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第七幕 目覚めて

眼を開けた時、最初に見えたのは、見慣れない天井だった。

白一色の天井をぼんやりと見つめていると、母ー花穂が姿を現した。

「悠子!」

その顔は憔悴し、目元は赤く腫れている。

花穂は安堵したように笑むと、悠子の枕元に手をやった。

「待ってね。今、先生を呼ぶから」

香穂の声を聞きながら、悠子は首を動かし、辺りを見回した。

左側ー花穂の後ろには窓が見え、その隣には、小さな白い棚があり、その上に何も挿していない青い花瓶が見えた。

右側には、己の左手に繋がった点滴、灰色の取っ手がついた引き戸があった。

悠子は、思い出した。珀に刺され、意識を失ったことを。


悠子が意識を取り戻したのは、珀に刺されてから三日後のことだった。幸い、内臓は傷ついていなかったため、回復には時間がかからないという。それでも、後、一週間は病院にいなければならないと医者に告げられた。


目覚めた悠子は、花穂から話を聞いた。

それは、三日前の夕方のことだったという。

香穂は、直から電話を受けた。待ち合わせをしていた篝屋に悠子がいつまで経っても来ない。楓と一緒に、寄ると言っていた達騎の家に行ったが、達騎の家にもいないという。

連絡を受けた花穂は、方々に電話をかけ、悠子の行方を探した。診療を終えた拓人も、悠子の氣を探りながら、あちこちを駆けまわった。

花穂が知り合い全てに電話をかけ終えたその時、突如、警察―聖川から連絡があった。

花穂は拓人の携帯に電話をし、月読病院で合流したのだった。

赤いランプの灯る手術室前の廊下に、みちると達騎がいた。


「えっ。お母さんて、みちるさんと知り合いだったの?」

「そうよ。大学時代、お父さんとコンビを組んでいてね。その時に、お母さんもお父さんと知り合ったの」

「そうなんだ・・・」

思わぬ縁に悠子は驚く。

父と母の馴れそめに興味が湧いたが、ひとまずそれは横に置いておき、悠子は話の続きを促した

「達騎くん、には初めて会ったけど、驚いたわ。私達が着くなり、いきなり土下座するんだもの」

「ど、土下座!?」

悠子は目を見開き、本当なのかと問うように、まじまじと花穂を見た。花穂は黙って頷いた。

「娘さんに怪我をさせて申し訳ありませんでした、って、そう言ったのよ」

「それは、草壁くんのせいじゃないわ」

あの時、達騎が来なければ、自分はもっとひどい怪我を負っていたのかもしれないのだ。下手をすれば死んでいなかもしれない。

「私も、聖川さんから話を聞いていたからそう思っていたわ。でも、彼はそう思わなかったみたい」



「申し訳ありませんでした!」

床の上に、達騎は深々と頭を下げた。頭がのめり込むくらいの勢いに、花穂は驚く。

「娘さんに怪我をさせたのは、俺の責任です!」

そう言い、動かない達騎に、みちるが小さく息を吐く。

花穂が視線を向けると、みちるは真剣な表情を浮かべ、こちらを見つめていた。

「私にも責任があるわ。もう少し早く来ていれば、こんな事にはならなかったかもしれない。ごめんなさい」

そして、みちるも頭を下げた。


みちると達騎、両方から頭を下げられ、花穂は戸惑った。

聖川から話を聞いていため、悠子の怪我が二人のせいではないことは分かっていた。

しかし、心の片隅では、どうしてこんなことになったのか、二人に問い詰めたい気持ちもあった。けれど、二人の謝罪に、花穂は何も言えなくなってしまった。

思わず、花穂は夫―拓人を見る。

拓人は、静かな眼差しをみちると達騎に向け、口を開いた。

「頭を上げてくれませんか」

拓人の言葉に、しかし、二人は顔を上げない。

拓人は困ったように息を吐く。

「・・・よくも俺の娘に消えない傷を残してくれたな。一生、許さんぞ」

低く、怒りに満ちた声音に、みちると達騎は思わずといった風に顔を上げる。

「なんて言ったら、満足しますか?」

そこには、先ほどの言葉を吐いたとは思えないほどの穏やかな表情を浮かべた拓人がいた。

「お二人を責めたところで娘の―悠子の怪我が元通りになるわけではありません。今はあの子を信じて待ちましょう。・・・達騎さん」

「は、はい」

「あなたも怪我をしている。早く診てもらったほうがいい。あの子の目が覚めた時、あなたの姿が元気なほうがあの子も喜ぶ」

「はい・・・」

神妙な表情で達騎は頷いた。

拓人の言葉を聞きながら、達騎を見つめていた花穂は、気持ちの整理をつけるために小さく息を吐いた。

二人を責めたところで何も始まらない。拓人の言うとおり、今は悠子を信じるしかないのだ。


「・・・みちるさん、達騎くん。悠子を助けてくれてありがとう」

花穂は、ためらうことなく頭を下げた。

頭を下げる花穂に、達騎は戸惑いながらも頷いて立ち上がり、みちるは小さく「ありがとう」と呟いた。

達騎はみちるに付き添われ、怪我の治療のために手術室を後にした。


手術室の前には、花穂と拓人が残った。

廊下に設置されたソファーに座った花穂は、自分の手が震えていることに気づいた。

悠子が鈿女うずめの巫子として働く。それが危険を伴うことは承知の上だった。

実際、怪我を負って帰ってきたこともある。しかし、こんな重傷なのは初めてだった。

花穂は、祈るように手術室の扉を見つめた。

「くそっ」

その時、小さな声が右隣から聞こえた。

視線をやれば、同じようにソファーに座った拓人が歯噛みし、くやしそうな表情を浮かべていた。

「俺がもっと早く気づけば!」

今にも口の端が切れそうになるほど唇を噛み締め、拓人は手術室を睨みつける。

握りしめた両手はぶるぶると震え、血管が浮き出ていた。

「拓人さん・・・」

花穂は、そっと拓人の手に触れた。

氣を探ることのできる拓人にとって、危険な目にあっていた悠子を助けられなかったことは何よりも辛いに違いない。

「自分を責めないで。悠子だってそう思っているはずだわ。自分のことより他人ひとのことを優先する子だもの」

拓人と悠子―二人の気持ちを思いながら、花穂は言葉を紡いだ。

花穂は、拓人の手を優しく撫でながら、「ね」と小さく笑みを浮かべる。

しばらく花穂を見つめていた拓人は、ほうっと息をつくと、柔らかな表情を浮かべた。

「・・・あぁ。そうだな。ありがとう・・・」

拓人は花穂の手を握り返した。



花穂の話を聞いていたその時、不意に、病室の扉を叩く音がした。

「はい」

花穂が立ち上がり、扉を開く。そこには、直と楓の姿があった。

「直ちゃん、楓ちゃん!」

悠子が名を呼ぶと、不安気だった二人の顔がぱっと華やいだ。

だが、花穂を見ると、すぐに真剣な表情になり、直は、手に持っていた花束を花穂に渡した。

「あの、これ、悠・・、鈴原さんに」

「まぁ、ありがとう」

礼を言い、受け取った花穂はにっこりと笑った。

「どうぞ、お見舞いに来てくれたんでしょう?」

そう言って、二人に入るよう促した。花穂は、棚にある青い花瓶を持って、左角に設置された小さな台所に花束を抱えたまま入っていった。


直と楓は顔を見合わせていたが、やがて意を決したように部屋に入った。

寝ていた体を起こした悠子は、ベッドまで来た二人に言った。

「直ちゃん、楓ちゃん。心配かけてごめんね」

達騎に届け物をしてくると言って、別れたままだった。さぞ、二人には心配をかけたことだろう。

「ばかっ!」

そう言った瞬間、直が涙目になりながら怒鳴った。

「なんであんたが謝るのよ!あんたが悪いわけじゃないでしょ!」

「・・あ、うん・・」

直の剣幕に、悠子は思わず頷く。

「体の具合はどうですか?」

瞳に涙をうっすらと溜め、楓が静かに聞いてきた。

「うん、少し痛みがあるけど大丈夫。それでもお医者さんが言うには、後、一週間は入院しなきゃいけないんだけど」

「そうなんですか。・・でも、元気そうでよかった」

楓は、ほっと胸を撫で下ろすように言った。

「ほんっとうに心配したんだから!達騎の家に行くっていったまま、帰って来ないし!達騎に連絡入れても返事が来ないから、悠子のお母さんに連絡したけど、まだ帰ってきてないって言われて!そしたら、次の日、ホームルームで、あんたが怪我して病院に運ばれたって聞いて、心臓止まるかと思ったんだから!」

直の言葉に、楓がうんうんと大きく頷く。

「うん、ごめっ、―ありがとう。心配してくれて。でも、もう大丈夫だから」

二人の気持ちが手に取るように感じ取れ、悠子は笑みを浮かべながら返事を返した。

一気にまくしたて、落ちついたのか、直はふうっと息をついた。

「・・・そうね。元気そうで安心したわ。でも、いくら大丈夫っていったって病人だもの。あまり長居はしないほうがいいわね。楓、そろそろ帰ろうか」

「そうですね」

「え、もうちょっといてもいいんだよ?」

おそらく、来てから何分も経っていないはずだ。そんなに急がなくてもいいんじゃないかと思いながら二人を見ると、直が肩をすくめ、楓が困ったように笑みを浮かべていた。

「私もできればもっと話していたいんだけど、あんたに引き合わせないといけない奴がいるから」

「へ?」

引き合わせないといけない?誰かいただろうか。頭に疑問符を浮かべていると、直が呆れたように鼻を鳴らした。

「全く、辛気臭くってかなわないわ。静かなのはいいけど、あれじゃ暗くて暗くて。まるでこの世の終わりみたいな雰囲気なんだもの。毎日、顔を合わせてるこっちの身にもなってもらいたいわ」

「責任を感じてるんだと思いますけど・・」

けなすような言い方をする直に、楓が相手を弁護するように言う。

「責任、ね。でも、表に出さないってのもプロだと思うのよ。ま、あいつもまだまだだってことね」

「・・・直ちゃん、その人って・・・」

直の言っている相手がおぼろげに分かってきた悠子だったが、それを言う前に直に止められてしまった。

「っていうことで、あいつのことはあんたに任せるわ。世話がかかる奴でごめんね。じゃ、あとはよろしく~」

「明日、また来ますね」

直が手をひらひらとさせ、楓が一礼して、悠子に背を向けた。

「あら、もう帰るの?」

すると、花穂が台所から出てきた。手には、直が渡した花を挿した花瓶を持っている。

「はい。顔を見たら安心しました。あの、また明日来てもかまいませんか?」

楓が言うと、花穂は嬉しそうに頷いた。

「もちろんよ。楓ちゃん、と直ちゃんだったわね。気をつけて帰ってね」

「はい」

「それでは失礼します」

直と楓は花穂に頭を下げ、病室の扉を開けた。

ガラッという扉を引く音が部屋に響く。すると、目の前に、今にも扉を叩かんとした姿勢のまま固まった達騎の姿があった。

「今来たとろですーって演出しても遅いわよ。あんたが来ることは伝えておいたから。しっかりやんなさい!」

直は、達騎の肩を思い切り叩くと、病室を出て行った。楓は、達騎を見て軽く頭を下げると、直の後についていった。

「・・・・・」

達騎は、苦虫を噛み潰したような表情で直と楓を見送っていた。

何とも言えない静寂が辺りを支配する。

「・・・あの、草壁くん、入っていいよ?」

その沈黙に耐え切れず、悠子は達騎を部屋に入るよう促した。

「・・・あぁ」

病室に入り、達騎は扉を閉める。花穂に一礼した達騎は、ベッドに座る悠子に視線を移した。

「私は、席を外したほうがいいかしら?」

花を挿した花瓶を棚の上に置いた花穂は、悠子と達騎、二人に聞いた。

「・・・すいません。できればそうしてもらいたいです」

達騎が、多少淀みながらも、はっきりと花穂に言った。

「そう、わかったわ。悠子、何かあったら、ナースコールをするのよ」

「うん」

悠子が頷くと、花穂は病室を出て行った。


香穂の足音が遠くなると、達騎は、重く息をついた。

「あの、怪我、大丈夫?」

悠子は、達騎の左腕に巻かれているギプスに目をやった。包帯で吊るされたそれは、見るからに痛々しかった。

すると、達騎が呆れたように悠子を見た。

「お前のほうがよっぽど重傷だろ。他人ひとの心配より自分の心配しろよ」

「え、あははは・・・」

思わず苦笑いする悠子に、達騎は言った。

「俺のは、まぁ、たいしたもんじゃない。骨さえくっつけば元通りだ。それでもしばらくは使えないがな」

「そう・・・」


「・・・悪かったな」

突如、謝罪され、悠子は口をぽかんと開けた。

「え?」

「お袋さん、追いだしちまって。心細いだろうが、我慢してくれ。いくら巫子の血縁者でも、犯罪者の末路は聞かせられないからな」

「ううん、気にしないで。母も分かっているから」

巫子の妻、または夫になった者は、よほどでない限り、配偶者である巫子の仕事内容について聞く事はできない。それは、産んだ子供が巫子になった時も同様だ。

それは、自身の身を守るためでもある。

「そんじゃ話すぞ。あの後、何があったのか」

そう言って、達騎は話し始めた。


みちるが朱里の力で月読病院へ向かっている間、信冶は、気絶した珀を回収し、手伝った仁、恭輔(京介)も連行して警察署へ向かった。途中、病院に付き添っていた朱里も合流し、誘拐を行った一味は警察に捕まったのだった。

通常、刑が執行されるのは時間がかかるが、幻蔵達が起こした事件は、事が事だけに保妖課の面々が迅速に処理した。

猫又の男―仁、能力者の朱里、百眼の女―鈴、傀儡の男―恭輔(京介)は、未遂ではあったが、三年の刑が言い渡された。

そして、幻蔵と珀。二人は、一度、蘇生術を成功させ、七人の人間を死に追いやっている。また、今回も仲間を集め、蘇生術を行おうとしたため、情状酌量の余地はないと判断され、二人は、刑の中では過酷だとされる「時空流の刑」を受ける事となった。

「時空流の刑・・・」

「あぁ。老いることも死ぬこともなく、永遠に時空間の中に閉じ込められる。転生することもなく、生き続けるんだそうだ」

「・・それほどなのね」

「転生しても、また似たような事を繰り返す可能性が高いからだとさ。魂は、転生したとしても前世の行いを引きずる。それが凶悪であればあるほどな。可能性がゼロでない限り。だから、刑が執行されたそうだ」

「・・・・」

悠子は思い出す。受けた傷から流れ出た珀の記憶を。しかし、だからといって彼のやったことが許されるわけではない。もちろん幻蔵も。

「それから王桃泉おうとうせんの種な。あれ、偽物だったそうだ」

「偽物?」

「あぁ。おっさんが言うには、よくできたまがい物だとさ。珀が言うには送られてきたものだと」

「誰か分かったの?」

「珀が言った奴の名前を調べたみたいだが、偽名だったそうだ」

「ずいぶん用意周到ね」

「全くだ。ちっ。幻蔵は発狂しちまって、なんで猿田彦の巫子の術や紋術が使えるのかとかがわからねぇし、珀は幻蔵に教わっただけだっていうし。あぁー、ますますわからねぇ」

達騎は、後頭部をがしがしと掻きむしり、口をへの字に曲げた。

「そういうのは、聖川さん達が調べてくれるんじゃないかな。私達に必要だと思ったら、伝えてくれると思うよ」

「それは、そうなんだけどな」

悠子の言葉に頷きつつも、達騎は、納得のいかない顔をする。

「確かに、巻き込まれて何も分からないなんて気分が良くないけど、私達は私達でできることをやりましょう」

「・・・そうだな」

小さく息を吐き、達騎は頷いた。

それから、眠らされていた子供達や、巻き込まれた少年、健太も無事家族の元に返されたという。それを聞いて、悠子は胸をなでおろしたのだった。


「お前さぁ・・・」

「ん?」

悠子が顔を向けると、今までしっかりと目を合わせていた達騎が視線を逸らした。

だが、次の瞬間、意を決したように悠子を見た。

「やめた方がいいんじゃないか?鈿女うずめの巫子」

「え」

達騎のその言葉に、悠子は目を見開いた。

「星蘭池のことといい、最近、危険なことが多い。これ以上、続けていればどうなるか分からない。潮時じゃないのか?」

達騎の瞳には、悠子を案じる色がありありと見て取れた。

確かに、星蘭池や今回のことは、一歩間違えば、命を失くす危険があった。達騎が心配するのも無理はない。

けれど。

「・・・できないわ」

「なぜだ」

「この仕事が私にしかできないことだからよ」

「危険だと分かっていてもか?」

「それは草壁くんだって、同じでしょう?この仕事をしていれば、嫌でも危険は付きまとう。私は、それを承知でやっているのよ」

「死ぬかもしれないのにか?」

「そんな事がないように武術や巫子の術を覚えるのよ。それは草壁くんだって、分かっているはずでしょう?」

そう、分かっているはずなのだ。だが、達騎は食い下がらなかった。むしろ、さらに熱を込めて達騎は悠子に言った。

「分かっているからこそだ。今ならまだ間に合う。鈿女うずめの巫子を辞めろ」

悠子は首を振る。

「嫌よ。これは私が選んだ道だもの。そう言われて、『はい、そうします』なんて言えないわ」

達騎の眉が、不機嫌そうに思い切り寄る。

「確かに、巫子の仕事は危険だわ。今回みたいに大怪我をすることもあるかもしれない。死ぬ可能性もないわけじゃない・・・。でも、この仕事は・・、巫子の仕事は、私にとって生きがいなの」

分かってほしい。そういう思いを達騎にぶつける。睨みつけるような達騎の顔を、悠子はじっと見つめた。しばらくして、達騎は悠子から視線を逸らした。

「・・・勝手にしろ」

吐き出すようにそう言って、達騎は病室を出て行った。病室の扉がピシャリと音を立てて閉まる。

その扉を、悠子はしばらくの間見つめていた。



その夜、綾架荘にある草壁家の一室では、夕食の時間が始まっていた。

「さぁ、悠子ちゃんも目覚めたことだし!今日はお祝いよ!」

みちるは両手を広げ、テーブルの上に置かれた料理の数々を示した。

そこには、ピザ、スシ、骨付き肉など豪勢な料理が並んでいた。ちなみに、全てスーパーで買ってきたものだった。

「・・・・」

達騎は、座布団の上に無言で腰を下ろす。表情はない。

「ちょっとー、何か言いなさいよ。雰囲気が台無しじゃない」

頬を膨らませ、みちるは達騎に言う。達騎はみちるをちらりと見るが、すぐに視線を外した。

「悪かったな」

そう口にしながら、その顔に悪びれた様子は一切ない。何かを考えているような表情を浮かべながら、達騎は薄汚れた壁を見つめていた。

「悠子ちゃんと何かあった?」

夕方、学校帰りに病院へ行ったことは、みちるも聞いていた。

みちるの言葉に達騎の肩がぴくりと動く。

「・・・別に何もねえよ。何でそんなこと聞くんだ?」

「う~ん、なんとなく?」

みちるは、ピザに手を伸ばし、それを口にする。

もぐもぐと咀嚼するみちるを横目に見ながら、達騎は口を開いた。

「なぁ、お袋はさ、親父に巫子を辞めろって言われた事あるか?」

「えぇ?何、突然」

唐突だったのか、みちるは目を丸くし、達騎をまじまじと見つめた。

「別に何でもいいだろ。なぁ、言われた事、あるのか?」

「うーん、そうねぇ・・・」

ピザを手にしたまま、みちるは考え込む。達騎は、みちるの口が動くのを待った。

「ないわね!」

考え込んだ割には、あっさりとした明るい口調で、みちるは言い放った。

「・・ないのか?一度も?」

あまりにもあっけらかんとした口調に、達騎は軽く脱力しながら、みちるに聞き返した。

「えぇ。でも、仕事で怪我して帰ってきたときや、大怪我して入院した時は、「自分の体を大切にしろ!」って怒られたけど」

「・・・・」

「あの人には分かっていたのよ。辞めろなんて言っても聞かないこと。もちろん、言われたって、私は辞めようなんて気はこれっぽっちもなかったから、本当だけど」

「どうして、辞めようと思わなかったんだ?」

「そりゃ、これが私の生きがいだもの」

悠子と同じように言うみちるに、達騎は思わず息を呑む。

「子どもの頃、私は自分の力が嫌いだった。他の人には視えないものが『視え』て、しかも草壁の家に生まれたからには、巫子の修行もしなきゃいけない。友達もあまりできなくて、学校にも家にも居場所がなかった。でも、ある日、学校の生徒が、大昔に井戸に封じた妖の札を破ってしまってね、その妖が周りの生徒を襲おうとしたの。咄嗟に、私は巫子の力を使っていた。怪我をしながらも、どうにかして妖を送ったわ。生徒も誰ひとり怪我をしていなかった。・・それが噂になったのか、その日から、クラスのみんなが話しかけてくるようになった。友達もできて・・・。一番嬉しかったのは、助けてくれてありがとうって、笑顔を浮かべて言ってくれたことだった。その時、私は初めて自分の力に感謝したわ。人間を守り、荒御魂を根の国に送る。それは、巫子としてやらなきゃいけないことだけど、私は使命と思ってやっているわけじゃない。私の周りにいる人達、その人達の大切な人達を守りたい。そう思ったのよ」

みちるは、達騎の顔を見て、にこりと微笑む。

「それと、この仕事をやってなきゃ、お父さんにも会えなかったし、あんたも生まれてなかったわ」

その笑顔を眩しく感じ、達騎は顔を逸らす。

「あんたが何を悩んでいるのか知らないけど、自分の気持ちをちゃんと伝えたほうがいいんじゃないかしら。理由もなく、ただ言われたんじゃ相手だって納得しないでしょ?」


達騎は、悠子に言った言葉を思い出す。

危険だから、巫子を辞めろ。それは、危険を承知の上でやる巫子にとって何の意味もないことだった。初めから覚悟のできている人間に、そんな当たり前のことを言っても反発するだけだろう。巫子を生きがいとしているならなおさらだ。

己の気持ち―、辞めろと言った本当の理由に、達騎は気づいていてはいたが、気づいていない振りをしていた。

―悠子に死んでほしくない。

それは、家族や友人なら当たり前に持つ感情だろう。しかし、巫子という同じ立場だが、クラスメイトでしかない自分が言ってもいいものかと思っていた。

気恥かしいという思いもないわけではなかったが。

本気で悠子を辞めさせたいなら、自分の気持ちにも逃げないことだ。そうでなければ、説得の言葉もただの上滑りしたものになってしまう。

「・・・そうだな」

達騎は頷いた。その顔は、何かが吹っ切れたように、すがすがしささえ感じるものだった。

「さ、食べちゃいましょ。冷めちゃうわよ」

達騎の様子に満足気の微笑んだみちるは、達騎を促し、まぐろの乗ったすしに手を伸ばした。



窓から涼やかな風が吹いてきて、青い花瓶に生けた花が揺れた。

ほのかな花の香りを感じながら、悠子は、ベッドの上半身を起こし、花穂が持ってきてくれた本を読んでいた。

ページをめくりながら、しかし、その内容は、ほとんど頭に入っていなかった。

悠子の頭の中には、昨日、達騎に言われた言葉がぐるぐると回っていた。

「はぁ・・・」

本を閉じ、悠子は椅子の背もたれのようになったベッドの上半身に体を横たえた。

巫子を辞めろ。

母や父ではなく、同僚とも呼べる達騎に言われるとは思わなかった。

達騎にも譲れないものがあったのだろうが、それでも、自分の気持ちは変わらない。けれど、喧嘩をしたような別れ方に、悠子は後味の悪さを感じていた。

おそらく、達騎はもう来ないだろう。顔を合わすのは、自分が退院して学校に来てからだろう。

一体どんな顔をして会えばいいのだろうか。


悠子は入院服の上から、腹部にできた傷口にそっと手を当てた。

傷はもうふさがっているが、一本線の痕が腹部にできていた。これは、一生、消えないだろう。

下手をしたら死んでいたかもしれない。そうならなかったのは、みちるの素早い処置と誘拐犯の一人だった女性―朱里のおかげだろう。

(みちるさんには、後でお礼を言わないと。朱里・・・さんだったかな、確か。あの人にも。手紙がいいかな・・・)

そんな事を思いながら、ぼうっとしていた悠子の耳に、病室の扉が開く音がした。

母の花穂だろうか。

「はい、どうぞ」

ゆっくりと起きた悠子の目に飛び込んできたのは、達騎の姿だった。


「草壁くん・・・」

昨日の今日で、達騎にまた会うとは思わなかった。しかも、今日は土曜日だ。

制服姿に、スクールバッグを持っているということは、今日も補習だったのだろうか。

病室に入ると、達騎は悠子へ近づいてくる。驚きを隠せないまま、悠子は達騎を見ていることしかできなかった。

達騎は、ベッド脇で足を止め、悠子を見ると、おもむろに口を開いた。

「昨日、お前に巫子を辞めろって言ったの覚えているか?」

「え、えぇ。もちろん」

達騎の言葉に、悠子は頷く。

「・・・少し長くなるから、座ってもいいか?」

達騎は、脇に置かれたパイプ椅子を指で示した。

「うん」

悠子の了承を得て、達騎は椅子に座った。

目線の高さがほぼ同じになり、悠子は達騎が口を開くのを待った。

「お前、直から俺の昔の話、聞いたことあるか?」

「う、ううん。何も」

「そうか」

「それがどうかしたの?」

「・・・俺の親父は、俺が十一の時に死んだ。いや、正しくは殺されたんだ。俺の目の前で」

「え」

突然の達騎の告白に、悠子の頭は混乱した。何といっていいかわからず、ただ達騎の顔を見つめることしかできない。

「俺はその頃、ただのガキで、親父に守られることしかできなかった。親父は、犯人に何度も刺されて血みどろになりながら、俺をずっと抱きしめていた」

淡々と何の感情もなく言葉を吐きだす達騎に、泣くこともできない悲しみが溢れているように悠子は感じた。

達騎が悠子を見る。その瞳には、悲痛の色が漂っていた。

「お前が刺されて、血を流しているのを見た時、心臓が止まりそうだった。同時に、目の前が真っ赤になって、珀に剣を突き付けていた。怒りと失望のなかで、俺はまた誰も守れないのかとそう思った」

「・・そんなことないよ。ちゃんと守れてるよ」

達騎の言葉を否定するように、悠子は首を振る。しかし、達騎は自嘲気味に唇を上げるだけだった。

「―またこんなことがあったら、俺は、自分を許せない。俺はお前を死なせたくない。だから、・・・だから、巫子を辞めてくれないか?」

静かな口調で、けれど祈るように言葉を紡ぐ達騎に、悠子は胸を打たれた。

辛い過去を話すことだって、勇気がいっただろうに。

悠子を死なせたくない。その一心で、達騎は話してくれたのだろう。

達騎の優しさを苦しいほどに感じ取り、悠子は言葉に詰まった。

「辞める」と一言言えればどんなにいいだろう。けれど、悠子は分かっていた。自分は辞めることなどできないということを。

「・・・ありがとう。でも、ごめんなさい。私には、辞めることなんてできない」

達騎の顔を見るのが辛くて、悠子は目線を下に落として呟く。

達騎から反応はなかった。

(このままじゃだめだ。ちゃんと伝えなくちゃ)

悠子は、すっと顔を上げ、達騎を見た。達騎は、苦しそうな悲しそうな表情で悠子を見ていた。

「・・・草壁くん、このブレスレットなんだか分かる?」

悠子は左の手首にある、翡翠色の勾玉がつけられたブレスレットを掲げた。

「いや・・・」

「これは、受霊力じゅれいりょくを調節するものなの」

「調節?」

目を瞬かせ、達騎は、片眉を上げる。

受霊力とは、幽霊や妖を身に宿すための「受け入れる」力だ。あまりその力が強いと、とり憑かれる原因ともなる。

「私、小さい頃から受霊力が高くて、普通に生活するのも大変だったの。毎日、浮遊霊や妖にとり憑かれて。お父さんが祓ってくれたけど、それにも限界があったの。それで六歳の時、結界が張ってある祖母の家に行くことになったの」   


結界の張られた祖母の家で、とり憑かれることはなくなった。しかし、霊や妖の記憶を見たこと、また、とり憑かれた感覚が恐怖をうみ、父と母以外に悠子は心を開かなくなってしまった。

それは、祖母の家に来て一週間が経ったときだった。

縁側のある居間で、悠子が絵本を読んでいると、背後の方で物音が聞こえてきた。

ぱたぱたぱた。

足音にも似たそれに、悠子は振りむく。しかし、そこには誰もいなかった。

しかし、畳の上にタンポポの花がぽつんと置かれていた。

「・・・?」

タンポポを拾い上げたその時、小さな話し声が居間の角から聞こえてきた。

(あ、ひろってくれたー)

(ばか!あんなことしてどうすんだよ!余計怖がらせるだろうが!)

(しっ!あの子、おいら達に気づいてる!)

次の瞬間、三つの生き物が姿を現した。右から順に、一つ目の子供、黄色い角をもつ赤い鬼、茶色の毛をもつイタチだった。彼らは色褪せた着物を着ており、背丈は、悠子の膝くらいしかなかった。

「こんにちはー。おはな、すき?」

一つしか目のない子供が、悠子を見て手を振る。

「手なんて振ってるんじゃねぇ!」

赤鬼が一つ目の子供の頭をはたく。

「うわー、タクトに何て言おう・・・」

イタチが片手を両目に当て、嘆くように呟く。

悠子は気づいた。彼らは、妖だ。でも、どうして?結界で妖はここに入れないはずなのに。

まさか、自分にとり憑こうというのか。

悠子は体を震わせた。耳元で、何度も聞いた声が木霊する。男や女、子供、様々な声は、一様に悠子に言った。

(カラダヲ、ヨコセ!カラダヲ、ヨコセェ!!)

「いやぁぁぁぁぁぁ!!」

悠子は悲鳴を上げた。

悲鳴を上げた悠子に、三人は動きを止める。悠子は手に持ったタンポポを放り投げ、居間を脱兎のごとく駆けだした。


「悠子、どうした!?」

すると、悲鳴を聞きつけ、拓人が居間に姿を現した。しかし、そこに悠子はおらず、そばには、三人の妖の姿があるだけだった。

「お前たち、姿を見せたのか?」

じろりと拓人が妖達を睨むと、赤鬼が一つ目の子供を指さし、言った。

「カイが花をあげたいって言い出して!俺は止めたんだ!」

イタチは小さな耳を垂らし、体を縮こませた。

「ごめんよ、タクト。あの子を泣かせちゃった」

カイと呼ばれた一つ目の子供は、きょとんとした顔で拓人を見、赤鬼はお前のせいだぞとカイを睨む。

拓人は、仕方ないというように小さく息を吐き、妖達を順々にみた。

「カイ、ギン、ソロ」

そして、それぞれの名を呼ぶ。

カイは丸く澄んだ目を拓人に向け、赤鬼―ギンは顔を青ざめさせ、イタチ―ソロはさらに身を縮こませた。

「悠子がどっちに行ったかわかるか?」

「あっちー」

「・・多分、自分の部屋だと思うぜ」

「うん」

カイが悠子の行ったほうを指さし、ギンが行った場所の見当をつけた。ソロが同意して頷く。

「そうか。ありがとう」

拓人が礼を言うと、ギンが不思議そうに問いかけてきた。

「怒らねぇのか?」

すると、拓人の表情が自嘲気味に歪む。

「この敷地内には、多くの妖や霊がいる。姿を消していても、あの子なら気づくだろう。元々、気配には敏い子だ。気にするな」

カイ、ギン、ソロの頭をそれぞれ撫で、拓人は居間から出ると、悠子の部屋へと続く廊下を歩いていった。


「悠子、入るよ」

襖を開け、拓人は悠子の部屋に入った。

そこには、部屋の端で震える悠子の姿があった。悠子は、はっと顔をあげ、拓人に気づくと、涙目になりながら飛びついてきた。

「お父さん!ここにもあやかしがいたの!わたし、また、とりつかれちゃうの!?」

「大丈夫。心配しなくていい。お前にとり憑こうなんて輩はここにはいないよ」

「・・・ほんと?」

俯かせていた顔を上げ、悠子は拓人のTシャツを掴む手を強めた。

その手を優しく包むと、拓人は悠子を勇気づけるように頷いた。

「悠子、この家の周りにはね、力の弱い妖の一族や長年住んでいる精霊が多くいる。だが、怖がらなくていい。みんな、私の友だ。お前を傷つけようなんて奴は一人もいない」

「ともだち、なの?」

「あぁ、すこしずつでいい。慣れていってくれればそれでいい。そうだ。一人でいるのが不安なら、これをあげよう」

拓人は、そう言ってズボンのポケットから何かを取り出した。それは、ペンダントだった。白い勾玉に長く、赤い組み紐がついている。

「きれい・・・」

「お前を守ってくれるよう、念を込めて作ったんだ。さ、首を出して。つけよう」

ペンダントをつけてもらった悠子は、嬉しそうに拓人に言った。

「ありがとう、お父さん」

父がくれた勾玉の影響もあってか、悠子は悲鳴を上げるほどの恐怖を感じなくなった。けれど、念押しされたとはいえ、怖いものは怖かった。

悠子が出会った三人の妖、一つ目小僧のカイ、子鬼のギン、流れイタチのソロは、あれ以来、姿を現すことはなかったが、よく居間に野の花や木の実などを置いていった。

それは、力の調節が効かず、ほとんどを結界内の家の中で過ごす悠子にとって、いつしか慰めとなっていった。

野の花は、コップに挿し、木の実は、母とともに千代紙を張り付けて作った紙箱に入れた。

「ずいぶん一杯になったわね」

青いどんぐりの実を箱に入れようとした時、母―花穂に言われ、悠子は「うん」と頷いた。

箱の中身は、どんぐり、松ぼっくりなど、また悠子がみたことのない様々な木の実であふれていた。

「お花も捨てちゃうのはかわいそうだし。そうだ、悠子、押し花を作ってみる?」

「おしばな?」

「そう。お花を乾燥させて作るの。やってみる?」

「・・・うん」

悠子は、花穂と一緒に押し花を作ることになった。タンポポや、蓮華草。カイ達にもらった花達が次々と押し花になる。しおりの形に作ったそれは、一つは悠子に、残りは両親や祖母にあげることにした。

「悠子、このしおりを挟めば、絵本や本の続きがわかるでしょ?」

「うん」

悠子は頷き、タンポポのしおりを絵本に挟んだ。初めて作ったしおりに、悠子は胸が一杯になるのを感じていた。



ある日、祖母からおやつにカステラをもらい、居間で食べていると、ぱたぱたぱたと聞き慣れた足音が悠子の耳を打った。

(おいしそー)

(だめだっ!行くんじゃねえ!)

(カイ、ばっちゃんの胡桃餅やるから!ねっ!)

カイ、ギン、ソロの話し声が聞こえてきた。どうやら、カイがカステラを欲しがっているらしく、それをギンとソロが止めようとしているようだ。

「・・・ねぇ」

悠子が、声の聞こえてくる方へ話しかけると、カイ、ギン、ソロが姿を現した。

ギンとソロがカイの腕を掴み、どうにかして押しとどめていた。

「カステラ、いっしょにたべる?」

悠子が手に持ったカステラを見せると、カイが目を輝かせた。

「たべるー!」

ギンとソロの手を振り払い、カイは悠子に向かって走り出した。

「あ、おい!」

「カイ!」

悠子はやってきたカイに千切ったカステラを渡す。そして、立ち尽くすギンとソロに向かって言った。

「おいで。みんなでたべよう」


こうして、悠子とカイ、ギン、ソロは共に遊ぶようになった。

時折、家の庭に出てかくれんぼや鬼ごっこをしたり、ソロのおばあちゃんが作ったという胡桃餅を食べたりした。

庭で遊ぶようになってから、悠子には、もう一人、友と呼べるものができた。

それは、庭の中央に植わった梅の木の精霊だった。

羽衣ういという名の女性で、紅い髪に白い着物をまとった美しい精霊だった。

彼女は、この家ができる前からいるらしく、今まで出会った人間や妖の話をしてくれた。

また、人間や妖の口から聞きかじったものや、教わったという歌を披露してくれた。

その鈴やかな声は、遊び疲れた悠子達の子守唄代わりになっていた。



悠子が、祖母の家に来て一カ月が過ぎようとしていた。

その日、父、拓人は朝食を食べ終わった後、

「悠子、今日は庭で遊ぶのは止めなさい」と言った。

「・・・どうして?」

「今日は、結界を張り直す日なんだ。家の中は平気なんだが、その周りが破れ始めている。だから、今日一日、外に出てはいけないよ」

「うん」

鈴原家の結界は、家の中だけでなく、敷地内―庭や、その周囲にある山や森にも結界を張っている。そのため、張り直すには一日かかるのだ。

納得した悠子は素直に頷いた。

朝食を食べ終わった悠子は、結界を張り直しにいく父を、母と見送った。

居間で本を読んでいると、カイ、ギン、ソロが姿を現した。

見ると、三人とも色違いの小さな面をつけている。

「そのおめん、どうしたの?まるでおまつりにでもいくみたい」

悠子が尋ねると、カイが、悠子の周りをぐるぐると走り回って言った。

「おまつりー、おまつりー」

「今日は、春祭りなんだ」

「山向こうに桜の木があるんだ。そこで、みんな集まって祭りをするんだよ」

ギンとソロが説明する。

「さくら、さいてるんだ」

目を丸くさせ、悠子は呟く。家にも桜の木はあるが、すでに緑の葉が茂っており、薄桃色の花を見ることはできなくなっていた。

「さくら、みたい?みたい?」

「・・・う~ん、みたいけど、そと、出ちゃいけないから」

カイの言葉に悠子は頷きながらも、戸惑った。

「じゃあ、枝を折って持ってくるよ」

「うまい物も一杯もってくるぜ!」

「ほんと!ありがとう!」

ソロとギンの言葉に、悠子は嬉しくなった。


「ゆうこー」

夕食を軽く食べた後、花穂と居間で待っていた悠子は、カイの声に振り返った。

カイは、風車や鳩笛、ヤジロベエなどのおもちゃ、ギンは焼きそばに大判焼き、たこ焼き、みたらし団子などの食べ物を、ソロは、桜の花をつけた枝と野の花を集めた花束を持っていた。

居間は、一気に祭りの装いと化した。

ソロが持ってきた桜の枝と花束をテーブルに飾り、カイが持ってきたおもちゃで遊び、ギンが買ってきた食べ物を食べた。

「お茶を用意するわね」

花穂が台所に行っている間、四人は手持無沙汰になった。

すると、ソロが腰につけていた笛を取り出した。

「祭りでは、この笛の音に合わせて踊ったんだ」

ソロが笛に口をつける。

軽快な音色が居間に響く。それに合わせて、ギンとカイが踊りだした。その様子に、悠子も踊りたくなり、見様見真似で、ギンとカイの後ろについて踊り始めた。

ソロが笛を吹きながら体を揺らし、ギンとカイ、悠子は、時折笑い声を上げながら居間の周りをぐるぐると踊った。

その内、居間の中だけでは物足りなくなったのか、ギンとカイは庭に出た。

悠子は、庭に出てはいけないということを忘れたわけではなかったが、踊りを踊ることが楽しく、少しくらい大丈夫だろうという気持ちが生まれてしまい、縁石に足を一歩踏み出してしまった。

もし、その時、拓人からもらったペンダントを首に下げていたなら、結果は違っていたかもしれない。けれど、カイ、ギン、ソロ、羽衣と友達になり、妖や精霊を怖れなくなった悠子は、それをつけることを止めていた。


縁石に足を置いた刹那、冬のように冷たい風が、悠子の首筋を通り過ぎた。

(ミツケタ!ワタシノカラダッ!!)

おどろどろしい女の声が悠子の耳元に響いた瞬間、悠子の意識が、ふつりと途切れた。


「・・・子!悠子!」

目を開くと、そこには父、拓人の姿があった。

「お、とうさん・・・」

拓人は、ほっとしたように顔を緩ませた。

「どこか痛いところはないか?」

悠子は起き上がり、自分の体を見回す。少しだるさを感じるが、傷もなく、体に痛みも感じなかった。

「どこもいたくないよ」

首を振る悠子に、そうかと拓人は頷く。そこで悠子は、自分の部屋の布団で寝かされていることに気づいた。確か、母とカイ、ギン、ソロと一緒に居間にいたはずだ。

遊び疲れて、先に眠ってしまったのだろうか。それならカイ達に悪いことをした。せっかく、お祭りを再現してくれたのに。

「お父さん、もう、カイとギンとソロは帰っちゃった?」

すると、拓人は苦しそうに眉を寄せた。

「お父さん?」

拓人は、悠子の肩に手を置くと、じっと悠子の目を見て言った。

「悠子、落ち着いてよく聞きなさい」


「はぁっ、はぁっ、はぁっ」

拓人に話を聞き、悠子は居間に向かって走っていた。

『お前は、結界の綻びから入ってきた妖に体を乗っ取られた。カイやギン、ソロを襲おうとしているのをお母さんが止めようとして、怪我をした。三人も怪我をしている。それから、羽衣も止めようとして、依り代の木を傷つけられた。四人は病院に行っている。だが、命に別条はないから心配しなくていい』

(お母さん、カイ、ギン、ソロ、ういさん!)

居間に到着した悠子は、その様子を見て愕然とした。

暗い室内の中で、テーブルはひっくり返され、飾っていた桜の枝や花束は、バラバラに千切られていた。おもちゃや食べ物も畳の上に投げ出され、見るも無残な状態だった。

お茶を出したのだろう、五人分の湯飲みは粉々に割れ、お茶は零れて畳にしみ込んでいた。

その畳も盛大にめくられ、刃物で傷つけたかのように大きく裂かれていた。

「・・・わたしがやったの?」

とり憑かれたことは数あれど、誰かを傷つけることは一度もなかった。それは、運がよく、また、そばに父かいたおかげだったのかもしれない。

茫然と居間を見ていた悠子は、背後から気配を感じ、はっとして振り向いた。

そこには、羽衣が空中を漂いながら、悠子をじっと見つめていた。

「ういさん!よかった!けが、だいじょうぶ?」

悠子がほっとして声をかけると、羽衣はにこりと笑い、すうっと音もなく姿を消してしまった。

「うい、さん?ういさん!」

羽衣は、姿が見えないどころか、気配すら感じられなくなってしまった。泣きそうになりながら、悠子は羽衣を何度も呼んだ。呼ぶことしかできなかった。


翌日、庭に出た悠子は、羽衣の依り代である梅の木を目指して走った。

樹齢何百年という梅の木は、雷に打たれたかのように真っ二つに割れていた。

「あ・・・」

その木を見た悠子は、力が抜けたようにそのまま座り込んでしまった。

「ういさん・・・」

もうここに羽衣はいない。依り代を失くした精霊は、水や風に還るのだ。

それは、広く言えば世界の一部になるということだった。けれど、悠子にとってそんなことは考えられなかった。分かることは、羽衣がいなくなってしまったこと、もう二度と会えなくなったということだけだった。

「ごめんなさい、ごめんなさい・・・!」

とり憑かれなければ、羽衣は死ななくて済んだのだ。羽衣を死なせてしまった自身への怒りと、会うことのできない悲しみが胸に広がり、悠子の目に涙が溢れた。

「悠子、羽衣から伝言があるんだ」

いつ間にやってきたのか、拓人が悠子の肩に手を置き、静かに言った。

「『あなた達と遊べて楽しかった。悠子、あなたに会えてよかった。ありがとう』」

「・・・・」

涙を流しながら、拓人に向かって顔を上げることしかできない悠子に、拓人は微笑んだ。

「羽衣はお前を恨んじゃいない。お前が自分を責めていたら、羽衣が悲しむ」

「でも・・・」

「今回は運が悪かったというほかはない。さぁ、悠子、朝ごはんを食べよう」

「うん・・・」

拓人に手を引かれ、悠子は梅の木を後にする。風が、悠子を慰めるかのようにふうっと優しく吹いた。


それから二日後、怪我が癒え、花穂が病院から戻ってきた。

悠子は泣いて謝ったが、花穂は「悠子のせいじゃない」といって頭を撫でた。

しかし、その優しさが悠子には痛かった。

カイ、ギン、ソロとは、それから会うことはなかった。花穂が言うには、同時に退院したというから、敷地内に帰ってきたのだろう。

悠子は、友達になってから三人がどこに住んでいるのか知らないことに気づいた。拓人に聞けば教えてくれるのだろうが、傷つけた自分がのこのこ会うなどできない。羽衣は恨み事など言わなかったが、彼らはどうなのだろう。

怒っているかもしれない。軽蔑したかもしれない。

会いたいと思いながら、悠子は三人に、もう友達じゃないと言われるのが怖かった。

直接会うのは怖い。けれど、謝らないのも喉に何かがつかえたようで気分が悪かった。

悠子は、三人に手紙を書いた。それを拓人に頼み、持って行ってもらうことにした。


しかし、返事は来なかった。


(これはばつなんだ。わたしがとりつかれさえしなければ・・・)

悠子は思う。もう二度とこんな思いをしたくない。誰かを傷つけたくはない。

父は、悠子を救ってくれた。自分も父のように誰かを救いたい。守られるだけではなく、守る人間になりたい。

それは、悠子の夢であり、覚悟だった。

この力を受け継いだ自分が、この場所に立っていられる理由でもあった。


悠子は、受霊力の制御を覚え、修行をして、鈿女うずめの巫子となった。

成長するにつれ、悠子は、幼い時にとり憑かれた霊や妖の記憶を夢に見るようになった。

それは、霊や妖になる前の人間としての記憶であったり、妖が家族のように暮らす温かな光景から、人や同族に襲われる怒りや悲しみの記憶であったり、様々だった。

その記憶と合わせ、巫子として様々な霊や妖を見ていく内に、悪さをする者達の中にも理由があるのだと気づいた。

その時から、たとえ悪霊、悪さをする妖―荒御魂あらみたまでも、和解し、心に積もり積もった怒り、憎しみを減らして、高天原へ送ることができるようにしようと考えた。


「修行で受霊力を制御できたといっても、体調や感情の変化で、時々暴走することもあるから、祖母からもらったこのブレスレットでも調整しているの」

「そうか・・・」

「・・・私は、友達を傷つけた代わりに誰かを救おうとしているのかもしれない。自己満足って言われるだろうけど、それでも私は巫子でいたい」

「・・・・」

達騎は何も言わない。ただ、真っ直ぐに悠子を見ていた。

「巫子である以上、怪我もたくさんすると思う。もしかしたら、今回みたいな死ぬような目に遭うかもしれない。でも、もしそうなったとしても、私は、最後まで生きることをあきらめない。這ってでも草壁くんの所に帰ってくるわ。約束する」

「鈴原・・・」

「だから・・・、だから、私を巫子でいさせてください!お願いします!」

悠子は、達騎に向かって頭を下げた。

頭の上で達騎が小さく息を吐いたのを、悠子は感じた。

「・・・負けたよ。お前の勝ちだ」

頭を上げると、吹っ切れたような表情を浮かべる達騎がいた。

「そういう思いで巫子になったんなら、もう何も言えねぇよ」

達騎は諦めたように笑みを作った。

「うん、ごめ・・」

「謝るな」

ぴしゃりと言われ、悠子はびくっと肩を震わせた。

「お前が決めたことだろう。謝る必要はない」

「・・うん、ありがとう」

悠子は、ふわりと微笑んだ。


「あぁ、そうだ。颯を連れてきたんだ」

「颯さんを?怪我は大丈夫なの?」

「あぁ。だが、こんなんだがな」

こんなん?そう言われ、首を傾げる悠子に、達騎は、床に置いた学生鞄の中から何かを取り出し、悠子の掌に置いた。

それは、小指ほどの大きさになった颯だった。

「えぇっ!」

あまりに意外な姿に、悠子の目が点になった。

(久しぶりだな。怪我の具合はどうだ?)

頭の中から颯の声が聞こえ、念話を使って話をしているのだと分かった。

「大丈夫よ。颯さんの方はどう?」

(俺も怪我はすっかり治ったが、元の大きさに戻るには時間がかかりそうだ)

「それはよかった。でも、どうしてここに?」

「お前に謝りたいんだってさ」

達騎が、颯が来た理由を説明した。

(俺が不意打ちを受けていなければ、戦力として戦うことができた。すまなかった)

頭を下げる颯に、悠子は首を振った。

「そんなことないわ。ありがとう、颯さん。あなたがいなければ、私や健太くんはずっとあのままだったんだもの」

悠子の言葉に、颯は安堵した様に微笑んだ。


颯と話を終え、達騎はパイプ椅子から立ち上がり、颯を掌にのせると、スクールバッグに入れた。

そして、スクールバッグを肩にかけた。

「じゃ、俺、帰るな。また学校でな」

「うん、またね」

片手を上げ、達騎が病室を出る。悠子は、手を振った。

「わぁっ!」

達騎が病室の扉を引いたその時、私服姿の直と楓、浩一が折り重なるようにして倒れていた。

「お前ら、何してんだ?」

眉を上げ、不審な表情を浮かべる達騎に、一番初めに起き上がった直が言った。

「何って、お見舞いに決まってるでしょ。あんたこそ、何してたのよ」

「・・・別に。たいしたことじゃねぇよ。今後の事を話しあっていただけだ」

そうだろ、というように悠子を見る達騎に、悠子は話を合わせて大きく頷いた。

「ふ~ん、ま、いいけど」

胡散臭そうな目で、直は達騎を見るが、すぐに興味を失くしたのか、達騎を押しのけて病室に入ってきた。

「悠子、来たわよ~。元気?」

「昨日の今日だってのに、元気も何もないだろ」

茶々を入れる達騎に、直が目くじらを立てた。

「うるさいわね。あんた、話、終わったんでしょ?さっさと帰れば?」

「あぁ、言われなくても帰るっての。じゃあな」

最後に、ちらりと悠子へ視線を移してから、達騎は病室を出て行った。


達騎がいなくなり、直に続いて楓と浩一が入ってきた。

「で、何話してたの?」

すると、興味深々といった顔で、直が悠子に聞いてきた。

「え・・」

「直さん、悠子さんが困ってますよ」

楓が眉を寄せ、直に言う。

「だって、補習終わってわざわざ来るなんて、何かあると思うじゃない?」

「心配して見に来たんじゃないか?だいぶ、気にしてたからな」

鼻歌でも歌いそうな雰囲気を漂わせる直に、冷静な口調で浩一が言った。

「う、うん。心配して来てくれたんだよ」

余計な事を言うと、直に突っ込まれそうで、悠子は浩一の言葉に合わせ、口を開いた。

そして、三人の顔を順々に見て微笑んだ。

「みんな、お休みなのに来てくれてありがとう」





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