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第百六十幕 理由

花衣と朧に連れられ、加具土は白雨の部屋を訪れた。

そこにいたのは、二人の男に取り押さえられている蓮華と黒曜、そして五十代ほどの男だった。

 男は蓮華を見つめ、言った。

義母上(ははうえ)、事を急ぎすぎましたね」

「白雨・・・!!」

睨み付ける蓮華とは逆に、男――白雨の表情は淡々としたものだった。

「連れて行け」

「はっ」

男達が蓮華と黒曜を連れて行く。

彼らがいなくなると、花衣と朧が膝をつき、丁寧に頭を下げた。

白雨が二人を見る。

 彼の姿はその名とは裏腹に、雨に濡れた葉のような濃い緑の髪とよく肥えた土色の瞳をしていた。

「花衣、朧、どうしたね」

「はい。この者が白雨様にお目通り願いたいと」

「朝霧の知人だと申しております」

「朝霧の・・・」

白雨は大きく目を見開き、加具土の方を見た。加具土は口を開く。

「花衣と朧さんから朝霧さんの処刑は止められないと聞きました。その理由を知りたいのです」

じっと白雨を見つめれば、白雨は眉根を寄せ、難しい顔をしながら口を開いた。

「小闇は、陰では色々とやっていたが、この国の民から慕われていた。そして、我が一族の一人でもある。朝霧の理由がどうあれ、この国のためにも処刑は止めることはできない。私を含め、側近達の家族も皆小闇の人質となっていた。私たちは小闇の言う通りにするほかなかった。私個人としては朝霧を助けたい気持ちはある。しかし、小闇が死んだことによる弊害も無視できない。現に私の義母(はは)が動いてしまった。この場所は、蜘蛛や狐、狸が住む魔窟だ。常に私の地位も脅かされ、側近たちとて一枚岩ではない。説得は難しいだろう」

「・・・もう、本当に止められませんか?」

すがるように言うが、しかし白雨の表情は変わらない。黙って頷くのみだった。

加具土は目の前にとてつもなく高い壁が立ち塞がっているような心地がした。神の身であるとはいえ、政治や国のことなど知らない小娘が罪人の助命を願うなど烏滸がましいと言われているかのようだった。

 覚悟していたとはいえ、加具土は今にも崩れ落ちそうだった。ただ、なけなしの理性が加具土を支えていた。

「そうですか・・・」

朝霧は自分を助けてくれたのに。私は何もできないのか。

失意に沈む加具土の耳に白雨の声が届く。それはどことなく労るような響きを帯びていた。

「朝霧は牢にいる。会うこともできるがどうする?」

その言葉に加具土はパっと顔を上げ、勢いよく頷いた。

「会いたいです!会わせてください!」


花衣と朧の案内で加具土は朝霧のいる牢屋へ向かった。

そこは、湿り気を帯びた地面に木の格子を囲っただけの年期の入った牢屋だった。

牢番には、「私たちが見張りをするから。今日はこれで楽しんできて」と花衣が金を握らせ、その場を離れさせたため、今は加具土達しかいない。

牢屋には暗闇が鎮座し、鼠の足音さえ聞こえない静寂に包まれていた。

明かりは、牢番の古びた机の上にある油皿に灯されたものが一つだけだった。

ほぼ暗闇に支配された牢屋内をひとつひとつ見て回り、加具土は朝霧を探した。

「!」

暗闇を透かすように見つめれば、牢屋の一つに朝霧はいた。

「朝霧さん!」

格子越しに叫べば、薄闇の中で朝霧が驚いたように目を見開いたのは分かった。

「・・・・・」

顔を合わせることはできたが、加具土は朝霧にかける言葉がないことに気がついた。

それでも何か言わなければ。

言葉を探していると、牢屋の格子に目がいく。それは、自身の炎でなら簡単に消し去れそうな代物だった。

思わず加具土の手に力がこもる。

朝霧を助けるには、自身の炎の力で牢を壊し、捕まえる人間を脅して、この国から朝霧を逃がさなければならない。

そうなれば、活杙達とは永遠に別れることになるだろう。遠目に見守ることもできない。果たしてそれが自分にできるだろうか。朝霧を救うために全てを捨てることはできるだろうか。朝霧の人生を変える覚悟と、それを背負える覚悟があるだろうか。

 加具土は左手を見つめる。

褐色の小さな手。

他者の人生を背負うにはあまりにも小さい手。

だが、それを言うなら朝霧は加具土の起こりえたかもしれない未来を変えてくれたのだ。

悪人とはいえ一人の人間の命を、心を切り捨てながら奪い、その罪を背負ったのだ。

加具土にはできなかった事をしてくれたのだ。その代償が死などあんまりだ。

 ふと、理真の言葉を思い出す。

『もし、朝霧に何があっても、それはお前のせいじゃない。全てあいつが決めたことだ。だから気に病むな』

 もしかしたら理真は朝霧がこうなることに薄々気がついていたのではないだろうか。

だから、あんな言葉を加具土に贈ったのかも知れない。

しかし、そうだとしても納得できるはずがない。

加具土は、ぐっと拳をつくる。

 ――そうだ。これは永遠の別れじゃない。生きていれば、活杙達にだって会える。そう、生きてさえいれば、なんだってできるのだ。

 そう覚悟を決めながら、頭の中でもう一人の自分が嘲笑う。

(綺麗事ばかりね。あなたは、ただ罪を背負う彼を自分に重ねているだけでしょう?ただ、自分を救いたいだけでしょう?)

 『・・・そうかもしれない』

加具土はもう一人の自分に告げる。

『朝霧さんを助けることで、自分の心を救いたいだけなのかもしれない。でも、助けたいのも本当だから。私は誰がなんと言おうと朝霧さんを助ける』

すると、もう一人の自分は呆れたような表情を浮かべ、(好きにすれば?)と呟き、闇に溶けていった。


奥歯に力を入れ、加具土は格子に再び手をかけた。そして、能力(ちから)を発動させようとしたその時。

「やめろ」

静かな、けれど有無を言わさぬ声が響いた。

 はっとして顔を上げれば、朝霧が厳しい眼差しを加具土に向けていた。

「やめるんだ」

念を押すように朝霧は繰り返す。

「でも・・・」

口を開こうとする加具土を制するかのように朝霧が首を横に振った。

「オレはお前に助けられるような、そんな大層な人間じゃない」

全てを諦めたかのようなその表情に、押し込めていた加具土の感情が爆発した。

「私は!朝霧さんに生きていてほしい!たとえ、あなたが自分の生き方に引け目を感じていたとしても、そんなこと関係ない!あなたは私を助けてくれた!それだけで私にはあなたを救う理由になるんです!」

 しかし、加具土の必死の言葉も届かない。朝霧は瞼を閉じ、顔を俯かせるだけだった。

どうしたらいいのだろう。どうしたら、朝霧の気持ちを変えられるだろう。

 焦りを感じながら言葉を探していると、花衣の甘い、けれど真剣な声音が耳を打った。

「あなたは果報者だわ。心配してくれて、生きてほしいと言ってくれる子なんてそうそういないわよ」

振り向けば、花衣が朧へと顔を向けるところだった。

「それじゃ、朧。やっちゃって」

「おう」

朧は朝霧の牢に向かい、懐から鍵を取り出したかと思うと、入り口の鍵を開けた。

その顔には怯えも動揺もなく、ただ役目を果たしているだけというような淡々とした印象があった。

 木の軋む音とともに、牢の戸が開く。

「え?え?」

目の前で起こっていることが信じられず、加具土は、花衣と朧の二人と牢の扉を交互に見る。

頭の中は疑問符でいっぱいだった。

「どういうつもりだ?」

朝霧が鋭い眼差しで朧を睨んだ。

「どういうつもりも何も鍵を開けているだけだが?」

ただ事実を述べているだけといった風の朧に、朝霧が苛ただしげに目を細める。

「オレを逃がすつもりかって聞いてるんだよ」

「そんなの当たり前でしょう?この国の害悪を取り除いてくれたあなたを処刑するなんて側近やこの国の人間が許しても、白雨様や私たちは許さないわ」

両手を腰に当て、当然だというように花衣は息巻いた。

「ど、どういう事ですか?白雨様は難しいって、止められないって言っていました。それに、お二人だって処刑は必要だって当然のことのように言っていたのに・・・」

最初に話をした時、処刑について言及していたのは朧だったが、花衣も否定はしなかった。

数分前の会話と今の会話の展開の早さについていけない。

加具土が目を白黒させていると、花衣は「ごめんなさいね」と申し訳なさそうに眉を下げた。

「私たち三人しか気配は感じられなかったとは言え、あの屋敷の中では誰が聞いているか分からない。だから、私たちはああいう風に言うしかなかったの。白雨様もそうよ」

「そ、そうだったんですか・・・」

すっかり騙されてしまった。三人とも相当な演技派だ。加具土が感心していると、朧の静かな声が部屋に響いた。

「昼間、お前が白雨様と側近の前で小闇を殺したことを告げた時、全員がお前の処刑に賛成した。だが、それはお前に小闇の罪と何もできなかった俺達の罪をなすりつけることになる。白雨様はそれを良しとしなかった。むろん、俺たち『影』の者もだ。しかし、白雨様はこの国の長として側近等を味方につけておかなければならない。白雨様は俺たちに命じた。秘密裏にお前を助けろと」

事態が好転したことに加具土は目を輝かせる。朝霧に顔を向けるが、彼は不機嫌な表情を隠さなかった。

「替え玉は病で余命幾ばくもない詐欺師の男だ。頼んだ時、男は笑っていた。この国の人間を騙せるなんて詐欺師冥利に尽きると」

だが、次の朧の言葉で加具土は顔を青ざめさせる。

――替え玉。そうだ。朝霧が処刑されなくても、処刑自体が中止になったわけではない。

そのためには朝霧に代わる誰かを犠牲にしなくてはならないのだ。

「・・・オレがそれを聞いて泣いて感謝すると思ってんのか?」

どすの利いた声を出し、朝霧が朧を見据える。

「オレは他人のお情けで生きながらえようとは思わない。これ以上オレのせいで死人がでるのはごめんだ」

「この道を選んだ時点で私たちは他者の死を踏み台にして生きているのよ。それを今更?」

「ああ、そうだろうさ!オレは今まで小闇の命令で多くの人間を殺してきた。なら、自分が死ぬときくらいは誰も犠牲にせず死にたい」

「甘ったれるんじゃないわよ!」

花衣は大声を上げ、格子を両手で叩きつけた。

「そうは問屋が卸さないわよ!死んで楽になってそれで終わりなんて許さない!あんたは新しい人生を生きるの!そして、自分はここにいていいのかと自問自答しながら、悩み、苦しみながら生きる!!それが私たちと白雨様が決めた事よ!」

「・・・・・・」

「生き続けるのがお前の罰だと言えば納得するか?」

「オレは・・・」

朝霧は苦しそうに眉を寄せる。


 朝霧の言い分も分からなくはない。加具土だって、朝霧のような立場にいたら誰かの命を犠牲にして生き残ることを良しとしないだろう。

 朝霧を救い、替え玉だという男を助けることのできる方法はないだろうか。

「・・・・・!」

一つだけ可能性はある。だが、それは蜘蛛の糸のようにか細いものだ。

しかし、(ゼロ)というわけではない。けれど、失敗すれば加具土はもう一つ罪を背負わなければならなくなる。

 ――手が震える。

自分の能力(ちから)次第で、二人の人間の人生が変わるのだ。慎重に、腹を決めてかからなければ。

 加具土はぐっと拳をつくり、大きく息を吸って吐いた。そして、目と腹に力を込め、声を上げた。

「あの、処刑って首を落とすんですか?」

「え、えぇ。そうよ」

加具土が処刑の仕方を口にしたのが意外だったのか、花衣は戸惑いながらも頷く。

「私に提案があるんですが」

「提案?」

朧が片眉を上げ、声を上げる。

加具土は自身の炎の力を「浄化と癒やしの炎」に変えたこと、その力は焼き切った切り株に再び芽を出させること、人間の傷口に当てれば治りが早いということを話した。

 人に向けて炎を放ったことはないが、処刑方法を火刑に変え、替え玉の男に向けて加具土の火を放っても焼け死ぬことはないのではないか。それならば、朝霧を助け、替え玉の男を救うことができる。

「・・・どうでしょうか」

窺うように花衣、朧、朝霧を見やる。

「可能性は低いな」

「でも零ではないわね」

「・・・・・」

朧が確立の低さを指摘し、花衣は希望を込めて呟く。朝霧は加具土を見たまま何も言わなかった。

「私は加具土に賭けてもいいと思うけれど。いくら朝霧を救うとは言え、余命わずかな人間を人身御供にすることは、私のなけなしの良心も痛むもの」

しばらくして、朧が言った。

「・・・よし、やってみよう。あるかないかの賭けだが、二人の人間が救われるならそれにこしたことはない」

そして、格子越しにいる朝霧の方を向いた。

「どうする?これでも諦めるか?」

一瞬、朝霧の口元が歪んだ。

「加具土にここまで言わせておいて『死』に逃げるの?」

花衣が噛みつくような口調で朝霧に言う。加具土も朝霧の反応が気になり、彼の顔をじっと見つめる。

 朝霧は顔を俯かせ、小さく息を吐く。やがて、顔を上げると、静かに口を開いた。

「わかった。お前達の言う通りにするよ」

そこには、目に強い光を宿し、腹を括った朝霧がいた。

 朝霧の言葉に加具土はほっと息をつく。精神的な重圧は強くなるが、加具土は自身の炎の能力(ちから)に賭けようと心に決めた。

不意に、花衣が加具土の肩に手を置いた。

「これは私たちも背負うものよ。一人で背負うことはないの」

そう言い、安心させるような笑みを浮かべる。

「あぁ。お前ばかり背負わせたら、罰が当たる」

朝霧が腕を組みながら言った。

「・・・ありがとうございます」

心遣いに加具土の胸は温かくなった。

すると、朧が口を開いた。

「あいつを連れてくる。白雨様にも伝えておこう」

「頼むわね」

朧は頷き、牢を出て行く。

「さて、朧が帰ってくるまで、替え玉の男のことや処刑の手順、その他もろもろの事を話し合っておきましょうか」

「はい」

「あぁ」

花衣の言葉に加具土と朝霧は頷いた。

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