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第四十四幕 叫び

ぐるるるる~。

頭を上げたその時、悠子の腹の虫が鳴った。

 慌てて、腹をおさえるが、後の祭りだった。

「・・・・・」

何とも言えない沈黙が辺りに落ちる。

「腹が減っているのか?」

精霊王の問かけに、悠子は顔を赤くさせ、羞恥心を覚えながら答えた。

「・・・お昼、食べてなかったので。でも、ありますから」

そう言って、悠子はビニール袋を掲げた。すると、精霊王が頷いた。

「そうか。なら、食べながらでいい。聞きたいことがある」

「あ、はい。分かりました」

意外な精霊王の言葉に軽く目を見張りながら、悠子は頷いた。


 悠子は、中央の石のテーブルに、昼食用に買った鮭のおにぎり、ハムと卵のサンドイッチ、そしてペットボトルの緑茶を置いた。石の椅子に座ると、ひんやりとした石の冷たさを感じた。

 向かい合わせに精霊王が座り、精霊王の隣に葉扇、悠子の隣にはみづはが座った。

葉扇が、腕の中にある竹筒と、りんご、梨、大きい緑の葉に包まれた十粒ほどあるブルーベリーとラズベリーをテーブルの上に置いた。

「あの、これは?」

気になり、尋ねると、精霊王が答えた。

「あぁ。達騎の食事だ。私たちは人間のように食物を摂取することがないからな」

「そうなんですか。・・・ここは、果物が豊富なんですね」

つややかで赤く色づいたりんご。大ぶりの梨。みずみずしいブルーベリーとラズベリー。

果物の種類の多さに、悠子は精霊王の住む森の巨大さを実感した。

「実のなる木はたくさんある。季節ごとに様々な実がなり、獣たちの糧になっているからな」

精霊王が補足し、椅子に座った。そして、向かいに座る悠子に食べるよう促した。

「さ、まずは食べてからだ。遠慮しないでいい」

「あ、はい。いただきます」

悠子は頷き、包装フィルムに包まれたおにぎりを手に取った。

 

「あれは、達騎と戦っていた時のことだ」

フィルムをはがし、悠子が一口ほおばるのを見計らかったかのように、精霊王は話し始めた。


水牢破蛇すいろうはじゃ!」

達騎の持つ槍の刃が、漆黒ではなく、透き通った空色に変わる。

その刃をかざし、達騎は、自身が繰り出した、鞭のようにしなり、迫ってくる緑の蔓を切り落とした。

 間髪入れず、渦を巻く突風を出現させ、同時に鋭い切っ先をもつ緑の葉を何百と出す。そして、風と葉を絡ませ、達騎に向け、緑の刃を浴びせた。

 「くっ!!」

頬や腕など、肌が露出している部分が、緑の刃で切られていく。達騎は、顔を両腕でかばい、しゃがみこんだ。達騎の姿は、突風の中に入り、見えなくなった。

 これで、大分疲弊しただろう。と、指を鳴らし、突風と緑の葉を消そうとしたが。

「うおぉぉぉぉぉぉっ!!」

突如、突風から切れ目が現れ、達騎が槍の切っ先を精霊王に向け、飛びかかってきた。

指を鳴らし、土の壁を出現させる。

「でやぁぁぁっ!!」

だが、達騎の気合いの声とともに、土の壁に次々と亀裂ができ、ついにはバラバラに砕け散った。


 しかし、その隙を精霊王は逃さなかった。

己の顔目がけて、その切っ先を向けてくる達騎の槍を、手首に残していた緑の蔓で巻き付け、達騎自身を膜の端まで投げ飛ばした。ずしゃっという地面に叩きつけられる音が響く。

「くそっ!」

頬や腕、手に擦り傷をつくりながら、達騎は立ち上がった。

その時、精霊王は気がついた。

達騎の体の周りに、黄金色の光がうっすらと浮かび上がり、頬や、腕、手などにある切り傷や擦り傷を瞬く間に塞いだのを。



「心当たりはあるか?」

聞かれ、悠子はおにぎりを咀嚼しながら、考えた。

 達騎の体に黄金色の光が現れるというのは、初めて聞いた。怪我をした達騎とともに仕事をしたこともあるが、悠子は見たことはなかった。

 精霊にしか見えない光なのだろうか。その光が、達騎の怪我の治りの速さと関係しているのだろうか。

 悠子は、自分の知っていることを話した。

「草壁くんは、昔から怪我の治りが速いと言っていました。それに、骨折したのに一か月も経たないうちに治ってしまったこともあります。私も含め、みんな、驚いていました」

「そうか・・・」

精霊王が考え込むように、顎に手を当てる。

「そんな奴がいるなんてねえ」

すると、みづはが驚いたような、感心したような声を上げた。

「精霊は違うの?」

発した言葉から察し、悠子が聞くと、みづはは頷いた。

「そんなに早く傷を治すなんて、あたし達だってできやしないよ。鵬鱗ほうりんならいざ知らず」

鵬鱗ほうりん?」

聞いたことのない言葉に、悠子は首を傾げた。口を開いたのは、葉扇だった。

常闇とこやみに生きるモノの名だ。巨大な白い鳥の姿をしているが、下半身は鱗で、尾は蛇。妖でも精霊でもない。生命いのちが形を成した存在だ」

「生命が形を成した・・・」

常闇という言葉も気になるが、世界に、そんな壮大な存在がいることに驚き、悠子はそれ以上、言葉が出なかった。

「生命そのものの鵬鱗なら、怪我をしようがすぐ治るだろうけどね。精霊だろうと、妖だろうと、怪我をすれば治るのに時間がかかる。人間ならなおさらさ」

そう言って、みづはは肩をすくめた。

 彼女の言葉から、達騎の治癒能力がありえないものであることは分かった。

だが、それはそれ。達騎は、達騎だ。どんな能力があろうと、それは変わらない。

 精霊王は何を気にしているのだろう。

悠子は、顎に手を当て、考え込んでいる精霊王を見た。

「あの、そのことが何か問題でもあるんですか?」

「ん?あ、あぁ・・・」

悠子の問いかけに顔を上げた精霊王は、しかし、生返事をするだけで答えてはくれなかった。

その時、横合いから、聞き慣れた低い声が聞こえてきた。


「常闇とはなんだ?」

顔を向ければ、緑の囲いに背を預け、鋭い眼差しを向ける達騎の姿があった。

「草壁くん!」

立ち上がり、悠子は達騎に近付いた。

「起きてて大丈夫なの?」

眠って―というよりは、意識を失って―から、まださほど経っていない。睡眠を十分にとれていないのではないだろうか。

「答えろ。常闇とはなんだ」

だが、達騎は悠子の姿など目に入っていないようで、悠子の背後にいる精霊王に視線を向けていた。

「・・・常闇とは、この世界の裏側にあるという場所だ。夜よりも暗く、闇よりも濃い。そこには、白く輝く鵬鱗ほうりんと、闇の形をした鵺がいると言われている。だが、伝えられているだけで、実際に見た事はない」

鵺の名前が精霊王に口から上り、悠子は驚いた。達騎を見ると、厳しい表情のまま、精霊王を見つめている。

「鵺って、妖ではないんですか?鵬鱗のような生命いのちが形を成したものなんですか?」

張りつめた空気の中、悠子は思い切って聞いた。この空気をどうにかしたいと思ったのもあるが、純粋に鵺の事を知りたいと思ったからだ。

「鵺は、鵬鱗と同時に生まれた存在だ。彼らに明確な形はない。ただ、こちらから見た姿が黒いから闇だと言われている。鵬鱗ほうりんを光、鵺を闇とする。まぁ、単純な考えだ。聞いたところによれば、鵺たちは、鵬鱗を慕い、崇めているが、同時に怒り、憎み、嫉妬し、そして、鵬鱗のような姿形を欲しているという」

「・・・そうか。そういうことか」

睨むように精霊王を見ていた達騎が、目を見開き、なぜか、納得したように頷いた。

そして、囲いの中へ戻っていく。

何がそういうことなのだろう。

気になり、追いかけ、囲いの中に入った悠子の目に、星空のような青白い光が映った。

それは、囲いとなっている植物たちから発している光だった。 

その光に影を浮かび上がらせながら、達騎は床に横たえられた槍を掴み、軽く振る。

「あの、そういうことってどういうこと?草壁くんは、何か分かったの?」

槍を振りながら、感触を確かめているらしい達騎は、悠子の方も見もせず、にべもなく言い放った。

「お前には関係ない」

だが、悠子は引かなかった。

「鵺たちが現世に来ることだってあり得るよ。何か気づいたなら教えて」

「・・・・・」

達騎が悠子を見る。その顔には、表情がなく、達騎が何を考えているのか分からなかった。

「お願い」

それでも、ここでやめるわけにはいかない。

目に力を込め、悠子は達騎を見た。重苦しい沈黙が囲いの中を包む。

やがて、達騎が口を開いた。

「・・・俺が分かったのは、あいつがろくでもない屑野郎だってことを再確認したってことだけだ」

あいつ―とは、鵺のことだろう。だが、達騎の言葉の意味が分からない。

「どういう、こと?」

達騎が小さく息を吐く。

「親父を殺し、その魂を取りこんだ時、鵺は言っていた。「『光』を手に入れた」「これで『常闇』ともおさらばだ」ってな。光っていうのが鵬鱗のことなら、つじつまが合う」

「まっ、まって!それって、草壁くんのお父さんが鵬鱗だってこと?」

途方もない話に、悠子は目が点になった。

「鵬鱗の生まれ変わりとかな。それなら、鵺が親父を欲しがっていた理由が分かる」

「なるほどな。そうなら、お前の治癒能力の高さにも納得がいく」

精霊王の声が背後から響く。振り向けば、精霊王が腕を組み、立っていた。

「盗み聞きかよ」

達騎が嫌そうに眉を寄せる。

「聞こえただけだ。それにしても、お前はあまり驚かないのだな」

達騎が何をいまさらと言うように、肩をすくめた。

「ガキの頃から、怪我の治りが異常に早いことは分かってた。何かが影響しているんだろうくらいは思ってたさ。それが、今、分かっただけだ。俺が俺であることに変わりはない」

「まぁ、確かにそうだが」

精霊王が納得するように頷く。

「・・・・・」

それでももう少し驚いてもいいと思うのだが。二人のやり取りを見ながら、悠子は思った。


 話は終わった、というかのように、達騎は、槍を持ったまま、入り口へと向かってくる。そこに佇む悠子を避け、囲いから出ようとした。それを悠子は止めた。

「待って、どこに行くの?」

達騎が悠子を見る。

「ここを出る」

「鵺を探すの?」

「そうだ」

見下ろす達騎の目は、邪魔をするなと言っていた。

しかし、ここで怯めば追いかけてきた意味がない。悠子は、ぐっと、唇を引き結んでから、口を開いた。

「ご飯も食べずに?少し食べてからの方がいいんじゃない?」

悠子は、達騎の腕を取り、テーブルへと引っ張った。

「葉扇さんが用意してくれた果物があるよ。私の買ったサンドイッチもあるけど、どう?」

眉を顰める達騎をテーブルへ誘う。

「いらねぇよ」

パシッと音をたてて、悠子の手が振り払われた。

「これは俺の問題だ。お前には関係ない」

その声に温度はなく、悠子を見下ろす目は鋭い光を放っていた。

屋上で、「とめる」と言った時、達騎は「勝手にしろ」と言った。だが、今、「関係ない」と突っぱね、遠ざけようとしている。

「・・・関係ない。確かに関係ないかもしれない。でも、友達が人を殺そうとしているなんて知ったら、黙ってみてるわけにいかないよ」

達騎は、何も言わない。

「ねぇ、草壁くん。世の中には、理不尽な事がたくさんあるよ。不慮の事故や、理由もなく誰かに殺される人だっている。それでも、事故に会った人や被害者の家族は、悲しみや憎しみに耐えて、前を向いて生きているんだよ。草壁くんだって、できないわけない!」

反応のない達騎に、悠子は、必死に言葉を募らせた。

「鵺を殺してどうするの?取り戻したい人は帰ってこない。残るのは、人を殺した事実と血に濡れた手だけ。草壁くんのお父さんだって、鵺の命を奪ってほしいなんて思ってないよ!今ならまだ間に合う。一緒に帰ろう!」

しかし、達騎の口から漏れたのは、低く押し殺した声だった。

「お前に何がわかる・・・」

眦を吊り上げ、達騎は叫んだ。

「あいつのせいで、お袋は親父を失った!あいつさえいなければ、今でも三人一緒に暮らしてたんだ!もし、お袋が復讐したいと言ったら、今と同じ言葉をお前は言えるのか!?」

みちるを引き合いに出す達騎に、悠子は厳しい眼差しを向けた。

達騎は忘れている。失ったのは、父親だけではない。

「ごまかさないで!みちるさんを引き合いに出したって、鵺を殺していい理由にならない!それに、みちるさんが失ったのは、お父さんだけじゃない。あなたもだよ!」

悠子は叩きつけるように言い放った。

「あなたは、自分自身を消した。みちるさんは旦那さんだけじゃなく、息子のあなたも失ったの!直ちゃんや楓ちゃん、早瀬くんや堯村くん、青木先生、陽燕さんと沙矢さん、はやてさん、瑠璃さん。みんな、そう!あなたは、自分を殺したの!復讐のためだけに!」

悠子は、達騎を睨むように見た。

「でも、あなたが『草壁達騎』を捨てても、私が何度でも拾う!何度でも拾って、追いかける!捨てたりなんかさせない!」

一息に言い放った悠子は、さらに言葉を続けた。

「私は諦めない!どんなことを言われようと、あなたを追いかける!鵺を殺させたりなんかさせない!」

達騎を見つめながら、悠子は決意を込めて叫ぶ。

「・・・・・」

まるで見定めるかのような達騎の冷たい眼差しが、悠子を射抜いた。

「言いたい事はそれだけか」

「うん!」

悠子は勢いよく頷いた。

しばらくして、達騎は、はぁっと疲れたように息を吐き、目を閉じた。

「・・・まったく、しょうがねぇなぁ」

瞼を開け、口を開いた達騎の顔に苦笑が浮かぶ。そして、悠子を見た。

「わかった。俺の負けだよ」

諦めたように呟く達騎に、悠子は驚いた。

「・・・え?」

さっきまでのそっけなさ、冷たさが嘘のようで、悠子は思わず戸惑い気味に達騎を見た。そんな悠子を気にする風もなく、達騎は言葉を続ける。

「・・・俺は、親父を救うことができなかった自分が許せなかった。たかが、十一のガキが巫子の力をもっていたってどうにかできたかわからない。それでも、どうにかできたんじゃないか。そう思う自分がいた。それと同時に、親父の未来を、続くはずだった日常を壊した鵺が許せなかった。あいつに刃を向けたって、親父が帰ってくるわけでも、三人一緒だった日常が戻ってくるわけでもない。わかっていた。・・・わかっていたが、どうしても許せなかった・・・」

 達騎は、顔を俯かせ、槍をもっていない方の手で拳を作り、力を込めた。

「草壁くん・・・」

言葉の端々に、達騎の憎しみ、後悔、やるせなさが垣間見え、悠子は何も言えなかった。

しかし、次に顔を上げた達騎の表情は、吹っ切れたかのような清々しいものになっていた。

「さっきは悪かった。ありがとうな。来てくれて。一緒に帰ろうって言ってくれて嬉しかった」

柔らかな口調で、口元にうっすらと笑みを浮かべながら、悠子を見る。

 嬉しい言葉のはずなのに、悠子は奇妙な違和感を覚えた。

そして、気づいた。口元は笑みの形なのに、達騎の目は笑っていなかったのだ。

だが、悠子がそれに気付いた時には遅かった。

「・・・それでも、俺は諦めるわけにはいかない!!」

その言葉を放った直後、光の弾丸が達騎の手から放たれ、明かりとなっている、五つの青白い炎を吹き消した。

辺りが一斉に暗くなる。

「草壁く・・・!」

何も見えず、手を伸ばしながら、達騎を呼んだ次の瞬間、鳩尾に鋭い衝撃が叩き込まれ、悠子は意識を失った。


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