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第百七十四幕 水守といさな

いさなと食事を続けていると、仕事を終えた水守が食堂へやってきた。

盆を乗せた夕餉を卓に置き、いさなの隣(加具土から見て左側)に座った。

「あー、疲れた」

「お疲れ、水守」

「お疲れ様です」

ぐったりとした様子の水守にいさなと加具土は労いの言葉をかける。


「信じられないわ。菊の間の食事を一人で運べなんて。何回も往復するし、客の連中ときたら、今にも飛びかかりそうな勢いでこっちを見てくるんだもの。もう怖いやら呆れるやら」

「それは大変だったわね。卯月さんが一人でやるように言ったの?」

「そうよ。仕事に遅れた私が悪いんだけど、それでも七人分の食事を全部運べなんて無茶もいいところだわ。しかも、お客は腹をすかしているもんだから、いらいらして、目が血走っているし」

菊の間にいる太熊たちの様子を水守が語る。

卯月とは、給仕係全員を束ねる給仕長のことだ。五十代の砂色の髪をした女性で、給仕係の皆を鋭い眼差しで見つめ、何かあればよく通る声で指導している。加具土も指導を受けた。

「でも、どうにか七人分運んだんですね」

「そうよ。そうじゃなきゃ、仕事が終わらないもの」

「本当にお疲れ様。みたらし団子、もう一本くらいもってくれば?」

「持ってきたわ」

水守が自分の盆を指さす。確かにそこには、串にささったみたらし団子がもう二本あった。

 

「菊の間の中を初めて見たけど、まるで生きた屍がいるみたいだったわ」

たけのこ御飯や煮物を食べるより先にみたらし団子を手に取った水守は、一気に二つほどほおばり、口に入れた。

「生きた屍・・・」

「水守、お客様に対してそれは・・・」

水守の表現に加具土は目を点にし、いさなが眉をひそめた。だが、水守は取り合わなかった。

「だって本当のことだもの。いさなも見ればわかるわ。若旦那様の教え方に頭に湯気が上がるどころか、体の水分が全部抜けたみたいな感じだったもの」

「水守さんは、若旦那様が菊の間の人達に教えるところを見たんですか?」

「少しだけね」

水守は残り三つのみたらし団子を口に入れ、頷いた。

「一人分の夕餉を運んでいたときに見たのよ。若旦那様が話している間、六人は魂が抜けたような顔をしていたわ。後の一人は真剣な顔をしていたけれど」

真剣な顔をしていた――太熊だろうか。

菫青が十二司の仕事や礼儀を教えると言ったとき、取り巻き達は言いたい放題だったが、太熊だけは何も言っていなかった。十二司の幹部としての意地か、または本気で自分を変えようと思っているのか分からないが。

 加具土は小さく息をつく。

考えてもしょうがない。実際に菊の間に行けばわかることだ。

 思考を切り上げ、顔を上げた加具土は話題を変えた。

「水守さん、石榴さんと仲直りできたと聞きました」

「うん。あいつの気持ちを聞いて、あいつもあいつなりに考えてたんだなって思ったわ。・・・私もちょっと言い過ぎたところがあったし」

ばつが悪そうに水守が答える。すると、いさながにこりと音をたてるように微笑んだ。

「よかったわ。顔を合わせる度に、また嫌な雰囲気になるのは私も嫌だもの」

「いさな~」

水守が勘弁してというとでもいうように眉を下げる。

「あなたの気持ちも分からないではないけど。聞いている身としては心臓に悪いわ」

「・・・ごめんなさい」

水守が頭を下げる。

「石榴さんの気持ちが分かったなら、口喧嘩みたいな会話の頻度も少しは減るのかしら」

人差し指を頬に当て、目線を上に上げるいさなに、水守が困惑したように眉を寄せた。

「えぇ、それは・・・。あれはあいつの話をするためのやり方というか方法というか、つまりあれじゃないと上手く話ができないのよ!」

力説する水守にいさなは指を下ろし、片眉を上げた。

「仲直りするときはそんな話し方にはならないと思うけれど。それではだめなの?」

もっともといえばもっともな言葉に水守が呻いた。

「そ、そうなんだけど。でも、あいつと話そうとすると、自然とああなっちゃうというか」

目を泳がせながら、言葉をひねり出そうとしている水守にいさなが小さく息を吐いた。

「わかったわ。皮肉やからかいが混じったやり取りがあなたと石榴さんが話すための方法というわけね。互いに嫌っているわけではないけれどそうなってしまう、と」

「うん!そうなの!」

水守の顔がぱっと華やいだ。それはやっとわかってくれたかという期待に満ちたものだった。

「素直になりたいと思わないの?」

「それができれば苦労しないわよ!」

不思議な顔をするいさなに、水守が思わずといった風に叫ぶ。

「そう。大変ね」

いさなが肩をすくめれば、その仕草と言葉が癪に障ったのか、水守が投げやりに言った。

「素直といえば、あんただって緑野に自分の気持ちを伝えていないじゃない。そっちこそ素直になりなさいよ」

「なっ、それとこれとは違うでしょう!」

水守はいさなの緑野に対する気持ちを知っているようだ。

だが、話をすることと自分の気持ちを告白することは違うような気がする。

案の定、いさなが食ってかかった。

「素直になれないからといって、私に押しつけてどうするの」

「別に押しつけてなんか・・・」

なんだか険悪な雰囲気になってきた。加具土は慌て、この雰囲気をどうにかしなければと思った。

「お二人とも。ここ、食堂ですから」

案に場所が場所だからと告げれば、いさなと水守は決まり悪そうな表情を浮かべた。

「あの、水守さんは素直になること、いさなさんは気持ちを伝えることを頑張ればいいんじゃないんでしょうか。お互いに・・・」

上手くは言えないが、どちらが悪いというわけではないのだ。

そう口にすれば、いさなと水守は互いに目を合わせ、頷いた。

「お互い、頑張ろう」

「えぇ、そうね」

二人の雰囲気が柔らかいものに変わっていったことに、安堵の息をつきながら加具土は微笑んだ。


 食事を終え、二人と別れた加具土は神薙の夕餉を取りに行き、厨へ向かった。

夕餉の急須と湯呑を返し、宿舎に戻ると、なぜか玄関に水守といさなが立っていた。

「どうしたんですか?何かありましたか?」

加具土が驚いて駆け寄れば、水守が嬉しそうに顔を綻ばせた。

「ねぇ、一緒にお風呂入らない?」

「え」

「今日は月に一度の薬草風呂の日なんです。いい匂いで、肌も滑らかになるんですよ」

「そうなんですか・・・」

「お客はいつでも薬草風呂や果実風呂なんかに入れるけれど、私たちはそうじゃないから。春蘭様の計らいで、私たち従業員にも提供されることになっているの」

「へぇ」

そんな事があるとは知らなかった。

家でも、若草団の風呂でも、風車亭でも加具土は薬草風呂に入った。疲れをとるには一番だが、葦原では主流なのだろうか。

ぼんやりと考えていると、二人が窺うように加具土を見ていた。

「どう?嫌なら別にいいんだけど」

「お風呂の中で色々お話しようかと思っていたんですが、早く休みたいというのであれば構いません」

嫌なわけがなかった。水守といさなのことを知る良い機会だし、仲良くしたいと加具土も思っていた。

「いえ。嬉しいです。ありがとうございます」

微笑めば、安心したように二人は笑った。


 宿舎の浴場はひのき風呂で、同じくひのきの板で敷き詰められた洗い場は、六人が入ればいっぱいになってしまう。大浴場と比べれば小さいが、宿舎の大きさで考えると広さはあった。

 浴場は加具土たちのほかは誰もおらず、まるで貸し切りのような状態に少々はしゃぎながら、体を洗い、互いに背中を流した。そして、湯がなみなみと注がれている風呂に浸かる。

 十人ほどが入れるひのき風呂には、薬草の入った袋が三つほど入り、浴場中に花の蜜のような甘い匂いと、青草が薫るようなすっとする匂いが充満していた。

「加具土はどこから来たの?」

両腕を湯の中で伸ばしながら、水守が聞いてきた。

「暁月村です。辰都(ときと)の端にある村です」

東の禮甫れいほ、北の六花に挟まれるように辰都はあった。国というわけではなく、小さな村々がいくつも集まってできた自治村の集合体だ。村それぞれに名がつき、それぞれの村長が治めているが、便宜上、名がつけられている。

 辰都の村々は互いに交易をしているが、諍いや戦などの戦いはしない、もしあれば話し合いで解決する、そして、何かがあったなら互いに助け合うという協定を結んでいた。

 その協定もあり、辰都の村々は、自らが暮らせるだけの糧を得ながら平和に暮らしていた。

しかし、禮甫のような大きな国にとって、彼らの協定など意味はない。武器もなく、戦い方も知らない村々は攻められ、暁月村のように焼かれたのだろう。

 実際に村を焼かれるまで、加具土は辰都周辺の村々が焼かれていることなど気づかなかったが、今考えればおかしなことだ。

協定を結んでいる村長なら、村が襲われた時点で使いでもなんでも送って状況を暁月村に伝えてだろう。

そうならなかったということは、理真や夕霧たちが村人たちを脅すか、使いの命を奪うかして、情報を遮断したのだ。・・・悲しいことだが。

小闇がいなくなり、領土拡大の話はなくなったから、暁月村のようにほかの村も禮甫から補償金をもらい、村を再建しているとは思う。

(みんな、元気かな・・・)

文を送ったから、自分が元気だということは伝わっているだろう。心配していないといいが。

思い出していると、水守が口を開いた。

「けっこう遠いところから来てるのね。私は、凪の西にある水無瀬郷っていうところよ。山間にあるの」

続いていさなが言う。

「私は凪の南にある漁村から来ました。名前は海幸(うみさち)村です」

二人とも凪の出身者なのか。だが、どうして首都である風理に来たのか。出稼ぎだろうか。

「二人はどうしてここに来たんですか?」

尋ねると、水守といさなは苦笑を返した。

「水無瀬は貧しくて。粟と稗と、あと山葵(わさび)を栽培しているけれど、それだけじゃとても食べていけないから。姉もこっちに来て機織りしてるわ」

「私には弟が二人と妹が三人いて。漁業で生計をたてているんですけど、家族が多いからそれだけでは足りなくて。だからこっちに来たんです」

二人とも家族のために風理まで働きにきているのか。自分とは大違いだ。

「すばらしいですね。家族思いの娘さんがいてご家族も鼻が高いでしょう」

感嘆の声を上げれば、水守といさなは何ともいえない顔になった。

「まぁ、こういうと美談みたいに聞こえるけれど。実際、私逃げてきたのよね」

「逃げた?」

「そう!親に結婚しろってせがまれて。そりゃ、十五だし、結婚適齢期ではあるけれど、好きでもない、しかも三十も年の離れた男と結婚するなんて冗談じゃないわ。姉ちゃんはそれを見越してそうそうに働きに出てたから、白羽の矢が私にたっちゃって。あぁ、思い出すだけで鳥肌がたつ!」

水守は両肘をさすり、顔を顰めて見せた。

(・・・石榴さん。よかったですね)

もし、水守が結婚していたら、ここにはいない。水守が行動力のある人でよかったと加具土思った。

「・・・私は。姉であることに疲れてしまって。弟や妹はまだ小さいですし、頼られるのはわかるんです。でも、一日中ずっと世話をして、ついて回られるのが段々苦痛になっていって。このままだと手を挙げてしまいそうで怖くなっていたところに、風理に出稼ぎに行く人を集めていると聞いて飛びついたんです。両親にはお金のため、弟や妹にいいものを食べさせるためだといって村を出ました。・・・結局、両親に弟や妹を押し付けたような形になって。罪悪感を少しでも減らそうとほとんどのお金を送っています」

「いさな・・・」

「いさなさん・・・」

いさなの現状は思っていたより重かった。

加具土はなんと言っていいかわからず、俯くいさなを見ていた。水守も戸惑うようにいさなを見つめている。

 何か言わなければ。浴場の空気も重くなってしまっている。

しかし、義弟がいるとはいえ加具土は幼い兄弟姉妹をもったことがない。一日中世話をし、ついて回られる大変さを知らない。そんな自分が慰めの言葉を口にしていいものか加具土は迷った。

「・・・別にいいんじゃない?」

ぽつりと水守が言った。

「え?」

「どんな理由にせよ、いさなが仕送りをして家計を支えているのは事実だし、あんまり悩まなくてもいいんじゃないかしら。家族だからって、辛いときは辛いんだから。苦しかったら、離れるのもありだと思うわ。妹の私がいうのもなんだけど」

「水守・・・」

目を見開いて、いさなが水守を見る。思いもつかなかった、というような表情をいさなは浮かべていた。

水守が言葉にしたことで、加具土も迷いが消えた。

「水守さんの言う通りだと思います。でも、それでも罪悪感に苦しむようなら、一度村に帰って、ご両親に話すことも一つの手だと思います」

字が書けて、文を送れれば一番いいが、いさなも水守と同様字は書けず、読めないだろう。

「もちろん言わないという方法もあります。私たちに話したことで少し気が晴れたなら、それは嬉しいことですし。言うか言わないか迷うようでしたら、忘れてもらってもかまいません。いさなさんが気持ちよくここで働けるための選択をしてください」

決めるのはいさなだ。加具土にできるのは、少し背中を押して寄り添うことくらいだ。

「・・・水守、加具土さん、ありがとうございます」

いさなは泣くのをこらえるような表情を浮かべながら、頭を下げた。



「さ、そろそろ上がりましょうか。あんまり入っているとのぼせちゃうわ」

水守がざばりと水音をたてて、湯舟から立ち上がった。

「そうですね」

加具土も頷き、立ち上がる。いさなも鼻をすすりながら続いた。

「それにしても・・・」

浴場を出て、脱衣所に戻ると、水守が真剣な顔で呟いた。

「加具土、あんた胸大きくない?」

「な、なにをいっているんですか!?」

真顔で言い放つ水守に加具土はすっとんきょうな声を上げた。

「あ、私もそう思ってわ。着やせするんですね、加具土さん」

「いさなさんまで!?」

そういう風に見られていたかと思うと、かなり恥ずかしい。なぜだ。母にも胡蝶にも合歓にもトワにも言われたことはなかったのに。

「いいわよね~。私なんて、水無瀬郷での舞の衣装を着るときに、見栄えが良くなくて胸元に手拭いを押し込む羽目になったのよ」

遠い目をする水守に、加具土は言った。

「水守さんは体型がすらっとしてて綺麗ですし、気にすることはないと思いますけど!」

「私は村の男の子に色気がないって言われことがあって・・・」

「いさなさんは肌が白いし、つるつるです!きっとその子は照れていてわざと反対のことを言っていたんだと思いますよ!」

肩を落とすいさなを加具土は励ます。

「さ、湯冷めしちゃいます!着替えましょう!」

浴場にいた時とは違う意味での重い空気を払しょくしようと、加具土は明るく言い放つ。

(なんでこんな事になったんだろう・・・)

着替えながら加具土は思う。発端は水守の言葉だ。

(もしかして、話題を変えようとしたのかな?いさなさんのために)

加具土や水守が慰め、励ましたとはいえ、いさなの罪悪感が消えたわけではないだろう。

それを少しでも紛らわそうと水守は口にしたのだろうか。自身の胸を言及されるとは加具土も驚いたが。

(・・・私の胸って大きいのかな)

そう聞いて答えてくれる母や胡蝶はいない。

二人を思い出した加具土は、少ししんみりとしながら帯を手に取った。


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