日常─クラスメイト─
「それじゃあ兄貴、オレはこっちだから」
一年生の麻祐理は二年の僕とは反対側の入り口だ。
「うん、今日はありがとう。おかげで朝からおいしい料理食べられて僕は幸せだよ」
「へへ、まぁあんなので良かったらまた作ってやるよ。んじゃな」
少し照れ臭そうにしながら麻祐理は校舎に入っていく。
「さてと、それじゃあ僕も行くか」
麻祐理を見送り、僕も校舎に向かって歩き出す。
「おはよう河辺君」
教室に入り自分の席に着くと、隣の席から声が掛かった。
「おはよう玉泉さん」
声を掛けてきたのは玉泉 珠美さん。僕とは席が隣同士で、アルバイトで宿題ができなかった時にいつも自分の宿題を写させてくれる優しい人だ。
見た目も凄く可愛くて、クラスの男子からは絶大な人気を誇ってる。何人かの男子から告白を受けてるらしいけど、その度に断ってるようで未だ特定の恋人はなし。今では玉泉さんを狙っていた男子もすっかり意気消沈気味のようだ。
噂では誰か好きな人がいるんじゃないかって言われてるけど、一体誰なんだろう?
こんなに優しくて可愛い人に想われてる男は幸せ者だよね。僕なんて席が隣同士じゃなかったら一生話すことなんてなかっただろう。
「河辺君、今日は宿題やってきた?」
「うん、大丈夫だよ。そんな毎回玉泉さんに迷惑は掛けられないよ」
「そ、そうなんだ……」
……あれ?
気のせいか、僕が宿題をやってきたことを告げると玉泉さんはどことなく寂しげな表情を浮かべる。
そんな玉泉さんの様子に僕はちょっとだけ罪悪感を感じた。
──キーンコーンカーンコーン──
四時間目の授業終了のチャイムが鳴る。
「では今日はここまで」
教師が告げると教室が一斉にざわつき始める。
「急げ、急げー」
「イヤッホーイ! お待ちかねの飯の時間だぜ」
購買組や学食組が次々と教室を出て行った。
「さてと、僕も買いに行くか」
僕も今日は購買だ。余裕がある時はお弁当を作ったりもするんだけど、基本は購買のパンや学食で済ませている。
でも昼の購買は人混みが凄いのが難点なんだよなぁ……。どうもあの人混みは苦手だ。
「たっくん、これ今日のお弁当」
「うわー今日もおいしそうだな。ありがとうマナマナ」
ふと教室の端を見渡すと、一組のカップルがイチャついていた。
「はい、あーん」
「あーん」
恥ずかしげもなくバカップル全快の行動をする二人。
──シラー──
それを見ていた周りのクラスメイト達はカップルに冷ややかな視線を送っている。
うーん……正直羨ましいというよりあんなことよくできるなぁって感心しちゃうよ。
ま、僕には一生縁のないことだけどね。
そう思い席から立ち上がろうとすると、
「河辺君」
玉泉さんが声を掛けてきた。
「今から購買?」
「うん、そのつもりだけど」
「そ、そう……。あ、あのね」
「うん?」
玉泉さんが俯きながら何か言いたそうにしている。
「じ、実はね、今日お弁当いつもより多く作り過ぎちゃって……。河辺君さえ良ければ、そ、その……。食べるの少し手伝ってくれないかな?」
「えっ!」
「ごめんなさい。やっぱり迷惑だよね! 今の忘れて」
そう言うと玉泉さんは慌てて自分の弁当箱を後ろへ隠した。
「あ、いや違うんだ。急な申し出だったから驚いちゃって。迷惑なんて全然そんなことないよ。むしろ是非ともお願いしたいところけど、本当にいいの?」
僕の返答を聞くと玉泉さんは興奮気味に、
「いいのいいの、全然いいの! 河辺君さえよければいくらでも食べて食べて」
よっぽど作りすぎて困ってるのかな? それなら遠慮なく食べさせてもらおうかな。
「でも何で僕なの? 別に僕じゃなくても友達とかに頼んだ方がいいんじゃない?」
僕はふと疑問に思ったことを口にする。
「ふえぇっ! そ、それはその……」
なんだろう? 何だかとても言いにくそうだ。あ、もしかして!
「ありがとう玉泉さん」
「え?」
「給料日前だから僕のこと気遣ってくれたんだよね。でも大丈夫だよ、お昼のパンを買うくらいはまだ余裕があるから」
玉泉さんは僕の事情を知っている。前にふとしたきっかけで僕が一人暮らししていることを話したことがあった。優しい玉泉さんのことだ、きっと給料日前の僕を気遣ってくれたのだろう。
「いや、ちが……」
「玉泉さんは相変わらず優しいね」
「えっ……そんなこと……」
「でもせっかくの申し出だからありがたく頂くよ。金銭的にも助かることは事実だしね」
「うん。食べて食べて」
──パカッ──
「うわー」
お弁当箱を開けると中には色取りどりのオカズが敷きつめられていた。
「凄い! これ玉泉さんが全部自分で作ったの?」
「う、うん一応……」
控えめにに頷く玉泉さん。
お世辞ではなく、本当に凄いと思った。自分も料理をしたことがあるからわかるけど、これだけの料理を朝から自分で用意するのは相当大変なはずだ。料理は見た目も大事だけど、玉泉さんのお弁当はその点に関しては完璧だ。見てるだけで胃袋が刺激される。
「それじゃあいただきます」
「うん、どうぞ」
玉泉さんの了承を得て、僕はハンバーグを手に取る。そのまま口に入れようとしたその瞬間──
「兄貴」
聞き慣れた声がする。声のする方に顔を向けるとそこには麻祐理が立っていた。
「麻祐理! どうして麻祐理がここに?」
「え? 麻祐理さん?」
僕の呼び掛けに玉泉さんも麻祐理の存在に気づく。
「あ、玉泉さんは初めてだよね。僕の妹で麻祐理って言うんだ」
「い、妹さん!」
「ど、どうも……」
玉泉さんと顔を合わせると麻祐理はぶっきらぼうに会釈した。
「は、初めまして玉泉珠美です。河辺君とは席が隣同士でいつもお世話になってます」
「あ、いや玉泉さん、別にそこまでかしこまらなくても。たかが僕の妹なんだし」
「たかが?」
麻祐理の眉がピクリと上がった気がする。
「へー。わざわざ兄の昼飯を心配してやってきた妹に向かってそんなこと言っちゃうんだ」
「え! 麻祐理、僕の昼食のこと心配して来てくれたの」
「あ」
しまった、瞬間的にそう言いだしそうな口を塞ぐ麻祐理。
「バカ、ちげーよ。何勘違いしてんだ。オレが兄貴の心配なんてするわけねーだろ。ただ今日は弁当持ってないようだったから、どうするのかなって思っただけだよ。ふんっ」
言いながら麻祐理は僕から顔を背ける。
「麻祐理……」
口では違うと言ってるけど僕にはわかる。麻祐理は僕のことを心配して来てくれたんだ。こんな健気な妹を持って僕は何て幸せ者なんだろう……。
改めて自分の恵まれた立場を実感すると、目から自然と涙がこぼれてきた。
「う、うぅ……」
「バ、バカ! 何泣いてんだよ。たくっ、しょうがねーなー兄貴は」
やれやれと言わんばかりに麻祐理が僕の背中に手を置く。
「ほら、そんなみじめな兄貴にしょうがなくオレの弁当を分けてやるよ。……ん?」
麻祐理が僕に弁当箱を差し出そうとすると、何かに気づいたように目を見開いた。
「兄貴、その弁当……」
視線の先には玉泉さんのお弁当。
「あ、いや、これは……」
「ふーん。兄貴に彼女なんていたんだ。手作り弁当なんて作ってもらってお熱いことで」
どう説明しようか悩んでいると、麻祐理は自己解決したように呟いた。
「か、彼女! あうあう」
横では玉泉さんが茹でダコのように顔を真っ赤にして目を回してる。いやいや、そこはちゃんと否定しようよ玉泉さん!
「違うんだよ麻祐理。玉泉さん給料日前の僕を心配してお昼ご飯を分けてくれたんだ」
「ふーん」
必死の弁解にも麻祐理はジト目で半信半疑という感じだ。
「ま、オレには関係のないことだけどな。何かアホらしくなってきた。んじゃあオレは帰るわ」
まずい、このままじゃ麻祐理の機嫌を損ねたままだ。
いつも世話になっている麻祐理にこんな形で報いるのはなんとしても避けたい。
「待って麻祐理! 僕、麻祐理のお弁当も食べたいな」
──ピタッ──
僕の呼び掛けに麻祐理は足を止める。
「な、何言ってんだよ」
顔をヒクつかせながらおずおずと麻友里は振り返った。
「実は今日は凄くお腹空いててさ。たぶん玉泉さんから分けてもらった分だけじゃ足りないと思うんだよ。だから、ね? お願いできないかな」
「ま、まぁ、そういうことなら分けてやらないこともないけどよ」
そう言うと麻友里は仕方ないといった感じで僕の隣に座った。
ホッ……。とりあえず何とか引き引き留めることには成功したみたいだ。
そう思い安堵した瞬間、
「あ、あの河辺君……」
玉泉さんが不安げにこちらを見つめてくる。
しまった、今度は玉泉さんを不快にさせてしまったかもしれない。せっかくの玉泉さんの好意を無下になんてしたら罰が当たるよ。
すがさず先程食べようとしていた玉泉さんのハンバーグを口に入れる。
「ん! うまい!」
口に入れた瞬間、思わず本音が漏れる。お世辞ではなく本当においしかった。
僕の反応を見ると玉泉さんは安心したように満面の笑みで、
「本当! 良かった~」
「うん、冗談抜きに本気でおいしいよ! まるでお店で食べてるみたいだ! 玉泉さんって料理上手なんだね」
「そ、そんなことないよ」
玉泉さんは恥ずかしそうに俯いてしまった
──ジーッ──
ん?
「むー」
視線を感じ、振り返ると麻祐理が膨れっ面でこちらを睨んでいる。
「そ、それじゃあ次は麻祐理のお弁当をもらおうかな」
僕は麻祐理のお弁当から春巻きを一つ掴み口に入れる。
「おいしい……」
こちらもまた素直な感想。味はもちろんのことだが普段食べている味の分、こっちの方が安心感を感じることができる。
「麻祐理、また料理の腕上げたね」
「ま、まぁな……」
麻祐理の顔は先程とは打って変わってフニャけていた。
──ジトー──
うっ! 再び視線を移すと玉泉さんがこちらをいぶしかめに見つめている。
玉泉さんは僕の方にお弁当をずいっと差し出すと、
「河辺君、遠慮しないでどんどん食べて」
「う、うん。ありがとう」
「ほら、兄貴。遠慮すんなって! オレのももっと食べろよ」
麻祐理も負けじと同じようにお弁当を差し出してくる。
「む!」
「ギロッ」
玉泉さんと麻祐理の目が合う。気のせいだろうか、何だかお互いの目から火花が散って見える……。
「麻祐理ちゃん、河辺君は私のお弁当だけで十分間に合いそうだから無理してあげなくても大丈夫だよ」
「いえいえ玉泉先輩こそ、家族の問題は家族で解決しますので。部外者の方にそんな迷惑は掛けられませんわ」
なんだろう、お互い顔は笑っているのに物凄く威圧間を感じる……。
「はい河辺君、あーん」
「えぇ! ちょ、玉泉さん!」
「くっ! ほら兄貴、口開けろ!」
「ちょっと二人とも落ち着いてよ」
我を忘れて興奮気味の二人をなんとか制止しようと試みるが……。
「いいから食べて!」
「いいから食べろ!」
──ズボッ──
「むぐっ」
僕の説得も虚しく、二人に強引に口の中に入れられてしまった。
「どう? 河辺君!」
「どうだよ! 兄貴」
あまりに二人の剣幕が凄いので一瞬たじろいでしまった。
「う、うん。とってもおいしいよ」
正直に言えばこんな状況じゃ味なんてわかったもんじゃなかったけど……。こんな鬼気迫るような顔で二人に睨まれたら、とてもじゃないけどそんなこと言えないよ……。
──シラー──
ん?
ふと見渡せば、クラスメイト達が先程バカップルに送っていた冷ややかな視線を僕等に向けていた。
「……あはは」
そんな状況に、僕は乾いた笑い声で誤魔化すしかなかった。




