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第百三十六幕 語る

「うっ、ひっく、ぐすっ・・・!」

加具土は、涙を止めようとするが、止められない。

鼻をすすり、左手で涙を拭うが、次々と雫が溢れる。活杙いくぐいが背に手を当て、優しく撫でてくれるからというのもあるが。

 思えば、自分は泣いてばかりのような気がする。一人で旅をしていた時は泣くことすらなかったのに。活杙と暮らすようになってからは、感情が溢れて止まらないことの方が多い。

情けないような、ほっとするような。そんな気持ちになりながら、涙を止めようと必死に瞼を擦る。

 すると、その手を活杙が取った。

「あまり擦ったら、目が腫れてしまうわよ。泣きたい時は思いっきり泣きなさい」

「・・ひ、うっく、でも・・・」

そう言ってくれるが、家の前で立ちっぱなしというわけにもいかない。


「ヨミ。活杙が風呂を沸かしてくれている。一緒にどうだ?」

すると、唐突に角杙つぬぐいがヨミに風呂を勧め始めた。

「どうして、あんたと――、うわっ!」

ヨミは嫌そうな声を上げるが、角杙に首根っこを掴まれ、持ち上げられた。

「まぁ、そんなに恥ずかしがるな。裸の付き合いって言うだろう。よし、行くぞー」

「ちょっ、待てっ!俺はいいとは一言も――!!」

ヨミの言い分を軽く流し、角杙はヨミを掴んだまま、家の中に入っていく。

家の中に入っても、角杙とヨミの「入る」「入らない」というやり取りは続いていた。

「強引ねぇ・・・」

呆れたような表情で、活杙は二人が家の中に入っていくのを見送る。すると、活杙は加具土を振り返った。

「じゃ、私達も家に入りましょうか。春とはいえまだ肌寒いもの」

瞼に溜まった涙を拭い、加具土は頷いた。

「・・・はい」



家の中に入る。角杙とヨミは湯殿に向かったのか、姿は見えなかった。「入らない」といいつつ、ヨミは入ることにしたようだ。角杙に押し切られたのだろうか。

板張りの居間に、加具土は腰を下ろす。と、そこへ活杙が急須と湯呑をのせた盆を持って居間に入ってきた。茶葉の香ばしい香りが鼻をくすぐる。

「お茶、飲む?喉が渇いたでしょ?」

それを見た途端、喉が渇いていることを加具土は自覚した。

「・・・はい。いただきます」


コポコポコポ。

湯呑に茶を注ぐ音が、居間に静かに響く。

「ふふっ」

茶を注ぎながら、突然、活杙が笑い出した。

「活杙さん?」

不思議に思って声をかけると、活杙は加具土を見て、笑みを含ませながら言葉を連ねる。

「あぁ、ごめんね。ちょっと昔の事を思いだしちゃって」

湯呑に茶を注ぎいれると、活杙は盆の上に急須を置いた。

「昔の事?」

「そう。角杙と初めて会った時のこと」

そう言うと、活杙は加具土に湯呑を渡す。軽く頭を下げながら、加具土は湯呑を手に取った。

「少し話は変わるけど、角杙とは話した?」

「え、はい。少しですけど・・・」

どうしてそんな事を聞かれるのか分からなないまま、加具土は答える。

「どんな感じだった?」

「・・・穏やかで、優しい人だなと思いました」

角杙と話した時の様子を思い出しながら、加具土は受けた印象を言葉にする。

「ふふふっ」

すると、活杙はまた笑い出した。

「・・・?」

訝しむように活杙を見れば、彼女は、まるで秘密を打ち明けるように声を潜めた。

「あの人、今でこそあんな感じだけれど、昔はね、かなり刺々しかったのよ。そうねぇ、さっきのヨミの態度を何十倍も悪くしたような感じかしら。だから、さっきのヨミを見て思い出しちゃって」

「・・・・・」

あの明るく穏やかそうな角杙が。加具土は想像しようとして、できなかった。

「口は悪いし、態度も悪い。あの明るい色の見た目でそれだから余計に目立ってね。第一印象は最悪だったわ。でも、正義感が強くて。悪い事をした人間や国津神くにつかみに食ってかかることも多かったわ。それが激しくなって取っ組み合いの喧嘩になったり。私は、怪我をした彼の治療をよくしていたの」

活杙は、懐かしそうに目を細め、話し出した。

「いつだったか、大怪我をしてやってきたことがあってね。いくら神の血をひいていたって、そうすぐに治るわけないのに、治療もそこそこに出ていこうとするのよ。『治ったから平気だ』って。あまりに強情だから、さすがに頭にきて、お茶に眠り薬を混ぜて、嫌がるのを無理やり飲ませて寝かせたわ」

角杙はともかく、活杙のその様子は目に見えるようだった。

 しかし、角杙は怒らなかったのだろうか。今とは真逆の刺々しい性格に、自分の意思を貫き通そうとする強情さもあったのだ。

無理やり寝かされ、目が覚めた時には幾日が経っていたと知った時、怒りを感じなかったのだろうか。

「怒られたりはしなかったんですか?角杙さんに」

そう問えば、実にあっけらかんと活杙は言った。

「もちろん、怒られたわよ。何してるんだって」

「そ、それで、どうしたんですか?」

「うん。反論したわよ。いくら神の血をひいていたって、安静にしていなければ治るものも治らない。子供じゃないんだから、医者の言う事くらい聞き分けなさいって」

「・・・なるほど」

活杙の言葉は確かに正論だった。けれど、角杙は頷いたのだろうか。

「それで角杙さんはなんて言ったんですか?」

「『自分の体は自分がよく分かってる。だからほっといてくれ』って言われて、それでもう腹が立って腹が立って、あなたがここを出ていくなら私にも考えがある。ここに来る患者さんたちにある事ない事吹き込んでやるって言ってやってわ」

「それで?」

「『今更悪く言われても、別に自分は痛くも痒くもない』って、涼しい顔して言うもんだから、かっとなって、あなたに押し倒されて、無理やり襲われたって言ってやるって叫んだのよ」

「ごふっ!!」

湯呑に口をつけ、茶を飲んだ瞬間、活杙の思いもよらない言葉に驚き、加具土は、思わず飲んだ茶を器官に通してしまった。

「げほっ、ごほっ、ごほっ!!」

「ちょっと、大丈夫?」

活杙が眉を寄せ、心配そうに、咳を繰り返す加具土の顔を覘き込んだ。

「だ、だいじょうぶ、です・・・」

湯呑を床に置き、加具土は左手で口元を拭った。


「その、そう言われて角杙さんはどうしたんですか?」

それでも出て行ったのなら、相当の猛者だ。すると、活杙が肩をすくめた。

「驚いて固まってたわ。それで、やっと諦めてくれたの」

「そ、そうですか・・・」

ある事、ない事とはいっても、活杙が叩きつけた言葉は、さすがに外聞が悪すぎる。

角杙もそれを思って、諦めたのだろう。

 しかし、いくら治療のためとはいえ、そんな事を言うとは。

肝が据わっているというか、気が強いというか。そうでなければ、医術師はやっていけないということなのだろうか。

 そんな事を考えていると、ふと、疑問が頭を過った。

「活杙さん、もし、角杙さんがそれでも出て行ったら、それを患者さんたちに言うつもりだったんですか?」

活杙は加具土の言葉に、間を置くことなく、即答した。

「えぇ、もちろん」

「・・・・・・・」

その目に迷いは一切なく、加具土は、(角杙さん、出て行かなくてよかったですね)と思わず言葉をかけずにはいられなかった。


 

加具土と活杙が茶を飲み終えた頃、湯殿から角杙とヨミが戻ってきた。

二人の髪はしっとりと濡れ、ふんわりと湯気がたっていた。

「あぁ、いい湯だった。二人も入ってきたらどうだ?」

「え・・・」

そう勧められ、加具土は戸惑い、思わず活杙を見た。角杙は続ける。

「今日は色々あって疲れただろう。薬草も入れておいたから、気分もほぐれる」

「あら、気が利くわね」

「まぁ、たまにはな」

活杙の言葉に、角杙は軽く胸を張る。

「それに、旅先からにしんの塩漬けをもらったんだ。今日の晩飯はこれにしよう。ヨミ、お前も手伝え」

角杙が衣の袖を捲り、くりやに向かおうとする。

「なんで俺が――」

「なら、お前だけ塩漬けはなしな」

不満気な表情を隠しもしないヨミに、角杙はにべもなく言い切った。ヨミの肩がぴくりと動く。

「――わかったよ!やればいいんだろう、や・れ・ば!」

目を怒らせ、ズンズンと足を踏み鳴らしながら、ヨミは角杙を追い越し、厨へ向かった。

 捨て鉢だが、角杙に従順な態度をみせるヨミに、加具土は驚いた。よほど塩漬けが魅力的だったのだろうか。

 今日は、ヨミの隠された表情をよく見る日だ。加具土はそう思った。

「ずいぶん懐いたわね。何か秘策でも?」

活杙も目を軽く見張りながら、角杙に尋ねた。

「ちょっと、男同士の話をな。じゃ、おれは夕餉の準備をしてるから。二人はゆっくり風呂に浸かって、疲れをとってくれ」

けれど、角杙は言葉を濁し、詳しいことは言わなかった。

この話は終わりとばかりに、話題を変え、活杙と加具土に労わりの言葉をかけ、角杙はそそくさと厨へ向かってしまった。

「秘密ってわけね。まぁ、いいけど」

そこまで知りたかったわけでもなかったのか、活杙はすんなりと肩をすくめると、加具土の方を向いた。

「なら、私達も女同士の話をしましょうか」

活杙が加具土の左手を取り、柔らかく笑う。

「私、娘ができたら一緒にお風呂に入るのが夢だったのよね~」

嬉しげな表情を浮かべる活杙を見た加具土は、無粋かもしれないと思いながら、おずおずと口を開いた。

「あの、活杙さん、子供さんは・・・」

活杙と暮らしてはいたが、子供がいる、いない、などということはあまり深く聞いていなかった。家の中にある調度品の数や衣服の種類から、活杙と角杙の二人しかこの家にいないと推測することはできたが。

 すると、活杙は困ったように眉を下げた。

「・・・子供はいないわ。できないと言ったほうが正しいかしら」

そう言って、帯に包まれた腹にそっと触れる。

「昔、やっと子宝に恵まれたお母さんがいてね。私は赤ちゃんを取り上げたの。でも、その赤ちゃんは息をしていなくてね。必死で蘇生させたんだけど、赤ちゃんが泣き声を上げなくて・・・。そのまま息を引き取ったの」

活杙は腹を優しく撫でる。

「お母さんは泣いていたわ。どうして助けてくれなかったんだって。神様の血をひいているなら、赤ん坊を助けることなんて造作もないだろうって。・・・その人は何度も流産していたから、今度こそと思っていたのね。憔悴しきって、見ているのも辛かったわ。私は何度も謝った。謝って、謝り倒して・・・。それでこの件は一応解決したんだけど、ある日、そのお母さんがやってきてね。小刀を手にして。そして、・・・私を刺したの」

「・・・・・!!」

加具土は目を見開き、活杙を見つめた。活杙は眉を下げる。

「当たり所が悪くてね。子宮に――、赤ちゃんを育てる場所に傷が入るほどの深い傷だったの。幸い、命は取り留めたけど、師匠からは言われたわ。子を産むことはできないと」

何も言えず、加具土は活杙を見る。

「その頃は、誰かと寄り添うとか、結婚とかを考えてはいなかったわ。仕事が楽しくて、やりがいもあったから。・・・でも、言われて、胸の中にずしんと重石が入ったかのような気持ちになった。今ならそれが悲しいという気持ちなんだってわかるけれど・・・」

腹をさする手が止まり、活杙の瞳に憂いが混じる。

「・・・ごめん、なさい。辛いことを思い出させて」

まさか自分の言葉が、活杙の辛い過去を思い出させる切っ掛けになるとは思いもしなかった。目の前で告げられた活杙の気持ちを思うと胸が痛い。

申し訳なくて、加具土は顔を俯かせた。

「あなたが謝ることじゃないわ。それに、これは教訓でもあったのかなって私は考えているの。私の仕事は命を救うこと。けれど、神の血をひいていても万能じゃない。全ての命を救うなんてできない。それによって、怨む者も当然いるということを私は失念していた。相手は私を怨むほど、心が深く傷ついていたのよ。謝って終わりというわけじゃない。心を持っている以上、神だろうと人だろうと、そう簡単に事実を受け入れられないし、心の傷が癒えることはない。私は、謝るだけじゃなく、その人にちゃんと寄り添うべきだった」

活杙の言葉は確かに一理あった。だが、加具土のなかで何かが引っかかっていた。

「活杙さんの言う事も確かに必要だったと思います。・・・でも、そうだとしても、その人は活杙さんを刺してはいけなかった」

その悲しみや痛みを活杙に向けることで晴らそうとしたのかもしれない。気持ちは分からなくはないが、それを活杙に向けるのは本末転倒だ。

「私が亡くなったその子だとしたら、悲しいと思います。自分の母親が、自分を必死に助けてくれた人を傷つけたことを」

母親の命を奪った自分がこんな事を言うのは、おこがましいのかもれない。けれど、悲しみと辛さを抱えている活杙の心を少しでも軽くしたかった。

「刺したその人も赤ちゃんを亡くして辛かったと思うけれど、それを自分の中に溜めてしまったんじゃないでしょうか。旦那さんや周りの人達が気づいて止めたり、その人が辛さや苦しさを周りの人に少しでも吐き出していたら何か変わっていたかもしれません。活杙さんのせいだけじゃない。・・・だから、無理して笑わないで」

話す活杙の顔は、眉を八の字に下げていたが、口元は笑みを浮かべるときのように上がっていた。

活杙は目を大きく見開いた。加具土がじっと見つめていると、表情を戻し、小さく息を吐く。その目は、憂いを湛えたものではなく、懐かしさを内包したものだった。

「あなたも角杙と同じ事を言うのね・・・」

「えっ」

そう言われ、加具土は驚いた。

「角杙も言ったわ。『無理して笑うんじゃない。辛い時は辛い。苦しい時は苦しいって言え』って。私、無理して笑っていた気はなかったんだけど、彼に言われて少し楽になったの」

「・・・そうだったんですか」

多分、いや、きっと、角杙が活杙を支えてくれたんだろう。それが結婚する前か、後かは分からないが。それでも、活杙が一人で抱えこんでいなかったことに、加具土はほっとした。

 すると、重い雰囲気を払拭するように、活杙が、ぱんっと手を叩いた。

「さ、私の話はここで終わり!お風呂、行きましょうか。あまり遅くなると、角杙たちの準備が終わってしまうわ」

「・・・はい」

活杙に促され、加具土は彼女と共に湯殿へ向かった。



 湯殿は、ひのきで作られた立派なものだ。入るたびに、桧の芳しい匂いが漂う。

引き込まれた湯もちょうどいい温度で、湯に入れば肌にしっとりと馴染むいい湯だった。

 今回は、湯に薬草を入れてあるためか、薬草の爽やかな匂いが鼻をくすぐった。

手拭いで皂莢さいかちの実が入った袋を擦り、泡をたたせて体を洗う。

代わる代わる背中を洗い、湯で泡を流すと、加具土と活杙は湯を湛えた湯船に体を浸からせた。

「ん~、いいお湯ね」

「はい」

桧と薬草の匂いを吸い込みながら、加具土は返事を返した。斜め上にある格子窓からは、ひんやりとした春の冷気が入り、そこから覗く夜空には、白く輝く星々が見えた。

「ねぇ、加具土」

名を呼ばれ、加具土は返事を返す。

「はい?」

「そろそろ敬語やめない?」

「・・・・・」

活杙の言葉に、加具土は目を見開く。活杙は加具土の方を向いた。活杙の上げた髪から雫がぽつぽつと落ち、紫水晶の瞳が加具土を静かに射抜く。

「ここに来て大分経つし。それに、家族なのに敬語を使われるのも、距離を置かれているみたいで寂しいわ」

 目元を緩ませ、加具土を見る活杙の瞳には、愛おしさとほんの少しの寂しさが見て取れた。それを見て、加具土は唇を噛み締める。

(私は・・・・)

母を殺し、多くの者を傷つけた。そんな風に、優しく見つめられていい存在じゃない。

 ヨミとの対話で表に出てきた罪悪感が、加具土を縛り始めた。

「私は、ひどい女です」

口から出たのは、そんな言葉だった。

「ひどい?」

不思議そうに声を上げる活杙に、加具土は吐き出すように告げた。

「私は、・・・・母を殺しました」

湯気のたつ湯船のなかで、加具土の言葉が反響した。活杙は突然の告白に驚いているのか、何も言わない。

活杙の反応を見るのを恐れ、加具土は、顔を俯かせる。

「私が最初に見たのは、赤く焼け、黒ずんだ母と顔を怒りと憎しみに染まらせた父でした。私の中の火が、母を死に追いやったんです。・・・殺すつもりなんてなかった。けれど、結果的にそうなってしまった。父は私を追い払いました。出て行った先で、姉や兄達に会った私は、母を殺した罰として右腕を取られました。私の居場所はどこにもなく、彷徨うしかなかった。けれど、私の火の力は簡単に制御できず、たくさんの人間や妖を死に至らしめました。私は自分の火の力をどうにかしようと、その方法を探して旅を始めました。でも、なかなか見つからず、荒野を彷徨っていたところで、あなたに出会いました」

加具土は、さらに続ける。言うなら今しかないという気持ちもあったが、活杙が発する言葉を聞くのか怖いという想いもあった。

「あなたに会えてよかった。力を制御できる方法も教えてくれて、家族だと、ここにいていいと言ってくれて、すごく嬉しかった。こんな私にも帰る場所があるんだと思えました」

家族というものを知らずに生きてきた加具土にとって、活杙は本当の母のようだった。

家での暮らし、村人達との付き合い方など、様々な事を教えてくれた。

幸せで、幸せ過ぎて、胸が痛むほどだった。

だからこそ、自身が犯した罪が加具土を苛んだ。それを伝えず、何でもない顔をして日々を暮らす自分に吐き気すら覚えた。けれど、この暮らしに、活杙の優しさに甘え、ずっと言わずにきた。

 けれど、ヨミが現れ、彼が自ら死を選ぼうとした時、自分の罪を突きつけられたような気がした。

 ヨミが悪いわけではない。いつか言おう、いつか言おうと騙し騙しやってきたツケが、ちょうどよく現れただけだ。


加具土は、自身の罪を告白して、この家にのうのうと居座るほど図太くはなかった。

活杙や角杙、村人達が優しくしてくれる度に、自分の汚さをまざまざと見せつけられるようで、苦しく、辛かった。一人になったところでその罪から逃れられるわけではないが、それでも、苦しさや辛さは多少半減されるだろう。

「・・・でも、もうここにはいられません。なんだか逃げるようで申し訳ないですけど、明日、ここを出ます。今までありがとうございました」

湯船のなかで頭を下げ、加具土は上がろうと腰を浮かす。

「ちょっと待って」

その時、活杙の静かな声が響いた。

「私、出て行ってもいいなんて言ってないけど?」

「え・・・」

活杙の言葉に、加具土は口をぽかんと開ける。

「で、でも、私は・・・」

「あなたは確かにお母さんの命を奪ったのかもしれない。でも、それは故意じゃない。いうなれば、事故よ」

「事故・・・」

活杙は頷く。

「私は国津神のお産も経験したことがあるけれど、子供の性質は産まなければ分からないものよ」

「だけど・・・」

自分が生まれたことで母が死んだのなら、それは自分の罪と言えないだろうか。

 活杙は、加具土の髪に手を伸ばし、優しく撫でた。

「あなたのせいでも誰のせいでもないわ。あなたは生まれるべくして生まれた。ただ、それだけよ」

活杙の言葉に、絆されそうになる。加具土は、活杙の手から逃げるように離れた。

「でも、きっと怒ってる。お母さんは、きっと怒ってる・・・」

我が子の火で焼かれ、最愛の父と離れ離れになって。

 まだ、胎児だった頃、母のお腹のなかで聞いたことがある。母と父の穏やかな会話を。仲睦まじい様子が(実際は見えないが)目に見えるようだった。

「あなたがそれを気に病んでいるなら、私が何度でも言ってあげる。あなたはここにいていい。生きていていいの」

活杙は、加具土の頬を両手で優しく包んだ。

「あなたのした事が罰だというのなら、あなたは十分受けているわ。腕を失くし、辛く痛い思いをして、自分の性質を変え、片目すら失くした。あなたは優しいわ。どうでもいいなら、自分の身を削ってまでやろうとはしない。もういい。もう十分。あなたはよくやったわ」

活杙の優しい言葉が、大地に水が浸み込むように、加具土の心にひたひたと押し寄せる。

私は、ここにいていいのだろうか。生きていて、いいのだろうか。

「もし、あなたを許さない人が現れたら、私が怒ってあげるわ。この子は私の娘です。この子がいい子だってことは私が保証しますって」

微笑む活杙に、加具土の目が潤む。

「ねぇ、加具土、あなたはずっと他人ひとの事ばかり気にしているわ。少し、自分のことでわがままになってもいいんじゃないかしら」

「わがまま・・・」

繰り返せば、活杙は頷く。

「そう。あなたは、本当はどうしたい?」

「・・・・・・・」

加具土は瞼を閉じる。

――本当は。本当は―――。

唇を震わせながら、加具土は言葉を紡いだ。

「・・・ここにいたい」

残った左手を湯の中で、ぎゅっと握る。

「ここに、ずっといたい。活杙さんや角杙さんと、ずっと一緒にいたい・・・!」

心の奥底にしまっていた想いを吐き出す。色々な理由をつけながら、川に沈む小石のように沈んでいた答えは、単純なものだった。だが、それを口にすることが、加具土にはできなかった。やっと言えた言葉に、加具土は、ほうっと小さく息を吐く。

ふわりと活杙の手が加具土の頬から離れる。寂しいと思った次の瞬間、加具土は活杙に抱きしめられていた。

「もちろんよ。ずーっと一緒にいましょうね」

ぎゅうぎゅうと抱きしめられ、少し息苦しさを感じながらも、加具土は嬉しさで一杯だった。

「・・・うん」

こくりと頷けば、活杙は抱きしめる腕を解き、加具土の額に自分の額をこつんとつけた。

美しい紫の瞳が、加具土の視界いっぱいに広がった。

「・・・生まれてきてくれてありがとう。私のところに来てくれてありがとう。加具土。私の愛しい子」

「・・・・・!」

その言葉に、加具土は驚く。だが、同時に自分が最も欲しがっていた言葉だと気が付いた。

 加具土は、顔をくしゃりと歪ませ、左手を伸ばし、活杙の背に触れる。

「・・・・私こそ、ありがとう。おかあさん!!」

加具土は、活杙のぬくもりを感じながら、泣きじゃくった。

それは、もう二度と、口にできないと諦めていた言葉を呼ぶことのできた瞬間だった。


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