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第百八十幕 開宴

「楽しみだな。今日なんだろう?えーと、牙蘭(がらん)六花(りっか)の料理が出るのは」

牙蘭と六花の料理と、馬踊り、『春来(しゅんらい)』の披露をする当日、朝餉を持ってきた加具土に、神薙(かんなぎ)が尋ねてきた。

「はい。夕餉がそうです。大広間にもお客様を呼んで、催しものをする予定です」

朝餉を枕元に置き、加具土は言った。

神薙の朝餉は、粥などの流動のものから魚や野菜、少々の肉、粟と稗のご飯といった固形ものものに変わっていた。動いていない筋肉を動かすため、散歩をしていいと千鳥からは言われていて、廊下を歩いているところを加具土は何度か見かけたことがあった。

「催しものは馬踊りと『春来』だったな。あぁ、千鳥先生の許可が下りれば、見に行きたいなぁ」

羨ましそうに口にする神薙を見て、加具土は思った。

牙蘭と六花の料理は、宿泊する全ての客に出すことになっていたが、馬踊りと『春来』の披露は、大広間の舞台だけだ。

時間帯を分けて、大広間に宿泊客を招き、催し物を見せるつもりだが、体調がすぐれなかったり、用事があって雲母(きらら)荘を出ていたり、部屋でやらなければいけない仕事がある客もいるだろう。そういう客は、料理は食べることができても催しものを見ることができない。

 そういう人達のために、日にちをずらして披露する機会があってもいいのではないか。

今回のお披露目で反響があれば、何度か機会を設けることを卯月や菫青に聞いてみてもいいかもしれない。

 まだ、始まってもいないが。

それに、もしそうなるなら、緑野やいさなの力を借りなければならない。二人に無理強いをするのも気が引ける。いっその事、馬踊りや『春来』を自分で教わろうか。

「加具土、大丈夫か?」

「え」

すっかり考えに浸っていたらしい。

神薙が顔を覗き込むように加具土を見ていた。心配そうな表情に加具土は目を瞬かせる。

「給仕と掃除の仕事を兼任しているんだろ?。辛いと思ったら、誰かにいったほうがいいぞ?」

「――あぁ。大丈夫です。ありがとうございます。ちょっと考え事をしていて」

水守と給仕の仕事をしている時や葎と宿泊部屋の掃除をしている最中に、神薙が歩いているのに出くわすこともあり、加具土は仕事を兼任していることを話していた。

 加具土の見た目が幼いからか、それとも純粋に心配しているからか、神薙は加具土に対し、無理をするな、誰かに言え、と何度も口にする。そのたびに、加具土は大丈夫だ、平気だと返していた。実際にそうであったから。

「・・・そうか」

神薙は、ほっと息をつき、表情を和らげる。それが心底安堵したものだったため、加具土はそんなに心配をかけているだろうかと戸惑った。

「あの、私、そんなに辛いように見えますか?」

すると、神薙は、いや、と言って片手を振った。

「気分を悪くしたならすまない。ただ、君は僕の食事を毎日もってきてくれて、それに二つも仕事を抱えているから。倒れてしまうんじゃないかと、心配なだけなんだ」

 そうか。神薙の言葉に加具土は合点がいく。

神薙の食事を持っていき、二つの仕事につくのは、いつもの事だったが、神薙はそれを知らない。心配するのは無理もないように見えた。

「気にしてくれてありがとうございます。でも平気ですよ。ちゃんと寝て食べていますし、それに二つの仕事を兼任しているのは、前からですから」

「え、そうなのか?」

「はい」

目を丸くする神薙にこくりと頷けば、神薙は照れたように頭を後頭部に当てる。

「そうか。それは失礼した。・・・いや、僕には年の離れた兄がいてね、親が早くに死んで兄が生計を立てていたんだが、働きすぎで倒れてしまったことがあって。ちょうど君と同じ年頃の時に。だから、思わず口を出してしまったんだ」

思いもかけず神薙の境遇を聞くことになり、加具土の胸に、そう思わせてしまった申し訳なさと思いやってくれたことの感謝が浮かぶ。

「そうだったんですか。・・・ありがとうございます」

「いや・・・」

頭を下げ礼を言えば、神薙は恐縮した表情を浮かべたのだった。


 

 夕餉の時刻を告げる半鐘の音が鳴る。

加具土の姿は大広間にあった。

 横縦一列に並んだ五十人分の黒塗りの膳――その上には、一から五十の番号が書かれた木の札と、蓋をされた卓上鍋、箸、取り皿がのっている――が一定の間隔をとって並べられ、干した黒紫色の座布団が同じように置かれており、それらが大広間の天井に吊るされた八間(はちけん)の明かりで照らされていた。

 加具土の仕事は、時刻と番号の書かれた手札(しゅさつ)を持った宿泊客を、膳に案内することだ。

半鐘がなる前にやってきた客もおり、半分の人数がすでに埋まっている。

「どうです?」

卯月がやってきて、状況を聞いてきた。

「半分くらいのお客様がやってきました。他の料理を運びますか?」

卯月が大広間を見渡し、頷く。

「そうですね。そろそろ持ってきた方がいいでしょう。鍋に火をつけるのも時間がかかりますからね」

ふと、加具土は舞台の袖で待機している緑野といさなの事を思った。

「緑野さんといさなさんの様子はどうでしたか?」

「・・・緊張はしているようです。ただ、緑野は表情があまり変わらず、いさなは顔がこわばっていますね。石榴と水守をそばに置いたから大丈夫だとは思いますが」

「そうですか・・・」

二人の緊張が石榴と水守がいることで少しでも和らげばいいが。緊張せずに、とはいえない。加具土だってこんな大人数の前で何かを披露するのだと想像するだけで足が震えそうだ。

「加具土、私は給仕係の皆と料理を運びます。あなたは、やってきたお客様の案内を続けてください」

「わかりました」

加具土は頷き、大広間を出る卯月の背中を一瞥してから、卯月と入れ替わるように手札を持って、大広間に入ってくる宿泊客を出迎えた。


 宿泊客、五十人が大広間に着席した。その中には、竜鐘(りゅうしょう)梨虎(りこ)の姿もある。

加具土は全ての客の案内を終え、大広間の左隅に控えていた。

 どんっ、どんっ。

舞台の端にある銅鑼(どら)が鳴る。大広間の騒めきが静まると、銅鑼の(ばち)を下に置き、卯月が姿勢を正して、宿泊客の方に真っ直ぐ体を向けた。

「お待たせしました。今回、牙蘭と六花の料理を皆様にふるまわせていただくことを光栄に思います。まずは、料理の紹介からさせていただきたいと存じます。まずは、一品目、六花のりんごを使ったりんご煮です。砂糖を使わなくともりんごの甘さだけで十分甘い、さすが名産のりんごです。二品目は、じゃがいももちです。同じく六花の名産であるじゃがいもを潰し、五平餅のような形にしました。しかし、使っているのは全てじゃがいもです。じゃがいもの甘味とふっくらとした軟らかさが病みつきになること間違いなしです。そして、三品目がこの鍋です。この鍋には牙蘭産の馬肉と蕎麦掻きが入っています。味噌仕立てになっており、野菜や豆腐も入っていますので合わせてご賞味ください」

宿泊客がりんご煮やじゃがいももち、鍋を指さし、騒めく。そんな中、声を張り上げるように、卯月が続けた。

「鍋はこれから火をつけます。鍋の中身が煮えるのは時間がかかりますので、りんご煮やじゃがいももちを先に食べてもらってかまいません。また、その間、皆様に楽しんでいただきたく、出し物を用意しました」

卯月が言い終わるのと同時に、舞台の幕が開く。それと合わせるように、五人の給仕係(男性三人と女性二人)が火のついた附木(つけき)を持って現れ、鍋の下に置かれた炭に順に火をつけていった。


「まずは、牙蘭の『馬踊り』を披露させていただきたいと思います。これは、五穀豊穣と国の繁栄を祈る踊りです。そのあとは、六花の歌を披露させていただきます。この歌は『春来(しゅんらい)』といい、長い冬を耐え、春を迎える歌になります」

卯月は一度言葉を切ってから、再度口を開いた。

「では、さっそく始めさせていただきます。どうぞ皆様、ごゆるりとお楽しみください」

 五十人分の鍋に火が次々と灯されるなか、卯月が再び銅鑼を鳴らした。

どんっ、どんっ。

 銅鑼の余韻が残る大広間に、その余韻を裂くような涼やかな鈴の音が響き渡った。

しゃんっ、しゃんっ、しゃんっ。

 舞台に現れたのは、白の衣と赤の袴、緑色の帯を身に着け、右手に神楽鈴を持ち、頭に青毛の馬の被り物を被った緑野だった。

 その鈴の音とともに、篠笛のかろやかな音色が響く。篠笛の奏者は舞台袖で吹いているのか、姿は見えない。

回すように鳴らされる鈴の音と、流れるような篠笛の音色とともに、緑野は舞台の上を飛ぶように舞う。だが、足音はいっさいしない。確かにそこにいるのに、存在していないような、不思議な雰囲気を身にまとっていた。

 緑野は腕を振り、頭を前後に揺らし、踊り続ける。それは、馬が草原を疾走している様を現しているように見えた。

舞台には緑野一人しかいないが、まるで何人もの踊り手が舞台上にいるような、そんな迫力を感じられる舞だった。

 しゃんっ。

鈴を一振りし、緑野は動きを止める。同時に篠笛の音色も消えていく。大広間では、鍋の火が燃えるぱちぱちという音だけが聞こえていた。

そして、緑野は客席に向かって正座をし、深々と頭を下げた。

次の瞬間、わっと歓声が上がり、拍手が草原に吹き渡る風のように押し寄せる。

 その歓声と拍手に応えるように、緑野はもう一度深々と頭を下げ、舞台を後にした。

加具土も宿泊客とともに称賛の拍手を緑野に向けた。


 銅鑼が再び鳴る。

舞台に現れたのは、いさなだった。

 歩く動作がぎこちなく、顔が緊張で固まっているのが遠目にも分かった。

そんな彼女の背を押すかのように、穏やかで温かな琴の音が流れる。

 舞台の中央に立ったいさなは、覚悟を決めたように顔を客席へ向け、息を吸った。


 降り続ける白き雪 やむことはなく

 炭を焼き 囲炉裏に手をかざしても 変わらぬその冷たさ

 家にはすきま風が吹き 手を取り 暖を取ることしかできぬ

 あぁ いつまで続くのか あぁ いつまで耐えればいいのか

冬よ 我らを哀れと思うなら 春を連れてきておくれ 

春を連れてきておくれ


春を待ち望む六花の人々の想いが、伸びやかないさなの歌声とともに大広間に響き渡る。

しかし、次の瞬間、曲調が変わり、まるで飛び跳ねるような明るいものに変わった。


 雪混じりの空気に 梅の香りが混じる

 雪解けの水はやわらかく 土は肥えていく

 日の光は温かく 緑が芽吹き 花が鮮やかに咲く

 鳥が鳴き 熊が目覚め 鹿が駆ける

 山や森は命にあふれ 仔が生まれる

 

 さぁ 春がきた 種を植えよう 

 さぁ 春がきた 土を耕そう  


 次の冬を越すために 命を繋ぐために


 歌は終わり、明るい曲調のまま、琴の音が流れて終わった。


いさながゆっくりと頭を下げると、再び歓声と拍手が大広間に響き渡った。

それは、いさなが舞台袖に下がってもやむことがなかった。

加具土もいさなの美しい歌声に感銘を受けながら拍手をしていたが、あまりにも拍手が続くため、思わず手を止める。

「馬踊り、よかったぞ!」「どちらも素晴らしい!最高だ!」「素敵な歌声をありがとう!」

「いいもんを見た!もう一回みせてくれ!」

宿泊客の喝采が拍手とともに飛んでくる。

これは、緑野といさなが出てこないと収集がつかないのではないかと思い、卯月に視線を移すと、卯月は冷静な様子で銅鑼を二回叩いた。


「皆様、楽しんでいただけて何よりでございます。喜びの声を聞けて披露した二人も感謝の念を浮かべていることでしょう。もう一度というご要望は、残念ながらできないとご了承ください。演じ手は次が控えております。ですので、『馬踊り』と『春来』の披露はこれで終了とさせていただきます」


卯月は盛り上がる空気を抑え込むように淡々と述べると、丁寧に一礼した。


 卯月の言葉に宿泊客も徐々に落ち着きを取り戻し、食事に目を向けるようになった。

一部始終を見ながら、ほっと息をついた加具土は、牙蘭と六花の食事に対し宿泊客がどういう反応をするのか周囲を見回した。


「このりんご、すごく甘い!砂糖が入っていないなんて信じられないくらいだ!」

「このじゃがいもも甘くて、ほくほくしててとてもおいしいわ!」

「う~ん、この味噌の香り、香ばしい」

「馬肉も柔らかくてうまいな!」

「この蕎麦掻きも味噌の味と肉の旨味が浸み込んで、なかなかいけるぞ!」

「野菜もやわらかくて、でも水気があっておいしいわね」


次々と料理を口に入れ、おいしそうに食べる宿泊客の姿を見て、加具土は安堵し、喜びが胸に湧き上がってくるのを感じたのだった。


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