第百八十一幕 宴の後で
宴は滞りなく進んだ。
料理と催し物は好評で、皆、笑顔で出て行った。
招待した宿泊客を見送り、加具土は大広間の膳と座布団の片づけを給仕係の皆と一緒に手伝った。
片付け終わり、卯月に部屋に戻るように言われ、加具土は宿舎へ向かった。
宿舎に向かうには一度外に出なければならない。
裏口へ向かう道すがら、廊下の壁に掛けた燭台の明かりが廊下を柔らかく照らしていた。
夜も更けていたが、加具土の目は冴えていた。
仕事を終えた後の充足感からか、気分が高揚しているのが分かる。加具土は落ち着かせるためにひとつ息を吐いた。
「加具土さん!」
弾むようないさなの声が、しんとした廊下に響き渡った。
振り返れば、馬踊りの衣装を着た緑野、その隣にはいさながおり、二人の後ろには石榴と水守の姿があった。
普段あまり表情の変わらない緑野にしては珍しく、表情は誇らしげでやりきったという雰囲気に満ちており、いさなは歌を披露し終えた開放感からか、表情は柔らかい。
その二人とは対照的に、石榴と水守の表情は暗かった。
「いさなさん、緑野さん、お疲れ様です!歌と踊り、素晴らしかったです!」
石榴と水守の様子を不思議に思いながら、加具土はいさなと緑野に賛辞の言葉を贈った。
「ありがとうございます。緊張しましたが、うまくできてよかっです」
「久しぶりにやったが楽しかったな。緊張はしたが」
嬉しげな二人の様子に反し、石榴と水守の反応は薄かった。舞台袖で、一番近くで聞いていたなら、緑野といさなの素晴らしさはよく分かっているはずだ。本当にどうしたのだろう。
「いさなさん、石榴さんと水守さん、どうしたんですか?」
いさなは微苦笑を浮かべた。
「お二人は・・・、石榴さんは緑野さんの踊りに合わせて篠笛を、水守さんは私の歌に合わせて琴を弾いてくれたんです」
「え!?お二人は楽器ができたんですか!?」
まさか篠笛と琴の演奏を石榴と水守がやっているとは思いもよらなかった。
この宴を披露する日まで四日ほどあったが、一緒に仕事をしていた水守からはそんな話を聞かなかった。
石榴が据わった目をして「ふふっ」と笑った。
「武術に芸事。貴族として学んだことがあるとはいえ、いきなり笛吹けとは無茶もいいところだ。おかげで徹夜だこんちくしょう」
「私はたまたまいなさが練習しているところに出くわして、給仕長が歌に合わせて琴を弾いているのを見て、思わず「ちょっと弾いてみたい」って口にしたらやる羽目に・・・」
ふふふっと水守も怪しく笑う。
普段とは違う石榴と水守の様子に、加具土は冷や汗を浮かべた。たとえるなら感情が爆発する一歩手前のような、一触即発の雰囲気だった。
「石榴さん、水守さんもお疲れ様でした!限られた時間で完成させるなんてすごいです!
さ、皆さん、ゆっくり休んでください!」
内心はらはらとしながら、加具土は四人を宿舎へと誘った。
牙蘭と六花の料理、そして「馬踊り」と「春来」は大盛況だった。
好評だったため、菫青は葛と春蘭と相談し、これらを一年に一度の恒例行事とすることにした。そのため、緑野、石榴、いさな、水守の四人は自分の仕事のほかに、合間合間に、踊りや笛、歌、琴の練習をすることになった。菫青は、四人が安定して披露できるようになったら、踊りや笛、歌、琴が得意、あるいは好きな従業員にも声をかけ、「馬踊り」と「春来」
が披露できるようにしたいと考えていた。
四人ともやることが増えて大変だろう。
そう思って、石榴と緑野には仕事の時、水守といさなには食事の時に聞いてみると、彼らはさほど大変だと思っていなかった。客の喜ぶ顔が見れてよかったし、四日かけてやれと言われるより精神的にも体力的にも楽だということだった。
宴の披露から一日おき、その次の昼時が、竜鐘と梨虎の帰る日だった。
二人とも牙蘭と六花の料理と「馬踊り」、「春来」を大層気に入り、それらを披露した緑野、石榴、いさな、水守、そして、この料理の企画をした卯月、加具土、料理を作った重藤、野薔薇、
それらを指揮した菫青を部屋に呼んだ。
「若旦那に頼み、皆を呼んだのはほかでもない。礼を言いたかったのと、渡したいものがあったからだ」
「竜鐘殿と私でそれぞれ選んだの。喜んでもらえると嬉しいのだけど」
梨虎は、竜鐘と自分の前に置かれた九つの品物を示した。
まず、竜鐘が加具土から見て右側の端に置かれた四角く細長い箱を手にする。それは螺鈿細工が施された美しい黒塗りの箱だった。竜鐘はそれを石榴に差し出した。
「これは笛を入れる箱だ。たくさん練習して、皆に喜んでもらえるようなすばらしい笛の吹き手になってほしい」
石榴は受け取ろうとして、手を止めた。
「こんな高価な物、・・・いただいていいんですか?」
後半の台詞は菫青に向けてだった。途方に暮れたような表情を浮かべる石榴に、菫青は頷いた。
それを後押しするかのように、竜鐘が言った。
「これは君一人のものじゃない。いつか君の後を継ぐ者たちのために使ってもらいたい」
「・・・わかりました。大事に使わせてもらいます」
石榴はしっかりと頷き、丁寧な手つきで箱を受け取った。
竜鐘は隣の葛籠を示した。
「これは君に。素晴らしい踊りだった。今後も続けて、感動を届けてほしい。これは衣装入れに使ってくれ」
「・・・ありがとうございます」
緑野は竜鐘の顔を真っ直ぐ見てから、頭を下げた。
次に竜鐘は葛籠の隣にある二本の酒瓶を指さした。
「これは牙蘭産の馬乳酒だ。私が個人的に気に入っているもので、とてもうまいんだ。ぜひ飲んでくれ」
重藤は二本の瓶をみつめると、にっと笑った。
「へぇ。初めて見るな。ありがたくいただくよ」
重藤が瓶を抱えて下がると、竜鐘は隣の風呂敷に包まれた四角い箱を菫青に向けて示した。
「これは雲母荘の皆様に。私と梨虎殿で選びました。日持ちのする茶菓子です」
菫青は目を伏せて、頭を下げた。
「ありがたく」
男性陣が終わったのを見て取り、梨虎が加具土から見て左端の品物を取り上げ、いさなに向けて差し出した。
それは、茶筒だった。
「喉にいいという六花産のお茶が入っているの。とてもいい匂いがするのよ。消耗品だけれど、あなたの綺麗な歌声がいつまでも聞けるように」
「・・・ありがとうございます」
いさなはおずおずと茶筒を受け取った。
次に、梨虎は隣にある軟膏入れを手に取った。それは掌ほどの大きさで、平たい器だった。その蓋には木彫りで百合の花と鳥が描かれていた。
「これは軟膏よ。琴を弾くのに手は大事だから。しっかり保湿したほうがいいわ」
「ありがとうございます。大事に使います」
受け取った水守は、その軟膏入れをしげしげと見つめてから、礼を言った。
「これは、六花の湧き水なの。体にもいいし、これで米を炊くとおいしいと評判なの」
李虎は土で焼かれた壺を野薔薇に差し出した。
「ありがとうございます」
野薔薇は礼をいい、受け取った。
「これは筆入れよ。気にいってくれると嬉しいんだけど」
梨虎は加具土に、黒を下地に、金箔と銀箔で川の流れを表現した優美な筆入れだった。
「・・・あ、ありがとうございます」
おそらくかなり高いものだろう。大事に使わなければ。もし、自分が辞めた後でも同じように誰かが使えるようにしなければいけない。
妙な使命感を覚えながら、加具土は頭を下げた。
「これはあなたに。給仕長、あなたには色々話を聞いてもらったわ。情けないところも見せてしまったと思うけれど、これからもよろしくね」
そういって梨虎が卯月に差し出したのは、桜の花を模した鼈甲の帯留めだった。
「・・・私が話を聞くことで、お二人の気持ちが晴れるなら構いません。ですが、限度は守ってくださいませ」
「ふふ、手厳しいわね」
梨虎が苦笑を漏らす。その時、淡々とした卯月の表情がふわりと柔らかくなった。
「ですが、ありがとうございます。この帯留めは大切に使わせてもらいます」
卯月は深々と頭を下げた。
卯月が頭を上げるのを見計い、竜鐘は一同を見渡し、改まった表情を浮かべた。
「皆に留め置いてもらいたいのは、この品物は、皆が頑張った証としてのもので、私たちのこれからの待遇を上げてもらおうというものではない。君たちは今までと同じように私たちを扱ってくれていい。それはほかの客も同様だ。ただ、私たちの言い合いから始まった事でもあるから、こうすることでけじめをつけようと思った部分もある。それだけだ」
「私も竜鐘殿と同じ気持ちよ。だから、これからもよろしくお願いします」
梨虎が頭を下げると、竜鐘も頭を下げる。加具土達も合わせて頭を下げた。
「竜鐘様」
厳かな空気が漂うなか、緑野が名を呼ぶ。竜鐘が彼に顔を向けると、緑野は居住まいをただし、硬い表情で口を開いた。
「私は緑野と申します。母の名は保紫といい、牙蘭の宮中で女官をしておりました。父は雅楽寮で働いていており、名を黄紀といいました」
「・・・お前、いや、そなたが」
緑野の言葉を聞いた瞬間、竜鐘の瞳が大きく見開かれる。
緑野は竜鐘を見据えるように見つめ、衝撃の一言を告げた。
「あなたは私の母と父をご存じですね。であれば、教えてください。私の両親がどうして殺されなければならなかったのかを」