表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/302

第四幕 親子

灰色のコンテナに囲まれ、裸電球の明かりに包まれた倉庫に、珀、鈴、幻蔵はいた。

鈴は両手を握りしめ、三つの目を虚空に向けていたが、やがて安堵のこもった息を吐いた。

そして、後方のコンテナに背を預け、腕を組みながら瞼を閉じている珀に告げた。

「・・・朱里達が戻ってくるわ」

鈴の言葉に珀は瞼を見開いた。

「そうか」

珀は、組んでいた腕を戻し、コンテナから離れると、パイプ椅子に座る幻蔵とその隣に立つ鈴の元へ歩き出した。

二人の元へ辿りついた直後、空間に黒い切れ目が走った。切れ目はぱっくりと開き、人一人が入れるほどの黒い空間が姿を現した。

そこから出てきたのは、達騎を抱えた仁と、左肩のシャツがぼろぼろに千切れた恭輔、そして朱里だった。

珀は、仁が抱えた達騎をちらりと見てから、満面の笑みを浮かべた。

「よくやってくれたね、京。いや、今は恭輔か」

「言ってくれるぜ。最初からこいつと京を戦わせる気だったんだろ?子供を見張れって言いながら、そいつらを眠らせて、その扉に鍵つけて紋術まで仕込んだんだ。見張りはいらないっていってるようなもんだった。京はそこまで頭は回らないし、俺も用意周到だなくらいにしか思わなかったが」

唇を尖らせる恭輔に、珀は肩をすくめてみせた。

「まぁ、京が見張りを快く引き受けてくれるわけがないからね。ぼくの目を盗んで放りだすだろうと思ったよ。それに草壁達騎の性格を考えれば、ここに辿りつくのは明白だった。ま、ぼくの想像では五分五分だったけどね」

「そうかよ」

五分五分と言いながら、確信した物言いをする珀に、こいつだけは敵に回したくないなと思う恭輔だった。

「さぁ、準備は整った。鈿女うずめ巫子みこ殿を起こしに行こうか」

嬉々とした表情を浮かべ、珀は幻蔵、鈴、朱里、恭輔、仁を順々に見る。

皆、一様に心得たという風に頷いた。







――――でたまるか!!

のっぺりとした墨色の闇のなかで、悠子は誰かが叫ぶ声を聞いた気がした。

聞き間違いかと思い、耳を澄ませると、今度ははっきりと聞こえてきた。

(こんなところで、死んでたまるか―――!!)

それは、達騎の声だった。

(草壁くん!?)

達騎の声に驚き、顔を声のした方へ向ける。すると、闇のなかに一陣の光が射し、悠子の目の前がさぁっと開けた。

悠子の目に映ったのは、右腕を不自然に曲げ、顔も服も傷だらけの達騎が、今にも機械の群れに落ちそうになっている光景だった。

悠子は、一瞬驚いたが、状況を把握し、達騎の左腕を掴んで「繭籠封糸けんろうふうしさん」を唱えた。

召喚した繭玉に達騎を降ろす。すると、上空から、顔にヒビのような痣をもった男が滑空し、刃のような風をいくつも振りおろしてきた。

達騎の氣、―普段感じられる、山から吹く夏の風に似た力強く澄んだ氣ではなく、今にも消えてしまいそうな弱弱しいもの―に気づき、悠子は達騎の前に躍り出ると、「八重白蓮やえはくれん」を繰り出した。

風の刃を全て弾いた悠子だったが、急に力が抜け、座り込んでしまった。

立ち上がろうとするも、うまく力が入らない。男は目の前まで迫ってくる。このままでは達騎があぶないと思った瞬間、悠子の視界はぐらりと揺れ、目の前が真っ暗になった。


再び闇に沈んだ悠子だったが、しばらくして、薄ぼんやりとした白い光を感じ取った。

瞼を開ければ、それは、意識を失くす寸前にも見た裸電球の明かりだった。

眩しさに目を細め、瞬きを繰り返しながら、悠子は先ほどまで見ていた映像を思い返していた。

(――あれは、夢?)

けれど、縛られた悠子の手には達騎の腕を掴んだ感触がはっきりと残っていた。同時に、激しい虚脱感とだるさとともに、術を使った時に感じる体の芯の熱さが悠子のなかにあった。意識を失い、気づかない内に幽体離脱をしていたらしい。

(夢、じゃない。草壁くんがここに来てる・・・)

達騎がどうしてここにいるのか、あの怪我と氣の状態で大丈夫なのか、襲いかかってきた男はどうなったなかなど様々な思いが悠子の頭をよぎる。

「――ちゃん!お姉ちゃん!」

思考の渦に取り込まれそうになった時、肩を揺さぶられ、健太が声をかけてきた。

顔を向ければ、健太が申し訳なさそうに悠子を見た。

「お、起こしてごめんなさい。でも、あそこから変な音が聞こえるんだ。・・・あいつらかもしれない」

健太が、手錠で拘束された左手で目の前にある壁を指さす。耳を澄ませてみると、何かを焼き切るようなジリジリという音が聞こえてくる。

やがて、その壁に赤い線が現れ、四角い形に大きく切り取られていった。

そして、ズズズと重い物を引きずるような音をたて、壁が大きくめくられ、床にまで達した。

その向こうから壁を切り取った人物が現れるかと思いきや、めくられたその空間には誰もいなかった。しかし、声だけははっきりと響いた。

「悠子、俺だ。颯だ。助けに来た」

聞き慣れた声とその気配―大樹のようにがっしりとした落ち着いた氣―を感じ取った悠子は声を上げた。

「・・・颯さん!」

「大丈夫とはいえなさそうだな。待ってろ。今、そっちに行く」

姿は見えないが、足音とともに颯の氣が悠子達に近づいてくるのが分かる。隠し紙で姿を消しているのだろう。

「お姉ちゃん・・・」

不安そうにこちらを見てくる健太に、悠子は安心させるように微笑んだ。

「大丈夫。颯さんは、霊威りょういなの。姿は、見えないけど、私の、知り合いだから。安心、して」

「・・・う、うん」

健太がおずおずと頷いた。それでもやはり不安なのだろう。体を硬くし、悠子の方に体を寄せている。

「まず、この鎖を外そう。少し震動がくるかもしれないが、耐えてくれ」

颯はそう言い、言霊を唱えた。

火花切回かかせっかい

すると、空中に小さな火の輪が現れ、くるくると回りながら鎖に食い込んでいき、鎖を切っていった。鎖は、健太が繋がれている手錠から5センチほどの長さになり、健太の左手はひとまず自由に動かせるようになった。

「俺のこの図体では、手錠は外せない。悪いが、それで我慢してくれ」

「う、ううん。平気だよ。ありがとう」

颯が申し訳なさそうに言う。姿の見えない相手に戸惑いながらも、健太は礼を言った。

「お姉ちゃん、その紐、取っちゃうね」

「左手だけで、大丈夫?」

「大丈夫だよ。ちょっと待ってて」

そう言うと、健太は、腕を交差させ、左手で悠子の手首を縛っている麻の紐に手をかけた。

「・・・うわ、結び目が硬くて解けない」

うんうんうなりながら、健太は麻の紐と格闘する。

「お前、右手はどうした?使えないのか?」

悠子の肩に置かれたままの健太の右手に気づいたのか、颯が聞いてきた。

それに悠子が答える。

「今、私の肩と、健太くんの手が紋術でくっついてしまっているんです。私を、ここに連れてきた人は、健太くんの妖力を、私に流して動けないようにしたかったようです」

「妖力を?あやかしなら、たいていは自分の妖力をコントロールできるはずだが・・・」

不思議そうに問う颯に悠子が言った。

「健太くんは、ヒダル神の、子供なんです」

「・・・なるほどな」

ヒダル神と聞いて、颯が神妙に頷く気配がした。

「あの、颯さん、この紋術が、解けますか?不動の紋、なんですけど」

虚脱感とだるさ、吐き気と戦いながら、悠子は颯に聞いた。

颯の気配が悠子の方に向くのを感じる。一瞬の沈黙の後、颯は言った。その声はくやしさに滲んでいた。

「・・・すまん。紋術はかけた術者にしか解くことができない。俺では無理だ」

「・・・そう、ですか」

若干、予想はしていた。仕方がない。この最悪の状態を維持しながら、動くしかなさそうだ。

悠子が決意を固めていると、紐と奮闘していた健太が、大きく息を吐いた。

「だめだ。全然解けないよ」

悔しそうに眉を寄せる健太に悠子は言った。

「健太くん、少し、離れて。私が言霊で紐を切っちゃう、から」

悠子は『断ち風』で紐を切ろうと考えた。紐を切るだけなら少しの力で足りる。

だが、それを颯が制した。

「無理をするな。話すもの辛いはずだ。これ以上、悪化させないほうがいい」

すると、颯は健太に話しかけた。

「お前、名前は?」

「え、け、健太」

健太が名乗ると、颯は言った。

「そうか。健太。今、俺は隠し紙で姿を見えなくしているが、実際の姿は犬だ。俺の牙なら麻の紐を切ることができるかもしれない」

「ほんと!?」

「あぁ。だが、まずは隠し紙を取ってもらわなきゃならない。俺の首には首飾りがあってな。そこに隠し紙を挟んである。取れるか?」

「ちょっと待って」

健太は、紐から手を離し、颯がいるだと思われる場所へ手を伸ばす。すると、ごわごわとした毛並みを感じることができた。

「もう少し上だ」

颯の指示通りに手を動かすと、今度は滑らかでつるつるとした感触に当たった。丸い玉がいくつも連なっている。

「そのまま右側に手を動かしてみろ」

すると、その玉を巻き込むようにして、紙のようなものが縛りつけてあるのが分かった。

「あった!」

「破かないように取れるか?」

「やってみる・・・!」

左手だけで結び目をほどくのに手間がかかったが、どうにか破ることなく、隠し紙を取ることができた。隠し紙を手にした健太は、目の前に大きな白い犬がいることに気づいた。

南天の実のような赤い瞳が健太に注がれている。

「颯・・さん?」

「健太、紐をできるだけ引っ張って、俺の歯に当ててくれ。引きちぎる」

「うん」

健太は隠し紙をズボンのポケットに入れ、左手を交差させると、麻の紐を引っ張った。颯は悠子のそばに回り込み、口を開け、紐に歯を当て、後方に下がった。

ぷつり、と音をたて、紐が切れる。足の紐も同様に健太が引っ張り、颯が引きちぎった。

両手足が自由になり、悠子は体を起こすことができた。だが、健太との身長差があるため、立ち上がることは無理だった。

それを見てとった颯が体を伏せると、二人に言った。

「よし、不自由だろうが、二人とも俺の背に乗れ。ここを出て、安全な場所に避難する。その紋術は、達騎と俺が誘拐犯を締めあげて必ず解く」

颯の言葉に、悠子は達騎がいることを確信する。だが、幽体で見たあの光景が悠子の頭にちらつく。達騎のことだから簡単にやられたりはしないと思うが、不安は拭えない。しかし、自身は紋術のせいで術を引き出すもの難しい状態だ。幽体の時は、肉体を介していなかったため、術を発動できたが、この虚脱感とだるさ、吐き気のなかでうまく霊力を練れるかどうかは分からない。

加勢したくても、下手をすれば足手まといになりかねない。ここは、颯の言うとおり避難して、保妖課に通報することが最善だろう。

「・・・分かり、ました。それなら、花野警察署まで、向かってくれますか?この事を、保妖課に伝えます」

「そうだな。達騎が聖川という刑事に電話をしていたが、はっきりとした証拠もない事件に動いてくれているかどうかはわからないし、当事者のお前が伝えたほうがより明確になるだろう。頼む。達騎は一人でいいと啖呵を切っていたが、どうも不安でな」

「はい」

悠子は頷く。そして、健太の方を向いて言った。

「健太くん、先に、乗って。私は、後から乗る、わ」

「うん、わかった」

健太は、しゃがみ込んだ颯の体に左手を伸ばした。その時だった。

「それは、困るな」

突如、聞き慣れない若い男の声が響いた。

颯が勢いよく立ちあがって振り返り、「大火・・!」と言霊を唱えようとした刹那、その体に青白い閃光が走った。

「ぐわぁっ!」

颯が悲鳴を上げる。

「颯さん!」

悠子は叫び、健太は息を呑んだ。

しばらくして閃光は収まったが、颯の体はぶすぶすと煙を上げ、床に倒れ伏した。

「颯さん!」

悠子は再度颯を呼ぶが、応えはない。颯の首筋に触れれば、正常に脈が打っているのが分かった。悠子は、ほっと息を吐く。

視線を颯の体に走らせれば、細長い紙が貼りついているのが目に映った。その紙には、青色で模様とも文字ともとれるものが描かれていた。

―紋術。

悠子は、はっと息を呑んだ。

「無駄だよ。青雷陣せいらいじんはライオンすら気絶させる強力な電撃だ。目を覚ましても、しばらくは痺れて動くことすらできないだろうね」

悠子は声のしたほうに顔を向け、健太を自分のほうに引き寄せてから、悠々と颯に掛けた術を説明する銀髪の男を睨みつけた。

その男の背後には、白髪の老人、三つ目の女、ポニーテールの女、顔にヒビのような痣を持った男、赤茶色の髪の男がいた。

痣の男を見た悠子は体を強張らせ、赤茶色の髪の男に背負われた達騎を見て、悲鳴のような声を上げた。

「草壁くん!」

「死んではいないよ。大事な材料だからね」

「材料?」

不穏な言葉に悠子の眉が寄る。

「『蘇生術』さ。君も名前くらい知っているだろう?」

「・・・っ!」

『蘇生術』。父、拓人から聞いたことがある。戦時中に使われた禁断の術だ。その術が書かれた書物は、鈿女うずめ巫子みこの本家である鈴原家と、猿田彦の巫子の本家である草壁家に封印されていると言われている。どこに封印されているかは本家の当主しか知らない。

悠子は、銀髪の男をじっと見つめる。

部外者が知るはずのない「蘇生術」を扱うことができるこの男は一体何者なのか。

「さて・・・」

すると、銀髪の男は歯で自分の親指を噛み切り、悠子と健太に近づいた。

健太を守ろうと後づさる悠子に男は言った。

「警戒しなくていい。術を解くだけさ」

そして、親指から流れる血を健太の手の上に垂らした。

「解」

男がそう呟いた瞬間、健太の手が悠子の肩から外れた。

なぜ、男がこんなことをするのか分からず、悠子は健太の腕を掴み、再び背後にかばった。

「自己紹介がまだだったね。ぼくは、珀。君は知っていると思うけど、蘇生術には七人の精気が必要でね。君らが死んでもらっては困るんだ。協力してくれるかい?」

穏やかな声音だが、有無を言わせない雰囲気を漂わせ、珀は言った。

「・・・嫌だと言ったら、どうしますか?」

「断ってどうするの?頼みの綱のこの犬も、草壁達騎もぼくらの手の内にいる。それに術を解いたとはいえ、君はヒダル神の能力で話すのもやっとの状態だ。そんな君が僕らを相手にして、二人と一匹を助け出すっていうのかい?」

「・・・・・」

珀の言う通り、悠子の今の状態では何もできない。健太から話を聞いているとはいえ、六人の能力がその通りとは限らない。それに、たとえ力を発動できたとしても六人対一人では分が悪い。彼らが達騎、健太、颯を殺すと脅せば、悠子が打つ手はなくなってしまう。

「分かりました・・・」

悠子は頷いた。だが、諦めるつもりはない。どうにかして脱出する方法を考えるのだ。

悠子の言葉に満足したのか、珀はにこりと笑う。

「よかった。じゃぁ、行こうか。朱里、空間を」

珀が朱里―ポニーテールの女に指示を出すと、女は頷き、黒い空間を宙に出現させた。

白髪の老人、三つ目の女、顔にヒビのような痣を持った男、達騎を背負った赤茶色の髪の男の順にその空間に入っていく。

「さぁ、どうぞ」

珀が右腕を広げ、悠子と健太を先に行くように促す。

「・・・行きましょう」

健太の肩に触れ、悠子は黒い空間へと歩き出す。颯の横を通り過ぎる時、一瞬、その顔を見たが、颯の瞼は閉じられたままだった。

黒い空間へ足を踏み入れた悠子は、健太と共に男達の後についていく。

光すら見えない闇のはずなのに、前を行く男達の姿ははっきりと見ることができる不思議な空間だった。しばらくして、前方にぽつんと光が見え、点のようだったそれは徐々に大きくなっていった。

空間を抜けると、そこは窓もなく、周囲をコンクリートの壁で覆われた部屋だった。天井に電球が下がっておらず、薄緑色の光が部屋全体を包んでいる。

その光の正体は、部屋全体に描かれた魔法陣だった。唐草の文様やかな文字を崩したものが円形状に広がっており、それが発光し、部屋を照らしているのだ。

そして、その魔法陣の上に四人の子供たちが倒れていた。小学生くらいだろうか。男の子と女の子が二人ずついた。色までは分からないが、おそろいの制服―男の子はズボン、女の子はスカートの違いはあるが―を着ている。悠子が氣を探ると、安定した氣の流れを感じることができた。どうやら眠らされているらしい。

魔法陣の中央には、木箱が置かれ、それはちょうど健太と同じくらいの大きさがあった。

「二人はその魔法陣の上へ。仁、草壁達騎をここへ」

悠子は健太を伴い、魔法陣の上に立った。同時に赤茶色の髪の男―仁が達騎を魔法陣の上に放り投げた。

意識が深く潜っているのだろう。達騎はうめき声ひとつ上げなかった。

悠子は急いで達騎のそばに寄り、右腕を動かさないようにして達騎の体を抱き起こした。

「草壁くん!」

声をかけたが、反応はない。

達騎の頬には乾いた血がこびりつき、瞳は固く閉ざされていた。光のせいで顔色までは分からないが、額に触れてみれば氷のように冷たい。しかし、体は熱を持ったように熱かった。氣は幽体で出会った時同様弱々しい。悠子は表情を曇らせた。―このままでは危ない。

「お兄ちゃん、大丈夫?」

健太が心配そうに達騎を見る。こんな状況で他人ひとを思いやれる健太に、悠子は胸の奥が暖かくなった。悠子は健太を心配させないよう笑みを作った。

「大丈夫よ。気絶しているだけだから」

「そっか。よかった」

悠子の笑みに、健太はほっとしたように笑った。

すると、おもむろに珀が話しかけてきた。

「では、君に「行氣渡ゆきと」を行ってもらおうか。今の草壁達騎の氣はひどく弱い。その状態だと材料として足りないかもしれないからね」

「蘇生術を行うと分かっていて、私がやると思っているんですか?」

悠子は鋭い眼差しを珀に向ける。珀は鷹揚に笑った。

「あぁ、やるよ。草壁達騎の状態は君が一番分かっている。そして、君はそれを見過すことができない」

確信を込めて言葉を紡ぐ珀に、悠子は唇を噛んだ。

「まぁ、別にかまわないよ。君がやらなければ、草壁達騎の命がここで終わるだけだ。こちらは痛くもかゆくもない。草壁達騎の代わりに、あの犬を材料にすることだってできるからね。人間だろうと妖だろうと精気は精気だ」

珀の言葉に、悠子は左手を強く握り締める。そして、達騎を見た。

―草壁くんを死なせるわけにはいかない。

悠子は右腕で達騎の体を支えると、左の掌を床に当てた。

ひんやりとしたコンクリートの床の更に下、大地の氣を感じ取った悠子は、自分の左手から右手へ、その右手から達騎の肩へ氣が流れるようにイメージする。

自然の氣を他者に渡し、体力と霊力を回復させる「行氣渡ゆきと」と呼ばれる術だ。

「うっ…」

しばらくして、達騎の睫が震え、瞼が開いた。

「草壁くん!」

悠子が声をかけると、達騎が反応した。

「…すず、はら」

達騎は瞬きを繰り返してから、小さく息を吐いた。

そして、右手をついて自分で体を支えようとする。肩を掴み、支えるのを手伝おうとする悠子だが、それを達騎は制し、右手で体を支えてから、足を組み、あぐらをかいた。

「やぁ、草壁達騎。気分はどうだい?」

「最悪だ」

「そうか。最悪なところ悪いが、君らには彼を動かす糧になってもらうよ」

珀は口元に薄く笑みを浮かべながら、言霊を叫んだ。

「糸々重沈ししじゅうちん!」

次の瞬間、見えない何かに上から押し付けられるような感覚を悠子は感じた。その圧力は凄まじいほどで、息をするのも辛いほどだった。あっという間に体は沈み、起き上がることすらできなくなった。目だけを動かすと、達騎も健太も同じように倒れていた。

「う、りゃぁっ!」

達騎が声を上げ、体を起こそうとしていたが、圧力に耐え切れず、すぐに突っ伏してしまう。

「無理をしないほうがいい。下手をすると背骨が折れるよ」

「こ、のドS野郎。死んだら、真っ先に、ぶん殴って、やる!」

圧力に耐えながら、達騎は、珀に向けて途切れ途切れに言葉を叩きつけた。悠子に背を向けていたためその表情は見えないが、その声には、怒りがありありと感じ取れた。

「それは光栄だ」

達騎の言葉に感じ入ることなく、さらりと返した珀は、おもむろに指をパチンと鳴らした。

すると、中央に置かれた木箱の蓋が開いた。

その中には、七、八歳くらいの少年が入っていた。目を閉じ、眠っているように見えるが、肌は青白く、精気が感じられない。

「珀、どういうことだ!?あれは晴彦じゃない!誰なんだ?あの傀儡は!?」

その時、赤茶色の髪の男―仁が声を上げた。目を吊り上げ、怒りの表情で珀に詰め寄る。

「晴彦を蘇らせると言ったのはお前だ!騙したのか!」

「・・・少し黙ってくれないか」

怒鳴る仁に眉を寄せた珀は、腰に下げたポシェットから一枚の紙を取り出し、仁に投げつけた。

「ぐぁっ!」

赤い電撃が走ったかと思うと、仁は膝から崩れ落ちた。

「仁!」

痣の男が仁の名を呼び、駆け寄る。三つ目の女と朱里も痣の男に続いた。

「仁さん、大丈夫ですか?」

三つ目の女が前のめりに倒れそうになった仁の肩を掴む。

「大丈夫だ、鈴。少し痺れただけだ」

「体全体が震えてるわよ、少しなんてものじゃないんじゃない?」

何でもないという風に首を振る仁を、鋭く朱里が制す。しかし、その瞳には仁を気遣う色が見えた。

「珀、何考えてるんだよ!」

痣の男が仁を庇うように前に立ち、珀を見据えた。

「恭輔、傀儡の分際でぼくに盾突く気か?」

珀は、痣の男―恭輔を見下すように見た。

「・・・てめぇ!うぁっ!」

その言葉に顔色を変えた恭輔だが、珀に紙を投げつけられ、電撃の洗礼を受けてしまう。間髪いれず、三つ目の女―鈴や朱里にも紙が貼られ、悲鳴を上げた。

「きゃぁっ!」

「くっ!」

体が痺れ、座り込む四人に、珀はさらに言霊を唱えた。

蔓条縛まんじょうばく

すると、地中から蔓が現れ、彼らを縛り上げた。

「死なせはしないよ。君たちはこの誘拐を計画し、禁断の蘇生術を行った者として、警察に行ってもらうんだからね」

「お前、最初からそのつもりで・・・!」

恭輔は、珀を睨みつける。

「その通りさ。ぼくは晴彦を蘇生させるつもりなんてない。あそこにいる傀儡は・・・」

「そこまでだ。珀」

その時、しゃがれた声が部屋に木霊した。

そして、ピッと何かが空気を裂くような音がしたかと思うと、珀の服に紋様が描かれた紙が張り付けられていた。

「え?」

呆けたような声を上げた珀だが、次の瞬間、赤い電撃がその体に走る。それは、仁、恭輔、鈴、朱里に珀が与えた術と同じものだった。

「いっ・・・!」

体を大きく震わせ、珀は片膝をつく。目を大きく見開き、驚愕の表情で紙を張り付けた人物を見つめた。

「幻蔵、なんで・・・」

珀の視線の先にいたのは、この場所に来てから一度も口を開かなかった老人―幻蔵だった。

「よくやってくれた。後はわしがやろう」

幻蔵は、着物の袂から何かを取り出すと、珀達に向けてそれを放った。同時に悠子達にもそれは放たれる。


悠子は額に鋭い痛みを感じた。と思うと、またたく間にその痛みはなくなった。

珀達のほうを見やれば、五人とも不思議そうな顔をしている。

「てめぇ、何、しやがった?」

達騎が今にも噛みつきそうな気配を漂わせながら、幻蔵に問う。すると、幻蔵は驚いたように軽く目を見開いた。

「息をするのも辛いはずだが。さすが猿田彦の巫子といったところか。なに、死んで自縛霊にでもなって祟られては困るからな。みんな仲良く根之堅洲国ねのかたすくにに行ってもらおうと、王桃泉おうとうせんの種をつけたのだ」

その名を聞き、悠子は耳を疑った。

王桃泉は、現世と根之堅洲国の間にある黄泉比良坂よもつひらさかに生えている桃の木の名だ。根之堅洲国に落ちた荒御魂あらみたまが現世に現れないよう結界を張り、現世を守っている。この木に実る桃にも霊力があり、食べれば現世に戻ることができない。

生きた人間が黄泉比良坂に行き、王桃泉を取ってくるなど、悠子は聞いたことがなかった。

「お前、一体、何者だ!?」

達騎が悠子の心の内を代弁するかのように、幻蔵に問いかけた。

「ただの傀儡師であり、人間だよ」

達騎を冷めた眼差しで見降ろしながら、幻蔵は言った。それは、嘘ではなさそうだが、本当のことを言っているわけでもなさそうだった。

幻蔵は、茫然とする五人のほうへ顔を向ける。

「礼を言おう。これで秀人ひでとを蘇らせることができる」

「秀人?」

眉をしかめ、仁が呟く。

「わしの息子だ。八つの時に戦争で死んだ」

「その子を蘇らせるために、私達を利用したのね。珀を隠れ蓑にして」

「蘇生術を見たいと言ったのは、朱里、お前だろう。良かったじゃないか。死ぬ直前まで見ることができるのだから。論文に発表はできないがな。鈴、もうこれで寂しくはないぞ。最期どころか、死んでもこいつらといられるんだからな。恭輔、お前もそうだ。半年の命が今に早まっただけのことだ。仁、お前には酷な事をしたが、まぁ、来世で息子に会うのを楽しみにするんだな」

朱里、恭輔、仁は幻蔵を睨みつけ、鈴は恐怖のためか顔を青ざめさせる。珀は、顔を俯かせたまま動かなかった。

「この人達も、精気の材料に、する、つもりなの?」

幻蔵の言葉は、仲間の命を奪うと宣言するものだった。悠子の問いに幻蔵は言った。

「そのつもりだ。こんな大人数を使ったことはないがな」

「はっ、多すぎて、失敗するかもしれないぞ。何事にも、限度ってもんが、ある」

達騎が笑みを含んだ口調で呟いた。

「それはやってみなきゃわからんさ。・・・・風飛かひ

幻蔵が五人を人差指で差し、彼らを宙に浮かばせると、魔法陣の中へと誘った。

重力が彼らを襲い、仁、恭輔、鈴、朱里、珀は呻いた。

幻蔵は魔法陣にいる皆を見回してから、中央の木箱に目をやった。

「秀人、もうすぐだ。もうすぐ会える」

そして、幻蔵は右手を魔法陣に向けた。

「やめて・・・!お願い!」

(このままでは皆が死んでしまう!)

悠子は精いっぱいの力で、幻蔵に叫んだ。しかし、幻蔵が動きを止めることはなかった。

『一の比売ひめ祈紗きさ、二の比売、つむぎ、医を司り、生と死を繋ぐ女神よ。我が願いを聞き、ここに姿を現したまえ』

幻蔵が言霊を唱えると、魔法陣の輝きが増していく。同時に、悠子達の頭上から二人の女性が姿を現した。

白い肌に長い黒髪。紫と赤の着物をまとった二人の女性は、両目を閉じている。

幻蔵が再び口を開いた。

『女神よ。我が息子、秀人を・・・』


ドガーンッ!!

幻蔵が願いを口にしようとしたその時、爆発が起きたような盛大な音が辺りに鳴り響いた。

「・・・げほっ、ごほっ」

その音の辺りから白い煙が上がり、悠子は思わず咳きこんだ。ふと、我に返ると、ついさっきまで感じていた重圧感が消えていることに気づいた。

「何が・・・」

起き上がりながら、煙が上がっているほうを見る。やがて、煙が消え、周囲が見えるようになった。

目をこらせば、壁を突き破ったような大きな穴が開いており、また、その壁の破片が魔法陣に突き刺さっていた。魔法陣から発されている光も若干薄れている。

悠子は、はっとし、辺りを見回した。

「健太くん!」

健太は悠子の真横にいた。床に体を横たえたまま目を閉じている。首元に手を当てると、脈もあり、温かい。手を当てた時に身じろぎをしたことから、どうやら気を失っているだけのようだ。悠子はほっと息をつき、自身の前方にいた達騎を探した。

「草壁くん!」

達騎は、すでに体を起こしていた。さっきの爆発で怪我などはしていないらしい。

「草壁くん、大丈夫?」

悠子が声をかけるが、反応はない。達騎は目を開き、驚いたような表情を浮かべ、何かを見つめていた。

悠子もその視線の先を見ると、幻蔵の前に一人の女性が立っていた。

革ジャンに黒いズボンを穿き、群青色の槍を持ったショートカットの女性で、鼻は冬でもないのに赤く染まり、そばかすがまるでシナモンパウダーのように頬の辺りで散らばっている。顔立ちが達騎によく似ていた。

「招待状通りきたわよ。まだパーティーは始まったばかりでしょう?」

穏やかな口調とは裏腹に、女性は瞳に強い光を宿していた。

その女性を見て、幻蔵が凶悪な顔で嗤った。

「・・・草壁みちる!!」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ