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第百五十六幕 小闇

三日後、加具土たちは禮甫れいほにいた。

禮甫に入り口には検問所が設けられており、商人ばかりでなく、荷の少ない旅人も点検の対象になっていた。

 筆と覚え書きを持った兵士が荷を点検し、同時に商人や旅人に質問をする。その様子を槍を持った二人の兵士がぎらりと目を光らせ、見つめていた。点検する兵士達は合計で六人おり、三人一組で作業を行っていた。

 覚え書きを持った兵士は馬車に一台一台目を通すと、筆を走らせ、書き付けていく。

やがて「もういいぞ」と声をかけられ、加具土たち若草団はすんなりと通ることができた。

 馬車は人が行き交う大通りではなく、馬車でもぎりぎり通れるかどうかの狭い裏道を抜けていく。

 しばらく道なりに進み、裏道を抜けると、そこは茅葺き屋根の屋敷が多く建ち並ぶ閑静な街区だった。

 人の姿は見えず、緑が生い茂る生け垣を挟み、多くの屋敷が見えるだけだった。


 馬車が止まる。止まった場所は、銀杏の木が植えられた屋敷の前だった。

――ここが小闇のいる場所だろうか。

 加具土が青々とした葉を伸ばす銀杏の木を見つめていると、薊がやってきた。

「加具土、いるかい?」

「はい」

返事を返せば、薊が顎をしゃくった。

「この国で興行するには許可状が必要でね。それをもらえるのがこの屋敷なんだ。悪いけれど、一緒に来てもらえるかい?」

「・・・分かりました」

それは嘘だと加具土は気づいた。許可状をもらうだけなら薊だけで十分なはずだ。それなのに加具土を誘うということは、やはり、目の前の屋敷が小闇の屋敷ということになる。

 唾を飲み込んでから、加具土は立ち上がり、馬車を降りた。

振り返ると、一緒に乗っていたナズナと合歓ねむと目が合う。ナズナは行ってらっしゃいという風に手を振り、合歓は不安気な表情を隠していない。

 ナズナは加具土が許可状をもらうために降りると疑っていないから、合歓はそうでないと気づいているためだ。同じように馬車に乗っている者たちの中で子供達はきょとんとした顔をし、大人達は複雑な表情を一様に浮かべていた。

 加具土は向き直り、彼らに向かって頭を下げた。

たとえ、計画のためだったとしても自分を助けてくれたことは事実だ。そのための礼だった。


 先に行ってしまった薊を追いかけ、加具土は駆ける。

足下の道は、拳骨ほどの石が転がり、泥だらけの整備されていない道ではなく、角張った白い石が敷き詰められた整備された道だった。ただ、馬車が通った轍の跡が黒く尾を引いている。けれど、それを差し引いても美しい道で、ここが豊かであることが窺えた。

 

開け放たれた門へと入っていく薊の背中が見えた。

 速度を上げ、薊に追いつく。

形良く整えた松の木の間を通り過ぎ、苔むした飛び石を伝っていけば、目の前に玄関が見えた。締められた引き戸は年輪を携えた一枚板で、日の光を差し、滑らかに輝いている。

 薊が引き戸を開けると、上がり口に一人の男がいた。

「・・・・っ!」

その男を見た瞬間、加具土はあやうく声を上げるところだった。

両目は閉じられ、その周りにはやけどのような痛々しい傷がついたその男は、鎧を着ておらず、剣も差していないが、間違いなく自分を刺した男だった。理真りしんと呼ばれていたことを思い出す。

 塞がれたはずの傷口が疼くような感覚と、冷や汗が加具土の額に浮かんだ。

男――理真の顔が薊と加具土に向いた。けれど瞼が開くことはなく、加具土は男が盲目なのだと気づく。

「誰だ?」

わたくしは各地で興行をしている薊と申します。この国で興行をする許可状をもらいたく参上しました」

流れるような口調で薊が言うと、理真は軽く頷いた。

「わかった。こちらへ上がれ」

理真は二人に上がるように言うと、見えていないとは思えない足取りで歩き出す。

翻った左袖からは、あったはずの左手が見えなかった。

(――どうしよう)

加具土は困惑していた。

考えた計画では、薊がいなくなった隙をついてこの場から逃げ出すつもりだった。けれど薊がおり、案内の男は盲目とは言え馬に乗り、面識のない加具土を刺した手練れだ。逃げ出す隙もない。

 それにこの屋敷がどれくらいの広さかも分からず、ただ闇雲に逃げれば捕まってしまうだろう。

能力ちからで火を出し、火事を起こせば誰かが煙に巻かれて命を落とすものが出るかも知れない。それは躊躇われた。

ぐるぐると頭を悩ませていると、理真が立ち止まった。

目の前には、黒塗りの襖があり、黒を下地に銀の金箔で描かれた群生した菖蒲が描かれていた。

「小闇様、薊と申す者が許可状を得たいと申しております。いかがしますか?」

「・・・入りなさい」

優しく穏やかな声が襖の向こうから聞こえてきた。

理真が右手で襖を引く。

部屋の中には一人の男が文机の前に座り、何かが書かれた書き付けを眺めている。

男――小闇は顔を上げると、にこやかな笑みを浮かべた。

「やぁ、来たね」

小闇の左目には眼帯がしてあり、右目は山の地下で煮えたぎる岩漿マグマのような赤い色をしていた。その瞳を目にした瞬間、加具土は押しつぶされそうな重苦しい感覚を覚えた。

この男は何かが違う。それを加具土は頭ではなく、本能で理解した。

 次の瞬間、幻であったかのようにその感覚は消えるが、加具土の背には鳥肌が走ったままだった。


「・・・では、私はこれで」

「あぁ、ありがとう。若草団にはこれからも色々と手伝ってもらうからそのつもりでいてほしい」

「仰せのままに」

小闇の言葉に薊は満面の笑みを浮かべ、一礼する。そして、加具土の存在など忘れたかのように加具土の脇を通り過ぎた。

「あの、許可状は?」

加具土は薊の真意を知っていた。今更必要ないと思うが、一応知らない振りをして薊に問いかける。すると、薊の笑みは消え、冷ややかな瞳が加具土を射貫いた。

「そんなもんはいらないよ。あんたも白々しいから知らない振りをするのをやめたらどうだい?」

「・・・・!」

気づかれていたのか。

目を見開く加具土に薊が「はんっ」と嘲笑うような声を上げた。

「だてに長く興行師をやっていないよ。表情を読むなんてお手のものさ。それにあんたのは顔に出やすい。読まなくても分かる」

そう口にする薊は、初めて会った時とは別人のようだった。

こちらが本当の薊なのだろうか。――いや、人は様々な面を持っている。裏があったにせよ、あの薊の優しさは本物だろう。でなければ、娘のナズナがあんな真っ直ぐに育ってはいない。

彼女は団長として、若草団を守り、存続させていく義務がある。そのためなら嘘もつく、ということなのだろう。

 けれど、そうだとしても加具土は悲しかった。だがそう言ったところで、それは加具土の勝手に過ぎない。薊に笑われるだけだろう。

 「ま、あんたが逃げなくてよかったよ。全部しゃべってくれた合歓ねむと鬼灯には感謝しないとね」

二人に感謝など微塵も思っていないだろうことが、軽く笑い声を上げる薊で分かる。

「・・・助けてくれてありがとうございました」

口の中に苦いものが混じるのを感じながら、加具土はそれでも頭を下げた。

顔を上げれば、薊はすでに背を向け、去っていた。



「加具土、君に会えて嬉しいよ」

小闇と向き合えば、にこりと音をたてて小闇が笑う。その表情には何の邪気もなく、ただ純粋に嬉しさだけが浮かんでいた。

「・・・失礼ですが、私はあなたを知りません。どうして私を知っているんです?あなたは一体何者ですか?」

その笑みにどこか不気味さを感じながら、加具土が尋ねる。

すると、小闇がくすりと笑った。

「そうだね。まずは自己紹介からしようか。私は小闇。この(れい)()の族長、凌霄(のうぜん)の息子であり、そして、かつて根之堅洲国(ねのかたすくに)を治めていた黄泉津神(よもつかみ)でもある。生まれ変わりといって言いだろう」

小闇は胸元に手を置き、加具土を見据えた。

「私は黄泉津神として再び返り咲きたい。加具土、君の力を貸してほしい」

黄泉津神――劇でいう「根の国の長」のことだろうか。言っていることが本当なら、彼は小闇という人間の人生を捨てるつもりなのか。

「あなたが神だというなら、今の人生を捨てるつもりなのですか?」

「捨てる?捨てるつもりも何も私は私だ。ただ、元いた場所に戻るだけのことだ」

「根の国の長はすでに母――伊耶那美がなっています。平穏であろう根の国を乱す必要はないと思います」

すると、小闇がおかしそうに笑い声を上げた。

「なぜだ?彼女はもはや天地(あめつち)全ての生物を愛する者ではない。君を恨み、憎しみに囚われた怨念だ。そんな彼女を根の長に君臨させ続ければ根は崩壊するだろう」

その確信した言い方は、千里眼で自身と伊耶那美を見ていたことを告げるものだった。

なんとも言えない嫌悪を感じながら、加具土は目に力を込めた。

「もしそうなら、この葦原は生と死が曖昧な混沌の世界になっているでしょう。けれどそうはなっていない。彼女は魂まで憎しみに囚われてはいません」

「その証拠はどこにある?君の想像でしかない」

「あなたが言うことだって証拠はありません。お互い様です」

「君は伊耶那美を憎んでいないのか?彼女がいなくなれば君は家族の元へ戻れるだろうに」

それは、伊耶那美の命を二度も奪うことを意味していた。そんな事をするつもりは毛頭ない。

加具土はきっと眦を上げ、小闇を睨み付ける。

「何を言われようと、私はあなたに力を貸したりはしません」

すると、小闇の穏やかな雰囲気が一変し、目が鋭さを増した。

「私はお願いをしているんじゃない。これは命令だ」

「できません!!」

小闇はふっと笑う。それは加具土の反応を想定した笑みだった。

「では、これを見てもらおう」

小闇は加具土の肩に手を置くと、眼帯を引き上げた。その左目は光すらない闇そのものだった。飲み込まれそうで、思わず後ずさる加具土の肩を小闇は強く掴む。

「見なさい。君の家族と村の者達だ」

闇の中から浮かび上がってきたのは、灰色の岩肌がむき出しになった谷で働く活杙達と村の者達だった。

子供も男性も女性も老人も関係なく、岩を四角く切り出し、またはぼろぼろに崩れた岩の破片を運んでいる。皆一様に疲れた顔をし、周囲には弓矢や剣を携えた男達が厳しい目つきで彼らを見ていた。まるで監視のようだった。

幼い子供たちは懸命に細かい岩を運び、活杙や角杙のような年頃の男女、胡蝶やヨミのような年頃の男女はもくもくと体や手を動かし、明全のような老年の男女も手足を必死に動かしていた。

「・・・・!」

加具土は胡蝶の背に背負われた赤子を見て息を呑む。赤子はぐったりとして泣く元気すらないようだった。

小闇が眼帯で左目をしまう。

「この国を狙う者は多い。検問所はあるがそれ以外は深い堀しかなく、入ってくださいと言いるようなものだ。そのためには強固な壁が必要だ。彼らにはそのために働いてもらっている。もちろん食事と睡眠もしっかり取っているぞ」

活杙達や村人達の姿を図らずも見ることができたのは嬉かったが、置かれている状況に加具土は唖然とした。あの様子では、小闇の言うとおりきちんと食事と睡眠を取っているとは思えない。

「嘘です!食事と睡眠をちゃんと取っているなら、あんな顔色ではありません!それに禮甫のためだというならもっと活気があっていいはずです!それがないということは、食事も睡眠も十分に取らずに無理矢理させているんでしょう!」

小闇は首を傾げた。

「さぁ。責任者からはそう聞いていないが」

あまりに白々しい言葉に加具土は絶句した。こんな男が合歓たちの慕った男だということが悲しい。

小闇は黄泉津神としての記憶を取り戻した瞬間、変わってしまったのだろう。彼自身が小闇という人間として生きるのではなく、黄泉津神として生きようとしているのだ。

各地の村や町を襲い、領土を広げ、守るために壁をつくる。そのための計画を小闇は担っているようだが(理真がそばにいるということはそういうことなのだろう)、それは禮甫を思っているからではなく、記憶を取り戻す前に行っていたことを惰性にしているに過ぎない。本気で国のためを思っているなら、問答無用で村や町を襲い、他者の怒りを買うようなことはしないし、合歓や鬼灯、薊たち、末席の一族をないがしろにしないだろう。

 そんな男が根の国の長に返り咲いたら、死者の魂の拠り所が一瞬で壊れてしまう。

絶対にこの男の言うとおりにはならない。何があっても。

 加具土は思いを新たにした。

腹に力を込め、目に力を込める。睨むような視線に小闇は揺らぐことなく、むしろどこか楽しげな口調で続けた。

「しかし、あそこは危険な場所だ。落盤が起きるかもしれないし、たまたま足を滑らせて死んでしまうかもしれない」

小闇は「偶然」「たまたま」という言葉を強調する。暗に活杙達、村人達の命は自分の手の中にあると告げたのだ。それは、いつでも彼らを亡き者にできるという脅しだった。

加具土は歯がみする。

そして低く呻くような声を上げ、小闇を睨み付けた。

「卑怯です!私を使いたいのなら、拷問でも何でもすればいい!彼らの命を盾にする必要なんてない!!」

声を荒げる加具土を気にする風もなく、小闇はそっけなく答えた。

「女性に拷問など、いつの時代の人間だ?それに君は意思が強そうだ。君自身よりも周りの人間を使った方が君の心を揺さぶれると考えた上の結果だよ」

手段を問わない小闇のやり方に加具土の堪忍袋の緒がついに切れた。

「あなたは黄泉津神になれはしない!慕ってくれる人を切り捨て、人を道具としか思っていない、そんな者が黄泉津神になったとしても死者の魂がついてくるわけがない!あなたの方こそ見捨てられ、孤独を感じながら根の国に居続ける!名はあってもそこに実などありはしない!ただの抜け殻の国の王だ!!」

パンッという音がしたかと思うと、加具土の左頬に強い痛みが走った。

小闇に手を張られたのだ。小闇を見れば、そこには何の表情も浮かんでいなかった。

「・・・君がその炎の力で伊耶那美の魂を亡き者にしないというのであれば、君の家族を、村人達を一人ずつ君の目の前で殺そう。私の目の中で彼らが無様に死んでいく様を黙ってみているがいい。理真」

「はい」

「すぐに真秀(まほ)の谷へ向かい、監視者に命じろ。彼らの命を奪えと。抗議するようなら私が言ったと伝えろ。問題はない。補充の人員は考えてある」

「分かりました」

顔色を変えることなく理真が一礼し、出て行こうとする。加具土は顔を青ざめさせ、慌てて彼の衣の裾を掴んだ。

「待って!待って、お願い!!」

振り向いた理真の眉が苛ただしげに寄る。だが、加具土は裾を離さなかった。

背後から小闇の冷淡な声が聞こえた。

「何だ?お前は家族や村の者を見捨てると決めたのだろう。二度も実の母を殺したくないという自分の(エゴ)のために」

頭の中に、活杙、角杙、胡蝶、赤子、ヨミの顔が浮かび、村人達の姿がちらつく。

加具土は奥歯を噛み締め、左手の血管が破れるのではないかと思うほど強く手を握りしめた。

 母の命と家族と村人大勢の命。どちらも大切で優劣などない。

――どちらも救うために自分がやれることは。

 握りしめた手を緩め、胸元に手を置く。そこは衣の下から首飾りを感じることができた。

加具土は目を閉じ、大きく息を吸い、吐く。

――みんなの顔は見られた。もう十分だ。私はもう十分に生きた。

活杙も角杙も胡蝶もヨミも怒るだろうが、他に方法はない。

加具土は目を開く。――覚悟は決めた。


振り返ると、加具土は小闇と顔を合わせた。

「・・・・分かりました。あなたの言うとおりにします。だから、みんなを殺さないでください」

肩に軽く重みが加わり、そこへ視線を移せば小闇の手が加具土の肩に乗っていた。

「ありがとう。礼を言うよ」

そう言った小闇は輝かんばかりの笑顔を浮かべていた。


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