第七十九幕 選択
「だめっ―――――――――!!」
悠子の絶叫が、フロア内に響く。しかし、その叫びも空しく、爪は少年の頬にかかる。
その時だった。
「ぎゃあっ!!」
一つ目入道が突如悲鳴を上げ、その場に蹲った。同時に、悠子を掴んでいた右手の圧力も弱まる。息がしやすくなるのを感じながら、何事が起きたのかと入道を見ると、少年の頬にかかろうとしていた左腕が何かによって切り落とされ、そこから大量の血が滴り落ちていた。入道は、歯を食いしばり、痛みに耐えていた。
次の瞬間、
「があっ!!」
入道の目が大きく見開かれる。背中からそのふくよかな腹にかけて貫かれていたのは、夜のように黒い槍だった。
悠子は気づく。それが達騎のものだということに。
槍は、生き物のように動いたかと思うと、入道の体から自身を引き抜き、血を滴らせながらフロアの奥へと飛んでいった。
入道の目から光が消え、その巨体が前のめりに倒れ込む。そして、入道の魂は、大地へと飲み込まれていった。
その手から抜け出した悠子は、もはや動くことのない入道を見てから、その槍が飛んだ方向を見つめた。
(私は、何をしてるんだろう――)
達騎に助けられ、結果、魂たちを救ったのも達騎だ。己に対する不甲斐なさが、悠子を襲う。
それに、また達騎に妖を殺させてしまった。
人を傷つけ、殺そうとする、または殺した妖の命を奪うことは、巫子の仕事でもある。そうでなければ、人間を助けることができないからだ。
ただ、近年は現世に住む妖も多くなり、彼らからは『人権』ならぬ『妖権』の侵害だという意見も出ていた。
たとえ命を奪った妖であったとしても裁かれる権利はあるとして、巫子といえど問答無用で命を奪ってはならないという法案が出始めている。
そんな社会情勢の中では、達騎の行動がどういう風にとられるか分からない。
いや、そんな事はどうでもいい。
ただ、悠子が達騎に命を奪ってほしくないだけだ。だが、それは自分のエゴだ。
――分かっている。
誰かを救うということは、相手の命を奪い、別の誰かを見捨てることだということは。
そして、たとえ、命を奪わなくても、助けた結果が誰かの命を奪う原因にもなる。
三年前、巫子として一人立ちし始めた頃、蕗のそばに住む小人の妖――コロボックルの兄妹が犬神に襲われていたのを助けたことがあった。その犬神は、周辺に住む小さな妖を食らっていた。悠子は、犬神の命を奪うことはしなかった。気絶させた後、狭間の警察を呼び、二度と現世に踏み入れることができないようにした。しかし、その数か月後、コロボックルの兄妹たちが住んでいた集落が犬神に襲われたという情報が入った。その犬神は、あの時の妖だった。
犬神は、狭間の警察官に重傷を負わせ、逃げだしていたのだ。
集落は壊滅し、何人ものコロボックルが犠牲になった。助けた妹も犬神の牙に噛まれ、死んでしまった。
今でも、覚えている。生き残った兄が自分を目にしたときのあの顔と声を。
絶対に許さないという、憎しみのこもった目と、「あんたがあいつを殺していれば、妹は死ななくてすんだ」という悲痛な叫びを。
だが、それだけでは終わらなかった。
無残な形で殺された妹や集落の人々の魂は、恐怖と怒りに支配され、彼らは怨魔となってしまった。
当時、何も分からず、恐れと混乱で動けなくなってしまった悠子を助けてくれたのは、気配を察知し、駆けつけてきた猿田彦の巫子だった。
怨魔を根に送った巫子は、経緯を聞くなり、こう言った。
「切り捨てろ。でなければ、お前は死ぬ」と。
一を救うために、百を犠牲にするか。百を救うために、一を犠牲にするか。
巫子なら、後者を選ぶだろう。だが、悠子はどちらも救いたかった。
たとえ、悪だろうと、命は命だ。生きている彼らの命を奪うことが、悠子にはどうしてもできなかった。
それは、見習い巫子としての修業を終え、巫子となるために行う最後の儀式でのことだった。
それは、何人もの妖を食らい、人間を殺してきた冥虎の命を「断風」で奪い、その魂を高天原に送ることだった。
猿田彦の巫子が魂を根に送れば、植物、虫、動物などいくつかの輪廻を辿り、人や妖に転生するが、高天原の場合は、直接、人や妖に転生できる。
根では、憎しみや殺意の心を持つ荒御魂は己の罪を認め、心を入れ替えなければ、転生することはできない。だが、高天原では違う。その心を抱えたまま、転生し、現世に生まれるのだ。
それでは、意味がないのではないかと問う悠子に、父は言った。これは、罪を犯した者に対する『罰』なのだと。
生まれ変わり、記憶がなくなろうとも、魂に刻まれたその重く暗い思いを抱えて生きてゆく。
ある意味呪いにも似た『罰』を彼らは受けるのだと。
その事を知った悠子は、初めて、巫子であることを恐ろしいと思った。
爛々と光る赤い目に、炎のように揺らめく黒く濃い虎の身をもつ冥虎は、かつて使っていたはずの人の言葉さえ話せず、人の言葉も理解できなかった。
放置しておけば、恐ろしい脅威となるだろう。
悠子は駆け出し、「断風」を唱えようとした。だが、寸でのところで言霊を飲み込んだ。
まだ、冥虎は生きている。
その脈打つ心臓に手をかけることは、自分自身に刃を突き付け、魂さえ握りつぶすようなものだった。
できない、と悠子は思った。自分には冥虎の命を奪うことはできない。
悠子が下した決断は、冥虎に対し、『鏡月』を発動させることだった。
悠子が見た冥虎の記憶は、妖達に蔑まれ、人間達に恐れられた怒りと悲しみに満ちたものだった。
しかし、一度だけ、ぬくもりに触れた瞬間があった。
ある日、お気に入りの木の上で寝そべっていた冥虎は、泣き叫ぶ少女の声で目が覚めた。
その少女は、二、三歳ほどで、両腕に魚の鱗を持った半妖だった。どうやら、迷子になってしまったらしい。
自分が出れば、怖がってどこかに行くだろうと思った冥虎は、少女の目の前に舞い降りた。案の定、少女は泣き止んだが、きょとんとした顔をしたまま、動こうとはしない。
何なんだと少々たじろいだ時、突然、少女がぱあっと顔を輝かせ、「ねこしゃんっ!」と声を上げた。そして、尾をぎゅっと握ったのだ。
あまりの痛さに、思わず悲鳴を上げそうになった冥虎は、(こいつ、食ってやろうか)と半ば本気で思った。だが、少女がにこにこと邪気のない顔で嬉しそうに笑っているのを見て、湧き上がっていた怒りが霧散してしまった。代わりにひどく疲れたような感覚を覚えた。
「お前、早くどっかいけよ・・・」
「ねこしゃん、ねこしゃんっ!」
「いや、おれ、猫じゃねえし」
否定する冥虎に構わず、少女は「ねこしゃん」と繰り返し、何がおもしろいのか、きゃっきゃっと笑い声を上げる。
怖がりもしない少女の様子に冥虎は呆れる。牙をむき出しにし、低く唸ってみせるが、少女に効果はなかった。仕方なく、冥虎は少女にされるがままになった。
しばらくして、少女の手が尾ではなく、冥虎の背中に回る。撫でるというよりは、ぺしぺしともみじのような手で叩かれていたが、冥虎は少女の気の済むまでやらせてやろうと思った。また泣かれてはかなわない。あの甲高い声は、意外と頭に響くのだ。
少女の手が背中から移動し、今度は頭を撫でる。その温かさに、冥虎は思わず目を細めた。
こうやって誰かに触れられたことはあっただろうか。
冥虎はされるがまま、自問する。
生まれた時から両親の顔を知らず、ずっと一人で生きてきた。妖力の高い妖達からは蔑まれ、人間達には恐れられる日々を送り、温かな手で触れられたことなどなかった。
怖がられることなく、温かな手に触れてもらう事。それが、本当に望んでいたことなのかもしれない。
冥虎は満たされた気持ちで、ゆっくりと目を閉じた。
目を開く。そこには、あの時、出会った少女が寸分違わず、目の前にいた。
「・・・オ、マエ・・・」
ひさしく動かしていなかった口を冥虎は開く。
少女は何も言わず、ただ、頭を撫でる。その変わらない温かさに、冥虎は目を細めた。
あの時、少女は一通り冥虎を撫でると、探してきた両親の声に呼ばれ、手を振りながら去っていった。その時、冥虎は思った。
ありがとう。忘れないから、と。
けれど、そのぬくもりの記憶は悪意と恐れに染まり、いつしか忘れてしまっていた。
あぁ、でも、確かに自分は・・・。この手を覚えている。このぬくもりを覚えている。
冥虎は、満たされた思いで目を閉じる。次に目を開いた時、そこにいたのは、見慣れぬ一人の少女だった。
悠子の姿を瞳に映す冥虎には、『鏡月』を行う前の凶暴な雰囲気はなりを潜め、妖としての理性的で誇り高い姿があった。
「あの・・・」
どう声をかけようかと戸惑っていると、冥虎から声をかけられた。
「お前か。あいつを思い出させてくれたのは」
「・・・はい」
悠子は神妙に頷いた。
「お前は鈿女の巫子なのか?」
「はい」
再び頷けば、冥虎の瞳の色が優しいものに変わる。
「ありがとう」
その言葉に悠子の顔が綻ぶ。しかし、次の冥虎の行動に、悠子の顔は引き攣った。
冥虎はひらりと体を反転させ、崖の端まで駆けると、そのままためらいもなく、空中へ身を躍らせた。止める間もなく、冥虎の体が落ちていく。
「・・・・・っ!!」
悠子は声にならない悲鳴を上げた。足をもつらせながら、崖の端へ近づいた悠子は、膝をつき、その下を見下ろした。
そこには、突き出た岩に体を叩きつけ、赤い血を流し、息絶えた冥虎の姿があった。
「どう・・して・・・」
信じられず、悠子は擦れた声を上げた。
握った手が激しく震える。
『気に病むな。お前のせいじゃない』
はっとして隣を見れば、そこに冥虎がいた。だが、肉体は崖下にある。これは魂だと悠子は気づいた。
冥虎はゆらりと尾を揺らし、悠子を見た。
『さぁ、俺を高天原に送ってくれ』
「・・・・・」
だが、悠子は動けなかった。揺らがない冥虎の赤い瞳を見つめることしかできない。
『・・・あのまま生きていれば、俺はまた同じことを繰り返す。これが最善なんだ』
まるで言い聞かせるような冥虎の言葉に、悠子は自分の未熟さを呪った。
『鏡月』で理性や記憶を取り戻させたからといって、受けた本人が完全に救われるわけではない。むしろ、取り戻したために起こる弊害もある。
悠子は、冥虎にそういう選択をさせてしまった己を恥じた。顔を俯かせると、唇を噛み締める。
『気に病むなといったはずだ。これは、俺が選んだことだ。お前が俺を生かすことを選んだのと同じように』
静かな冥虎の声が、悠子の耳に響く。その言葉には、怒りも悲しみもなく、揺るがない信念のようなものが窺えた。顔を上げれば、悠子を見返す冥虎の顔があった。
『お前は優しい、いや、甘いというべきか。こんな、救いようもない俺を生かそうとするんだからな』
自嘲気味に呟く冥虎に、悠子は口を開いた。
「・・・それでも、同じ命だから。命を奪って、高天原に送るのは違うと思ったの」
『同じ命、か・・・』
目を細め、冥虎は納得したような声を上げた。そして、悠子をひたと見据える。
『その考えは、理想だ。世の中には、改心することなどない根っからの悪が存在する。そんな奴にまで慈悲をかけていたら、お前の命はないぞ』
脅すように言葉を放つ冥虎に、それでも悠子の意思は変わらなかった。
自分の命をないがしろにするつもりもない。けれど、この思いを変えるつもりもなかった。それが、どんなに矛盾をはらんでいても。
「私は死ぬつもりも、この思いを変えるつもりもありません。たとえ、矛盾をはらんでいてもやり続けます。それが私の信念だから」
瞳に力を込め、悠子は冥虎を見返す。
『・・・・そうか』
頑なな悠子の様子に、これ以上言っても無駄だと諦めたのか、それとも悠子の思いをくみ取ったのか、冥虎が頷く。
優しい妖だと悠子は思った。
妖を食い、人を殺してきたといっても、根はやさしいのだろう。でなければ、あの記憶で正気に戻るはずもない。
「・・・忠告、ありがとうございます。心に留めておきます」
軽く頭を下げ、礼をいえば、冥虎は苦笑を浮かべた。
『殺人者の戯言だ。そう真面目にとらえるな』
その言葉に、悠子は首を横に振ることで答えた。
自身の願い通りにはいかなかったが、儀式―仕事―はきちんと終えなければ。
悠子は、膝をついた姿勢から立ち上がった。そして、冥虎に向き合うと、身にまとった緋禮装束の袂から、扇子を取り出した。根付けの鈴が澄んだ音をたてる。
「今からあなたを高天原に送ります」
扇子を広げ、舞を舞う体勢に入れば、冥虎が頷いた。
『あぁ、頼む』
※※※※※※
冥虎を送り終えた悠子は、彼が去っていた空を見上げた。
いつか、彼が出会ったあの半妖の少女と逢えるように。そう願った。
ジャリっと地面を踏みしめる音が悠子の耳を捉えた。顔を向ければ、厳しい顔をした拓人がいた。
「お父さん・・・」
自分はいうなれば、儀式を本来とは違うやり方で終わらせたのだ。結果的には、冥虎を送ることができたが、これでは巫子になれないかもしれない。
けれど、それでもかまわなかった。妖の命を奪い、高天原に送っていれば、間違いなく後悔していただろう。
拓人が悠子に近付いてくる。
悠子は瞳を逸らすことなく、拓人が近づいてくるのを見つめた。
悠子の前に来た拓人は、立ち止まる。そして、小さく息を吐いた。
そのため息は、落胆なのかそうではないのか。悠子には分からなかった。
不安に思いながら、父の顔を見ていると、ふっと拓人の頬が緩んだ。「えっ」と驚く間もなく、拓人の手が悠子の頭に乗った。
「お前は、『決めた』んだな」
頭に乗った手は優しかった。しかし、浮かぶ拓人の表情は、近づいてきた時と同じ、厳しく張りつめたものがあった。
「・・・うん」
悠子は頷く。それ以外に、言葉が浮かばなかった。謝るのも違う。悠子は自分で「殺さない」ことを選んだのだ。
「悠子、覚えておきなさい。お前が「選んだ事」は一度やめてしまえば、今まで築き上げてきたものを全て壊すことになる。そして、お前に対する信用も信頼もなくなるだろう。たとえ、誰かを傷つけ、誰かに傷つけられようと、貫き通す。その覚悟はあるか?」
その言葉に悠子は思う。
『殺さない』ということを選ぶということは、周りの人間を危険にさらす可能性も高くなる。自分の力不足で、守りたいものを守れないこともあるだろう。そして、そのために守った人間から恨まれることも、憎まれることもあるだろう。それがどんなに苦しく、辛くても。
――それでも、自分は貫き通せるのか。
悠子は掌を握りしめ、拳をつくる。
不安がないといえば嘘になる。もしかしたら、『殺す』ことを選んだ方がよかったと思う時が来るかもしれない。
それでも、そうだとしても。
冥虎が言ってくれたあの言葉――「ありがとう」―は、嘘じゃないから。
「・・・はい!」
悠子は、力強く頷いた。
拓人は、ふっと小さく口元に弧を描く。
「分かった。じゃ、もっと術を磨いておかないといけないな。巫子なら、自分の身だけでなく、守る者の身も守れるほど強くならなければいけないからな」
そう言って、手を頭から離し、悠子から距離を取る。
父の言葉に、悠子は驚いた。
「え、お父さん、私、巫子になっていいの!?」
「ん?なりたくないのか?」
首を傾げ、問う拓人に、悠子は首を激しく振った。
「も、もちろんなりたいけど!でも!私、通常の儀式とは違うことやっちゃったし、巫子にはなれないんじゃないの?」
結果がよければそれでいいというわけにはいかないだろう。一人の巫子を誕生させる大切な儀式なのだから。そう思い、拓人を見る。
悠子の思いとは裏腹に、拓人は、実にさらりと言ってのけた。
「あぁ。気にしなくていい」
「へっ!?」
軽く何でもないことのように言われ、悠子は一瞬、聞き間違ったかと思った。まじまじと見つめれば、父は両腕を広げ、肩をすくめた。
「まぁ、確かに大切な儀式ではあるが、ようは師が弟子を巫子と認めればいいだけだ。お前は、十分に巫子としてやっていける。ただ、やり方が違うというだけだ。問題ない」
「・・・そ、そうなんだ」
はっきりと言い切る拓人に、これでいいのだろうかと若干、不安が募る。しかし、なれるというなら、悠子にとっては願ってもないことだった。
「なら、その、よろしくお願いします!」
悠子は、姿勢を正し、拓人に向かって勢いよく頭を下げた。
※※※※※
(――そうだ。私は選んだ。苦しくても、辛くても。『殺さない』ことを)
ふらつく足を叱咤し、息を吸うたびに痛みが走る体に鞭打ちながら、悠子は攻撃から逃れた魂たちのもとへ向かった。
魂たちは、傷ついた魂達を囲み、心配そうな表情を浮かべている。
「助けられなくて、ごめんなさい。私が早く高天原に送っていたらこんなことにはならなかったのに・・・」
悠子は頭を下げ、謝罪した。謝ったところで、いなくなった魂が戻るわけではない。けれど、そうすることしか悠子にはできなかった。
『謝ることなんてないわ。あなたは助けてくれたじゃない。私達の心を』
優しい言葉が悠子の頭の上に降ってくる。顔を上げれば、肩に攻撃を受けたスーツ姿の女性が穏やかに微笑んでいた。傷口を手で押さえているが、魂を構成する氣が、煙のようにたなびき、流れていく。
『意識がはっきりする前のことはよく覚えていないけど、とても気持ちが沈んで、悲しくて、辛かったことは覚えているわ。でも、それをあなたが取り戻してくれたんでしょう?』
「はい。でも、それは、皆さん自身の気持ちもあったからで・・・!」
『けれど、そのきっかけはあなたが作ってくれたのでしょう?あのままだったら、きっと今こうして話すこともできなかった。父と母のことを思い出すこともできなかった・・・。だから、ありがとう』
『ありがとう』
『ありがとな、嬢ちゃん』
微笑む女性を筆頭に、魂たちは次々と礼を言う。彼らの顔を悠子は見た。
皆、怒りや憎しみに囚われていない。穏やかな表情だった。けれど、それはどこか無理につくっているようにも見えた。
恐怖がなかったわけではないだろう。完全に自分達の死に納得したわけではないだろう。けれど、悠子の行動を汲みとり、笑みさえ浮かべる彼らに、悠子は胸をつかれた。
込み上げてくるものを押さえ、悠子は鼻をすすると、深く頭を下げた。
「・・・ありがとうございます」
―『ありがとう』―
その言葉が、心が、悠子を救い、勇気を与えた。
大丈夫。私はまだやれる、と――。




