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第百三十八幕 真名

それから数日後の事だった。

夕餉の片づけをしていた加具土は、活杙いくぐいに呼び止められた。

「加具土」

振り返ると、優しい眼差しを向ける活杙と目が合った。

「あなたの真名が決まったわ」

「・・・・・!」

その言葉に、加具土は目を見開く。

「奥の部屋で角杙つぬぐいと待っているから。膳を下げるのはヨミに任せちゃいなさい」

「え、でも・・・」

片腕の自分が片付けでできるのは、膳を下げることと、洗い、すすいでくれた食器を乾かすために棚に置くことくらいだ。真名は知りたいが、さすがにヨミに全部任せるのは。

そう考えていると、加具土の考えを読んだかのように、活杙がにこりと笑った。

「気にしなくていいわ。ヨミには、三人で話すことがあるって言ってあるから」

有無を言わせない迫力のある笑顔に、加具土は頷くしかなかった。

「・・・う、うん」


厨にいるヨミに、活杙と角杙の二人と話があるから後を頼むと伝えると、ヨミは「話は聞いてる。行ってこい」と送り出してくれた。

板張りの廊下を歩きながら、二人が待っている部屋へ向かう。しばらくすると、行灯の明かりに白く透けた障子の部屋が目に入った。

「お父さん、お母さん。加具土です」

声をかければ、ややあって、角杙の声が障子の向こうから響いた。

「入っていいぞ」


障子を開けば、行灯の柔らかな明かりに照らされた室内に、活杙と角杙の姿があった。

 加具土は障子を閉め、二人の前に正座をした。

「そんなに固くならないでいいのよ」

「楽にしていい。そんな改まった席じゃないからな」

二人に優しく言われ、加具土は小さく頷き、足を崩した。


「それじゃ、発表するわね」

瞳をきらめかせながら、活杙が改まったように姿勢を正す。

「はい!」

そして、背後から半紙を取り出した。そこには、二つの文字が書かれていた。

『燁』と『霞』。合せて、『燁霞』。

燁霞ようか。あなたの真名よ」


燁霞ようか・・・」

半紙をまじまじと見つめ、繰り返せば、角杙が穏やかな口調で言った。

「『輝く夕焼け』という意味だ。その髪色からおれと活杙が考えた。どうだ?」

――輝く夕焼け。

加具土は、下ろした髪に触れる。確かに夕焼けの色に似ているが、「輝く」など自分には大それたものに思えた。しかし、角杙と活杙―父と母―が考えてつけてくれた名だ。

二人の想いが込められた自分の真名を恐れ多いと断るのは、してはいけないと思った。

「素敵な名前をありがとう。この真名の通りに生きられるか分からないけど、大切にするね」

口元を上げ、微笑めば、活杙が、ほら見なさいとばかりに、角杙の脇腹を肘でつついた。

「ほら、困ってるじゃない。やっぱり『燁』の字を使うのがいけなかったのよ。『よう』なら他にいくらでもあったじゃない」

「だが、玉のように美しいという意味の『よう』じゃ、加具土の見た目からして少し華やかさに欠けるだろう。お前だってそう言っただろうが」

「それはそうだけど・・・」

二人の言い合いに、加具土は申し訳なくなった。恐れ多い名だと思いながら、その気持ちを隠したのが間違いだったのだろうか。

「あの、自分には過ぎた名前だなと思っただけで、嫌なわけじゃないから。・・・喧嘩しないで」

角突き合わせていた角杙と活杙は、同時に顔を加具土に向けた。

「そんな事ないわ!村で私の仕事の手伝いをしてくれている時、すごくいい顔をしているもの。輝いているといっても過言じゃないわ!」

「森で迷って泣いていた村の子らを宥めたり、河原で怪我をしていた村人を助けたり。その時の顔もいいものだったぞ」

二人の言葉に意表をつかれ、加具土は目を瞬かせる。すると、角杙は改まった口調で諭すように告げた。小麦色の瞳が射抜くように加具土を見つめる。

「加具土。過去に色々あったのは、聞いて知っている。たとえ、活杙がお前のせいではないと言ったとしても、忘れることなどできないだろう。そして、お前はその過去を忘れず、背負い、生きることを選んだ。おれや活杙にとって、それを選んだお前の姿は誰よりも美しく、輝いている。決して、真名負けしているとは思わない」

その瞳に吸い込まれるように、加具土は目を見開き、角杙を見る。

自分をそう言う風に思ってくれていたとは、考えもしなかった。活杙の方に視線を向ければ、彼女はその通りというように頷き、微笑んだ。

 二人の想いが伝わり、「燁霞ようか」という真名が過ぎたものだという気持ちがだんだんと薄れていくのを感じた。

二人に出会えてよかった。彼らの娘であることを誇らしく思った。

加具土の口元に自然と笑みが浮かぶ。

 崩していた足を正し、正座をした加具土は角杙と活杙を見据えた。

「お父さん、お母さん、本当にありがとう。燁霞ようかという真名、謹んで貰い受けます」

そう言って、頭を下げたのだった。


「よかった!喜んでくれて!」

頭を上げれば、活杙が嬉しさを隠すことなく抱き着いてきた。活杙の肩の向こうから、角杙も満足げにうんうんと頷く。

「あ。じゃぁ、ヨミにも伝えないと」

家族なのだから。そう口にすると、活杙が体を離し、不満げな声を上げた。

「えー!だめよ!それじゃ、なんのために引き離したのか分からないじゃない!」

「へ?」

引き離すとは、一体どういう意味だろう。加具土は首を傾げ、意味を説明してくれるだろう活杙を見る。

活杙は、ぱっと花が咲いたような笑みを浮かべると、生き生きとした口調で言い放った。

「ヨミのことが好きなんでしょう?なら、大丈夫!あなたの真名は教えていないから!これで準備は万端!!あ、花とか文とかは気にしなくていいのよ。そういうのに拘らない人もいるから!だから、月花祭りで告白しちゃいなさい!」

「えぇっ!?」

思いもよらない活杙の言葉に、加具土は驚いた。一緒に暮らしているのに、どこをどう見たらそういう風に見えるのだろう。

 口をぽかんと開ける加具土の耳に、角杙が呆れたように溜息を吐くのが聞こえた。うふふっと嬉しそうな活杙の後ろで、角杙が申し訳なさそうな顔で加具土を見る。

「すまん。月花祭りの気に当てられたらしい」

そう言って、角杙は活杙を親指で指さした。

「こいつが、お前がヨミの事を異性として好きだと言ってきてな。真名を教えたら、告白する意味がなくなってしまうと言って、わざとヨミを話に入れなかった。おれは、余計な世話だと言ったんだがな」

なるほど。あの迫力のある笑顔の裏には、そういう思惑もあったのか。

「だってー。髪型変えてもらってた時、普段と顔が違うなって思ったのよ。あれは、恋する乙女の顔よ」

唇を尖らせる活杙に、角杙はじとりと半目を向ける。

「だとしても、加具土の意思を聞かずにお膳立てしてどうする?おせっかいなだけだろうが」

「いいじゃない。外堀から埋めていったほうが加具土だってやりやすいでしょう?それに娘だけじゃなく息子もできるんだから、一石二鳥じゃない」

「お前な・・・」

ため息を吐く角杙。

なんだか妙な展開になってきた。二人とも、自分がヨミの事を異性として好きだと思っているらしい。

「あの・・・。私、ヨミの事は家族みたいに思っているけれど、異性として見てるわけじゃ・・・」

おそるおそる告げれば、活杙は目を大きく見開いた。

「うっそー!でも、あの時、どきどきしてたでしょ?」

あの時とは、髪型を変えてもらった時のことだろうか。

「どきどき・・・。ヨミがあんな事をしてくれるなんて意外だったから、ちょっと驚いただけだよ」

決して、ヨミに対する胸の高まりではない。それに。

「好きだったら、撫子の人みたいに告白したいって思うんでしょう?」

書物で読んだことのある恋愛譚には、想い人が夢に現れたり、その人の事を想うばかりに物が食べられず、うまく眠れないといったことが書かれていた。また、振り向かせたい、自分を見てほしい。そういう気持ちが強く全面に出ていた。それが好きであること、恋であるというのなら、自分の気持ちはそれではない。

「本にも書かれてたけれど、振り向かせたい、自分を見てほしいというのが恋なら、私のは違うよ」

ふるふると首を横に振ると、活杙が不服そうな顔をした。

「確かに、それも恋だけど。でも、それだけじゃな」

「よせ、活杙」

さらに言い募ろうとした活杙を角杙が制した。

「加具土が違うと言っているんだ。その気持ちを汲んでやれ。これ以上やれば、それは加具土のためじゃない。ただの自分勝手だ」

「・・・わかったわよ」

しぶしぶと活杙は頷いた。

そして、仕切り直すように一つ息を吐くと、活杙は眉を下げ、加具土を見た。

「ごめんなさいね。ちょっとお節介が過ぎたわ」

「・・・ううん」

それでも活杙は自分のために動いてくれたのだ。ちょっと強引だったが。

だが、活杙が恋の話をしてくれたおかげで、自分もそういうことができるのだと思った。加具土自身、過去の事もあり、恋愛というものがどこか遠い所で起こる出来事のように感じていた。月花祭りに関しても、素敵な行事だろうと思うだけで、自分にそれがくるとは考えていなかった。


なんとなしに、言葉が途切れる。しかし、雰囲気は重いものではなく、ふわふわと柔らかく温かなものだった。

その時だった。板張りの床が軋む音が聞こえた。

『話は終わったか?』

障子越しに、ヨミの声が響く。

「終わったよ!どうしたの?」

加具土は障子に向かって声をかける。障子の向こうにヨミの影が見えた。

『風呂はどうする?誰か先に入るか?』

「ちょっと待って!」

加具土は振り向き、活杙と角杙を見る。

「先に入ってていいわよ。まだ、話したいことがあるし」

すると、活杙が返事を返した。

もう終わったと思っていたが。話したいこととは何だろう。

障子に視線を向ける活杙の横顔を見つめる。

『分かった。先に入ってる』

ヨミが了承の声を上げる。そして、床の軋む音がしたかと思うと写った影が障子から消えていく。ヨミが湯殿へ向かったのだ。

「お母さん、話したいことって?」

尋ねれば、活杙は加具土へと視線を向け、よくぞ聞いてくれたというような顔をした。

「明日、月花祭りに着る衣を買いに行くわよ!」

活杙の言葉に、加具土は目を瞬かせる。

「え。家にあるものでいいんじゃない?ヨミはともかく私達は主役じゃないし」

月花祭りの主役は、文の送り主や送られた相手で、男も女も着飾る。もちろん祭りなので、彼ら以外の暁月村の村人も楽しむ。屋台も出るし、神楽殿では神楽が舞われるのだ。

「そんなの気にしなくていいのよ。月花祭りは年に一回ある特別な日だもの。衣を新調する人もけっこういるわ」

「なら、ヨミも誘おうよ」

主役でもあるのだから。それに、白が気に入っているのか、ヨミは白以外の衣を着ようとしない。赤や青などの明るい衣も着てみたらいいんじゃないかと加具土は常々思っていた。

すると、眉を寄せ、活杙が首を振った。

「昨日話してみたんだけど、女達に群がられるから嫌だって。まぁ、月花祭りまであと五日間。最後の一押しって子もいるだろうから、気持ちは分かるけれど」

肩をすくめる活杙。

「あ・・・」

その言葉で加具土は思い出す。

そうだ。ヨミは娘達に追いかけられたのだ。月花祭りが終わっていない今、村に出かけるのはわざわざ巻き込まれにいくようなものだ。

「そっか。そうだよね・・・」

何だがヨミを仲間外れにしたようで気持ちはよくないが、彼自身が嫌がっているのだ。無理強いは良くない。若干、寂しさを覚えながらも加具土は頷いた。


「そうそう!この間、出かけた時、あなたに似合ういい色の衣を見つけたの。でも、ちょっと高かったら買うのはやめたんだけど。祭りが近いから、売るために店も安くするの。今ならちょうどいい値段で売ってるわ!」

「う、うん」

拳を握りしめ、力説する活杙に、やや引きながら加具土は頷く。その時、加具土は気づいた。活杙は自分のものを買うとは言っていない。加具土のことばかりだ。

「ねぇ、お母さん。自分のは買わないの?」

「私?私はいいのよ。衣なら去年の着ていないものがあるし」

手をひらひらと振りながら、活杙はさらりと返す。

「ふふっ、楽しみだわ~」

にこにこと笑みを浮かべ、明日を想う活杙を見ながら、加具土は隣にいる角杙に耳打ちした。

「お父さん、お母さんの衣って、渋いのが多いよね」

今着ているものもそうだが、衣を入れる唐櫃からびつの中に入っている衣には、土色、枯茶色、小豆色、芥子からし色など、赤や青や緑など明るい色は一切なく、茶やくすんだ黄色など、どちらかというと暗めの色が多かった。

「そうだな・・・。あれは、あいつの戒めのようなものだ」

小声で返しながら、角杙は活杙を見つめる。その瞳には、憂いの色が見えた。

「・・・赤ん坊を救えず、母親の心を壊した事を忘れないために。あいつは、明るい色の衣を着ようとしない。おれも何度か勧めたが、頑なに着ようとしなかった。祭りがあっても、新しいものは買わず、着古したものを着ている」

「・・・・・」

あの渋い色合いの衣にはそういう意味があったのか。

活杙の気持ちも分からなくはない。

――けれど。

せめて祭りの時くらいは、少しくらい着飾ってもいいと思うのだ。いつも暗めの衣を着ているのだから、一日くらい許されるはずだ。

それに、自分の過去を受け入れ、娘として扱ってくれる活杙を加具土は喜ばせたかった。

「ねぇ、お父さん」

「なんだ?」

「お母さんに明るい色の衣を買ってあげようよ」

角杙を見ると、驚いたように目を見開いていた。

「それは・・・。おれも賛成だが、あいつがどう思うか」

歯切れの悪い角杙に、加具土は強い口調で、けれど活杙には聞こえないように小声で言った。

「お母さんの気持ちもわかるよ。でも、お祭りの時くらいは着飾っていいと思うの。それに、本当はお母さんだって着たいと思ってるはずだよ」

「加具土・・・」

はっとしたような声音で、角杙が名を呟く。

「私、もらってばかりだから。少しでもお母さんに喜んでもらいたいの」

そうと決まれば、さっそく行動だ。だが、活杙に勘付かれたら、彼女の事だ。断るかもしれない。

「ねぇ、お父さ・・・!」

そのためには、角杙に協力してもらわなければ。声をかけようとした時、突如、角杙の手が加具土の頭に置かれる。そして、髪をぐしゃぐしゃと撫で回された。

「ありがとうな、加具土」

「お父さん・・・?」

礼を言われ、加具土は髪を直しながら、角杙を見る。

「あいつも着たいってことは気づいてた。だけど、いつも笑ってごまかすから、正直諦めてた。そうだよな。少しくらい強引でも。あいつに喜んでもらいたいもんな」

「うん!」

角杙の言葉に、加具土は大きく頷く。

「よし!いくつかおれが見繕うから、お前は自分の衣を探す振りをしてくれ。ん?だが、そうすると、おれが選んだ衣を見るために、お前があいつのそばを一端離れることになるな。下手をすると活杙にバレるかもしれん。どうするか・・・」

意気込む角杙だったが、二人で隠れながらするには限界があると気付いた。

「う~ん・・・」

顎に手を当て、加具土は考える。

「あっ!」

一つ、いい考えが浮かんだ。

だが、そのためにはヨミの力を借りなければならない。

嫌がるだろうヨミを説得するにはどうするか。

「・・・・・・」

ふと、自分の衣が目についた。ついで、ヨミの顔を思い浮かべる。

――もしかしたら、うまくいくかもしれない。ヨミが了承するかが鍵だが。

いや、してみせる。全ては、活杙の喜ぶ顔を見るために。

加具土は 左の拳をぐっと握り締め、自身に喝を入れた。

「加具土・・・?」

不思議そうに自分を見る角杙に、ニッと口元を上げ、加具土は視線を向けた。


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