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第百九十一幕 佐保

「――だったらしいわよ」

「え、信じられません」

「本当なのか?」

「そうだとするなら、女の敵ね・・・」

「どこにでも最低な奴はいるもんだ」

楽し気、というよりは、千鳥と(あい)達はどこか不穏な空気を醸し出しながら話をしていた。

邪魔をするようで気が引けるが、そうもいっていられない。

「楽しんでいるところ悪いが、ちょっといいか?」

小屋の戸を開け、雷が口火を切った。

開いた戸の隙間に加具土が視線を向ければ、行灯の周りを囲みながら五人が座り、振り向き、あるいは顔を雷に向けていた。

「あぁ、掃除は終わったのかい?」

「はい」

千鳥の言葉に加具土が返事を返した。

「ありがとう。ご苦労だったね、二人とも。・・・(あい)鶺鴒(せきれい)、つらら、(まゆ)。おしゃべりは終わりだ。今度は小屋の掃除の仕方を教わってもらうよ。説明はそこの男の先生がしてくれる。次の診察は蝉丸、お前だよ」

加具土と雷に労いの言葉をかけ、四人の女性たちに診察の終わりを告げると、千鳥は蝉丸に声をかけた。

「へいへい」

おざなりの返事をしながら、蝉丸が草履を脱ぎ、土間から畳の上へ上がった。

「あ、蝉丸さん。手伝ってありがとうございました!」

掃除の礼を言っていなかったことに気づき、加具土は蝉丸の背に言葉をかける。

「おや、手伝ってくれたのかい。ありがとうねぇ」

千鳥が目を丸くして蝉丸に言った。

「白々しい。そのつもりだったんだろうが」

蝉丸は嫌そうに眉を顰める。加具土は、(あれ、善意というわけではなかったのかな?)と思う。それでもやってくれたことは事実で、ありがたかったことに変わりはないが。

それとも、千鳥に色々と言われていたからその意趣返しという意味で言ったのかもしれない。

「だが、藍達とおしゃべりなんてできないだろう。ちょうどよかったじゃないか」

「ふん・・・」

蝉丸はそれ以上何も言わず鼻を鳴らす。

「さぁ、さぁ。蝉丸を診察するから、(みんな)出といで。掃除の仕方はきちんと聞くんだよ。あんた達の体のことに関係するんだからね」

「はーい」

間延びした返事を返す藍達。内心どう思っているのか分からないが、聞く気はありそうだ。

加具土、雷は、藍達を伴い、外へ出た。

「さて」

藍、鶺鴒(せきれい)、つらら、繭と向き合うようにして雷は立つ。その隣に加具土は立った。

四人の顔は千鳥に向けていた柔らかなものではなく、警戒しているような強ばったものだった。それを分かっているのかいないのか、淡々と雷は言った。

「あなた達の小屋を掃除させてもらった。だが、せめて一週間に一回は掃除をした方がいいだろう。放っておけば、(ほこり)蜘蛛(くも)の巣だらけになる。その中で仕事をするのは精神衛生的にも悪い」

「それは一人一人でやらなくちゃいけないのか?みんなでまとめてやるのはだめなのか?」

藍が聞いた。

「それでも構わない。続けられるようなら、やり方を変えてもらっていい」

「掃除道具はあそこにあるからいいけれど、ぞうきんはどうするの?わたし達、裁縫なんてできないわよ~」

裁縫ができない。それは困った。鶺鴒(せきれい)の言葉に加具土は雷を見る。

すると、雷は背に負った風呂敷から使わなかった数枚の雑巾を取り出した。

「しばらくはこれで足りるだろう。駄目になったら、また持ってくる」

「持ってくるということは、また私たちの所へ来るということですか?」

軽く目を開き、つららが言った。

「あぁ。千鳥の話では三ヶ月に一度、佐保という娘の診察に来ているというから、その時にでも持ってこよう」

三ヶ月に一度。

一年に一度ではなく。あちこちを巡っている千鳥がかなりの頻度でここに来ているということは、佐保という女性の容態が決して良いものではないことが窺えた。

佐保の名を出したからか、(あい)鶺鴒(せきれい)、つらら、(まゆ)の表情が硬くなる。纏う空気もどこか重い。

 その空気を払拭するかのように繭が明るい声を上げた。

「ありがとうございます。ここは地獄みたいな場所で、千鳥先生や十二司の皆さんはともかく、私たちのような人間を顧みる人は他にいないと思っていました。掃除をしてくれてありがとうございます。・・・・あなたもありがとう」

「ありがとうね~」

「ありがとうございます」

「ありがとう」

繭を皮切りに、鶺鴒(せきれい)、つらら、藍も礼を言う。

彼女らから突然礼を言われ、加具土は「い、いいえ。仕事ですから」と口をもごもごさせて言うことしかできなかった。だが、この様子では、加具土が手伝わなくても雷の説得だけで彼女たちは掃除をしてくれそうだ。

「医術師として仕事をしているだけだ。礼には及ばない」

雷は繭にぞうきんを渡すと、四人に箒や叩きで埃を払うこと、水気を絞ったぞうきんや棒ぞうきんで天井、壁、畳を拭くことを教えた。

 そして、雷が掃除の仕方を教え終えた頃、小屋の戸が開き、蝉丸の診察と話が終わったらしい千鳥が薬籠(やくろう)を背負い、加具土達の前に現れた。

「雷、加具土。佐保のところに行くよ」

「わかった」

「わかりました」

千鳥の背を追い、加具土と雷は佐保の小屋へ向かった。


 佐保の小屋は行灯が灯っておらず、明るさに慣れていた加具土にとってかなり暗く感じた。

 徐々に目が慣れていくと、闇の中からうっすらと盛り上がった布団が見えた。

背負っていた薬籠を脇に置き、千鳥は行灯(あんどん)の火をつけた。

 周囲が明るくなり、布団に寝ている女性の顔が見えるようになった。熱があるようで女性の額には折った手拭いが置かれていた。

縮れた玉蜀黍(とうもろこし)色の長い髪が畳にまで広がり、目を閉じているため、目の色は窺えない。年齢は藍達と同じ三十代ほどだろうか。

顔中に発疹(ほっしん)ができており、顔色も悪かった。女性の頭の上には、蝉丸か、藍達の誰かが用意したのか、水の張った桶と手拭い、薬の包み紙があった。

佐保(さほ)、私だ。千鳥だよ」

千鳥が優しく声をかけると、女性――佐保――がうっすらと目を開けた。その瞳の色は明るい黄緑色をしていた。

「ちどりせんせい・・・」

「今日は年に一度の診察の日だ。三ヶ月前にもお前を見たが、もう一度診るよ」

「はい・・・」

どこか夢うつつな表情で、それでもしっかりと佐保は返事を返した。

 薬籠から診察器具を取り出し、千鳥は佐保の襟元をはだけさせた。発疹は顔だけでなく、体中にできていた。

 器具で心臓の音を聞いた千鳥は、佐保の襟元を治し、布団をかけた。行灯の明かりにあたった千鳥の顔は暗く、辛そうに眉を寄せていた。

「・・・脈が前より弱い。ちゃんと食べているかい?」

すると、佐保は困ったように笑い、息を吐くような細い声で答えた。

「あまり食欲がないの。それに動かそうとすると体もいたくなるから、あまりたべてないの」

「なら、痛み止めを出そう。痛みがなくなれば食欲も出るだろう。食べられるなら少しでも食べた方がいい。治るものも治らないからね」

「・・・先生、嘘つかないで。私、もう長くはないんでしょ?自分の体のことは自分がよく分かっているわ」

容態が悪いと思っていたが、それほどまでなのかと佐保の言葉に加具土は驚く。千鳥を見れば、佐保を見つめたまま、唇をきつく結んでいた。

「・・・・・」

「言って、先生」

潤んだ黄緑色の瞳を向け、懇願する佐保に、一拍おいて千鳥が口を開いた。

「・・・最善を尽くすよ。それが私の仕事だ」

眉を寄せ、苦しそうな表情を浮かべながらも、千鳥の瞳には強い光が宿っていた。

「いつもの薬と、痛み止めの薬を出そう。それでしばらく様子を見よう。三週間後にまた来るよ」

佐保はそれに納得しなかったのか、千鳥を不満そうに見る。しかし、それ以上千鳥は何も言わなかった。これ以上何を言っても無理だと悟ったのか、佐保は「わかったわ」としぶしぶと頷き、目を閉じた。

 話をしたことで疲れたのか、それとも寝入りばなだったのか、佐保はしばらくすると寝息を立て始めた。


「千鳥先生。佐保さんは治りますよね?」

囁くように加具土は尋ねる。「治す」とは言わなかったが、医術師として何かしら考えているに違いない。そう思ったのだが、千鳥は黙って首を振った。その答えに加具土の唇が震える。

「しゅ、手術は?」

「佐保の病は感染症だ。手術では治せない。治すには青カビでつくった薬が必要で、それを飲ませているが、佐保の体力が落ちて、免疫力も下がっている。効きが悪くなっているようだ」

「効きを良くするにはどうすればいいんですか?」

「痛み止めを与えて、少しでも食欲が出るようにして体力をつけさせる。そして、薬を飲ませ続け、診察をこまめに行う。後は佐保次第だ。彼女が病気に打ち勝つかどうかだ」

千鳥は加具土を真剣な目で見た。

「加具土、医術師は患者の病気を治すことが仕事だ。手術も薬もそのためのものだが、決して万能じゃない。できないこともあるし、患者自身に助けられることもある。医術師だからといって、なんでも治すことはできない」

「はい・・・」

活杙(いくぐい)――母の仕事についていった時も同じことを言われた。活杙には、人間のもつ治癒力を高める能力(ちから)がある。活杙は神としてではなく、人の医術師として生きると決め、決してその能力を患者の前で出すことはなかった。

 活杙にも言われていたことなのに、いざ目の前にしてみれば、千鳥なら治せるだろうと思ってしまっていた。できることとできないことは、医術師であってもあるということを失念していた。


「千鳥、小屋の掃除はどうする?」

佐保の小さな寝息が聞こえるなか、暗い雰囲気の漂う小屋の空気を変えるかのように、雷が口を開いた。

千鳥が息を吐いた。

「・・・そうだね。やらないわけにはいかないから。寝ているところを可哀そうだが、蝉丸の小屋に移動させよう。雷、佐保を運ぶのを手伝ってくれ」

「あぁ」

雷が頷き、草履を脱ぎ、畳の上へ上がった。

「私、お布団を運びます」

千鳥と雷が佐保を運ぶなら、布団も運ばなければ。勢いよく言えば、千鳥が心配そうな目を加具土に向けた。

「大丈夫かい?」

「はい。そこまで重いわけではないので」

佐保が寝ていた布団も藍達四人と同様煎餅のような布団で、日にあてたふかふかの布団よりはるかに持ちやすかった。

 

 千鳥と雷は眠っている佐保に断りを入れながら、彼女の腕を互いに持ち上げ、外を出て蝉丸の小屋へ運ぶ。加具土も畳まれた布団と掛け布団を持ち上げ、外に出て千鳥と雷の後を追った。

 布団は持ちやすいといっても、大きさはある。少しでも気を抜いて体の重心を崩せば、布団はすぐに地面に落ちてしまうだろう。

 加具土は慎重に布団を運んだ。すると、不意に重さが軽くなった。

「・・・・?」

なぜかと辺りを見回せば、一人の女性が布団の片側を持っていた。

「どこに運ぶの?」

どうやら手伝ってくれるらしい。

「あ、ありがとうございます。でも、場所はすぐですから」

やんわりと断ろうとするが、「危なっかしいわ。それに落としたら、佐保の布団がなくなってしまうもの。手伝うわ」と女性は言った。

佐保の事を知っているということは、知り合いだろうか。強めの口調に断り切れず、加具土はその言葉に甘え、布団を運ぶのを手伝ってもらうことにした。


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