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第百七十五幕 誰かのため

翌日の朝礼の後、加具土は菫青に呼び止められた。そこには、緑野もいた。

菫青は加具土と緑野の顔を一瞥すると、口を開いた。

「今日の午後は浴場の掃除は無しだ。ほかの者にやらせる。お前たちは菊の間の掃除をしてほしい」

「菊の間の客人たちはどうするんですか?」

緑野が尋ねる。

確かに掃除をするのに太熊達がいたのではできないだろう。

「私とともに十二司の本部の様子を見に行く。ほかの業務の連携も知りたいし、太熊たちにも教えておきたい」

「わかりました」

緑野が頷く。

外に出させて休憩させるかと思ったが、そこは若旦那だった。抜かりがない。

水守の言っていたような生きた屍状態が本部でも起きるのかと思うと、不謹慎ながらも少し見てみたい気もした。

「喚起も念入りに頼む。あいつら、ここに泊まってから風呂に入ったり入らなかったりしているから、臭いもする。臭いが染みついて、菊の間が使えなくなるのも問題だ。今度から無理やり風呂に叩き入れようかと思っている」

「はい」

加具土は頷いた。

水守は臭いがどうとは言っていなかった。運ぶのに頭がいっぱいで、臭いまで気が回らなかったのかもしれない。


 菫青との話は終わり、加具土は緑野とともに宴会場を出た。

「緑野さんは午前中、仕事は何をされているんですか?」

ふと気になり、加具土は尋ねた。

「廊下や厠、それから宿舎の周辺の掃除だ。基本、掃除なのは変わらない。場所が変わるだけだ。今は、葎さんと一緒に佐奈と豪太に色々と教えている」

「・・・そうなんですか」

加具土だけでなく、掃除係としては新米の二人にも教えているとは。葎がいるとはいえ、大変ではないだろうか。

「大変じゃないですか?」

そう口にすれば、緑野は表情を変えず、さらりと言った。

「いや、別に。若旦那様にきつく言われたのが応えたんだろう。厨房係だった時より素直に動いてくれるからな。意外と楽だ」

「そ、そうですか」

水守の話では、二人は給仕係を見下し、仕事も適当にやっていたと聞いている。

それがおとなしく素直になるということは、よほどきつく言われたのだろう。

菫青が怒る様を想像して、加具土は少し背筋が寒くなった。

「そうだ。言っておこうと思っていた。石榴(ざくろ)のことだ」

思い出したというように緑野が言い、加具土を見た。

「初対面の君に恋愛相談はするなと言ったんだが、効果はなかったらしい。すまない。俺の力が足りないばかりに」

頭を下げる緑野に加具土は驚き、慌てた。

「そんな!気にしないでください!確かに驚きましたけど、大したことは言えませんでしたし!というか、石榴さん、緑野さんに相談してたんですね・・・」

「あぁ。俺の場合は会って一月しないうちに相談してきた」

「その頃って、水守さんはここにいたんですか?」

「いや。故郷に想い人がいるといって、帰ったら喧嘩超しの会話になってしまうからどうすればいいかと聞いてきた」

「あぁ・・・」

既視感を感じ、加具土は遠い目をした。石榴と緑野がいつ頃出会ったかはわからないが、石榴と水守の関係が今とあまり変わらないことに何ともいえない気持ちを抱いた。

「石榴とは宿舎の部屋が隣同士でな。最初は挨拶程度だったんだが、石榴の奴、寝坊することがあってな。そのたびに、若旦那様の静かな雷が落ちていたんだが、さすがに何度もあると仕事に差し支えるし、石榴の精神状態も悪くなる。寝ないように一晩中起きようとしていたことがあったからな。だから、俺が毎度部屋に入って起こしている。そういうことがあって、恋愛相談も受けるようになった」

「石榴さん、緑野さんを友達だって嬉しそうに言っていました」

すると、緑野は深く息を吐く。

「友達というなら、俺に毎日叩き起こされないようにしてほしいものだな」

「あ、はははは」

友といえど限度はある。

緑野から滲み出る疲れた雰囲気に、加具土は乾いた笑いを上げるしかなかった。


「その石榴だが、良いことがあったのかかなり浮かれていた。頭から花でも咲かせているような状態だったから、少し注意して見たほうがいいかもしれない」

水守との事だろうか。

嬉しいことだが、それが仕事に響いていると考えると加具土の胸に不安がよぎる。

写しの仕事を始めて半日しかやっていないのだ。仕事の流れは多少わかっても、細かいところは石榴に教えてもらうしかない。

 仕事中は普段の石榴に戻っていることを祈るしかなかった。


加具土は、いつものように神薙に朝餉を持っていき、その足で石榴の待つ菫青の部屋へ向かう。

不安を抱いていた加具土だったが、結果、それは杞憂で終わった。

部屋には、石榴以外に主である菫青がいたからだ。

加具土は足を止め、目を瞬かせた。

朝の話の通りならば、菫青は太熊達と十二司の本部へ行く予定ではなかっただろうか。

「若旦那様、太熊さん達と一緒に十二司の本部へ行くはずじゃなかったんですか?」

「あぁ、行くぞ。ここには、本部で見た内容を書くための書付と携帯用の筆を持っていこうと思って寄ったんだが、そこで頭に花が咲いたこいつを見てな」

菫青はそう言うと、石榴の頭をがしっと掴んだ。

すると、ほわほわとした空気を纏い、夢うつつのような、心ここにあらずといった表情を浮かべていた石榴が悲鳴を上げた。

「いたたたっ!痛い!若旦那様、痛いです!」

「いい事があったのはよかったと思うが、仕事に影響を与えるな。加具土を見ろ。不安な顔をしてるだろうが」

「はい、はい、すいません!すいません!」

涙目になりながら石榴は叫んだ。


 石榴が元通り(?)になったのを確認し、書付と携帯用の筆を懐に入れた菫青は、後の事は頼むと言って部屋を出ていった。 菫青が釘を刺したおかげか、石榴は真面目に仕事をこなし、加具土の写しの経過を見たりした。

 

牛の刻(午後十二時)の鐘がなり、昼餉の時間になった。一区切りのついた加具土は写しを止め、片づけを始めた。

「石榴さん、今日はここまで写しました。後で見てもらっていいですか?」

墨や硯などを片づけ終え、加具土は原本と写しを、文机に座り同じように写しをしている石榴の前に差し出した。

しかし、石榴は返事をしない。見れば、菫青に釘を刺される前の夢うつつの表情に戻っていた。

「石榴さん!」

「おわっ!」

声を上げれば、石榴は驚いて体をのぞけらせた。

「写し、ここまで終わりました。後で見てもらっていいですか?」

加具土は言葉を強調させ、石榴に再度告げる。

「お、おう。わかった」

目を丸くしながら、石榴は頷いた。


 加具土が石榴とともに部屋を出た時、目の前に広がる光景に足が止まった。

それは、宿泊部屋として使っていない二階の大部屋に老若男女、子供など様々な年代の人々が列を作って並んでいる光景だった。その手には、取ってきたばかりらしい泥のついた大根やら、竹籠に入れた草餅など、野菜や食べ物を持った者が多数いた。

「なんだ、こりゃ」

石榴も驚いた声を上げる。

「こういう光景は石榴さんでも初めて見ますか?」

「あぁ。というか、あの大部屋に人が集まることなんて滅多にないからな」

すると、閉め切られた襖から雷が姿を現した。下を向いたその顔はどこか疲れて見えたが、顔を上げた時にはきりっと引き締まった表情をしていた。

そして、廊下に並ぶ人々に告げた。

「午前の診療はここまでだ。午後に診療してもらいたい者は昼餉を食べてから来てくれ」

雷の言葉に「えー」や「せっかく来たのに」、「また戻るのか」、「やれやれ」と口にする患者達だが、雷に意見することなく、素直に階段を降りていく。

「ふぅ。物分かりのいい人たちでよかった」

彼らの背を見送りながら、雷は小さく一人ごちる。そして、開けた襖から再び部屋に入ろうとしているところに加具土は声をかけた。

「雷先生」

雷が加具土を見る。すると、「あぁ、君か」と微笑んだ。加具土は雷に近づく。

「あの、さっきの行列はなんですか?」

尋ねれば、雷は肩をすくめた。

「あぁ、千鳥に診てもらいたいとやってきた患者達だよ。千鳥がここに泊まっていると噂が広まって、やってきた患者が何人もいてね。葛さんに許可をもらって、ここを診療所代わりにしているんだ」

「なるほど」

加具土は納得し、さきほどの行列を思い出す。

「そういえば、野菜や食べ物を持っていた人もいました」

「あぁ。金はとらないと知った患者達が金の代わりにと持ってくるんだ。おかげで部屋の中は食べきれない野菜や食べ物で一杯だ。まったく、彼らとて食べるので精いっぱいだろうに。人の心配をしている場合か」

瞳に愁いを灯しながら、雷は呟いた。


『おい、お前が先だ!』

『兄ちゃんが先だろ!さっきまで腹がいたいってずっと言ってたじゃないか!』

『なんだと!?』

『こら!譲り合ってけんかするんじゃないよ!ちゃんと並びな!』

部屋の中から、幼い兄弟の譲り合いのけんかを諫める千鳥の声が聞こえる。


「じゃぁ、私は行く」

「あ、はい。頑張ってください」

雷は頷き、襖を開け、中に戻っていった。


神薙の昼餉を取りに行き、部屋に置いた加具土は朝餉を厨に戻した後、石榴の待つ食堂へ向かった。

「・・・凪の人達って、貧しいんですか?」

厚揚げに箸を伸ばしながら、加具土は柘榴に聞いた。

粟と稗のご飯を大口で頬張っていた柘榴は、それを飲み込むと、考えるように目を天井へ向けた。

「貧しい・・・。そうだな。風理(こっち)は温泉街で人や物資の往来もあるから、商売や食べることには困らない・・まぁ、職を得ればだが。風理から少し離れたところや地方なんかは基本自給自足だからな。税も一律じゃないし、場所によって多いところもある。だから、病気にかかっても金を出して診てもらうなんてできない人もいる。二階に並んでいた人たちは、遠くから足を運んで来たんだろう」

「そうですか。・・・石榴さんはくわしいですね」

「水無瀬郷を出て、ここに来るまで色んな町や村を巡ったからな。多少は知ってる」

味噌汁をずずっとすすりながら、石榴は淡々と言った。

「・・・やっぱり、豊かに見えても貧しいところはどこにでもありますね」

加具土は禮甫の実情を思い出す。トワが言っていた。

この国の大半はみんな貧しい。豊かなのは、天穹の辺りだけだ、と。

「そりゃそうだ。みんながみんな飯も食えて、幸せになれるっていうのはなかなか難しい。むしろどこかが圧倒的に豊かだと貧しさとの落差は激しい。それを埋めるために国が機能するんだろうが、(ここ)では個人個人、多少裕福で余裕がある人間がその落差を埋めようと奮闘している」

十二司のことがそれに当たるだろうか。

「それはそれですごいことですよね」

自分は日々を生きるだけで精一杯だ。国全体を豊かにとか、貧しい人のために動こうと考えたことはない。

「私はここで仕事を覚えて働くことが精いっぱいで。若旦那様みたいに動いたり、千鳥先生や雷先生みたいに誰かを治したりできないですし。あの人たちを見ていると、自分はたいしたことないなと思ってしまいます」

厚揚げを口に含み、嚙み締める。出汁の浸み込んだ味がした。

「そんなことないんじゃないか。ここで働くことだって、色んな奴のためになってるんだから。胸を張っていいと思うぜ。少なくともおれのためにはなってる。あの写しを一人でやるしかないと考えただけで頭が痛くなるからな」

励まし、最後はおどけたように言う石榴に、加具土は思わず笑ってしまう。

「ありがとうございます。石榴さんはいい人ですね」

思ったことを口にすれば、石榴は照れたように顔を顰めて見せた。

「だ~か~ら~、恥ずかしいから。真顔で言うなっての」

「真顔じゃありません。笑ってます」

「笑ってたってだめだっての」

石榴は照れているのを隠すかのように、(あん)団子を口に放り込んだ。


「そういえば、水守さんと仲直りできてよかったですね」

二階で起きた行列のことが頭にあって、石榴に水守との話を聞くのをすっかり忘れていた。

「お、おう!知ってたか!」

肩を跳ねさせ、顔を赤らめる石榴に加具土は頷く。

「水守さん本人から聞きましたから」

「な、なぁ。おれのこと、何か言ってたか?」

石榴がおそるおそる聞いてきた。その表情には期待のようなものが滲み出ていた。

「石榴さんの気持ちを聞いて、石榴さんなりに考えてたんだって言ってました」

「・・・それだけか?」

一拍置いて言葉を発した石榴の顔は固まっていた。

「はい」

加具土は首を縦に振る。

「えっと、おれのことがどうとか、す、好きだとかそういうのはなかったのか?」

「えぇ。何も」

「嘘だろ~。昨日はすんなりしゃべれて、けっこういい雰囲気だったのに~~」

石榴が頭を抱える。

彼自身がそう思っていても、水守が石榴に対して幼馴染で同僚以上の感情を抱いた様子は見当たらなかった。

「・・・まぁ、頑張ってください」

石榴の目標は遠いだろうなと思いながら、言葉をかける。

「なんか心がこもってないように聞こえるんだが。気のせいか?」

じとりと見つめてくる石榴に加具土はそしらぬ顔をして答えた。

「気のせいじゃないですか?」


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