチが悪いよ。大体コンビニで顔を覚えろってなんだよ……。ここは高級ホテルじゃないんだぞ。

 頭ではそう思いつつもそんなことを口には出せるわけもなく……。

「申し訳ありません」

 僕は再び頭を深々と下げた。


「ありがとうございましたー」

「ふんっ」

 最後まで肩をイカらせながらサラリーマンは店を出て行った。

「ふぇ~ん。ありがとう河辺君」

「ちょ、ちょっと阿澄さん!」

 阿澄さんは僕の制服にしがみつき顔をうずめてくる。

「怖かったよ~。ぐずっ、ひっ、く」

 あ、鼻水がついた……。

「わかった、わかったからさ、とりあえず離れよ、ね?」

 そんな僕等の様子を他の客は不可解そうにを見つめているのだった。 

 うぅ……恥ずかしい。


 数分後、ようやく泣きやんだ阿澄さんが申し訳なさそうな顔で、

「ごめんね、リナのせいで河辺君が怒られて」

「ううん、気にしないでよ。ゴルフバッグのやり方は普通の配達物とは違ってちょっと特殊だからさ。習ってないならできないのもしょうがないよ」

「で、でも……」

「それにそういうのは阿澄さんのせいじゃないよ。教えなかった店長が悪いんだから。部下の責任は上司が取るものってよく言うじゃない、ね?」

「河辺君……」

「というわけでこの話はおしまい。阿澄さんもこの件はもう気にしちゃだめだよ」 

 未だ納得していない様子の阿澄さんだったけど僕は強引に話を終わらせた。

「じゃあついでだから、さっきのゴルフバッグのやり方教えちゃうね」

「う、うん!」

 阿澄さんは真剣な眼差しで僕のレクチャーを受ける。


「おはよう~っす」

 そうこうしていると気だるそうに深夜シフトの従業員がやってきた。阿澄さんにレクチャーしていて気づかなかったけど、いつのまにかバイト終了の時間になっていたようだ。

「あ、おはようございます」

「うぃ~っす、んじゃもう上がっていいよ」

「あ、はい。じゃあ後はよろしくお願いします」

 深夜帯に引継をし、僕はバックルームに戻ろうとする。

「あれ? 河辺君、まだレジ精算やってないの?」

「あっ!」

 しまった……。あの客に気を取られていて、レジ精算するのをすっかり忘れていた。

「す、すいません! 今すぐやります!」

 僕は慌ててお金を数え始める。

「河辺君、それリナがやるよ」

「大丈夫だよ、こんなのすぐ終わるからさ。阿澄さんはもう帰っていいよ。これは僕の担当作業だったからね」

「で、でも……」

──ガコン──

「あ、いらっしゃいませ~」

 阿澄さんが何かを言おうとした瞬間、客がゾロゾロと一斉に入ってきた。駅の近くということもあって通勤ラッシュのこの時間は電車が駅に着くと一斉に客が入ってくる。

 阿澄さんには悪いけど、今はもう話している余裕がない。こうなってしまうと先に客を捌かないとレジ精算が一向にできない。

「それじゃあ阿澄さんお疲れ様。また次もよろしくね」

「あ、うん。お疲れ様……」

 僕の意向を察したのかしぶしぶ阿澄さんは帰って行く。

 とりあえず阿澄さんには納得してもらえたようで良かった。

「河辺君、お客さん待たせてるんだからさっさとやちゃってよ」

「あ、はい、すいません」

 あぁ……こりゃ今日は残業かな……。


 ──ガコン──

「はぁ……やっと終わった……」

 結局、四十五分もオーバーしてしまった。自分が悪いとは言え、横暴な客の件もあってかさすがにちょっと堪えた。

「今日はもうさっさと帰って寝よう……」

 足取りも重く月明かりに照らされた道を帰ろうとすると、

「か~わ~べ君」

「どわっ!」

 突然に阿澄さんが電柱の影から姿を現した。あまりの驚きに思わず絶叫してしまう。

「び、びっくりしたー。阿澄さん、どうしたの?」

「あはは。河辺君のこと待ってたんだよ」

「へ?」

 僕を待ってた? なんで?

「河辺君、夕飯まだだよね?」

「う、うん」

 そういえばそうだった……。

 阿澄さんに言われて夕飯を食べていないことを思い出す。

 でも今日はそんなにお腹も空いてないし、食べなくてもいいかな。

 心の中でそう結論づけると、阿澄さんは笑顔で、

「それじゃあ今からご飯食べに行こう」

「あ、あぁー……。せっかくなんだけど僕、今日は夕飯はいいかな、なんて……」

 せっかくの誘いでちょっともったいない気もするけど、今は本当に空腹より睡眠を優先したかった。

 だが僕の内心とは裏腹に阿澄さんは手でブイサインを作ると、

「だいじょーぶ!」

「え?」

「今日はお姉さんの奢りだから、ドーンとまっかせなさーい」

 言いながら阿澄さんはキメ顔で自分の胸を叩く。

「奢り……ごくり」

 卑しいと思いつつも奢りという言葉につい反応してしまう。

 嫌だな……これだから苦学生って身分は。

 思わず自己嫌悪に陥る。

「いや、そんな悪いよ」

 いくら苦学生の身だからってそんな簡単に甘えてたら自分で自分自身が誇れなくなっちゃうよ。

 心の中で何とか自分の欲望に打ち勝ち死の思いで阿澄さんにそう告げた。

「むー。河辺君!」

「は、はい」

「こういう時に女の子からの誘いを断るなんて最低だよ! レディに恥かかせる気なの」

「え、そ、その……。ごめん」

「分かればよろしい! それじゃあ行っくよー!」

「わ、ちょ! 阿澄さん!」

 阿澄さんは僕の手を強引に掴むと、そのまま駆け出した。

「今日は助けてくれてありがとう」

「え?」

「なんでもなーい。あはは」

「……」

 まぁいいか、阿澄さんなんだか楽しそうだし。


「へい、らっしゃい」

 のれんをくぐると気の良さそうな店主が僕らを迎えてくる。

 連れてこられたのは屋台のおでん屋。この年でおでん屋なんて行くのは少し抵抗あったけど、阿澄さんの方は堂々としていた。どうやら結構な常連さんみたいだ。

「おじさーん、私、がんもとちくわとごぼう巻き。河辺君は?」

「あ、じゃあ僕は大根とこんにゃくとはんぺんで」

「へい、おまち」

 慣れた手つきで早々と僕らの前におでんを置く店主。

 おでんから出ているアツアツの湯気が食欲をそそる。

「さ、河辺君。食べて食べて」

 阿澄さんは目を輝かせながら僕に催促する。

 うーん、正直この季節におでんっていうのは気がすすまないんだけど。でもせっかく阿澄さんが奢ってくれてるのに嫌な顔できないよね。

 とりあえず一口サイズにした大根を口の中に入れてみる。

「!」

 う、うまい!

 あまりのおいしさに思わず目を見開く。

「これ、すっごく美味しいよ」

「でしょでしょー」

「うん、店で買うおでんなんかとは比べ物にならないよ。なんていうかダシが違うのかな、とにかく今まで食べたことがないような美味しさだよ」

「うんうん、だよねー」

 ふと視線を上げると店主の方も心なしか、はにかんだような顔をしている。

「嬉しいなぁー自分が好きな食べ物を褒められるって。河辺君ならきっと喜んでくれると思ったんだ」

「この美味しさなら誰だって好きになると思うよ」

「本当? リナこの世界の基準ってまだよくわからないから自信なかったんだー」

 ん? この世界?

 阿澄さんがまたもや意味深な言葉を口にする。

「あのさ阿澄さん、前も聞いたんだけど、世界っていうのはどういう意味なのかな? 阿澄さんってどこの国からきたの?」

 阿澄さんは卑しい顔で僕の方を見つめ

「うーん? そんなにお姉さんのこと気になるの?」

「うっ」

 その色っぽさに思わず顔を背けてしまう。

「あははー。冗談だって! 河辺君かっわーい」

「くっ」

 ちょっと悔しい……。

「うーん? 河辺君には言ってもいいかな?」

 阿澄さんは口元に手を添え、悩む仕草をする。

「誰にも言わないって約束してくれる?」

 先程とは違い、阿澄さんはの顔は至って真剣だ。

「う、うん。約束するよ」

 その真剣さに思わず息を呑みながら僕は頷いた。

「実はね……」

 ごくり……。

「リナね、魔法の国からやってきた魔女っ子なの」

「……」

 この場の時が止まる……。

 え? 今なんて言った?

 一瞬何を言われたのか理解できず頭が真っ白になる。

「ごめん、今なんて言ったの? よく聞こえなくて」

 阿澄さんは頬を膨らませながら、

「だーかーらー。リナは魔法の国からやってきた魔女っ子なの!」

 魔法の国からやってきた? それってサ○ーちゃん?

「ぷっ、くっ、あはははは」

「あー! 河辺君笑ったー! ひっどーい」

「だってさ、本当に魔女ならさ、なんでコンビニでアルバイトなんてしてるの? 魔法でお金なんてどうにでもなりそうじゃん」

 必死に笑いを堪えながら僕は阿澄さんのご機嫌を損ねないように疑問を投げかけた。

 僕の問いかけに阿澄さんはごにょごにょと歯切れを悪くしながら、

「そ……それは……」

「でもありがとう!」

「え?」

「僕が落ち込んでると思ってそんな冗談言ってくれたんだよね? 大丈夫だよ、これでも僕、立ち直りは早い方だから」

「むっかー。河辺君ってば全然リナの言うこと信じてないじゃん! もう頭にきた!」

 あれ? もしかして本気で言ってたの? もしかして阿澄さんって電波系なんじゃ……。

「じゃあ今から河辺君に魔法見せてあげるんだから。ぜーったいリナの言うこと信じてもらうんだからね」

 僕が不安を抱える中、阿澄さんは突然立ち上がり、

「おーじさん」

「ん?」

 店主に向かってニコッと微笑む阿澄さん。

「今日の代金タダにしてー」

 そう言うと阿澄さんは人差し指を立てた右手を上にかざすと、そのまま店主に向かって振り下ろす。その瞬間──

──ピカー──

 阿澄さんの指先が光輝く。

 え? うそ! まさか本当に!

「……」

 しばらくして光が収まると店主は静かに口を開いた。

「だめ!」

「で、ですよねぇー」

 予想通りとばかりに阿澄さんは苦笑いを浮かべ誤魔化した。

「じゃ……じゃあ、そろそろお腹いっぱいになったし帰ろうか」

 この場の雰囲気にいたたまれなくなったので早々に退散を提案する。

「あ、そう? じゃあおじさん、いくらですか?」

 阿澄さんもそれを感じていたのか素直に同意した。

「全部で八百円だよ」

「は~い」

 さて、ようやく帰れる。今日は阿澄さんのおかげで楽しませてもらえたし、いい夢見れそうかな。

 気分を良くして僕は屋台を出ようと立ち上がる。すると──

「か、河辺く~~~~ん」

「ん?」

「お、お金貸して……」

「……」

 前言撤回。今日も悪夢を見そうです。


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