第二十一幕 幽離
砂浜の真ん中で、ゴールした生徒達と待機していた達騎は、海の方角から異様な気配を感じ、顔を上げた。見れば、歩も同じ方向を向いている。
「達騎っ!!」
そこへ悲鳴にも似た直の声が耳に飛び込んできた。
直は、髪を振り乱し、息を切らせながら、達騎の前に駆けこんだ。
「どうした?」
ただ事ではないと感じながら、訊ねると、焦りの表情で直は告げた。
「悠子が大変なの!」
その一言で悟った達騎は、風雲時雨を取り出す。
「鈴原がどうしたんだ?」
歩が直に声をかける。
「悠子が『逃げて』って言って、海の方に歩いて行ったの。そしたら、悠子の髪の毛が信じられないくらい伸びて。私が呼んでも反応しなかったの。おかしいって思って、急いでここに・・・」
「リバース先生!俺達が帰ってくるまで、生徒達を移動させないようにしてくれ!それから、堯村!俺と来い!加勢しろ!」
達騎は、直が言い終わらない内に、ゴール担当の愛美に告げ、そして、歩に叩きつけるように言った。歩の返事を聞くことなく、達騎は、走り出す。
「おいっ!」
歩が声を上げつつ、後を追ってくるのを感じながら、達騎は気配を感じた方向を目指し、足を動かした。
悠子が感じた氣の事が頭を過る。その正体が荒御魂であるなら、そして、悠子のブレスレットでも敵わないほどの力を持っていたのだとしたら。
最悪の状況を思い浮かべながら、達騎はその予想が外れていることを祈った。
波の音が耳に木霊する。その時、黒い何かが達騎の前をものすごい勢いで通り過ぎていった。
足を止め、それを見極めると、それは、何十本もの束になった長い長い髪の毛だった。髪の毛は、生き物のように縦横無尽に動き、達騎に襲いかかってくる。
「くっ!」
風雲時雨で断ち切ろうとするも、束になった髪が突進してくるのを押しとどめ、刃先を向けるのは簡単なことではなかった。
スピードにのり、重さを増した髪が、達騎に突っ込んでくる。
「飛雨咆哮!」
涼やかな声が達騎の鼓膜を叩き、髪の勢いが減少した。見れば、滝のように長かった髪は、達騎の腕ほどの長さに短くなっていた。
「無事か?」
声をかけられ、振り返れば、隼が霊威の紫遠を連れ、立っていた。
「あぁ」
達騎が答える。
『・・・ユルサナイ』
波の音に混じり、何重にも重なった女性の声が達騎の耳に入った。
その声の方に顔を向ければ、腰まで海に浸からせて、悠子が立っていた。その髪は恐ろしく長く伸び、それに隠れて顔が判然としない。
彼女の日だまりのような温かい氣は微塵も感じられず、ただ氷のように冷たく刺すような氣が悠子を取り巻いていた。
「鈴原、なのか?」
歩が目を見開いて、悠子を見る。それくらい、普段の悠子とは、かけ離れたものだった。
達騎は、大きく息を吸う。ここで焦ったり、冷静さを失えば、救えるものも救えない。達騎は、隼に顔を向け、聞いた。
「とり憑かれてるのか?」
「あぁ。それも一人や二人じゃない。声からして女性の、しかも相当恨みをもった霊だな」
達騎は小さく息を吐いた。
「・・・大人数じゃ、勾玉も役には立たなかったってことか」
「な、なぁ、冷静に分析してる場合なのか?」
歩がおずおずと言った。その顔には、早く助けなければいけないんじゃないのかと書かれていた。
「こっちまで、頭に血をのぼらせたら、あっちの思う壺だろ」
「堯村。俺はお前の師ではないが、焦ったら助けられるものも助けられなくなる。まずは、結界を張ろう。手伝え」
隼は、そういうと、懐から四枚の紋符を取り出し、空中に放りあげた。
紋符は、空中でピタリと止まり、悠子、達騎、隼、歩を囲む。その紋符から青い線が現れ、頭上は四角く形作られた。そして、青い線から、青白い透明な壁が現れた。
歩も同じように紋符を取り出し、隼も出した紋符の隣に並ぶように空中に放った。
同じように青い線が現れ、青白い透明な壁が現れる。
「よし。二重にした。想定外なことが起きない限りもつだろう」
「嫌なことを言わないでください」
不穏な物言いをする隼に、歩が眉を寄せた。
「青木。魔守の輪、外せ」
今の状態で悠子を助けようとしたら、間違いなく大怪我かあの世行きだ。
「・・・わかった」
隼もそれを分かっているのか、渋ることなく、頷いた。達騎の左手首に触れ、紋符を剥がす。そこには、赤く装飾された腕輪があった。
「青木隼の名において、魔守の輪を解除する」
すると、魔守の輪は真っ二つに割れ、砂浜に落ち、跡形もなく消えた。
達騎は、自身の体に氣が巡ってくるのが分かった。
『ユルサナイッ!!』
「来るぞ!」
歩の言葉に、顔を向ければ、悠子の髪がゆらりと動き、髪が三つに分かれた。
それは、同時に隼、達騎、歩に迫ってくる。
「紫遠!」
隼は、丸太のような髪の側面に移動すると、紫遠を呼んだ。隼の前に出た紫遠は、言霊を叫ぶ。
「飛雨咆哮!」
口の中から数百もの雨粒の弾丸が繰り出される。それは髪を直撃し、髪の毛を短く裁断した。
「桜香!執行形態・解!」
同じように髪の側面に移動した歩は、桜香を呼ぶ。現れた桜香は言霊を叫んだ。
「光針波!」
桜香の頭上に、針の形状をし、丸太ほどの太さと長さをもった黄色の光線が現れ、髪を切り刻んだ。
風雲時雨をしまった達騎は、迫ってくる髪を紙一重で避け、姿勢を低くし、悠子の元へ駆けた。
右手に氣を集中させる。耳元からは、髪が達騎の後を追いかけ、空気を切り裂く音が入ってくる。
滑るように悠子の前に躍り出た達騎は、氣を込めた手を、悠子の胸元に力を込めて叩きつけた。
胸元―厳密にいえば、心臓―は、人間にとってもとり憑く霊にとっても急所だ。とり憑いた人間に氣を込めた一撃を叩きつければ、たいてい、霊は離れていく。
それを期待したのだが。
「がはっ!!」
背中から何キロもの荷物を押しつけられたような重さがかかり、達騎は、砂浜に突っ伏した。息が上手くできない。
「ふっ、風雲時雨っ、解放!!」
達騎が一息に槍を呼ぶ。風雲時雨は、達騎のポケットから現れると、形状を大きく変化させ、達騎の背を押しつぶす髪を切った。
息を荒げながら、達騎は立ちあがり、風雲時雨が髪と応戦している中を潜り抜け、隼と歩がいる後ろに下がった。
「どうだ?」
隼が問う。
「だめだ。離れる気配すらしねえ」
「どうする?消耗戦に持ち込むか?」
歩の言葉に隼が首を振る。
「いや、それだと時間がかかり過ぎる」
達騎が呟いた。
「やっぱ、中に入るしかねえか」
「なか?って、まさか!」
達騎の言葉に首を傾げた歩だが、その意味を理解して、目を大きく見開いた。
「堯村。俺の体、頼むぞ」
「わ、わかった」
歩は神妙な顔で頷いた。
達騎は、悠子と向かい合うと、深く息を吸い、言霊を口にのせた。
「幽離」
その瞬間、達騎の体は崩れ落ちた。しかし、その魂はまっすぐ悠子へ向かい、悠子の中へ入っていった。




