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第百九十幕 寄り添う

提灯(ちょうちん)を持った蝉丸(せみまる)の案内で訪れたのは、水晶屋から数歩ほど歩いた所だった。

そこには井戸が一つあり、路地より開けた場所になっていた。

井戸は落ちないように木の蓋がされ、そばには長い木箱が置かれていた。

木箱の中には、(ほうき)塵取(ちりと)り、()(おけ)(はた)き、棒ぞうきんなど、掃除に必要な道具が入っていた。

「掃除道具はこれで全部だ。極楽通りの見世(みせ)から使い古したものを譲ってもらった物だから、あんまり激しく使わないでくれよ。新しく買うのも大変だからな」

「わかった。気をつけて使おう」

神妙に頷いた(らい)は、木箱からそれらを取り出す。蝉丸が提灯(ちょうちん)で手元を照らした。

手桶(ておけ)塵取(ちりと)り、(はた)きは、蝉丸の言う通り使い続けた物のため、かなり色あせ、箒は持ち手の部分がかなり欠けていた。

 それから雷は背負った風呂敷を外し、自身の膝の上に広げた。包まれていたのは、いくつもの衣の切れ端を縫ったものだった。

「ぞうきんですか?」

「あぁ。針師にありったけの端切(はぎ)れを縫ってもらった」

それは柄が色あせたものから、高級そうな金糸や銀糸で柄を縫いこんだものまで様々だった。

「それからこれだ」

雷は数枚のぞうきんの下から、手拭いを取り出した。それは全部で六枚あった。雷はそのうちの二枚を持ち、言った。

「一枚を口元に覆って使う。それから頭も覆う。埃が降ってくるからな」

「はい」

手拭いを二枚手渡された加具土は、それらを結ぶことが片手でできるほど簡単でないことと気づく。

試しに左の掌で結べるかどうかやってみるが、結び目すら作れない。手拭いの端を口にくわえ、それで結び目を作れるかやってみるが、それもうまくいかない。加具土が焦りを覚えていると、雷が言った。

「慌てるな。私がやる」

「す、すいません。ありがとうございます」

「気にするな」

雷に頭に覆う手拭いと口元に覆う手拭いを、加具土は結んでもらうことになった。


 加具土と雷は、水を入れた木桶(きおけ)(ほうき)(はた)き、棒ぞうきん、塵取(ちりと)りを持って水晶屋へ戻ってきた。

「俺が住んでいる小屋の隣が(あい)の小屋、次に鶺鴒(せきれい)、つらら、まゆの順だ。そして最後に佐保(さほ)の小屋になる」

蝉丸が連なっている小屋が誰のものが説明する。

「佐保さんの小屋の掃除は、千鳥先生の診察が終わってからになります?」

「・・・・そうだな」

何かを考えるように少し間をおいて、雷が答えた。


 加具土と雷は、藍の小屋から掃除をすることに決めた。すると、なぜか蝉丸もついてきた。

「蝉丸さんも診察するんじゃないんですか?」

「あいつらの診察はしばらくかかる。それにあそこに戻っても居づらいし、俺も手伝うよ」

蝉丸の申し出に、加具土は雷の方を見た。

「手伝ってくれるなら、ありがたい。お願いします」

雷は頭を下げた。

「ありがとうございます」

加具土も頭を下げた。

「余分に持ってきてよかった。これを」

雷は、手拭い二枚を蝉丸に差し出した。


 藍が働き、住んでいる小屋の戸を開けると、()えた臭いが顔中にぶつかり、同時にむっとした熱気が体を包んだ。

草履を脱ぎ、小屋に上がると思った以上に狭い。三人が入るのがやっとで、五人も入ればぎゅうぎゅう詰めになると想像できた。小屋の天井は低く、立ち上がれば頭を打ちそうだった。膝立ちで掃除をするしかないだろう。

火が灯されたままの行灯(あんどん)の脇には、煎餅のように真っ平になった布団が畳まれることなく、置かれていた。数刻前まで人が寝ていたという状態のままの布団を見て、動揺する心を押し殺し、加具土は蝉丸とともに布団を畳む。

「うっ」

洗っていないのか、洗っていてもすでに染みついた臭いは取れないのか、人の汗と()えた臭いが鼻につく。あまり嗅いでいると、鼻が麻痺してしまいそうなほどだった。

 洗いたいとも思うが、小屋に予備の布団は見当たらない。洗って使えなくなったら困ってしまうだろう。結局、布団は小屋の隅に置くことにした。

 加具土達は閉め切られた小屋の窓を開け、天井に溜まった埃を叩きや箒で払った。黄ばんだ畳の上に落ちた埃を塵取りで集め、外へと捨てる。そして、水気を絞ったぞうきんや棒ぞうきんで畳や汚れた木の壁、天井を拭いた。

何度も井戸と小屋を行き来して、加具土達は続いて鶺鴒(せきれい)、つらら、(まゆ)の小屋を掃除した。

三人の小屋も藍と同じように行灯と布団が置いてあるだけだった。

窓も開けられておらず、天井は埃を被り、木の壁は汚れ、畳は黄ばんでいた。

衛生的にいいとはとても言えない。まるで牢獄のようだ。それでも生きていくしかない。

そう思うと胸が痛んだ。

思い出したのは、ヨミもかつて彼女らと同じ仕事をしていたということ。

生きるためとはいえ、春を(ひさ)ぐ、春を売ることが精神的、肉体的に辛いことに変わりはない。

 あの時、胡蝶を傷つけたヨミを責めるような言い方をしてしまった。ヨミのやった事を取り上げる前に、苦しかったね、辛かったねとヨミに寄り添うような言葉をかけてあげればよかったのではないか。本当に今更だが、遊女や陰間の仕事がいかに酷かということが、ここを訪れて改めて分かった。

「どうした?」

考え事をしていたせいか手が止まっていた。それに気づいたのか、雷が声を掛けてきた。

「・・・彼女たちはこんな狭い所で働いているんですね」

小屋の中を見回し言えば、雷が重々しく頷いた。

「そうだな。切見世は賃金も安いし、短い時間で客を何人も相手にする。そうしなければ経営が成り立たないそうだ」

雷が壁を拭いている蝉丸を見る。その視線に気づいた蝉丸は気まずげに顔を逸らした。

「彼女たちの労働環境が変わらないなら、それ以外の事で改善させていくしかない。一年ごとの健診も、この掃除もその一環だ」

「なるほど・・・」

それなら、彼女らの布団を新しい物にし、代えの布団もあげることはできないだろうか。小屋だけ掃除しても意味はない。

「雷先生、布団を新しい物に替えるのと、もう一つ布団を揃えることはできませんか。小屋が綺麗になっても布団が汚いのでは衛生的に悪いです」

「確かにな。千鳥に相談してみよう」

雷が頷いた。

 藍、鶺鴒(せきれい)、つらら、繭の小屋の掃除が終わり、掃除道具を片付け、蝉丸のいた小屋に戻れば、何やら楽し気に話す千鳥と藍達の声が聞こえてきた。

「千鳥が来たときは、診察が終わった後に話をしている。色々と溜まっている愚痴(ぐち)鬱憤(うっぷん)を話させて、気持ちを楽にさせているのだそうだ。まぁ、俺も話を聞いてもらっているんだが」

蝉丸が少し恥ずかしそうに言った。

 活杙も、診察の後患者に対して悩みを聞いてあげたり、日常のなんてことのない話をして気持ちをほぐしていた。

 そのことを思い出し、加具土は少し懐かしさを覚えた。同時にヨミの事も思い出していた。

(ヨミに文を書いてみようかな・・・)

突然の文に驚くかもしれない。何事かと眉を顰めるかもしれない。

けれど、あの時のヨミに対して加具土は謝りたいと思った。

「話してくれてありがとう。生きていてくれて嬉しい」とは言ったが、ヨミに寄り添えていたかどうかは分からない。だから、今感じていることを素直に伝えよう。

『責めるような事を言ってごめんなさい。辛くて苦しかったよね。それに誰かを責めるほどあなたは傷ついていた。それを受け止めきれなくてごめんね』と。


「さて、私達は掃除の仕方を彼女達に教えないと。せめて一週間のうち、一回だけでもしてもらえると違うんだが。加具土、一緒に説得を頼めるか?」

「あ、はい」

加具土たちが掃除をしても、住んでいるのは藍達だ。彼女たちが続けて掃除をしてくれなければ、たちまち以前の小屋に戻ってしまうだろう。

 責任重大だと、大きく息を吸って気持ちを引き締める。

加具土は、雷と蝉丸とともに、行灯の光を放ち、千鳥と藍達の声が聞こえる小屋へ足を向けた。


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