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第百六十六幕 歩き出す

小裏を抜け、禮甫(れいほ)を出た加具土と夕霧は、隣国の牙蘭へ向かうという商人の幌馬車に乗せてもらい、その商人に暁月村の近くへ行ってもらうように頼んだ。

 小裏から暁月村までの行程は九日間という長い道のりで、途中、寄り道をするようなやり方に断られるかもしれないと危惧していたが、すらりと均整のとれた体格の女商人は、気前よく頷いてくれた。

女商人曰く、「人との出会いは一期一会。あんたらと出会ったのも何かの縁だろう。牙蘭は逃げやしないし、客も逃げやしない。気にしなさんな」ということだった。

 九日間というのは、短いようで長い。女商人と加具土と夕霧、互いの人となりを知るには十分な時間だった。

 女商人―(かや)―は、夕霧が用心棒を仕事にしたいと考えていると口にすると、事も無げに言った。

「じゃぁ、わたしを牙蘭まで護衛してくれよ。代金ははずむよ」

「は?」

夕霧が訝しげに声を上げる。戸惑いと警戒を瞳に宿らせる夕霧を気にする様子もなく、茅は続けた。

「いや、わたしも腕には多少の自信があるけれど、商品目当てに盗賊やらが大勢で押しかけてこないとも限らない。その腰に下げている剣を見ると、あんたは現役だろう?なら、ちょうどいいじゃないか。あんたは仕事がほしい、わたしは護衛がほしい。これならお互い損はしない。一石二鳥だ」

名案だとばかりに笑う茅だが、夕霧は納得がいかないように眉を顰める。加具土はなぜ夕霧が不満そうな顔をしているのか分からなかった。

「いい案だと思いますけど。嫌なんですか?」

用心棒の仕事が目の前に転がっているのだ。加具土と別れて探すよりも確実だ。何をためらっているのだろう。

小声で聞けば、夕霧は口をへの字に曲げ、呟いた。

「あまりに順調過ぎて怖いくらいだ。何かとんでもないことの前触れじゃねぇのかと思うくらいにな」

「・・・・・」

つまり、茅の提案に不満があるわけではなく、この状況に不安を感じているということなのだろう。

冷静で現実的な夕霧が、起こるかもわからない危険な未来を思い、憂いていることが意外で、加具土は目を瞬かせ、思わず笑ってしまった。

「ふふっ」

「なんだよ」

夕霧が半目で睨む。

「いえ。夕霧さんもそういうのを気にするんだなと。少しかわいいと思ってしまいました」

「かわいいだぁ?」

そう言えば、何を言っているんだこいつは、という表情を夕霧は浮かべる。加具土は笑みを消し、表情を改めた。

「でも、私と別れた後、その場所で仕事が見つかるか分からないですし。受けた方がいいと思いますけど」

「わーってるよ!」

加具土に言われるまでもなく、夕霧も茅の提案を受けた方がいいと思っているのだろう。髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜながら、夕霧は答えた。

「おい、茅!」

「なんだい?」

呼び捨てにされたことを気にする様子もなく、どこか笑いを堪えるように茅が首を動かし、目線だけを夕霧に向ける。

「その仕事、受けてやる!」

夕霧の言葉は、仕事を受ける人間の返事ではないが、それに気を悪くする風もなく、茅は笑顔で頷いた。

「あいよ!よろしく頼むね!」

 こうして、夕霧は茅の護衛を請け負うことになった。


九日間の道中は、盗賊が出ることも幌馬車が轍にはまり、止まることもなく順調に進んだ。

そうはいっても、道は整備されておらず、砂利や細かな石を乗り越え、幌馬車は揺れながら進み続けた。

九日後、暁月村近くの林へ着いた時には、空はすでに茜色に覆われていた。

日が陰り、黒々と染まった杉の林が加具土達の目の前に広がっている。


「この辺りでいいです。止めてください」

加具土は茅に馬車を止めるよう言った。

「いいのかい?村はこの林を抜けるんだろう?」

「いいんです。ここで構いません」

言外に森を抜けようかと告げる茅に加具土は強い口調で答えた。

たとえ、村に入っても加具土は活杙達に会わない。遠目で見るつもりだった。

「んじゃ、ここで止めるか。茅」

加具土の雰囲気を察したのか、夕霧が言い、茅を見た。

「あ、あぁ」

茅が手綱を引き、馬の足を止める。

加具土は幌馬車から降り、御者台にいる茅を見上げた。

「茅さん、ありがとうございました。あなたが引き受けてくれなかったら、こんなに短い間に帰れなかったと思います。本当にありがとうございました」

頭を下げれば、茅は気にするなというように手を払った。

「気にしないでおくれよ。困ったときはお互い様だっていうだろう?」

「・・・はい」

茅の心遣いに感謝しながら、加具土はもう一度頭を下げる。そして、夕霧の方を見た。

別れを告げようと口を開こうとした加具土は、夕霧が発した言葉に固まった。

「・・・茅。オレはこいつを林の前まで送ってくる」

「え」

「わかった。行ってきな」

「おう」

不意をつかれ、加具土は口をぽかんと開けることしかできなかった。その間にも着々と夕霧は茅の許しを得ていく。

気づいたときには、夕霧は馬車を降り、加具土の目の前にいた。

「ほれ、行くぞ」

「う、うん・・・」

有無を言わせぬ雰囲気に加具土は頷くほかなかった。


 加具土は夕霧と歩き、林の前まで来た。

鬱蒼とした木々の向こう、藤色の空を背景に茜色の夕日が滲んで見える。遠くには黒々とした一、二羽の鳥が風にのり、飛んでいる姿があった。

加具土は立ち止まり、夕霧と向かい合った。

「あの、夕霧さん、色々とありがとうございました」

「・・・礼を言うのはこっちの方だ。ありがとう」

礼を言えば、逆に夕霧のほうから言われてしまった。想定外のことに驚いてしまい、加具土は夕霧の顔をまじまじと見つめてしまう。

「なんだ?」

怪訝そうに加具土を見る夕霧に、一瞬なんと言っていいか分からなかったが、加具土は最終的に自分の素直な気持ちを言うことにした。

「いえ。お礼を言われるとは思っていなかったので」

すると、夕霧は失敬なという風に鼻を鳴らす。

「命を救ってもらったんだ。礼を言うのは当然だろう。それから・・・」

さらに続きがあるらしい。加具土が言葉の先を促すように夕霧を見つめると、夕霧は何かを吐き出すかのように口を開いた。

「悪かった」

「え?」

礼の次は謝罪だった。夕霧が謝ることがあっただろうかと頭を巡らせていると、顔を俯かせ、夕霧が呟いた。

「お前の村を焼いて、すまなかった」

顔を上げた夕霧の瞳には、後悔と申し訳なさが透けて見えた。

小闇の命令とはいえ、心が痛まなかったわけではないだろう。何かを壊すということは、相当の精神的緊張を伴う。夕霧も理真も人間だ。何も感じない振りを表面上しながら、けれど心の奥では傷ついていただろう。だが、それでもやってしまった事は変わらない。全てがかつてと同じ元通りになることはない。

けれど、過去は変えられなくても、今と、この先―未来―は変えられる。変えようとするかしないかは本人の意思次第だろう。

「・・・失ったものは戻ってきません」

夕霧を責めたわけではないが、その言葉に夕霧は若干傷ついたような表情を見せた。しかし、それも瞬きの間のことで、よく見ていなければ分からないほどだった。

「でも、私たちは生きています。村の人達も私の家族も。できることは前以上に素敵な村をつくることです」

夕霧が言葉なく頷く。

「もし、あなたが悔いているなら、生きてください。そして、たくさんのいい事をしてください。・・・でも、謝ってくれてありがとうございます」

「・・・あぁ」

夕霧は安堵したかのように微笑(わら)う。

加具土はこれだけは言っておかなければならないと思った。

「夕霧さん、あなたも気をつけてください。用心棒は危険がつきものですから」

すると、夕霧は口角を上げ、からかうような表情をつくった。

「お前も気をつけろよ。無茶ばっかりやってると大変な事になるぞ」

「・・・・」

否定はできなかった。だが、自分ができることはなるべくやりたい。それが人に無茶だと言われることだろうとも。

「・・・肝に銘じておきます」

気をつけるとは言えないまま、加具土はこう答えるしかなかった。そう答えると分かっていたのか、夕霧はそれ以上何も言わなかった。

 ふと、風が吹く。

それは、加具土と夕霧の背を押すような力強く優しい風だった。

 風が止み、日がさらに落ちる。二人の間の影が濃くなった。


潮時だと加具土は思った。言いたいことは言った。後は別れの言葉だけだ。

加具土は微笑む。

「夕霧さん、お元気で」

「あぁ。お前もな」

同じように笑みを返す夕霧に、加具土は頭を下げる。

そして、背を向け、日の翳った林の中に入っていった。



                ※※※※


林を抜け、加具土は暁月村へ足を踏み入れた。

「・・・・!!」

林の間から覗く景色は、かつて訪れていた村の景色ではなくなっていた。

数多くの野菜をたわわに実らせた畑、とうとうと水を湛え、秋になれば黄金色の稲穂が揺れていた水田、それらを囲むようにあった手入れの行き届いた平屋の家々も皆焼け、跡形もなくなっていた。

 人の気配はない。

全てが燃える前は、畑や水田に村人が出入りし、野菜を取り、耕し、こまめに手入れをしていた姿があったが、今はない。ただ、燃え残った物が捨て置かれた、廃墟同然の場所となっていた。

 村人達、活杙達も自分達と同じくらいに禮甫を出たのだから、すでにここにいるかもしれないと思ったが、そうではなかったらしい。

(もしかしたら、歩きで?そうだとすると、時間がかかる・・・)

村人や活杙達の無事をこの目で見たかったが、仕方がない。だが、いないならいないで確かめたいことがある。

加具土は村を抜け、活杙達と暮らしていた家に向かった。

  

家があった場所は、村にある平屋と同じく燃やされ、跡形もなくなっていた。

壁も戸も炭になり、黒く煤けている。同じ家を建てるのはかなりの時間がかかるだろう。

できあがるまで、仮の家に住むほかはない。

「・・・・・・」

加具土はしゃがみこみ、炭になった家の断片に触れる。指を見れば黒い煤がついた。

立ち上がり、加具土はかつて家があった空間を見つめる。

活気溢れた美しい村と廃墟状態となった村。生活感のあった家と跡形もない家。

その落差に胸が痛かった。


できれば活杙達と合流し、村の復興や家の修理を手伝いたい。けれど、イザナミの呪いが加具土を押しとどめる。

女神の呪いの言葉は、確実だ。そばにいればそれだけで家族や村人達を傷つける恐れがあった。

それが本当になってしまうかは分からないが。

 加具土は苦笑する。

「私も夕霧さんのこと言えないなぁ・・・」

程度の違いはあれ、起こるかどうかも分からない未来を恐れる。それは、加具土も変わらなかった。違うのは、加具土はすでに活杙達から離れる決心をしていることだ。

 

ただ、せめて彼らの顔を見たい。遠目でもいいから元気な姿が見たかった。

「あれ?」

ふと周囲に視線を走らせると、村の辺りから煙が上がっている。それは夕闇の空に微かに立ち上っていた。

もしかしたら、村人らが、活杙達が戻ってきたのだろうか。

加具土は期待に胸を膨らませ、同時に誰かに出会うことのないように気をつけながら、その煙の出所へ向かった。


 道々に生えた木々や誰もいない平屋の影に身を隠しながら、加具土は煙の出所へと歩を進める。

端からみれば怪しい以外の何物でもないが、誰もいないので気にする人間はいなかった。

 すると、村の奥、拓けた場所にいくつもの天幕が張られていた。

天幕のそばには、いくつもの荷馬車が止まり、手綱をつけられた多くの馬が下草を食んでいる。

 そして、天幕の前には三つの大鍋が出され、そこで炊き出しを行っていた。赤々と燃える薪の上に置かれた大鍋には湯気が立ち上り、香ばしい味噌の匂いが漂っていた。

その炊き出しの前には大勢の人が列をなして並んでいる。

天幕を目隠しにしながら、加具土はできるだけ足音をたてないよう、息を殺し、近づいた。

加具土は、天幕と下草の隙間から炊き出しの様子を窺う。そこでは列に並んだ村人達が思い思いに話をしていた。

「久しぶりのまともな飯だなぁ」

「あぁ、それに村にやっと帰れた。なんもかんもなくなっていたのは辛かったが、これだけ何もないといっそせいせいするな」

「だな。また、一から作りゃいい。前よりもっといいものを作ればいいだけだ」

「そうね。私たちは生きているんだもの。これからなんだってできるわ」

皆疲れた顔をしていたが、その瞳は生気に満ち、輝いていた。

衣が汚れてはいたが、大きな怪我もなさそうだった。小さく安堵の息を吐く。

その時、彼らの後方に活杙、角杙、胡蝶、胡蝶に背負われた赤子、ヨミがいるのが見えた。

「お・・・・!」

声が出そうになるのを左手で押さえ、寸でのところで止める。

 四人も同じように疲れた顔をしていたが、怪我もなく元気そうだった。胡蝶の背に負ぶわれた赤子も小闇の千里眼で見た時はぐったりとしていたが、今は血色もよく親指をしゃぶりながら、興味深そうにあちこち目を動かしていた。

(よかった・・・。みんな無事で。本当によかった)

涙が零れそうになるのを堪えながら、加具土は目を閉じる。

 活杙が角杙が胡蝶が赤子がヨミが。元気でここで生きているのなら。これから先会うことがなくても。

(私は、生きていける)

加具土は胸元に下げた月長石に触れ、瞼を開く。そして、家族をもう一度見つめた。

 家族を失った自分に、父と母となり、真名を与えてくれた活杙と角杙。

 義理の姉としての感情、そして新たな命を与えてくれた胡蝶。

そして、頼れる兄のような、世話のかかる弟のような。自分の知らない世界を教えてくれたヨミ。

(・・・ありがとう。そしてどうか元気で。幸せに)


書き置きも文も渡さずに去る自分を許してほしい。

いなくなったことで心配しているだろうが、顔を出せばこの決心が鈍ってしまう。

再会し、ここにいていいと言われ、乞われてしまえば、自分はその手を振りほどけない。

遠目で見るこの状況が加具土にとって精一杯の譲歩だった。

(ごめんなさい。・・・ごめんね)

胡蝶に請われた、赤子の名前を考え、伝えることももうできない。でも、きっと胡蝶とヨミならいい名前を考えるはずだ。そして、この危機を乗り越えた、これからも乗り越えるあの子はきっと強い子になる。

 その未来を自分が起こしてしまうかもしれない不運や不幸で閉ざしてはならない。


(・・・さよなら。私は幸せだったよ)

心の中で、家族に別れの言葉を告げる。

口元に笑みを浮かべながら、加具土は活杙達に背を向け、夕闇の中を歩き出した。


 

そして、二度と振り返らなかった。


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