第五十一幕 命
叫んだ瞬間、陽燕の身の内に力が溢れるのがわかった。
短かった髪がざわざわと長く伸びるのを感じ、頭には、何かに引っ張られるような感覚を覚える。
陽燕は電流を足裏に纏い、飛んだ。
延鷹と母親の間に滑り降りた陽燕は、電流を纏った延鷹の拳を左手でつかみ、顔面目がけて、右の拳を放った。
メキャッという音がしたかと思うと、延鷹が吹き飛ぶ。
それを目の端に捉えてから、陽燕は固まっている母親に叫んだ。
「行け!!」
青ざめた顔のまま、母親は頷き、背を向け、走り出した。
負ぶわれた赤ん坊のきょとんとした顔が、陽燕の目に映る。
陽燕は、小さく笑みを浮かべた。
記憶の中の母親は救えなかったが、今度は救う事ができた。そして、赤ん坊に悲しい思いをさせないで済んだ。
安堵と達成感が胸に広がるのを感じながら、陽燕は、延鷹を吹き飛ばした方向に顔を向けた。
すでに、延鷹は、顔を歪ませながらも立ち上がっていた。鼻がおかしな方向に曲がっている。骨が折れたのだろう。
「っ!!」
刹那、背後に鋭い殺気を感じ、咄嗟に真上に飛んだ。
陽燕がいた場所に、雷の弾丸が駆け巡る。首を後方に回せば、翠雀が右手をだらんとさせ、左の掌を前方に向けていた。肩を上下させ、荒く息を吐いている。
砕雷破を放ったのは、翠雀のようだが、言霊は聞こえなかった。
(――詠唱破棄か)
詠唱破棄は、技を出す時間短縮にもなり、相手の意表をつけるが、力を余計に使う。
集中力も必要なので、長期戦ではあまり使わない。
詠唱破棄に慣れていれば、別だが。
体が重力に従い、引き寄せられるように地面に落ちていく。瞬間、血のように赤い瞳と目が合った。次の瞬間、獰猛な笑みを浮かべ、翠雀は叫んだ。
「それでこそ俺が認めた男だ!!楽しませてくれよ!!」
翠雀の体が電流に包まれ、全身が淡い金色に染まる。
そして、地面に近づく陽燕を目掛け、地を蹴った。翠雀は、手首が折れているはずの右手を振りかぶり、真っ直ぐ、陽燕に振りおろしてきた。
(まさか、電流で骨を繋いだってのか!?)
痛むそぶりさえない翠雀に驚きながら、陽燕は不安定な態勢で、両腕を交差させ、翠雀の攻撃を防いだ。
バキィィッ!!
腕に何トンもの重りを受けたかのような重い衝撃と、神経が焼けつくような痛みが陽燕を襲う。
「がああああああああぁぁぁぁっ!!」
あまりの痛さに、陽燕は叫び声を上げた。
「どうだ?さっきの何倍もの電流を拳に込めたんだ。死ぬほど痛えだろ?」
脳天を貫く痛みに、陽燕は着地すらできなかった。受け身も取れず、石畳に背中を叩きつけた。
「ぐぅっ!!」
振動が攻撃を受けた腕に反響し、痛みが波のように襲ってくる。陽燕は歯を食いしばり、耐えた。
冷や汗が、米神や背中を伝う。
「つっ!!」
隙を突くように、翠雀のつま先が陽燕の眼前に現れた。
咄嗟に体を反転させると、ちょうど顔があった場所に、翠雀のつま先がめり込んだ。
頑丈な敷石が砕け、中の土が見えていた。
避けていなければ、陽燕の顔は潰れていただろう。そう思うと、ぞっとした。
「ぐっ!」
一刻も早く体勢を整えなければ。座り込んでいれば、格好の餌食だ。
腕は、先ほどの攻撃で鉛のように重く、指先だけ動かしても激しい痛みに襲われた。
確実に折れている。
両足だけで何とか立ち上がり、翠雀と向かい合うように立った。
「うぉらぁっ!!」
その隙を逃すまいと、翠雀が足蹴りを見舞う。それを紙一重で避けるが、体が揺れるだけでも腕に振動が走り、引き攣るような痛みに意識がもっていかれそうになる。
「らぁっ、らぁっ、らぁっ、らぁっ、らぁっ!!」
翠雀は、足蹴りを途切れらせることなく続ける。足蹴りのラッシュを、陽燕は、ぎりぎりの所でかわし続けた。
一発でも当たれば、大怪我。当たり所が悪ければ、即死だ。
石畳を抉った翠雀の蹴りから、陽燕はそう推測した。
だが、避けてばかりでは意味がない。長引けば不利になるのは、陽燕の方だ。
それに、殴ってから一度も動いていない延鷹のことも気になっていた。
『この現世を変えるため』と言ったのも嘘でないだろう。
そんな男が、一度殴ったくらいで(鼻は折ったが)諦めるとも思えない。
陽燕は、目の前の翠雀の攻撃に集中していたが、同時に神経を張り巡らせ、延鷹の氣を追った。
陽燕が吹っ飛ばした位置から動いていなければ、延鷹は陽燕の左側にいるはずだった。
だが、そこに延鷹の氣が感じられなかった。
まるで、山に鎮座する巨大な岩のようにどっしりと重く、冷めた氣は、陽燕の後方、背中側から感じられた。
そこは、白百合のように凛とした氣を発した沙矢がいる場所だった。
陽燕は、自分の迂闊さに吐き気がした。翠雀に攻撃されていたとはいえ、延鷹にも気を回すべきだった。たとえ、効果は薄かろうと、雷刃雨でも叩きつけて延鷹をあの場所に縛り付けておくべくだった。
いてもたってもいられなかった。陽燕は、勢いよくしゃがみこみ、軸にしている翠雀の足を目掛けて、右肩を使ってタックルした。
だが、読んでいたのだろう。翠雀は軸足を取られ、石畳に倒れながらも、空いた足で陽燕の左肩を足裏で蹴った。
バキっという鈍い音と、関節が外れるような感覚を感じたが、陽燕は構わなかった。
背筋を伸ばし、翠雀の額に頭突きを見舞う。
「がっ!!」
白目を剥き、同時に後頭部を強打しながら、翠雀は倒れた。
それを視界に入れながら、陽燕は体ごと振り返り、電流を足に纏わせ、飛んだ。
その先には、水色のワイシャツを血に染め、顔を紙のように白くさせ、座り込みながらも、闘志を湛えた瞳を棘地蔵と神主姿の美丈夫に向ける沙矢がいた。
「沙矢っっ!!」
陽燕が叫ぶ。一瞬、沙矢と視線が交差する。
その瞳が、大きく揺れた。
「・・・・っ!!」
陽燕は、声にならない悲鳴を上げた。
沙矢の腹に、電流を纏わせ、血にまみれた手が生えていた。
延鷹が背後に回り込み、その手で腹部を貫いたのだ。
ごぽりという音とともに、沙矢の口から血が溢れだす。
延鷹が腹から手を引き抜くと、沙矢は人形のように崩れ落ちた。陽燕は、肩や腕の痛みも忘れ、倒れる沙矢を抱きとめた。
「沙矢っ!!」
傷口を押さえる。だが、血は止まらない。
「沙矢、しっかりしろ!!おいっ!!」
耳元で怒鳴るが、沙矢はぴくりとも反応しなかった。血の気はさらに引き、瞼はきつく閉じられたままだった。胸の鼓動は弱弱しいが、それでも脈打っている。
生きてはいる。だが、このままでは危険だ。
「やれやれ。これからじわじわといたぶるつもりだったのに。遠慮という言葉を知らないのか?」
九つの尾を揺らし、美丈夫が眉を顰めた。
「忘れたのか、流水。一人にかまっていては、目的など達成できん。邪魔をする者は、素早く確実にしとめるべきだ」
「その割には、お前達も手こずっていたようだがの」
美丈夫―流水に諭すように言う延鷹に、棘地蔵が茶化す。延鷹が渋い顔をした。
「てめぇら・・・!!」
頭上で何事もなく会話する彼らに、陽燕は低く呟いた。それは、自分の迂闊さが招いたことに対する激しい後悔と、人間だろうと妖だろうと関係なく殺そうとする彼らのやり方に対する凶暴な怒りをはらんでいた。
彼らを、陽燕は音をたてて睨みつける。力が電流となって、身の内から溢れだした。
髪がなびき、陽燕の視界は怒りと殺意で赤く染まった。
「殺してやるっっ!!」
吐き出すような叫びとともに、電流が放たれる。それは、石畳を叩き割り、周囲の塀や電柱まで亀裂を入れるほどの凄まじい放電だった。




