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第百四十四幕 真実

「俺の父は行商人だった。ここと九泉を行き来しながら、こちらの物を九泉に、九泉の物をこちらに売るといった仕事をしていた。父は母と姉と俺を連れて、各地を旅していた」

淡々とヨミは続ける。

「辛い事も苦しいこともあったが、楽しいことも嬉しいことも同じくらいあった。幸せだった。あの日までは・・・」

口調に力が込もり、ヨミの瞳に暗い光が宿った。

「あれは、俺が十一の時だった。俺達は、盗賊や熊、狼が出るという森を通り過ぎようと夜を明かしていた。雇った護衛に見張りを任せて眠っていると、突然母の悲鳴が聞こえた。

飛び起きてみれば、父が血の海に沈んでいた。そばには、血まみれの刀を持った三人の護衛が立っていた」

ヨミは、ふうっと息を吐く。

「俺は母と姉を守ろうとしたが、子供の力ではたかが知れていた。あっという間に返り討あって、俺達は商品になった」


 護衛の正体は人買いだった。

売る前の商品(人)には手を出さないのが普通なのだろうが、彼らは違った。

五体満足であればいいと、母や姉に手を出そうとしたのだ。

ヨミは二人を守るために自分から身を差し出した。決して、母と姉に乱暴しないと約束させて。

 だが、それは守られることはなかった。


人買いの相手をし、泥のように眠っていたヨミは、ふと喉の渇きを覚え、目を覚ました。

辺りを見回したヨミは、寝床(といっても藁を敷いただけの簡素なもの)に母と姉がいないことに気が付いた。

厠だろうかと思いながら立ち上がり、水を飲みにそばにある川へ向かった。月明かりを頼りに川へ向かい、喉を潤す。

 その時、ギャッという悲鳴が聞こえ、ヨミは思わず身を固くした。悲鳴の方角は、人買いのいる荒屋あばらやからだった。

 夜更けだというのに、開け放たれた窓や、立て付けの悪い戸の隙間からは明かりが漏れている。

「何しやがる、このアマ!!」

怒りをはらんだ人買いの声が荒屋から聞こえる。聞き慣れ、その声を聞くだけでも総毛立つが、その言葉にヨミは寝床にはいなかった母と姉を思い、駆け出した。

 戸を勢いよく開ければ、そこには二人の人買いと、衣を一枚だけ羽織り、後は何も身に着けていない母と姉の姿があった。

母は人買いの一人に馬乗りになり、その突き出た腹に太い枝を刺していた。傷口からはどくどくと赤黒い血が流れている。母は、喚く男を憎しみの篭った瞳で見下ろしていた。

「た、助けてくれ~!死ぬぅ~!!」

涙を流し、情けない声を上げながら、人買いは助けを求めていた。

部屋の奥では姉が胸元をさらけだしながら、苦々しい目をしたもう一人の人買いに後ろ手に縛りあげられている。

「姉ちゃん、母ちゃん!!」

ヨミは目の前が真っ赤に染まった。二人が何をされたのか、想像がついたからだ。

約束を破られたことにヨミは怒りを露わにした。母が人買いを刺したことなど頭から吹き飛んでいた。

「ヨミ、逃げなさい!!」

「逃げて、ヨミ!!」

母と姉が必死の形相で叫ぶ。

そう言われて、はいそうですか、と素直に逃げるつもりなど、ヨミにはなかった。

二人の懇願を無視し、ヨミは声を荒げた。

「お前ら!!姉ちゃんと母ちゃんには手を出さないって言ったじゃねぇか!!」

姉を捕えている人買いが片眉を上げる。

「あぁ?あぁ、確かに()()()には約束してたなぁ。だが、俺達には関係ねぇよ。おい、古我こが、いつまで喚いてるつもりだ。お前のそのふっとい腹に刺さっているなら、内臓まで届いてねえよ。小刀ならともかく、そんな木の枝じゃ致命傷にはなってねぇ。とっととその女を捕まえろ」

理志りし~。痛いよ~!死んじまうよ~!」

理志と呼ばれた男が呆れたように言えば、古我は涙を湛えたまま、駄々をこねるように手足をばたつかせた。

「黙りなさい!今度はその目玉に突き刺すわよ!!」

母が切っ先の尖った枝を古我に向かって突きつける。

「りしぃぃー」

「情けない声を出すな」

「だってよ~」

「見ろ」

そう言って、理志は母に視線を向けた。

「手が震えてる。まともに刺せねえぜ、そいつ。今さら怖気づいたってわけだ。その女に比べたらお前はたいした奴じゃねぇか。何人、その怪力でってきた?」

「おお!そうか。そうだな!」

理志の言葉に古我は納得したように頷いた。その顔は涙で濡れていたが、痛みなど忘れているかのように明るい表情をしていた。

「うりゃぁっ!!」

すると、古我はその太った外見に似合わず俊敏に起き上がり、馬乗りになっていた母を蹴飛ばす。母の美しい身体が地面に勢いよく叩きつけられる。そして、でっぷりとした脂肪の塊のような手が母の首に伸びた。

「ぐぅっ!」

首を絞められ、母の口から蛙が潰れたような声が上がる。

「母ちゃん!!」

ヨミが母を助けようと古我めがけて殴りかかろうとしたその時、母が大きく枝を振り上げた。転ばされても、首を絞められても枝を離さなかったようだ。

母は、古我の左目に思い切り振り下ろした。

「ギャアッ!!」

ヨミが外で耳にした悲鳴とは比べ物にならない凄まじい声が荒屋に響く。

古我は左目に枝を突き刺されたまま、悶絶し、床に倒れた。荒く息をつきながら、古我を脇に転がして母は叫んだ。

「逃げなさいっ!!」

母に感化されたのか、姉も血の気の引いた顔をした理志に頭突きを食らわせる。

それは、顎に強烈にぶち当たり、理志は顔を歪ませ、両手を離した。

「ヨミッ!!」

理志の手から抜け出すと、姉は呆然としているヨミの手を取り、走り出した。



月明かりのなか、道とも呼べない藪のなかを走る。

鋭い笹の葉が顔中にひっかかり、チクチクと痛い。

「姉ちゃん!待って!!母ちゃんが!!」

母を置いて逃げることなどできない。そう叫べば、姉が止まってくれるかと思ったが、姉はさらに握りしめた手に力を込め、さらに走る速度を上げた。

「姉ちゃん!!」

「黙って!あいつらに掴まりたいのっ!?」

姉が小さくも鋭い声を上げ、ヨミを制した。振り返ることも足を止めることもない姉の後ろ姿は、怒気を含んでいるように見えた。有無を言わせないその雰囲気に、ヨミは気圧された。

「で、でも、母ちゃんが・・・」

それでも残していった母が気がかりだ。古我の左目を奪ったのだ。ただで済むとは思えない。

なおも言い募れば、姉が小さく息をつく。そして、振り返ることのないまま、固い声で話し始めた。

「ヨミ、私と母さんは決めたの。たとえ、二人のうち誰かが犠牲になろうと、あなたを逃がすって」

「えっ!?」

そんな話をしていたとは知らなかった。だが、勝手に決められていたことに怒りが湧く。できるなら、ヨミは母と姉と三人で一緒に逃げたかった。

「勝手に決めるなよ、そんな話!!」

「あなたがそれを言うの?仕事の手伝いだって私達に嘘をついて、あの二人の相手をしていたのに?」

その言葉にヨミは何も言えなくなる。

 姉が立ち止り、振り返った。その顔は今にも泣き出しそうに歪んでいた。

「それに気づいた時の私達の気持ちがわかる?」

姉は膝をつき、ヨミの手を取った。

「気づかなくてごめんね。辛かったわよね」

「姉ちゃん・・・」

確かに辛かった、苦しかった、吐きそうだった。だが、二人を助けられるなら構わないと思った。父がいない今、二人を守れるのは自分だけだと思ったからだ。

姉の手がヨミの頬を優しく包む。

「もういいの。もう苦しまなくていい。私が絶対にあんたを守る」

瞳に力強い光を宿し、姉はヨミの手を強い力で握ると、再び走り出した。

戻るという選択肢は、すでに残っていなかった。母と姉はそれを始めから捨てていたのだ。無理にでも戻ろうとすれば、それは、母と姉の想いを台無しにすることになる。

「母ちゃんっ、ごめん・・・!!」

引きずられるように走りながら、ヨミは声を詰まらせ、呟いた。



 笹の生い茂る藪を抜けると、そこには波をたて、ごうごうと大きな音をたてながら流れる巨大な川があった。自身が水を飲んだ川と通じているのかもしれない。

 月明かりで明るいとはいっても、昼間に比べれば断然暗い。反対側にある岸がどこにあるのかさえ分からなかった。

その川の前で姉が立ち止った。

「姉ちゃん、まさかここを渡るのか?」

思わずといった風に聞けば、姉はさらりと当然のように答えた。

「そうよ」

「無理に決まってるだろ!泳いだら流されて終わりだ!川岸を行こう!!」

ここを渡るなど正気の沙汰ではない。

動こうとしない姉を衣の裾を引くことで歩かせようとしたが、姉はガンとして動こうとしなかった。

「姉ちゃんっ!!」

このままでは追いつかれる。不安と恐怖に押し潰されそうになりながら、涙声を上げるヨミに、姉は静かな声で告げた。

「ヨミ。世の中は理不尽なことだらけよ。父さんだって、あんなところで死ぬつもりなんてなかったでしょう。父さんが生きていたら、きっと今も旅を続けていたでしょうね。でも、もしもなんてない。どんなに辛くて、苦しくても、生きるしかない」

どこか寂しそうな笑顔を見せる姉にヨミは強い違和感を覚えた。

「姉ちゃん・・・?」

「ヨミ、あんたは生きて幸せになりなさい」

力強く告げ、姉はにこりと笑う。そして、波しぶきのたつ黒い川へと身を投げた。

「っ・・・!!」

ヨミは手を伸ばし、衣の裾を掴む。だが、衣は一瞬の内に破れ、姉の体は瞬く間に川の中に吸い込まれていった。

「姉ちゃんっ!!」

必死に叫ぶが、その声に答える者はすでにない。ただ、ごうごうと荒れ狂う波の音が耳に響くだけだった。

 姉を助けにいかなければ。頭の中でもう一人の自分が叫ぶ。しかし、川の中に入れば、死は免れない。

 ヨミの手が震える。その手には、姉の衣だった布の切れ端を握っていた。


その色は白。ヨミの家族はみな、白の衣を着ていた。それは、旅の中で命を落とした時の死に装束でもあるのだ。

だが、だからといって、ヨミの生まれた村で一、二を争う美人だった姉が着飾ることも恋をすることもなく、こんな所で死ぬなどあってはならない。ヨミにとって、姉は、少し怖いが、しっかり者で頼りになる存在だった。


今飛び込めば、まだ間に合うかもしれない。ヨミは切れ端を握ったまま、念じるように姉を呼んだ。


(姉ちゃん、姉ちゃん、姉ちゃん、姉ちゃん、姉ちゃん、姉ちゃんっ!!)


それは生きていてほしいという願いと、力を貸してくれという両方の気持ちが混じった叫びだった。

ヨミは、布の切れ端を衣の袂に入れる。そして、川に飛び込もうと足を一歩踏み出した。その時だった。


ごうごうという川の音と荒れ狂っていた波が静まり、空に浮かぶ満月が映り込むほど静かになった。

だがそれも長くは続かなかった。突如、水面が揺れたかと思うと、川の中から巨大な龍が姿を現した。

長い体を波たたせ、鱗を月明かりで銀色に輝かせながら、龍は、満月の登る夜空へ静かに消えていく。その閉じた口元には、姉が着ていた白い衣が挟まっていた。

呆然と見送ることしかできないヨミの前で、川の水嵩が減ったかと思うと、ひと一人が乗れるほどの大きさの石が点々と道のように現れた。それは反対側の岸へ続く飛び石だった。

「姉ちゃん・・・」

この世界に神々がいることは知っていた。神々には自分達のように人と同じ姿をした者と、龍のような獣の姿をした原初の神々がいる。

 姉は、川に住む龍神に身を差出し、荒れ狂う川を静め、反対側の岸へ続く道を示したのだ。

「姉ちゃんっ!!」

切れ端をぎゅっと握りしめ、ヨミは崩れ落ちるように座り込んだ。ごつごつとしたいくつもの石が足に触り、鈍い痛みを与えるが、そんなことはどうでもよかった。

(おれは・・・!!)

何をしているのだろう。守ると誓ったのに、結局二人に守られ、ここにこうして座り込んでいる。

母と姉は生きてほしいといっていた。

けれど、二人がいないのに、自分だけがのうのうと生きられるだろうか。二人がいないのに、幸せになれるだろうか。

「ねえちゃ、かあちゃ・・・・っ!!」

ぼろぼろと涙が溢れ出す。止まらない。もう、立ち上がる気力も、歩く気力もなかった。



「おー、いたいた」

聞き慣れた、理志の声が背中から聞こえる。だが、ヨミは振り返らなかった。

滴り落ちる涙を拭う事もせず蹲っていれば、じゃりじゃりと小石が擦る足音が響き、やがて、頭の上にふっと影が差した。

「手間をかけさせるな」

温度のない声音がしたかと思うと、強い力で頭を掴まれ、持ち上げられると、ヨミは強制的に上を向かせられた。

そこにいたのは、一人の男だった。

理志よりも筋肉がつき、古我よりも引き締まった体格をした男の髪は月明かりに照らされ、赤黒く輝き、まるで血のようだった。ヨミを見つめるその瞳は闇のように黒く、光がなかった。涙の膜が張ったまま、ヨミは男を睨みつけた。

この男が父を殺し、自分達を絶望の底に引きずり落としたすべての元凶だった。

「離せっ!離せよっ!!」

立ち上がる気力はおろか、生きる意味さえ見失っていたヨミの体に力が蘇る。怒りと憎しみがヨミを立ち上がらせ、奮い立たせた。

 手足をばたつかせ、男の手から逃れようとするがその手はびくともしない。

男の脛に蹴りを入れようと膝に力を入れた瞬間、男はぶんっと音をたててヨミを放り投げた。

ばしゃんっという水音とともに、体の芯から沁みるような冷たさがヨミを包む。

川の中に投げられたのだと悟った刹那、体が沈み、ヨミは一気に川底へ引き込まれた。

(くるしいっ・・・!!)

何も見えず、息もできない水の中で、ヨミは恐怖した。

死を予感したその時、ヨミの腕を何者かが掴み、川から引っ張り上げた。

「ごほっ、ごほっ、ごほっ!!」

鼻に入った水を咳き込みながら吐き出し、自分の腕を掴んだ何者かを見れば、それはヨミを放り投げた張本人だった。

助かったことに安堵しながらも、腕を掴んだ男をヨミは睨みつける。


そこへ慌てたような理志の声が響いた。

「せっ、汐斗、頼むから殺すなよ。せっかくの金づるがいなくなっちまう」

汐斗と呼ばれた男は、ヨミから視線を外すことなく口を開いた。

「それはお前らの自業自得だろう。まったく、()()もなくしやがって。なに考えてる」

汐斗の声は平坦だったが、彼の周囲には怒気が漂っていた。

「す、すまん・・・」

理志が顔を青ざめさせ、謝る。

『二つ』と聞き、ヨミは姉だけでなく母も失ったことを理解する。怒りで目の前が真っ赤に染まった。

「このっ!!」

空いた腕を振り上げ、汐斗を殴ろうとするが、届かずに空振りに終わった。

ちらりと汐斗が視線をヨミへと向けると、無表情のまま、流れの緩やかになった川へとヨミを沈めた。

「ぐふっ!」

先ほどと同じように鼻や口に川の水が入ってくるのを感じながら、ヨミは頭がさっと冷えるのを感じた。手足をばたつかせ、どうにか頭を上げようとするが、ヨミの腕は石のように動かない。

死が、再び頭をよぎる。

このまま沈んだままなら、姉と母のもとへといける。二人の願いを無視することになるが、自分は自らの命を持って償わなければならないのではないか。

そんな考えが頭を過る。

だが、あまりの息苦しさにヨミは受け入れることができなかった。気づけば、川の中で必死にもがいていた。

すると、突如、汐斗はヨミを川から引き上げた。

「げほげほっ!!」

水を吐き出しながら、引き上げた汐斗の真意がわからず、ヨミは訝しげに汐斗を見た。

「少しは頭が冷えたか?」

その言葉にヨミはカッと頭に血が上った。

「お前のせいだろっ!お前が父ちゃんを殺したから俺たちはっ!!」

唾を飛ばし、噛みつくように叫べば、汐斗は軽く眉を上げ、何を言っているんだというような顔をした。

「俺たちは人買いだ。見目のいいやつらをみつけて金持ちに売りつける。それが仕事だ。恨むなら、運のなさと自分の弱さを恨むんだな」

汐斗は感情の見えない瞳でヨミを見下ろす。

「このっ!!」

それで父を殺した理由を正当化するつもりか。母や姉を、自分を商品として扱っていたことの言い訳にするつもりか。

ヨミの怒りが頂点に達した。

「お前はただの人殺しだ!!俺はお前を絶対に許さねぇ!!」

ギンッと音を立てるように睨みつけるが、汐斗の表情は変わらなかった。

「・・・そうか。ならば、お前もそうだろう」

「なにっ!?」

「お前は間接的に母と姉を死に追いやった。人殺しというなら、お前もそうだろう」

「違うっ!!俺はお前とは違うっ!!」

汐斗の言葉にヨミは首を大きく振り、否定した。

自分のせいで二人を死なせた、という想いが頭を過らないでもなかったが、自らの手で罪悪感すら抱かず人の命を奪う汐斗とは違うとヨミは思った。

「そうたいして変わらねえだろ。お前の弱さが母と姉を殺したんだ。見ろ」

そう言って、汐斗は穏やかに流れる川へヨミの顔を向かせた。

そこにあった反対側の岸へ続く飛び石は、いつも間にか水流に呑まれ、見えなくなっていた。

「お前がめそめそと泣いて蹲っていたことで、命を懸けた姉の想いも無駄になった。可哀想に。これじゃ犬死にだ。お前が立ち上がり、向こう岸へ渡れば俺達に掴まることもなかったかもしれないのに」

まるで、姉が命を捨てた理由を知っていたかのように語る汐斗に、ヨミは思わず声を上げた。

「お前、見てたのか!?」

「龍が飛んでいったのは見えた。それに、この川は暴れ川で有名だ。ただの人間なら、人身御供でもしなきゃ、川の流れなんぞ静められるもんじゃない」

「・・・・・」

汐斗の洞察力にヨミは苦々しい思いを抱きながら口を閉ざす。

「母と姉をを守らなければというお前の意地に似た想いが、生きることに執着しなかったお前の弱さが、二人を殺した。お前は自分の身を差し出すことで救ったつもりだったんだろうが、結局、誰も救っていない。ただ、守られていただけだ」

父の、家族の仇であるはずの汐斗の言葉がヨミの胸に深々と突き刺さる。

聞き入れるなと頭の中で念じても、まるで見えない棘のように、それはヨミを抉った。


「さて、時間をくったが先に進もう。商品は減ったが、こいつを金持ちが目の色を変える上玉に仕上げればいいだけだ。理志、こいつにはもう手は出すな。古我にもそう言っておけ」

「え、あ・・・」

理志の顔がさらに青ざめ、和紙のように白くなった。

「俺が知らないとでも思ったか?もし、また隠れてやるなら、・・・分かってるだろうな」

声音を一段低くし、怒気を纏わせる汐斗に理志は涙目になりながら、こくこくと首振り人形のように頷いた。

汐斗は鼻を鳴らすと、掴んでいたヨミを理志へと投げつけた。

理志が慌ててヨミを掴む。

「顔色の悪い商品なんぞびた一文にもなりゃしねぇ。金はやるから飯はちゃんと食わせろ。いいな」

「わ、わかった」

理志が返事を返しながら、ヨミを肩に担ぎあげる。

ヨミはされるがままだった。


汐斗と理志は藪の中を進み、もと来た道を歩き出した。

理志の肩に担がれながら、ヨミは思う。自分は何をやっているのだろうと。

守っていたと思っていた。けれど、結局守られていただけだった。そればかりか、母と姉の願いさえ叶えることすらしなかった。

 悔しい。

全部、汐斗の言う通りだ。

 悔しい。

仇だというのに、彼らに抗うことのできない自分に。

母や姉のように命をかけて抗えばよかったのだろう。けれど、先ほど川へ沈められたときの恐怖がヨミを縛っていた。

 商品というからには殺すことはしないだろうが、拷問くらいはやりそうだ。

父を殺され、怒りのままに殴ろうとしたその時、顔以外の場所を切りつけられ、殴られた時のように。死なないぎりぎりのところで、恐怖を植え付ける。

 彼らの策略にはまっていると分かっていたが、ヨミにはどうすることもできなかった。

どんなに怒りと憎しみを抱えようと、その恐怖がヨミの心を靄のように覆い尽くしていた。

言葉で叫ぶことはできても、抗えば自分が傷つくことへの怖さの方が勝った。


(ごめんっ、母ちゃん、姉ちゃんっ、父ちゃんっ!!)


ヨミは唇を噛み締め、瞼から零れ落ちそうになる涙を必死に堪えた。

人買い達に対する恐怖と死に対する恐怖。

どちらにも抗えず、結果、ヨミは生き地獄のような場所で生きることになった。


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