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第十六幕 占いの館・ファントム

「だから、何も知らないんだよ、私は!」

花野警察署の取り調べ室に、ヒステリックな女の声が響き渡った。女の名は、栗谷はる。

楓と浩一を誘拐した妖狩りだった。

はるは、赤く塗った唇を歪ませ、眉を寄せた。

「だから、送られてきたんだ!『七海楓』に関する事やあの娘の周辺についての書類がね!こう、A4の茶封筒にたんまりと!」

長い髪を振り乱し、はるは向かい合う真冶に告げた。その瞳は真剣で、嘘を言っているようには見えなかった。

「あのロボット、それにアンドロイドも送られてきたのか?」

「そうだよ!住所も名前もまったくのでたらめだったけどね!」

ふんっと勢い良く鼻を鳴らすはるに、真冶は疑問を投げかけた。

「しかし、何者かもわからないのによく送られてきたものを使おうと思ったな」

「使えるもんは使う。それが私の信条だ」

ぎりっと奥歯を噛みしめるはる。その目は、睨むように真冶を見つめていた。

「そうか・・・」

はるの言葉に偽りはないと感じ、真冶は取調室から出た。


「聖川さん」

取調室から出た直後、部下の一人、川島将人かわしままさとが駆けてきた。まだ二十五と若いが、洞察力と観察力に優れ、真冶も期待している若手だ。

「おう、どうだった?」

真冶は、将人に、はるから送られてきた資料、ロボットやアンドロイドの包装についている指紋や、それらが送られてきた住所や名前について調べるように指示していた。

「駄目です。住所も名前も全て架空のものでした。それに、科捜研が調べたところによると、茶封筒や包装の類には妖狩り―栗谷はるとハンプ・藤原の指紋しかなかったそうです」

将人の報告に、真冶が唸る。

「指紋すらないときたか。ますます臭いな」

「ええ」

将人が神妙に頷く。

「・・・そういえば、この感じ。先月のアレと似ていますね」

思わずと言った風に、将人が呟く。

「アレ?」

「蘇生術事件です。あの事件も、草壁くんとその周辺の情報が書類の束になって、幻蔵達に送られてきていましたね。それから、上手く事が運べるようにサポートする道具もありました。そして、そのどちらも住所と名前が別物でしたし」

「・・・そうだな」

将人の言葉に真冶も同意する。まさか繋がっているというのか?顎に手をかけながら、真冶は考える。

刑事の勘という奴だろうか。何か大きなことが起きるようなそんな気がしてならなかった。


楓と浩一が誘拐された事件から三日が過ぎていた。悠子、直、楓は、喫茶店『ローズマリー』にいた。

落ち着いたBGMが流れ、コーヒーの匂いが鼻をくすぐる店内。背丈の高い観葉植物が置かれ、死角になった奥の座席に悠子達の姿はあった。

「なるほどね。そういうことだったの」

「はい」

神妙に呟く直に、楓が真剣な表情で頷く。

「ごめんなさい。ずっと言えなくて」

楓は俯き、申し訳なさそうに言った。

「謝ることなんてないわよ。そりゃ、言ってくれなかったのは寂しいなとは思うけど。楓の気持ちも分かるし」

そう言って、直はレモネードにさしたストローを持ち、くるくると回す。

 妖と共に生きる世界だからと言って、その存在が全ての人間に好意的にみられているわけではない。半妖も同じだ。むしろ、人と妖、二つの血をひく彼らはどちら側にも属することができないため、余計に肩身の狭い思いをすることもある。

「ねぇ、悠子は楓が半妖だって知ってたの?」

ふと、驚いた様子もない悠子が気になり、直は訊ねた。すると、悠子はさらりと頷く。

「うん。初めて会った時、少し人とは氣―気配が違ったから。聞いたら半妖だって言われて。その時、ボディガードの陽燕さんと沙矢さんにも会ったの」

「へぇ・・・。氣が感じられるのって便利ねえ」

そう口にすると、悠子の顔に微苦笑が浮かんだ。その表情に、直ははっとする。

その力に悠子が苦しむこともあるのかもしれない。

(ちょっと不用意だったかな)

しかし、謝るのも違う気がする。

直はレモネードを一口すすると、少し重い雰囲気を振り払うかのように、こう切り出した。

「あ、そうだ!学園祭でやる演劇が決まったのよ!」


支龍高校は、九月に学園祭を行う。外部からも多くの人がやってきて賑わうのだ。

去年、タコ焼き屋をやったことを悠子は覚えている。

「確か去年は、七人の小人を主人公にした白雪姫だったよね?」

「そっ!今年はこれよ!」

直は大きく頷き、リュックの中から台本を取り出すと、テーブルの上に置いた。

深緑色の表紙には、黒い文字で「ヒスイ伝」と書かれていた。

「ヒスイ伝?」

聞き慣れない題名だった。オリジナルだろうか。題名を口にしながら、悠子は思った。

「オリジナルですか?」

気になったのだろう。楓が尋ねる。

「そう。ただ、少しだけ日本神話をモチーフにしているけど、ほぼオリジナルといっていいわね」

そして、直は「ヒスイ伝」のあらすじを語り始めた。


―あるところに、翡翠と朔耶さくやという二人の姉妹がいた。

妹の朔耶は王族である仁丹伎ににぎとの結婚を控えていた。ある日、花嫁と花婿が身につける王族秘伝の装身具が紛失するという事件がおきる。犯人は、王族お抱えの彫金師、天星てんせいだという。天星の人となりを知る翡翠は、無実だと訴えるが、聞き入れてもらえない。牢に入れられた天星が一週間後に処刑されると聞いた翡翠は、彼を救うため、妹の朔耶と共に犯人探しに奔走する。


「―という話なの」

「へぇ、おもしろそうだね」

「直さんは何の役で出るんですか?」

「ふふふっ」

楓が聞くと、直は嬉しそうに笑い声を上げた。

「なんと、朔耶役になりました~!」

その言葉に悠子と楓は目を丸くする。

「準主役ですか!」

「すごいね、直ちゃん!」

驚く二人に、直は右手でブイサインを作った。


 翌日の放課後。体育館の壇上で、直達演劇部員は、背景の配置を話しあっていた。

そばでは、バスケ部員の試合が行われている。彼らの靴が擦れる音と、ボールのドリブル音が響く中、直達は話を進めていく。

「背景の位置はどうする?」

「そうね。この辺りに――」

その時、ギィギィという金属が擦れるような音がしたかと思うと、天井にぶら下がった照明器具が、直達の真上目掛けて落ちてきた。

「あぶない!」

誰かの声と悲鳴が聞こえる。しかし、突然のことだったため、直は反応できず、動くことができなかった。

 照明が甲高い音を立てて、落ちてくる。その様を直は見つめることしかできなかった。



「本当にありがとう!鈴原さん!」

隣のクラスの女生徒―内村香里うちむらかおりが頭を下げる。その手には、オレンジ色の手帳があった。

「ううん。見つかってよかった」

首を振り、悠子は笑みを浮かべる。楓と同じ水泳部の香里は、財布をなくしてしまったといい、そこで、失せ物を探せる悠子に頼んできたのだ。

 直後、まるで雷が落ちたかのような轟音が鳴り響いた。

悠子はその時、直の氣を感じ取った。ひまわりのような華やかで力強い氣が、大きく揺らいでいる。

(直ちゃん―!?)

直に何かあったのか。氣を探れば、そこは体育館の方角だった。

「な、何!?今の音!?」

驚き、辺りを見回す香里。教室からもざわめきが聞こえ、廊下に顔を出す生徒もいた。

ただ事ではない。

悠子は、体育館に向かって走り出した。



「おい」

背後から聞こえてくる声に、直は我に返った。

振り向けば、10という番号が書かれた赤いユニフォームに身を包んだ歩が直を見下ろしていた。その顔には、なぜか不安げな表情が宿っている。

「あんた、なんでここにいるの?」

部活をしていない歩が体育館にいることが不可解で、直はそう口にしていた。

すると、歩は片眉を上げ、小さく息を吐いた。

なぜだか馬鹿にされているようで、直は思わず眉を寄せる。

「高木にバスケ部の助っ人、頼まれたんだよ。ところで、怪我はないか?」

「怪我?」

何か怪我をするようなことをしただろうか。頭がぼんやりとして動かない。

顔を正面に戻すと、舞台上にぐしゃぐしゃに潰れた照明があった。ガラスの欠片も飛び散り、見るも無残な塊と化している。

「あ・・・」

思い出した。動けなくなった直を、歩が腕を掴んで舞台から引っ張り出してくれたのだ。でなければ、今頃、照明に押し潰されていただろう。直は、背筋が寒くなるのを感じた。

「・・・ありがと。助かったわ」

「おお」

礼を言うと、歩は頷いた。



体育館に着いた悠子は、舞台上の惨状に思わず息を呑んだ。

だが、幸いに怪我人はいないらしい。ユニフォームを着た生徒と制服姿の生徒の何人かが遠巻きに、ステージの上を見つめている。

悠子は、直を探した。すると、床に座り込む直とその隣に立つ歩の姿があった。

「直ちゃん!」

安堵しながら、悠子は直に駆け寄った。

「悠子・・・」

少し目を丸くさせ、直が悠子を見る。

「無事でよかった。怪我はない?」

「え、うん。堯村に助けてもらったから」

悠子はそばにいる歩に礼を言った。

「ありがとう。堯村くん」

「・・・いや」

歩が何か言いたそうに悠子を見る。しかし、それが言葉になることはなく、ただ首を横に振っただけだった。

やがて、バスケ部顧問の杉野、演劇部顧問の藤原が駆け寄ってきた。二人の指示に生徒達が従う中、悠子は、ぐしゃぐしゃに潰れた照明器具の上部から悪意めいた嫌な氣を感じた。

目線を上に上げれば、ちょうど照明を支える支柱が、刃物で切り裂かれたように綺麗に切断されていたのだ。

(あんなに綺麗に切断されているなんて・・・)

もしかして、妖が関係しているのかもしれない。疑いたくないが、校内にいる半妖の生徒か、それとも外部から紛れ込んだ妖か。外部から紛れ込んだなら、改良された結界が反応し、隼達、鬼討師が対応するはずだが今のところその気配もない。

 なら、犯人は校内にいるのか。

気が重くなるのを感じながら、悠子はその氣を覚え、校内でその気配のする相手を探した。

けれど、下校時間になっても見つけられず、結局、徒労に終わってしまった。


次の日、体育館は使用禁止となり、体育の授業は外で行うことになった。

体育館には警察が入り、現場検証をして、事故かそれとも他者が介入したものなのかどうかを調べていた。

 直は、昨日の事があったにも関わらず、元気な様子で登校してきた。

悠子が「休んでもよかったのに」と言うと、「動かないほうが嫌な事を思い出さずにすむから」と、直は笑って返した。


気分転換にと、悠子は、直と楓と一緒に商店街へ来ていた。

夕食を買いに来ている主婦たちや、学校帰りの中学生の姿も見えた。肉屋の「トントン亭」から漂ってくる揚げ物の匂い、青果店や鮮魚店の威勢のいい掛け声を耳にしながら歩いていると、何やら人だかりができている場所があった。

 ワインレッドの天幕の前に老若男女、様々な人が並んでいる。上に掲げられた看板には、占いの館・ファントムと書かれていた。

 その最後尾に、一人の少女がいた。彼女は、支龍高校の制服を着ていた。

少女が何気なく振り向く。横顔しか見えなかったが、どこかで見たことがある顔だなと悠子が思った瞬間、少女が驚いたように目を開き、声を上げた。

「直!それに、七海さんに鈴原さん!」

 声を聞き、悠子は気づいた。彼女は、同じクラスの花沢心だ。直と仲が良く、流行のファッションや芸能人にくわしい。

「心、何?この行列」

直が行列を指さし、心に聞いた。

「あ、直は知らないんだっけ?ここ、二、三日前にできた占い屋さんなのよ。その占い、すごく当たるって評判で、アドバイスしてもらった人、みんなが性格も変わって、人生も変わったっていうくらいなんだって」

「ふ~ん」

「それはすごいですね」

直は興味がなさそうに返事を返し、楓が感嘆の声を上げる。直は、占ってもらっても結局自分が努力しなければならないと考えているから、占いには興味がない。楓も占いにこだわる性格ではなく、ただ心の話に純粋に驚いたのだろう。

 悠子は心の話を聞きながら、行列を見、天幕を見上げる。

それは、突然の事だった。昨日感じた悪意めいた氣が、それを見た直後、体を突き抜けてきたからだ。

(え――!?)

悠子は思わず天幕を凝視する。また、同じ氣を感じ、悠子は確信した。

(ここに、あの氣の持ち主がいる!)

悠子は、心と話をしている直に言った。

「直ちゃん」

「ん、なに?」

「花沢さんの話を聞いて、興味が湧いてきちゃった。ちょっと占ってもらおうかな」

「え、悠子ってそういうの気にしないんじゃなかった?」

確かに、悠子自身、占いに拘わる性格ではない。せいぜい、年初めにおみくじを引くくらいだ。

(これは唐突すぎたかな)

そう思いながらも、照明器具を落とし、直やほかの生徒を危険にさらした犯人を見過ごすことはできなかった。

「時間がかかると思うから、直ちゃんと楓ちゃんはどこかで時間潰してていいよ。終わったら、携帯に電話するから」

「そう、わかった」

意外な顔をしながらも、直は頷く。

「わかりました」

楓も頷いた。

悠子は心の後ろに並び、占いの館・ファントムに入っていった。


「珍しいわよね。悠子が占いなんて」

「そうですね」

悠子が行列の中を進んでいくのを見ながら、直が呟き、楓が同意した。

「直、七海?」

不意に後ろから達騎の声が聞こえ、振り返れば、目を見張った表情で達騎がこちらを見ていた。

「あら、達騎。今日もコロッケの買い食い?」

達騎が「トントン亭」のコロッケを気に入っていると知っていた直は、今日もそうなのだろうと考え、尋ねる。

「いや。今日は違う、じゃない。お前ら、どうしてここにいるんだ?」

どこか張りつめたような顔をする達騎に違和感を感じながら、直は言った。

「どうしてって。行列ができてたから、何かなと思って。そしたら、占いをしてるって話を聞いたのよ」

「占い・・・」

「悠子さんが興味があるって言って、中に入りましたけど」

「鈴原が?」

悠子の名を聞き、達騎の表情が強張り、思い切り眉が寄った。そして、何かを決意したように唇を引き結ぶと、行列の最後尾へ足を進める。

「この行列に並べばいいんだな」

達騎の行動に、直は目を瞬かせた。

「え、ちょっと!あんたも占いに興味があるの!?」

「あぁ!!」

半ば投げやりなその返答に、直は何かがおかしいと感じた。達騎の態度には、占いに興味があるというような雰囲気が感じられない。むしろ、戦いに赴くといったようなそんな殺伐としたものを感じた。

それに悠子の名前に反応したということは、巫子関連の何かがこの店にあるということなのか。

気になった。直は、悠子や達騎がどんなことをしているのか、話には聞いていても、実際に見たことはない。それに、この間、楓と浩一が誘拐された時も、ただ待っていることしかできなかった。

何か自分にもできることを。

それは、のけ者にされたような疎外感を感じているからか。

足手まといかもしれない。けれど、ただ待つだけなのは、もう嫌だった。

「楓、私も行ってくる。適当にどこかぶらぶらしてていいわよ」

「えっ、直さん!?」

驚く楓をよそに、直は行列の中に突っ込んでいった。


悠子が天幕の前で待っていると、占いが終わり、中から心が出てきた。満足そうに笑みを浮かべている。

「次の方、どうぞ」

凛とした声が天幕から聞こえてきた。

悠子は、意を決して天幕の布を持ち上げる。

 中に入ると、水晶玉が置かれたテーブルの前に一人の女性が座っていた。女性は口元を布で隠し、目元しか見えない深緑色の衣装を身にまとっていた。

一台のランプだけが室内と、女性の目元を照らしている。占いという雰囲気を出したいのか、やけに薄暗かった。

「さぁ、こちらに」

ほっそりとした手が女性の向かいにある椅子を指す。

 悠子は女性の氣を探りながら、椅子に座った。

「私の名はカサンドラ。占いを生業としながら諸国を旅する者です。あなたの名前は?」

「・・・鈴原悠子です」

「悠子さん」

名を聞き、カサンドラが目を細める。

「何を占いましょうか。恋愛?それとも未来?」

「・・・・・・」

カサンドラの言葉を聞きながら、悠子は内心焦っていた。

入る前に感じていた悪意ある氣が感じられず、彼女からも何も感じられなかったからだ。

(私の気のせい?でも・・・)

「どうかしましたか?」

小首を傾げるカサンドラに、悠子は慌てて返した。

「あの、アドバイスもしているって聞いたんですけど」

すると、カサンドラは嬉しそうな声を上げた。

「えぇ。悩みを聞いてほんの少し助言を。みなさん、喜んでくださいます」

「それじゃぁ、それでお願いします」

「かしこましました。それでは何をお悩みでしょう?」

「えっと・・・」

(あれ、私、悩むこと、あったっけ?)

悠子は、思わず固まった。

 巫子に関することは部外者に言うことはできない。達騎のことは心配だが、何があっても止めることを自身に課している。

 友人関係、学校の勉強。様々な事が頭に思い浮かぶが、悩んでいるといわれれば、そこまで悩んでいない。

(ど、どうしよう・・・)

だが、どうにかして時間を稼がなければならない。あの悪意ある氣の正体を掴めていない。

「私があなたをみて差し上げましょうか?」

「え?」

カサンドラの言葉に、悠子は思わず顔を上げた。

「いえ。お客様のなかには、悩みをすぐ口にできない方もいらっしゃいますから。私がお客様をみることで、お客様自身が悩みを口にしやすいようにしているのです」

「そうなんですか・・」

「えぇ。いかがですか?」

「・・・わかりました。お願いします」

「では・・・」

カサンドラは、手を磨かれた水晶玉にかざし、瞳を水晶玉に向けた。

 悠子は、さっと周囲を見回す。天幕の布だけが天井を覆った簡素な造りで、誰かが忍び込めるような空間などなかった。

(私の勘違いなのかな)

カサンドラからも、あの悪意ある氣は感じられない。取り越し苦労だったのだろうか。

「あなたは・・・」

不意にカサンドラの唇から声が漏れ、悠子は視線を彼女に戻した。

「あなたは、優しい方ですね。人も妖も、霊や精霊にさえ、慈愛の心をもっていらっしゃる。それはなかなかできることではありません。何があなたをそこまで駆り立てるのか」

カサンドラの強い眼差しが、悠子を射抜く。

「そう、それは十一年前。妖に取り憑かれ、友達を、母を傷つけてしまったあの日から」

悠子は息を呑む。

なぜ、カサンドラがその事を知っているのか。両親と達騎以外は誰も知らないはずなのに。

 悠子の手の平に汗が滲んだ。

「あの時、幼かったあなたに取り憑かれていた時の記憶はない。でも、本当にそう?」

悠子の心を抉るように、カサンドラの瞳がじっと悠子を見つめる。

「本当は覚えているんじゃないの?」

カサンドラの言葉に引きずられるように、悠子の頭に何かがよぎる。

悠子は、目を大きく見開いた。


カイ、ギン、ソロが雷撃を受けて倒れていく。母が止めようとして、前に出たところを強い力で薙ぎ払った。

 背後から衝撃を感じ、振り返れば、羽衣が自身の体を捕まえている。

(邪魔だ!)

悠子の体を乗っ取った妖は、拘束を解き、羽衣の依り代である梅の木を、その力で真っ二つにした。

 

 悠子の体が震えた。息が荒くなり、目の前が歪む。

――思い出した。

あの時の記憶を。そして、乗っ取られていた時の感情も。あの時、悠子の体は自身の力ではどうにもならなかったが、その意識はおぼろげにあった。

やめてと叫びながら、悠子は確かに感じていたのだ。

 楽しい、と。


「―――っ!!」

吐き気を感じ、悠子は思わず口元を手で覆う。

「大丈夫?」

カサンドラが声をかける。しかし、その声音に悠子を案じるような気配は微塵もなかった。むしろどこか楽しんでいるようなそんな雰囲気さえ漂っている。

「・・・・・」

吐き気を押し殺し、悠子はカサンドラを見る。

(――この人は一体?)


その時、天幕の入り口から、何かが飛び出してきた。それは悠子の脇をすり抜け、水晶玉の置かれたテーブルへ突き刺さる。

それは、黒い槍―風雲時雨だった。

「ずいぶん、楽しそうだな」

怒りを押し殺したような声が悠子の耳に届く。

 振り向けば、達騎が荒く息を上げながら、立っていた。そして、厳しい視線をカサンドラに向ける。

「占い屋が客の細かな情報なんて知るはずがない。お前、何者だ?」

突然現れ、槍を叩きつけた達騎に驚く様子も見せず、カサンドラは肩をすくめてみせた。

「聞いていたの。あなた、巫子よりスパイの素質があるんじゃない?」

「黙れ!うちの体育館の照明を落としたのもお前の仕業だろう!」

達樹はテーブルから槍を引き抜き、カサンドラにその刃先を向けた。しかし、カサンドラは動じた様子もなく、小さく息を吐く。

「相手したいのはやまやまだけど、今日の相手はあなた達じゃないのよ」

 次の瞬間、室内が大きく揺れ、天幕の布がまるで波のように悠子達を襲った。

「ひゃぁっ!」

「くっ!」

布は、悠子と達騎の体に巻きつき、強く締め付けた。

「それじゃ、頑張ってね」

カサンドラが片手をひらひらと振り、天幕の入り口から出ていく。

「まっ、待って!」

「待ちやがれ!」

カサンドラの背中に叫ぶ二人の声は、波のように揺れ動く室内に空しく響いた。


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