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第百三十九幕 贈る

翌日、加具土は活杙いくぐい角杙つぬぐい、そしてヨミと共に市へ来ていた。


「ねぇ、何にする?」

「これなんかがいいんじゃないか?」

「ほら、これなんか上物だよ!みやこでもこの安さでは売ってないよ!」

「このしっかりとした造り。滑らかな触り心地。こんな品は滅多に出ない!そこの旦那、一つどうだい!」


往来する人々の話し声や、威勢の良い店主の声が市に響き渡る。

「一つ、聞いていいか?」

そのにぎやかな喧噪のなかで、ヨミの不機嫌そうな声が響いた。

「なに?」

その声音の理由に気付いていたが、何も気づいていないような態度で加具土が返した。

「お前、これ、絶対楽しんでるだろ!」

顔を近づけ、ヨミは眦を吊り上げた。顔を隠すために被った菖蒲色の衣がふわりと揺れる。


ヨミの姿は普段の姿とはまるで違っていた。

結い紐でくくっている黒髪は下ろされ、唇には薄く紅が差してある。

そして、普段は、男性が着る裾口の狭い袴を身に着けているが、今は、女性のように淡黄色の長い衣を身に着け、格子模様の若紫の帯を締めていた。

口を開きさえしなければ、確実に女性と間違えるだろう。

それほど、ヨミは美しかった。

 

そう。加具土の考えとは、ヨミを女装させて一緒に来てもらうことだった。

これなら、ヨミは娘達に追いかけられることはないし、角杙と加具土が衣を見繕っている間、活杙に気付かれる心配はない。ヨミに活杙の相手をしてもらえばいいのだ。

 

 この作戦をヨミに話した時、露骨に嫌な顔をされた。それはそうだろう。誰が好き好んで女装をしたいと思うのか。だが、加具土も必死だった。最終的に、ヨミも活杙の世話になったのだから手伝ってと押し切る形で了承してもらった。そして、条件として、茶店の蕨餅をおごることを約束させられた。それくらいはお安い御用だと加具土は請け負った。


「そ、そんな事ないよ?」

紅を施した後、少し見惚れてしまったことを思いだし、加具土は内心ギクリとしながら返す。角杙は、その姿のヨミを見た時、「お前、本当にかわいい顔してるな」と口に出し、ヨミに本気の蹴りを受けていた。

「お母さんのためだもの!よろしくね、センちゃん!」

一応、この姿での名前も考えていた。九泉の泉からとってセンだ。

前を歩く角杙と活杙の背中を目の端に捉えながら、勢い込んで言えば、ヨミは苦虫を噛み潰したような顔をした。

「ちゃん付けするな!寒気がする!言われなくてもやってやるよ!」

ヨミの怒りの矛先が自身から逸れたことにほっと息をつきながら、ドシドシと足音荒く歩き出すヨミの背中を見つめ、加具土も足を進めた。


 衣を売る店は、枯草色の渋い暖簾が下がっていた。

開け放たれた入り口からは、様々な色と柄の衣が棚に溢れんばかりに積まれているのが垣間見える。

店に近付く際、ヨミの足が止まったことに加具土は気づいた。だが、それも一瞬のことで、ヨミはすぐに店の中へと入っていく。菖蒲色の衣がふわりと浮き上がり、ヨミの頭の天辺から足首までを包んだ。自分がヨミだと分からないよう、かぶり直したようだ。

ヨミの後をついて加具土も店の中に入る。

中は、老若男女、様々な人々が衣を選んでいた。月花祭りの主役らしい着飾った娘や少年達もいる。時折漏れる会話から、今着ている衣とは別の物を選んでいるらしかった。


「あ、あった。これよ、加具土!」

活杙が手招きしながら、加具土を呼んだ。隣にいた角杙とヨミが場所を開ける。

吸い込まれるようにそこに並べば、活杙が衣を手に取り、一本の巻物状になっているそれを引き延ばす。

その衣は、空の青さを写したような涼やかな水色をしていた。裾の部分に当たる箇所には、雪の結晶を描いた雪華紋様が描かれ、白く染められている。

 一目見て、美しいものだとわかった。衣から目が離せない。

言葉もなく、加具土が見つめていると、活杙が満足げに頷いた。

「綺麗でしょ?私もそう思ったの」

そして、加具土の肩の辺りにその衣を置く。衣と加具土を交互に見ると、活杙は、間違いはないというように、強く頷いた。

「うん。似合ってる。やっぱり思った通りだわ」

そう言って、衣をくるくると丸め、元の巻物に戻すと、自身の腕の中に収めた。

「さ、次は帯を見ましょう!私が狙っているのが確か向こうに・・・」

活杙が加具土の手を引き、奥の棚に向かう。たたらを踏みながら、加具土は思い出したように、後ろを振り返った。

 振り返れば、角杙とヨミが心得たというように小さく頷くのが見えた。

角杙の目に映る強い光に、加具土は、きっといい物を選んでくれると確信した。ヨミもなんだかんだと言いながら手伝ってくれるだろう。彼らに答えるように、加具土も頷きかえした。


「ほら、これよ!」

活杙が帯用の衣も見せる。それは、一面に唐草模様があしらわれた、浅蘇芳あさずおう色―黒味がかった赤紫色―だった。鮮やかな色で、帯にするのはもったいないほどだった。

「綺麗な色だね・・・」

さっきは出なかった感想が口から零れる。あの衣に見入ってしまったため、口を挟めず、加具土はされるがままだった。しかし、今は何とかして引き伸ばさなければ、活杙はすぐに買いに走りに行ってしまうだろう。

「そうでしょ、そうでしょ?」

にこにこと笑みを浮かべ、活杙は、腕に抱えた水色の衣と浅蘇芳の衣を重ねた。少し暗めの赤紫色が、明るい水色を強調し、全体的に引き締まった印象を見せた。

「どう?これとこれを合わせたら素敵じゃない?」

加具土は、帯と衣を合わせた自分の姿を想像する。思ったより悪くないように思えた。

「・・・うん」

こくりと頷けば、活杙は、ぱぁっと顔を輝かせた。

「よし!そうと決まればさっそく・・・!」

「ま、待って!」

二つの衣を握りしめ、意気揚々と買いに行こうとする活杙を加具土は制した。きっと、まだ角杙は選んでいる。このまま買わせて、店を出ることになってしまえば、四人で来た意味がない。

「他のも見よう!掘り出し物が見つかるかもしれないよ!」

じっと見つめれば、考え込むように活杙が小さく唸った。

「そうねぇ。せっかくだし、ちょっと見ましょうか」

「うん!」

賛同してくれたことに、心の中で拳を挙げ、加具土は浅蘇芳の衣を左手で攫うように取ると、活杙をいざなうように衣の海の中へ歩き出した。



「おい」

様々な衣を見ながら、あれがいい、これが素敵だと、活杙と話を咲かせていると、後ろからヨミの声がした。

「ヨ、セイちゃん、どうしたの?」

ヨミと言いそうになり、慌ててセイと口にする。すると、ヨミの目が細められた。

「ちゃんはいらない。それより、決まったぞ」

ヨミの言葉に加具土は目を輝かせた。

「ほんと!?」

「あぁ、あっちで待ってる。行ってこい。活杙はおれが見てる」

「うん!」

どんな物を選んだのだろうか。期待に胸を膨らませ、駆け出そうとすると、左腕で抱えていた浅蘇芳色の衣をヨミがひょいと引き抜いた。

「えっ」

「これは持っておく。さっさと見てこい。俺じゃ、あまり時間を稼げないぞ」

私が持っているからいいよと言いたかったが、押し問答をしているひまはない。活杙に気付かれては厄介だ。加具土はヨミの行為に甘えることにした。

「う、うん。あ、ありがとう!」

礼を言いつつ、角杙が待っている場所へ加具土は駆け出した。



「お父さん!」

衣の海を掻い潜ると、角杙を目にし、加具土は声を上げる。加具土に気が付いた角杙は、笑みを浮かべた。

「選んだのってどれ?」

「これだ」

荒くなった息を整えながら尋ねると、角杙は三つの衣を広げた。

一つは、川蝉の羽のように美しい翡翠色の衣、二つ目は、雨に濡れた露草のように鮮やかな青色の衣、三つ目は桃の花のように柔らかな色合いをした淡紅色の衣だった。

「帯用の衣も選んでみたんだが、これに一目ぼれした」

三つを衣の山にひとまず置いた角杙は、山の中から一つの衣を取り出す。それは、金糸で縫われた蝶が描かれた猩々緋の衣だった。刺繍された蝶も見事だったが、加具土はその目の覚めるような赤い色に目を奪われた。

「きれい・・・」

自分の語彙力が情けないが、それ以外に言う言葉が見つからなかった。

「だろう?」

角杙が嬉しそうに口元を綻ばせる。しかし、それも一瞬だった。眉を下げ、困ったような表情を浮かべる。

「だが、この三つはどちらも甲乙つけがたくてな。それで、少し迷ってる」

加具土は角杙の選んだ三つの衣を見つめた。どれも素晴らしくいい物だ。角杙が迷うのもわかる気がする。しかし、帯にする衣の色と合わせてみると、一番映えるのは、翡翠色の衣だった。

加具土は、翡翠色の衣を指さした。

「帯の色と合わせると、この色が一番いいと思う」

一拍置いて、角杙がほっとしたように呟いた。

「・・・そうか」

その呟きに、もしかしたら角杙も翡翠色がいいと思っていたのかもしれないと加具土は思った。

衣が決まると、角杙は、いそいそと青と淡紅色の衣を衣の山に重ねようとする。しかし、その仕草にはどこか躊躇いがあった。もしかしたら、未練があるのかもしれない。

「お父さん、お母さんにその二つも買ってあげようよ。お金なら、私も少し持ってきたから。二人で分割して買おうよ」

「え、いや。でもな・・・」

戸惑い、視線を彷徨わせる角杙に、加具土はにんまりと笑みを浮かべた。

「来年と再来年用に。せっかくお父さんが選んだんだもの。もったいないよ」

美しい衣なのだ。ここで買わずにいたら、また見に来た時に売れてしまっている可能性は高い。活杙が了承しているわけでもない。気が早いと言われるかもしれないが、この機会を逃したくはなかった。

「しかし・・・」

けれど、喜んでもらいたいと意気込んでいた角杙の姿はすっかり鳴りを潜めていた。

加具土は角杙が躊躇う理由が分からず、首を傾げた。

「どうしたの?お金の心配?」

「いや・・・」

金の心配でなければなんだろう。加具土がじっと角杙を見つめた。

すると、秘めたものを吐き出すかのように、角杙が大きく息を吐いた。

「・・・こんなに買って、呆れられるんじゃないかと思ってな」

その言葉に、加具土は思わず目を瞬かせる。

「もしかして、お母さんに嫌われると思ってるの?」

頭に過ったことを口にすれば、角杙は、まるで叱られる幼子のようにしゅんとした顔で頷いた。

「ふ、ふふふふふっ!」

角杙には悪いが、思わず笑ってしまう。そんな事で、活杙が角杙を嫌うなんてありえない。

「大丈夫だよ。お父さんが選んだものだもの。嫌われるなんてことはないよ」

「俺も金を出すぞ。ついでだがな」

突然、頭の上からヨミの声が降ってきた。驚いて振り返れば、活杙の足止めをしていたはずのヨミが加具土の後ろに立っていた。

「ヨミ!お母さんは!?」

「問題ねぇよ。お前に普段の衣も買ってやればって話したら、張り切って選び始めたぞ。俺なんか眼中にない」

「えぇ!?」

気づかれないのはよかったが、衣の数が増えてしまうのは困る。これ以上、買ったら唐櫃の中が一杯になってしまう。

 加具土は、財布から持ってきた貨幣を取り出し、角杙に手渡した。

「お父さん、後はお願い!私、お母さんを止めなくちゃ!」

角杙に後を託し、加具土はヨミの横をすり抜けて、活杙のもとへ走った。



 どうにか、活杙から新しい衣を買うことを死守した加具土は、活杙、角杙、ヨミの三人と家路に向かっていた。

 活杙と加具土の腕には、加具土自身の月花祭り用の衣が、角杙の腕には、風呂敷に包まれた活杙のために選んだ衣が、ヨミの手には、途中、茶店で立ち寄り、買った蕨餅があった。

 角杙の腕の中にあるものを活杙は訝しんだが、自分とヨミの新しい衣だと角杙が嘯いたおかげで納得したのか、それ以上の追及はしてこなかった。

 

村から離れたため、ヨミは菖蒲色の衣を被らず、肩に羽織るだけに留めていた。唇にさした紅は衣の袖で無理やり擦り、落としている。

買えたことがよほど嬉しかったのか、笹の葉に包まれた蕨餅に視線を外すことなく、ヨミは歩き続けていた。

 隣を歩くヨミを加具土は横目に見やる。

女装姿は置いておくとしても、淡黄色の衣はヨミに合っていた。蒲公英色や菜の花色よりも落ち着きのあるその色は、彼の黒髪にあっていた。また、帯の色である若紫色の衣は、おそらくヨミを年齢以上に見せるだろう。

それにしても、もったいないと思った。あんなにたくさん衣があるのに、白ばかり着ていることに。本人には何かしらの拘りがあるのだろうが。

こんなに色のついた衣が似合うというのに。むしろ、自分より身に着けられる衣の種類は多いのではないだろうか。自分のように朱色の髪と褐色の肌では、合わない色の衣も多いのだ。

 加具土は思わず小さく息を吐く。


「なんだよ、人の顔を見てため息なんかついて」

ヨミが加具土の方を向き、訝しげに目を細めていた。見ていたことに気が付いていたらしい。

隠すことでもないので、加具土は素直に思っていたことを口にした。

「・・・もったいないなぁって思って」

「何が」

「ヨミって、いつも白ばかり着ているでしょう?今着ている衣の色や、その帯の色の、紫色の衣も似合うと思ったから。着ればいいのになって」

「・・・・・」

ただ、純粋にそう思っただけだった。けれど、それはヨミの何かを刺激したようだった。

視線を加具土から離すと、ぐっと眉間を深くし、何も言わず、遠くの山並みを見つめる。

しかし、まるで何かを睨みつけるようなその表情は、山など映してはいないように加具土には見えた。

「気を悪くしたなら、ごめんね。ただ、色々な衣があるのに白ばかりじゃ寂しいなって思っただけだの。私が勝手にそう思っただけ」

ヨミの気分を害する気はなかった。だが、自分の言葉がヨミを傷つけたのなら、謝らなくては。けれど、こういう時どうすればいいか分からなくなる。

加具土はヨミの事を何も知らない。助けた時にどうして傷だらけだったのか。九泉に家族はいるのか。そういう個人的なことを「生きているからそれでいい」と、加具土は聞かないでいた。

 そして、ヨミが何を思い、何を感じ、ここにいるのかも。

家族として暮らしてはいるが、実質、それは上辺だけのものだ。加具土は、過去の事を活杙と角杙に話してはいるが、ヨミには話していない。

 そんな自分が彼の心の内に踏み込もうなんて、烏滸おこがましいにもほどがある。

「・・・きっとヨミにとって白い衣は大切なものなんだね」

でなければ、いくつも白い衣を買ったりなどしない。

 ヨミは反応しない。

怖いほど冷たい目で、遠くを見ていた。


――きっとこれがヨミの答えなのだろう。

自己完結した加具土は、物思いにふけるヨミから距離を取ろうと足早に歩き出した。

自分がそばにいては、ヨミの機嫌も良くならないかもしれない。

それは、ヨミを想っての行動でもあったが、同時に重苦しい雰囲気となったここにいたくないという加具土の逃げでもあった。

 何を今更。自業自得だ。

そう思っても、重い空気は晴れはしない。前を歩く、活杙と角杙のそばに行こうとも思ったが、彼らの穏やかで温かな雰囲気さえも今の加具土には辛かった。

 加具土にできたことは、ヨミから少し遠く、活杙と角杙からは少し近い中間の地点を歩くことだけだった。

「・・・忘れたくないと思った」

ヨミの呟くような声音を加具土は拾った。それは、誰かに聞かせるというよりは、独白のようだった。けれど、決意に満ちたそれを無視することは加具土にはできなかった。

 ――振り返る。

そこには、真剣な眼差しで加具土を見据えるヨミの姿があった。その何かを告げようとする強い意志のある表情に、加具土の足は止まった。


一拍ほど置いて、ヨミが口を開いた。

「・・・俺は、家族と一緒に旅をしていた。父と母と姉と、四人で。白い衣はその時の旅装だった」

ヨミは拳をぎゅっと握る。

「旅は危険もあったが、楽しかった。けれど、ある日、事故が起きて・・・。俺達はバラバラになった。父と母と姉が、今どこにいるか俺には分からない。でも、白い衣を着ていれば、もしかしたら家族が俺を見つけてくれるかもしれないと、そんな淡い望みを持った。・・・それに、旅をしていて楽しかった思い出を忘れたくなかった。だから、今でも他の色の衣を身に着けられないでいる。馬鹿だよな、もう何年の前のことなのに・・・」

「そんな事ない!!」

ヨミは自嘲気味に口角を吊り上げる。だが加具土にはそれが泣いているように見えた。

気が付けば、大きな声を出していた。

(あぁ、私は馬鹿だ。あなたにそんな顔をさせたかったわけじゃない)

瞼の奥が熱い。だが、涙を見せるわけにはいかなかった。辛いのはヨミだ。

 大きな声を出して驚いたのか、ヨミが目を瞠り、固まっていた。

「その気持ちをあなた自身が否定しないで!あなたが家族と一緒に旅した時間はあなたの中にしかない。否定したら、あなたの心の中にある家族まで失くしてしまう!忘れなくていい、諦めなくていい!だから、そんな風に笑わないで・・・」

涙を見せるわけにはいかない。そう決心したというのに、加具土の右の瞳から涙が一粒零れ落ちた。

 自分の言葉で、辛い過去をヨミに思い出させてしまった。それが心苦しく、情けなかった。

「ご、ごめんね。泣くつもりなんてなくって・・・」

加具土は慌てて、右肩で涙を拭う。鼻をすすりながら、顔を上げれば呆然とした顔でヨミが加具土を見ていた。

「ヨミ・・・?」

どうしたのだろう。反応がない。浅蘇芳の衣を持った左腕をヨミの顔に持っていき、ひらひらと振る。すると、我に返ったようにヨミの目に光が戻った。

「ヨミ、大丈夫?」

不安げに声をかければ、ヨミは目を瞬かせ、頷いた。

「あ、あぁ。大丈夫だ。悪い」

ヨミはきまり悪げに後頭部の髪を掻いた。

「『諦めなくていい』なんて言葉、かけられるとは思わなかったから。ちょっと、驚いた」

「えっ」

そんなに驚く言葉だっただろうか。それとも、ヨミは心の奥底でもう家族に会えないと思っていたのだろうか。

「ありがとな。少し、元気が出た」

口元を綻ばせて笑うヨミに、加具土は、ほっと胸を撫で下ろした。自分の言葉がヨミの心を救い上げることができたことが純粋に嬉しかった。

 ただ、少し違和感を覚えた。

ヨミの言ったことは嘘ではないだろう。ただ、なぜ白い衣ばかり着るのかと聞いた時に浮かべたあの冷たい眼差しは、家族の事を忘れたくないだけのものではないと感じた。



「加具土、ヨミ。どうしたの?」

「早くしないと日が暮れるぞー」

まるで図ったように、活杙と角杙の声が耳に届く。

会話は聞こえていただろうに、何事もなく普通に接してくれる二人に感謝の念を抱きながら、加具土はヨミの後ろに回り、その背を左腕で押した。

「うん!今いくー!ほら、ヨミ、行こう!」

活杙と角杙に返事を返してから、前々へとヨミを押す。

「ちょ、加具土!分かったから、押すなって!」

慌てるヨミの声を聞きながら、加具土は活杙と角杙の元へ駆ける。

 ヨミが隠す何かを感じながら。そして、自分が過去の事をヨミに話すことはできるのかと思いながら。




「えっ」

夕餉の後、角杙が加具土とヨミ、三人で合わせて買った衣を、活杙に広げて見せた。

活杙が目を見開き、板張りの床の上に広がる四つの衣を見つめる。

「お前が戒めとして、明るい衣を着ないようにしているのは知っている。だが、祭りの一日くらい着てもいいんじゃないか。お前だって、本当は着たかったんだろう?」

「・・・・・」

諭すような角杙の言葉に、けれど活杙は目を丸くしたまま答えなかった。

衣に手を伸ばそうとして、思いとどまったように胸元に引き戻した。

「だめよ・・・」

「活杙」

「だめなの!忘れちゃだめなの!」

ぶんぶんと首を振り、「だめなのだ」と繰り返す活杙は頑是ない子供のようだった。

「おれと、加具土とヨミで金を出し、選んだものだ。それでもか?」

その言葉に加具土は驚く。ヨミも選んでいたのか。

蕨餅を頬張るヨミに視線を向けると、ヨミは口をもぐもぐと動かしながら、少し助言しただけだと言葉少なに告げた。


三人で選んだと聞いて、活杙の目が大きく見開かれる。だが、耐えるように、きゅっと唇を結ぶと、小さく頷いた。その表情は苦しげだった。

 

活杙は、ずっと苦しんできたのだろう。自身も深く傷ついたはずなのに、赤ん坊を救えず、母親の心を壊したことを忘れずに生きている。たとえ、誰かがもう苦しまなくていいと諭しても、自分自身がそれを許すつもりがないのだ。

母を喜ばせたい。本当は着たいはずだと、自分本位の考えが先走り、活杙の気持ちを深く汲んでいなかったことに、加具土は気が付いた。

己も同じだというのに、なぜ気が付いてやれなかったのだろう。いや、心のどこかで気が付いていた。けれど、気が付かない振りをしていた。

毎日、暗い色の衣を着ているということは、ずっと喪服を着ているようなものだ。

心と体を縛り付けて、活杙はそれで幸せなのか。辛くないのか。せめて、祭りの日は着飾り、明るい色の衣を着て笑ってほしかった。でも、それでも、活杙がだめだというのなら。


「・・・いいよ。無理して着なくても」

ぽつりと加具土は呟いた。

「加具土・・・」

角杙が目を丸くして加具土を見る。それはそうだろう。提案をしたのは他ならぬ自分なのだから。

 加具土は床の上に正座をし、行灯の下で輝く四枚の衣にそっと触れる。

「いつか、自分を赦せる日が来たらきてほしいな。みんな、お母さんに似合うと思って買った物だから」

泣きそうな表情を浮かべる活杙に、加具土はふわりと笑った。

「私、その日を楽しみに待ってるね!」

きっと綺麗だろう。この衣を着て、帯を締めた活杙は。

暗い色調の衣を着ている今でも、内面と外見から滲み出る美しさは変わらない。

明るい衣を着れば、もっと美しくなるに違いない。そんな人が母であることが、加具土は嬉しく、誇りに思った。

「加具土・・・!」

活杙が感極まったかのような声を上げ、加具土に抱きついた。その勢いに、加具土は尻餅をつきそうになるが、膝を立ててどうにか抑える。

「ごめん、ごめんね!」

声をくぐもらせ、謝る活杙に、加具土はその豊かな髪を優しく撫でた。

「謝るより、お礼を言ってくれたほうが嬉しいなあ」

謝らせたいわけじゃない。ただ、喜んでほしかった。笑ってほしかった。

 顔を上げ、活杙はこくりと頷き、口元を綻ばせた。

「・・・うん、ありがとう」



 重苦しかった空気が一気に柔らかなものに変わる。

よかった、と思いながら、加具土が活杙の頭を撫でていると、はぁっと重々しいため息が角杙の口から零れた。その顔はどこか疲れたような顔をしている。ヨミを見ると、なぜか眉を顰めて加具土を見ていた。


「どうしたの?」

首を傾げて二人に問えば、ヨミは空になった器を手に取り、立ち上がった。

「いや。お前が男でなくてよかったって心底思っただけだ」

「はい?」

それとヨミが浮かべていた表情の理由が分からず、加具土はさらに疑問符を増やす。

ヨミは呆れたように小さく息を吐くと、加具土を半目で見つめた。

「お前のさっきの言動といい、態度といい、お前がもし男だったら、女が放っておかないだろう。現に、見ろ。角杙が思いっきり沈んでる」

「え!?」

再び角杙に視線を向ければ、正座をしたまま、何やらぶつぶつと呟いている。彼のいる場所だけ、異様に暗く感じられた。

「言いたかったこと、全部お前に言われたみたいだからな。旦那としても、男としても立つ瀬がないと思ったんじゃねぇの?」

「お、お父さん!そんな事ないからね!」

慌てて角杙を立てるが、加具土の言葉など、角杙は聞こえていないようだった。

自分では無理だと思った加具土は、抱き着いたままの活杙に言った。

「お母さん!お願い、お父さんを元に戻して!」

「えー、いやよ」

即答だった。

「な、なんで!?どうして!?」

大切な人なのに!?

加具土が驚き、固まっていると、活杙は加具土の肩に頭を乗せ、気だるげに呟いた。

「面倒なんだもの」

そこには、身内の気安さがあったが、投げやりな気分が大半を占めていることを加具土は感じ取った。

「お母さんっ!!」

思わず、加具土は声を荒げた。


 角杙の機嫌を浮上させることができたのは、それから一刻(三十分)ほど経ってからだった。


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