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第六幕 思い出

「まさか、雪霞せっかの血を引いていたの?」

みちるの驚きの声が部屋に響いた。

雪霞せっか

山奥に住む雪を操る妖の名だ。武闘派の妖として名高く、男も女も戦いにおいて負けなしと言われている。銀色の髪を振り乱しながら、戦う様は美しく、そして強い。同族意識が強く、他種族の妖と交流することもまれで、近年では滅びの一途をたどっていると聞いたことがある。

「おかしいだろ!雪霞なら気配で分かるはずだ!あいつにその気配は感じなかった!」

「・・・私も感じませんでした」

「もしかしたら、人の血が混じっているのかもしれないわ。混血の場合、妖の力が現れないことも多い。けれど、私が槍を突いたことで命の危機を察して、防衛本能として力が目覚めたのかもしれないわ」

空気は更に凍てつき、気がつけば、周囲に雪つぶてが舞っていた。

すると、珀は左手で払うようなしぐさをした。

次の瞬間、悠子、達騎、みちるの足元が凍る。

「くっ!」

「うぉりゃっ!」

「はっ!」

悠子は、両手を組んで力を込めて振りおろし、達騎は右拳を振り上げ、足元の氷を割った。

みちるは槍を突き刺し、氷から這い出た。

しかし、それもつかの間、みちるの眼前に珀が現れ、右足をみちるの脇腹へ向けて薙ぎ払った。

「ぐっ!!」

咄嗟に腕でカバーしたみちるだったが、スピードにのった右足の勢いを殺すことはできなかった。

みちるの体は空を舞い、重力の関係で、床にたたき落とされ、背中から倒れ込んだまま床の上を滑って行く。

続けさまに、珀は倒れたみちるの顔めがけ、蹴りを入れようとする。

だが、それは達騎が右足を両腕で抱え込むように押さえ、悠子が珀の腰に腕をまわし、全体重をかけて押さえつけたことで何とか免れた。

「こ、のっ!」

それでも珀は足を動かそうとする。

達騎は額に脂汗を浮かべながら、じりじりとみちるの顔に近づく足を止めようとする。

悠子も全体重をかけ、珀のバランスを崩そうとするが、体幹がしっかりしているためか、なかなか崩れない。むしろびくともしないといってよかった。

どうにかして珀の意識を逸らさなければ。

ふと、悠子は珀の左腕ががら空きにあっていることに気付いた。

そこからは反射的だった。

悠子は、口を開け、珀の腕に思い切り噛みついた。

珀が小さく呻き声を上げ、腕を上下に振り、悠子をふりほどこうとする。

悠子に意識が向いたせいか、珀の体が右に傾く。

「鈴原、離せ!」

達騎の言葉に、悠子は口と腕を離す。

達騎は珀の足を持ち上げ、その体が完全にバランスを崩したのを見るや、勢いをつけて突進し、床に押し倒した。

蔓条縛まんじょうばく!」

みちるの声が響き、床から緑色の蔓が現れ、珀の手足を拘束した。

珀の動きを封じることに成功したと思いきや、蔓が瞬く間に凍りつき、珀の拘束を解いてしまう。

「くそっ!」

達騎が後方へ飛びずさり、かばうように、脇腹を押え、上体を起こそうとしているみちるの前に立った。悠子も珀から距離を取り、身構える。

珀は無の表情のまま立ちあがり、機械のような淡々とした眼差しを悠子に向ける。

そして、一気に悠子との距離を縮めると、悠子の頭を掴み、首筋に噛みついたのだった。

「あぐっ!」

焼けつくような痛みが悠子を襲った。


「野郎っ!!」

悠子を襲う珀を見て、達騎が怒りを滲ませ、その手を伸ばした。

あと少しで珀の背に届くと思った瞬間、白い巨大な壁が目の前に現れ、指先をかすめていった。

「くっ!」

手を引っ込め、達騎は白い壁を憎々しげに睨みつける。

指先に感じた冷たさから、それが雪でできたものだと分かった。雪の壁は、部屋の端から端まであり、壁を破壊しなければ悠子のいる向こう側へ行くことはできないと、達騎は瞬時に悟った。

「どきなさい!」

背後でみちるの声が響く。振り返れば、みちるが両手で群青の槍―陽光翡翠ようこうひすいを握っていた。

黒龍葬波こくりゅうそうは!!」

言霊を唱えるや、黒い炎が刃先から立ち上る。まるで龍のようにうねりながら、炎は雪の壁に突進していった。

蒸発するだろうと思ったのもつかの間、突如、壁から巨大な手が現れ、黒い炎をその手で握り潰した。

達騎とみちるは目を見開く。

壁から現れたのは、巨大な手を持った雪だるまだった。明らかに胴体よりも手が大きく、バランスを崩すだろうと思われる造形だったが、雪だるまは、そんなことはおかまいなくうさぎのように飛びはね、達騎とみちるに襲いかかってきた。

土牢鋼子どろうこうし!」

砂粒ほどにしか感じない自身の霊力を絞り出し、達騎は言霊を唱えた。瞬時に右足―スニーカーとジーンズが土色に染まり、硬質化する。

襲いかかる雪だるまの拳を避け、達騎は大きく跳躍すると、雪だるまの頭目掛けて右足を振りおろした。

「でやぁっ!!」

切り裂くやいなや、雪だるまの頭は砂のように粉々に崩れ、跡形もなくなった。

同時に胴体にも亀裂が走り、巨大な手をくっつけたまま真っ二つに割れた。達騎は息を整え、粉砕された雪だるまの残骸を見つめる。

動かないのを確かめ、戦闘が終わったと息を大きくついたのもつかの間、雪の壁から次々と雪だるまが姿を現した。

その数、ざっと三十。

「くそっ、次から次へと!」

雪だるまの群れの中へ突っ込もうとした刹那、襟首を誰かに持ち上げられ、達騎の体は宙に投げ出された。

「てぇっ!!」

したたかに尻を打ち、その痛みに顔をしかめながら顔を上げると、目の前に真冶が立っていた。

「おっさん!」

真冶の前に三体の雪だるまが現れた。手を伸ばしてくる雪だるまの内、一体の手を掴み、真冶は勢い良く持ち上げる。

「うおぉぉぉぉっ!!」

その雪だるまを左右に振り回し、真冶は二体の雪だるまを弾き飛ばした。

しかし、二体の雪だるまは何事もなかったように起き上がり、真冶に襲いかかる。

土遁針立どとんしんりゅう!」

みちるの凛とした声が響く。

次の瞬間、二体の下にあった大地が盛り上がり、鋭い刃となってその体を刺し貫いた。途端、彼らは動かなくなる。

「そのまま叩きつけてもだめよ!土属性の術を使うか、武器か体を土属性に変化させないとこいつらは倒せない!」

「倒さなくてもいい!お前らが珀を気絶させるまで時間が稼げればそれでいい!」

「どういう意味?」

みちるは、真冶の言葉に眉を寄せる。その時だった。

「消えろ、雪だるまぁ!」

刃のような突風が五体の雪だるまを襲い、三つほどの大きさに切り刻まれた。

それと並行するように、赤茶色の何かが四体の雪だるまの周囲を弾のように駆け巡る。

雪だるまは瞬く間にばらばらになり、白い塊が床に散らばった。

達騎とみちるの目の前に、赤茶色の何かが姿を現した。その正体は、仁だった。

「早く行け」

そう言い、達騎とみちるを一瞥した仁は、赤茶色の髪を振り乱し、再び雪だるま達の中に突っ込んでいく。

「本当なら俺が珀をやりたいぐらいだが、仕方ねえ。譲ってやるよ」

唇の端を上げ、笑う男―京介が、切り刻まれた雪だるまの頭部に乗り、近づいてくる数十体もの雪だるまに風の刃を与えていく。

「何でお前らがここにいるんだ!っていうか、おっさん、一体これはどういうことだ!」

まるで援護するかのような仁と京介の姿に、達騎は困惑の表情を浮かべ、その原因である真冶に向けて問いただした。

「この連中の仲間で、千里眼の娘がいてな。だいたいのことは把握してる。この数をさばく力を持った奴は、俺とこいつらくらいだ。だから手伝わせた」

「そういうこと。でもいいの?後で上から文句言われるわよ」

槍で雪だるまの頭部を突き崩しながら、みちるが意地の悪い笑みを浮かべる。すると、真冶は、ふんっと鼻を鳴らした。

「そんなもん何とでも聞いてやる。一人の人間の命がかかってるんだ。なりふり構ってられん。草壁、これ、持っていけ」

真冶は懐から何かを取り出し、みちるに放り投げた。

みちるは、それを手に取る。それは、人の頭に嵌る大きさを持つ金色の輪だった。

「それを奴に嵌めさせればいい。気絶させることができる」

「オーケー。分かったわ」

みちるは頷く。

「で、どうやって向こう側へ行きゃいいんだ?」

「私が道を作るわ」

振り返れば、朱里が達騎の背後に立っていた。朱里の隣には、ひと一人入れるほどの黒い空間が浮かんでいた。

「そいつの能力で嬢ちゃんの所に飛ぶ。頼んだぞ!」

「言われなくても!」

真冶の言葉に達騎は力強く返し、臆することなく黒い空間へと駆けだした。みちるも続けて後を追った。



がりっという嫌な音が首元から響き、血の匂いが悠子の鼻についた。

その時、ズンッという腹に響くような振動を感じた。

痛みで閉じていた瞳を開けば、巨大な白い壁が出現しているのが、珀の肩越しに見える。

達騎とみちるの姿はそこにはなかった。

悠子は、焼けるような痛みを押し殺し、肩に置かれた珀の手首を捻り上げる。珀の体が斜めにがくんと沈んだ。

その隙に珀の足を自分の足に引っ掛け、珀を転がすと、悠子は珀から距離を取った。

しかし、それもつかの間の事だった。

血に濡れた口元を拭うこともなく、珀はすぐ様距離を詰め、悠子に回し蹴りを見舞った。

「かはっ!」

受け身を取るひまもなく、悠子はそのまま床に投げ出された。

衝撃に息が詰まる。

体を起こそうとしたその時、珀はいつの間にか作り出していた氷の剣を右手に持ち、一足飛びに悠子の間合いに入ってきた。

そして、鋭い切っ先を悠子に向けて振りかぶる。

ー詠唱が間に合わない。

悟った悠子は、座り込んだまま、白刃取りを行った。首筋ぎりぎりで切っ先が止まる。

力を込め、押し切ろうとする珀を見て、悠子は覚悟を決めた。

体を少しだけ左に逸らし、両手を剣から放す。

剣は半円を描き、悠子の右肩に突き刺さった。

「ぐっ!」

鋭い痛みに耐えながら、悠子は左の拳に氣を込める。そして、刺さった剣の中央に拳を叩きつけた。

パキンッ。

澄んだ音を響かせ、剣が真っ二つに割れる。

肩に剣を突き刺したまま、悠子は右の掌に氣を溜め、珀の腹に放った。

「はぁっ!」

珀の体がくの字に折れ曲がり、軽く吹き飛ぶ。

だが、次の瞬間、珀の体は白い塊と化した。

(変わり身!)

悠子がそれに気づいた瞬間、腹部に鋭い痛みと衝撃が走った。


「あ・・・」

目線を下に向ければ、透明な氷の剣が悠子の腹部から突き出していた。

途端、喉からせり上がるように口元から血が溢れる。

剣を引き抜かれ、悠子は膝から崩れ落ちた。

腹部から流れる血を押さえながら振り返れば、珀が血塗れの剣を向け、突進してきた。

痛みと多量の出血により、悠子は意識が朦朧とし、避けることもままならなかった。

剣の切っ先が向かってくるのを、悠子はただ見ていた。

その時、視界の端に黒い空間が現れた。

「うぉりゃぁぁぁ!!」

その空間から達騎が姿を現す。

雄たけびを上げ、達騎が珀に体当たりをかました。

予想しなかった攻撃に珀は対処しきれなかったのか、達騎と共に床に転がる。

「行きなさい!」

達騎の後にみちるが続き、手に持った金色の輪を珀に向かってブーメランのように投げる。輪は起き上がろうとしていた珀の頭にかちりと嵌り、金色の電流を流した。

「がぁぁぁぁっ!」

悲鳴を上げ、珀は倒れた。

倒れて動かなくなった珀に一瞥をくれた達騎が振り返る。

「・・・・!」

血にまみれた悠子の姿を見て、達騎は目を見開き、絶句した。

「悠子ちゃん!」

みちるが悠子に駆け寄り、抱き寄せる。

「みちるさ…」

「喋っちゃだめ。…少し痛むわよ」

みちるが上着を脱ぎ、悠子の腹部を覆うと、袖を縛り上げた。

「ぐっ!」

痛みに呻く悠子を、みちるは一瞬、痛ましい表情を浮かべて見つめる。そして、悠子の脇と膝裏を持って、みちるは素早く悠子を抱き上げた。

「月読病院に繋げたわ!早く!」

朱里が黒い空間を示しながら、みちるに言う。

「ありがと!達騎、何してるの!行くわよ!」

みちるは朱里に礼を言い、背後にいる達騎を促す。しかし、達騎から返事がない。

振り向けば、達騎は、珀が持っていた剣を片手で掴み、今にも振り下ろそうとしていた。

「何してるの!珀は警部達に任せなさい!」

だが、達騎は剣を離そうとはしない。激しい怒気を含んだ瞳で、珀を睨みつけている。

「達騎!!」

悲鳴に近い声で、みちるは達騎を呼ぶ。

しかし、達騎はみちるの声すら聞こえていないようだった。

剣の切っ先が珀の胸元に迫る。

その時だった。

(だめだよ)

諫める言葉と共に、剣を持つ達騎の手に触れる者がいた。

「すずはら・・・」

それは悠子だった。

白く半透明に透けた霊体の姿で、達騎の隣に浮かんでいた。

(殺しちゃだめ)

悠子は、じっと達騎の目を見つめる。茫然とした表情で悠子を見ていた達騎だったが、我に返ったのか、佇む悠子に鋭く言い放った。

「ば、馬鹿!早く体に戻れ!死にたいのか!」

しかし、悠子は首を振る。

(お願い、剣を捨てて)

その言葉に達騎は唇を噛みしめた。悠子は一歩も引かないといった眼差しで達騎を見つめる。

「・・・・分かった」

小さく息を吐き、達騎は氷の剣を投げ捨てた。

(ありがとう)

悠子はそう言って、ふうっと風になびくように消えていった。

「っ、行くわよ!来るんだったら、とっと来なさい!」

一刻も猶予もないと感じたみちるは、達騎に言葉を残しつつ、振り返ることなく黒い空間に朱里と共に入っていく。

気絶した珀のそばで、達騎は、駆けていくみちるの背中を黙って見つめていた。



達騎を止め、体に戻った悠子は、軽い震動を感じながら瞼を開いた。

みちるが必死の形相でどこかを駆けているのを、ぼんやりと感じることができた。

「大丈夫よ、悠子ちゃん。病院はもうすぐだから」

安心させるように笑みを浮かべるみちるに、悠子はただ頷く。

達騎を止めるため、霊体になっていた時は澄んでいた意識が、今は靄がかかったようにはっきりしない。

腹部からじりじりと焼けつくような痛みを感じているのにも関わらず、悠子の頭は、それがどこか遠くにあるように思えた。

目を開けているのも億劫で、悠子は目を閉じる。

ひどく眠かった。



「珀、約束よ。一年経ったら迎えに行くから」

赤いマフラーをし、長く黒い髪を雪の混じる風になびかせた女性が、優しく頬に触れる。

その瞳は微かに潤み、泣くのを堪えているように見えた。

「うん、待ってる」

いじらしく言葉を紡ぐ珀を見て、女性は唇を引き結ぶと、膝を折り、珀の小さな体をぎゅっと抱きしめた。

「二人で暮らせるようになったら、深沢に行こうか。あそこにはね、千年も生きてる桜の木があるの。そこでお母さんはお父さんと出会ったのよ。すごく綺麗で珀にも見せてあげたい。今年は無理だけど、来年、一緒に見に行こう」

「うん」

力強く頷く珀を、女性はどこかに思いを馳せた表情で見つめた。

「桜の花があなたの髪に落ちる様子は、きっと素敵だわ。あなたのお父さんとおなじように」

そう言って、珀の銀色の髪を愛おしそうに撫でたのだった。


半年後、女性―珀の母であるひかりは、事故で亡くなった。

葬儀は珀の叔母が執り行ったが、親戚の顔色は、親しい者を亡くした悲しみに溢れてはおらず、厄介者がやっといなくなったという安堵に満ちていた。

それは、幼い珀にも分かるほどの態度であった。


あやかしなんかと混じるから」

「昔から変なことを言う子だったけど、本当に異形と結婚するなんて」

「子どもはどうする?」

「望美(珀の叔母)が引き取るんじゃないのかい?」

「あそこは五人も子供がいる。一時期ならいいが、一生となるとあの子も渋るんじゃないか?それに、なんたって異形の子だ。身内とはいえ、引き取るのは心情的にどうだろう」

「あの銀の髪。老人でもないのに気味が悪い」


口さがない親戚たちの言葉が珀の耳に届く。珀の居場所はここにはなかった。



葬儀が終わり、珀は縁側に腰掛け、寺の庭をぼんやりと見つめていた。

不意に涙がこみ上げてくる。

「おかあさん・・・!」

次々と母との思い出が甦ってくる。

近所の子に銀の髪をからかわれ、泣きながら帰ってくると、「そんなことはない、素敵な髪だ」とほめてくれた母。

妖であった父のことを誇らしげに、愛しげに話してくれた母。

周りの人間が奇異の目で見つめる中、「堂々としていなさい、何も悪いことはしていないんだから」と言ってくれた母。

けれど、もういない。一人ぼっちになってしまったのだ。


しゃくりあげながら、涙を零す珀の目の前に、見慣れない男が現れた。藍色の着物を着た六十代の男だった。

男は、珀の前にしゃがみ込むと言った。

「私の名は幻蔵という。珀、君のことは聞いている。叔母さんから君のことを頼まれてね。君を引き取りに来たんだよ」

「え」

珀は目を丸くし、幻蔵を見る。

「もし嫌だと言うなら、断ってくれていい。いきなり知らないおじさんと一緒に暮らそうなんて言われても困るだろうからね。どうする?」

優しく言う幻蔵に、珀は目を瞬かせる。いきなりのことで頭が混乱し、上手く言葉がでない。

そのせいか涙はすでに引いていた。

「ぼくは・・・」

幻蔵に引き取られる。

珀は、今まで育ててくれた叔母の家での暮らしを思い出した。

叔母の家では、邪険に扱われることこそなかったが、五人もの子供達がいるなかで形身の狭い思いをしていた。自分がいることで、毎日、どこかピリピリとした空気が漂っているのを感じていた。

そんな思いをするくらいなら。そんな思いをさせるくらいなら。

知らない人間だが、悪い人間には見えないこの男と一緒に行くのもいいのかもしれない。

「・・・いっしょに行く」

珀は幻蔵に言った。

その言葉を聞き、幻蔵が破顔する。

「そうか。よかった。・・それじゃあ、行こうか」

幻蔵が珀に手を差し伸べる。珀は頷き、その手を取った。


それから十年後、珀は幻蔵を父と呼びながら暮らしていた。

そこで、珀は幻蔵が戦争で一人息子を亡くしたことを知った。そして、その息子を蘇らせるために、猿田彦の巫子の術と鬼討師の紋術を学んでいることも。

「珀、ちょっと話がある」

幻蔵に呼ばれ、珀は居間に入った。幻蔵は居間のソファーに腰を下ろしている。珀は、向かい合わせになるように革張りの椅子に腰かけた。

「父さん、話ってなに?」

幻蔵は、眉を寄せ、珀の様子を窺うように口を開いた。

「お前に手伝ってほしいことがある。だが、前もって言っておくが、これはやってはいけないことだ。お前がどうしても嫌だというならこの話はなかったことにする。私一人でやろう」

「・・・それで?」

「お前に巫子の術と紋術を習ってもらいたい」

「えっ。でも、それって霊力がないとできないんじゃないの?」

巫子の術は、言霊という呪文を使って術を発動し、紋術は紋を紙に書いて術を発動させる。やり方は違えど、二つとも霊力が必要なのだ。霊力があってこそ言霊にある術を出すことができ、紋に力を宿すことができる。

「知り合いにお前を見てもらったら、霊力があることが分かったんだ」

「いつの間に・・・」

「わしも霊力があるとはいえ、年だ。それで、補佐としてお前に手伝ってもらおうと思ったんだ。だが、さっきも言った通り、私がやろうとしている蘇生術は禁術だ。猿田彦の巫子や警察にしられたら厄介だ。それでも手伝ってくれるか?」

伺うように幻蔵は珀を見る。

幻蔵は、息子―秀人を爆撃機が飛び交うなか、自分の命ほしさから手を離してしまったことをずっと悔いていた。大火の中、唯一残った白黒の写真を毎日のように見ていることも知っていた。

亡くした人に会いたいという気持ちは、珀にもよくわかる。

たとえ、猿田彦の巫子や警察に知られてもかまわない。幻蔵は、居場所をくれた。人と妖の混血である自分を恐れもせず、息子として扱ってくれた。

その恩を返す機会だと、珀はそう思った。

「・・・いいよ。」

「珀・・・」

驚いたように目を見開く幻蔵に、珀は笑った。

「手伝うよ。教えて」



それから、二年後。

猿田彦の巫子の術と、鬼討師の紋術を覚えた珀は、幻蔵と共に、秀人を蘇生させようと動いていた。

秀人の傀儡くぐつを作り、魂を定着させた秀人の頭、手、足、心臓、目、鼻、口を動かすために必要な七人の人間は、寝たきりの老人や余命いくばくもない人間を集めた。

魔法陣を敷き、秀人を中央に置き、七人の贄は眠らせ、秀人の周辺に置いた。


彼らを犠牲にして、秀人を蘇らせる。その事に、心を動かされないといったら、嘘になる。

けれど、珀は決めてしまった。幻蔵の力になると、誓ってしまった。

「では、始めるぞ」

「・・・うん」

珀は頷く。

幻蔵が蘇生術の詠唱を始めた。しかし、それは、予期せぬ乱入者によって阻まれた。

轟音と共に、天井から一人の女が現れ、雷鳴を纏った群青色の槍を秀人に突き立てた。秀人は焼き尽くされ、跡形もなく燃えた。

そして、なだれ込むように警察が現れ、幻蔵と珀は捕まってしまった。


未遂ではあったが、もし成功していれば、社会に大きな影響を与えかねないとして、二人は実刑を与えられた。

幻蔵と珀は、三年の間、刑務所に入ることとなった。

寝起きする部屋も、食堂や職業訓練をする場所も別だったため、珀は刑期を終え、外に出るまで幻蔵に会うことはなかった。再会した幻蔵は、三年前とは別人のように変わっていた。

食事を取っていたはずなのに、頬はこけ、体は出てくる前よりも細くなっていた。

目は濁り、眉には大きくしわが寄っていた。纏う雰囲気は、以前の穏やかさは微塵もなく、怒りと憎しみに溢れていた。

幻蔵は、珀に気付き、微笑んでくれたが、その瞳は笑っていなかった。

その姿を見た時、珀は悟った。幻蔵はもう昔の彼ではないと。

だが、どんなに変わっても幻蔵は幻蔵だった。己の父に変わりはない。

珀は、決意した。幻蔵がどんなに変わっても、自分は幻蔵を信じよう。彼を一人にはしない。

幻蔵のためにこの力を使おう、と。


それから三年後。慎重に慎重を重ね、珀は、幻蔵と共に蘇生術を開始した。

しかし、何かが間違っていたのか、妖と人間の二つの魂が入った傀儡が誕生してしまった。けれど、戦力としては申し分なかった。

さらに二年の月日を費やし、幻蔵と珀は戦力を整えた。

子供を亡くした猫又の男。人と百眼の混血のために、居場所のない千里眼の力を持つ娘。

「蘇生術」という未知の術に魅入られた異能力者。そして、妖と人間の二つの魂が入った傀儡。

彼らの力を使い、七人の生贄を捕まえる。

その中には、幻蔵の計画を潰した巫子―草壁みちるの息子の名もあった。

息子を亡くすということがどういうことか、みちるに知らしめるため。ようは、幻蔵の復讐も兼ねていた。

こうして、幻蔵の復讐兼蘇生術の計画は始まったのだ。



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