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第百二十九幕 浄化の炎

「やっているわね~」

ノイエスワンダーランドを一望できる丘の上に、安奈の嬉々とした声が響く。彼女は、ごつい造りをした双眼鏡を目に当て、観覧車の周囲で起こっている混乱を見つめていた。

 救急隊員、救出された人々、鬼討師、妖、野次馬。彼らが泣き叫び、悶える様は圧巻だった。

「・・・がしゃどくろの姿が視えないのは、何かをしたからなのか?」

肩に乗ったロンから問われ、安奈は双眼鏡から目を離さずに告げた。

「えぇ。透明――クリアの能力をもった異能力者の骨をふりかけたの。すごいわね。異能力者って。死後もその力が残るなんて。ある意味、妖を超えているんじゃないかしら」

「そうか・・・」

さらりと答える安奈を見ながら、龍はうすら寒いものを覚えた。

『ゴルゴンの目』、『ミミックの指輪』。そして異能力者の骨。どれも正規ルートで手に入れることのできない代物だ。それを少し裕福なだけの人間が簡単に用意できるものなのだろうか。何度か安奈と行動しているが、その情報網は計り知れない。裏に彼女を支援するスポンサーでもいるのではないかと疑ってしまう。

 不意に、ピリピリピリと軽やかな着信音が辺りに響いた。

双眼鏡から目を離すことなく、安奈はスラックスパンツのポケットから携帯電話を取り出し、耳に当てた。

「私よ。何かあった?」

双眼鏡を外さなくても、安奈は、電話の相手が誰か分かっていた。

『巫子達が気づいたみたい。何人かがこっちに向かってるわ』

雀のように甲高い声が安奈の耳を擽る。想定内だ。安奈は取り乱すこともなく、淡々と告げる。

「そう。適当に足止めしてちょうだい。でも、殺しては駄目よ」

『りょーかいっ』

跳ねるような口調で了承した相手の声を聞き、安奈は通話を終了させた。

「グローリアか?」

電話口の相手を予想し、龍は尋ねる。

「そうよ。思ったより遅かったわね。もっと早く来ると思ったんだけど」

言外に巫子を見下げた言葉を放った安奈は、ずれた双眼鏡の位置を元に戻した。

グローリアは、西洋の妖――魔女だ。その容姿は十代の少女だが、百年以上は生きている。土や植物など、自然を生き物のように操る術に長けた彼女は、安奈を姉か母のように慕っていた。安奈以外の仲間たちには、口も悪く、見下したような態度を取るグローリアだが、安奈には従順に従う。

 グローリアに任された仕事は、異様な氣に気が付き、この遊園地にやってくる巫子達の足止めだ。もっとも、この事を龍が知らされたのは、この丘に来てからだが。春樹、穂積、梅花メイファも安奈からの連絡でここに来ていた。穂積が双眼鏡を目に当て、ノイエスワンダーランドを見ており、春樹と梅花は遠目で光輝く遊園地を見つめていた。


 ノイエスワンダーランドの入り口にほど近い森の中。その杉の木の天辺に、グローリアの姿があった。

 金色の髪から白く尖った耳が覗き、紫水晶に似た美しい瞳が妖しく光る。

その瞳に映るのは、ノイエスワンダーランドに向かっている、様々な色の槍を持った猿田彦の巫子と、和装の格好をした鈿女の巫子達だった。

 グローリアは、にんまりと口元を引き上げると、パンパンと手を叩いた。

「さぁ、みんな!!遊びの時間よ!!」

楽しげに声を上げ、両手を上に広げれば、森の木々がまるで生き物のように動き始めた。

枝を手のように動かし、根を地面から引き抜き、ずんずんと大きな音をたて、足のように動かしていく。

異様な光景に気が付き、巫子達の足が森の方へ向く。

グローリアは、巫子達へ近づく杉の木の天辺で揺られながら、舌なめずりをした。

「さぁ、楽しませてちょうだい?」



「あ」

 不意に、安奈が小さく声を上げた。

「どうした?」

「あの子が来たわ」

龍も観覧車の方へ目を向ける。そこには、安奈の言った通り、犬の霊威に乗った悠子の姿があった。

悠子を見た安奈は口元を歪め、嗤った。――彼女は知っていた。悠子が力を封印されていることを。すると、犬の霊威や悠子のそばにいた少女が蹲る。がしゃどくろに苦しめられているようだ。悠子は、途方にくれたように立ち尽くしていたが、何を思ったのかどこかへ駆け出した。

「あら、どうする気なのかしら?」

喉の奥で小さく笑いながら、安奈は楽しげに呟く。そして、双眼鏡につけた目を細めた。

(さぁ、泣け、苦しめ。はお前を絶対に許さない・・・)



 自分を助けてくれた鬼討師と歩の氣が感じ取れる方向へ悠子は駆ける。彼らの姿が見えたその瞬間、悠子はたたらを踏み、そして息を呑んだ。

「・・・・・っ!!」

そこには、全身を赤い手で染められた鬼討師と歩、瑠璃、桜香が倒れていた。そばには、カップルらしき男女と二人の少女、気絶している三人の男性と幼い少女、そして一人の女性がいた。彼らも一様に赤い手で全身を覆われていた。

 悠子の願いは儚くも潰えた。今、現在、苦しむことなく立っているのは悠子ただ一人だった。

 

 誰かに手を借りたくても、近くに鬼討師や巫子の氣は感じられない。彼らに連絡する手もあるが、電話をかけたとしてどのくらいでここへやってくるのか分からない。このままでは、赤い手に覆われた人々や、見えない何かに操られ、手や足を上げている人々の心、それを受けている人々の命に関わる。

 悠子は、右腕を見つめた。そこには何もないが、封印の痣があることは分かっていた。

律の声が頭の中に響く。

『その痣を無理に剥そうとすれば、とてつもない痛みが全身を走ります。巫子の能力ちからとは、自身の霊力―魂の力―です。それを縛るものを傷つけるのですから、運が悪ければ能力ちからそのものを失い、下手をすれば命を失うことになります。・・・決して、そんなことはしないように』

 この痣の封印を解くということは、律の思いを無駄にすることにつながる。自身の命も危ういかもしれない。けれど、ここで躊躇していたら、直達だけでなく、多くの人の命が危うい。可能性がゼロでないなら、やる価値はあるはずだ。

(・・・ごめんなさい。おばあちゃん)

心の中で律に謝り、悠子は辺りを見回す。

コンクリートの地面に、粉々に砕け散ったガラスが落ちていた。おそらく、ゴンドラの窓だろう。悠子は駆けより、先の尖ったガラス片を掴む。

 大きく深呼吸し、ぐっと腹に力を込めると、右腕目掛けて思い切り突き刺した。

「ぐっ!!」

腕の痛みと同時に、体全体に、まるで電流を流されているかのようなビリビリとした強い痛みが走る。それは、掴んでいるガラス片を手放しそうになるほどの痛みだった。

「い、あ・・・!!」

痛みをこらえ、悠子はガラス片を腕から引き抜き、再び突き刺す。

「ぎっ!!」

今度は頭をハンマーで殴られたかのような激しい痛みが悠子を襲った。目の前がぐらぐらと揺れ、倒れそうになりながら、奥歯を噛み締め、悠子はガラス片を引き抜いた。

(これで、どうか・・・!!)

鈿女の巫子としての能力ちからが戻るように。

そう願いながら、悠子は再びガラス片を振り上げ、腕に突き刺した。

 次の瞬間、青白い光が右腕から迸った。

「――!!」

その光を目に映した途端、頭の中に、まるで映画のフィルムを見ているかのように、見たことのない映像が流れてくる。それは、瞬く間に悠子の意識を覆い尽くした。



「――!!」

畳の上でまどろんでいた達騎は、不意に感じた巨大な氣に意識を覚醒させた。それが見知ったものの氣であることに気づき、がばりと体を起こす。

そこは、窓のない部屋だった。畳一畳ほどの狭い空間に、トイレがむき出しに置かれ、備え付けの小さな机がある。その部屋の隅には、敷布団と重ねた布団が畳まれ、その上には枕がのっていた。

 ドラマや映画に出てくる受刑者の部屋は、確かに今、達騎の部屋だった。

『良心』の力を吸収したためか、氣の感知は巫子であった時よりも数倍鋭敏になった。といっても、この氣の大きさなら当時の達騎の力でも感知できただろうが。

(――鈴原)

今感じている氣は、間違いなく悠子のものだった。けれど、人ひとりが発する氣にしては巨大すぎる。悠子の身に何かが起きたのか。

(・・・無事でいろよ)

黄ばんだ壁の向こうにいる彼女を想う。受刑者の身では飛び出すことなどできはしない。たとえ、悠子に何かがあったとしても、今はただその無事を祈ることしかできなかった。



「はっ・・・」

身体が軋むような強烈な痛みがいつの間にか消えていた。息もできるようになり、直は深く呼吸をする。――あぁ、空気とはこんなにもおいしいものだったのか。そんなことを思いながら顔を上げると、目の端に何かが過った。顔を右に向ければ、そこには直の肩越しに貼りつくように骸骨の顔があった。人体模型、標本骨格と同等のその姿は、頭の天辺から足の骨の先まで血のように赤く染まり、眼窩は闇より濃い黒さをもっていた。

 そんな骸骨の周りを青白い炎が包み込んでいた。

『アツイアツイアツイアツイアツイィッ!!』

「ひっ!」

耳元で叫ばれた声に、直は小さく悲鳴を上げる。

『アツイ、アツイ、アツイ、アツイッ!』

骸骨はアツイと叫び続けていたが、やがてその姿はゆらりと揺らぎ、次の瞬間には人間の男の姿に変わっていた。胸元に短い鉄の板を組み合わせてできた黒の鎧を身に着け、鎧の下には、白い袷の服を着ており、下には裾がすぼまったズボンに似たものを穿いていた。


『ア、あつ、あれ、熱くない!?』

アツイと繰り返そうとしてそうではないことに気がついたのか、男―兵士―は目を見開いて驚いたように声を上げた。そして、不思議そうに自身の体を包む青白い炎を見つめる。

『なんで、熱くないんだ?』

炎に包まれた右手を掲げ、男は首をひねった。

その様子を直は言葉もなく見つめていると、兵士は直に気が付き、目を瞬かせた。

『あ、どうも・・・』

「は、はぁ・・・」

挨拶をされ、直は曖昧に返すことしかできなかった。


『あれ、熱くない?』

『ここどこだ・・・?』

『おれ、なんでここにいるんだっけ?』

『戦は終わったんだ!早く帰らないと!』

『姉ちゃん、心配してるだろうな・・・』


次々と声が上がり、直が辺りを見回せば、来場者の人々の背後や周囲に、青白い炎に包まれている兵士達の姿があった。

 兵士達に驚いた顔をする来場者達は、直がこの場所へ降りるとき、全身を赤い手で染め上げ、苦しそうに蹲っていたり、見えない何かに操られ、涙ながらに手や足を振り上げていた人達だった。

「あ!!」

そこで気が付く。楓や浩一は大丈夫だろうか。

前方に視線を向ければ、楓と浩一が倒れていた。染め上げるような赤い手は見当たらない。

「楓、コウ!!」

声を上げ、二人を揺さぶれば、彼らは小さくうめき声を上げた。顔を覘き込み、鼻に手を当てればしっかりと息をしていた。どうやら、気絶しているだけのようだ。

 直は、ほっと息をつく。

なぜ、痛みや息苦しさが消えたのか、それは分からなかったが、けれど、助かったことは事実だ。その時、聞き慣れないが、微かな安堵の声が直の耳に響いた。

『よかった・・・』

柔らかで澄んだ声音が聞こえたほうへ顔を向ける。そこにいたのは、一人の女性だった。

編み込んだ長い髪を背中に流したその人は、葉を陽の光に透かしたような澄んだ緑の目をしていた。服は、古墳時代や奈良時代のような古風なものだったが、色は目の覚めるような青で、腰に締めた帯は温かみのある夕日の色をしていた。

「っ!」

しかし、その右腕は赤黒く血にまみれ、指先から血が滴り落ちていた。

「怪我を・・・!」

立ち上がり、その女性のもとへ行こうとしたが、力が入らずたたらを踏んだ。

『大丈夫』

直に気付いたのか、女性は安心させるような笑みを浮かべ、目を細めた。


『ウズメェッ!!』

『ヘタナコザイクヲッ!!』

『オレタチノイカリヲ、ニクシミヲ、ナカッタコトニスルツモリカッ!!』


そこへ、人の姿になっていない幾人かの骸骨たちが、怒りと怨みの声を上げながら、女性に向かって飛んでくる。

「あぶないっ!」

ぶつかると思い、彼女に向かって叫ぶが、当の本人は避ける様子もない。女性は、血に染まる右腕を胸元に構え、骸骨たちを真正面から見据えた。

『あなた達の怒りを、憎しみを否定するつもりはありません。・・・けれど、あなた達はもう十分苦しんだ。もう終わりにしてもいいと思うのです』

『シッタフウナクチヲッ!!』

「ウズメッ!!オマエハ、タダオマエジシンノツミカラノガレタイダケダロウ!!」

『・・・あなた方は勘違いをしています。私の名は岩長。この血に宿る炎で、あなた方の苦しみを祓う者です』


女性――岩長――はそう告げると、骸骨たちに向かって右腕を振り払った。滴る血が骸骨の顔や肩の骨に当たる。次の瞬間、青白い炎が立ち上がり、骸骨たちを包み込んだ。


『ウアァぁぁッ!!』

『ギャアァぁぁッ!!』

『イヤダッ!ナクシテタマルモノカッ!!』

苦しげな悲鳴を上げながら、骸骨たちは徐々に黒い鎧を着た人の姿になっていく。しかし、炎に包まれてもなお抗う者もいた。その骸骨は、顔と体の半分は人でありながら、残りの半分は赤い骨のままだった。

『こノにクしミは、オれノもノだッ!だレのモのデもなイっ!たかガ、ほのオごとキにやきツクされテたまルものカ!!』

骸骨は飛ぶように駆け、岩長に向かって骨の手を伸ばすと、その喉元を強く掴んだ。

『ぐっ・・・!』

岩長が苦しそうに眉を寄せ、小さく呻いた。

『ウズメッ!おまエは、おれヲふくメおおクのにんげンをころシタ!!ナカにはカエりをマツものもイタだろう。オレにもイタ。ハラにおれの子をやどシタおれの妻だっ!!オレは妻と子のタメにもいきテかえロウと誓った!ダガ、それハかなワナかっタ。・・・・おまエさえ、おまエさえいなケレバ!!オレは、あいつラをのこシテ死ぬコトはなかッタ!!』

喉元を掴む手の力が強くなる。みしみしという音が聞こえてくるようだ。

「や、やめなさいよっ!!人違いだって言っているでしょっ!?」

このままでは彼女が死んでしまう。直は恐怖で固まりそうな口を何とか動かし、腹の底から声を上げた。

 それに気付いた骸骨がギロリと直を睨みつける。左目には剣呑な光を宿し、右目の眼窩は闇よりも濃く、今にも飲み込まれそうだった。

『だまレ、小娘。じゃマをスルな』

その迫力に、直は思わず固まり、顔を引き攣らせる。

『・・・やめ、て。その子は、関係ない・・・!』

目をカッと見開き、人とも骸骨ともつかぬ男に向かって岩長は擦れた声を上げた。

次の瞬間、岩長の姿が掻き消え、長い黒髪の先端を、桃色と黄色で結わえた髪紐で結び、白の袷に赤の裳を着た女性の姿になった。女性は栗色の瞳に強い光を湛え、男を睨むように見つめた。

『憎んでいるのは、私でしょう・・・!』

姿が変わった岩長に驚くことなく、男はにたりと笑った。

『あァ、そうダ。そノ姿だ。ヤッとあエたナ。ウズメ。こノ時ヲ、千年イじょうまッテいタ。おまエを殺せルこの時ヲ!!』

さらに男の手に力が加わる。

『うぐっ・・・!!』

「やめてっ!!」

直が叫ぶ。その時、ウズメと呼ばれた女性の右手が男の骨の手に触れた。直後、ウズメの姿が揺らぎ、赤茶色の髪を耳元で二つ縛りにした女性が現れた。

『っ!!』

女性の姿を見た瞬間、男はまるで火傷をしたようにサッと女性――ウズメの首から手を離した。どさりと音をたて、ウズメは崩れ落ちる。

『ご、げほっ、ごほっ、ごほっ、げほっ!!・・・・はぁ』

何度も咳込みながら、やがてウズメは大きく息をついた。男は、再び姿を変えたウズメをギリッと音をたてるように睨みつけた。

『きサマっ!!妻のすガタに・・・!!キタなイぞ!!』

『こほっ。・・・汚くてもいい。私は、死ぬわけにはいかないから』

顔を上げ、強い眼差しで告げるウズメを見た時、直は、一瞬目を見開いた。赤茶色の髪の女性に、悠子の姿が重なって見えたのだ。

(――悠子!?)

『・・・私の魂は、私一人のものじゃない。このまま、あなたの憎しみを祓うために私が命を落としても何の解決にもならない。悲しむ人が増えるだけ。――それに、死してなお罪を犯そうとするあなたを放ってはおけない』

『キレイごとヲっ!!おまエはタだ死にタクないダけだロう!!妻の――『まほろ』のスがたをヨくも!!はやク解けぇっ!!』

目をぎらつかせ、叫びに近い声で喚く男に、ウズメはぐっと唇を噛み締め、目を閉じると、元の姿に戻った。

『戻っタな!!これデココロおきなく殺せる!!

男は狂気じみた瞳でウズメに襲い掛かった。

しかし、ウズメは動こうとしなかった。

「なにしてるの、避けて!!」

直の言葉にも応じず、ウズメは男を見据えたまま微動だにしない。

「お願い、逃げて!!悠子っ!!」

『死ぬわけにはいかない』といったあの言葉は嘘だったのか。直は声を上げ、懇願するように叫んだ。

刹那。

――ウズメが動いた。

両手を上げ、飛びかかる男の胸元に滑り込むと、ぎゅっと力を込めて抱きしめる。


『ごめんなさい』

小さくも、謝罪の言葉が辺りに響いた。

『奥さんやお子さんに会わせてあげられなくて。あなたの人生を壊してしまって。本当に、ごめんなさい・・・!!』

顔を上げ、目を合わせて言葉を紡ぐウズメに、男は憎々しげに睨みつけた。

『イマさら、いまサラだ・・・!!そんな事を言っタとこロで俺ハもうっ・・・!!たとエうまレ変わっても、まほろにハもう会えナイっ!!なら!!』

男は、ウズメの肩を力を込めて掴んだ。

『オマエを道連れにスルだけダっ!!』

次の瞬間、男はウズメを掴んで大きく飛び上がった。瞬く間に観覧車の背丈を超え、二人の姿は夜の闇へ溶けていった。

「悠子っ!!」

大変だ。助けを呼ばなければ。辺りを見回し、空を飛べ、実力をもつ誰かを探す。その時、何かがものすごい勢いで直の脇を通り過ぎ、その三つ編みを大きく揺らした。

「え?」

直は通り過ぎていったものを瞳に映し、大きく目を見開いた。それは、男性を背に乗せた立派な角をもった大きな鹿の姿だった。



びゅうびゅうと、風を切る音がウズメ――悠子の耳を打つ。呼吸もしづらく、体感も汗ばむほどの蒸し暑さから、身を切られる寒さに変わった。かなりの高さまで上がったことがわかる。

 下を見ることはできない。見れば、その高さに目が眩み、正常な判断ができなくなるだろう。

『ここデいイ・・・』

男がぽつりと呟く。その口調は冷ややかだった。閉じていた瞼をゆっくりと開ける。彼の表情は――といっても左側しか窺えないが――達成感で満ちたものだった。

『にんゲンのおマエなら、ひとタマりモないダろう。いくらウズメといエど、空ヲ飛ぶことハでキないはずダ』

その通りだ。悠子に飛ぶ術などない。男の手が離れれば、まっさかさまに落ちるだろう。

繭籠封糸けんろうふうしさん』と術で、何百というサッカーボールほどの大きさの繭玉を出現させ、クッションにして衝撃を吸収することはできるが、温度差が変わるほどの高さから落ちたとして、果たして無事でいられるだろうか。

 それに、力を無理やり引き出したせいか、ひどく怠い。『鏡月』を発動させてから、一歩動くにも相当な力をいれなければならなかった。こんな状態で術がうまく発動してくれるだろうか。不安と恐怖が悠子の胸に渦巻いた。

 かといって、やめろと言ってやめる彼ではないだろう。男のウズメへの憎しみは並々ならぬものだ。いくら言葉を尽くしても、彼が納得しない限り、その怒りや憎しみは消えないだろう。――けれど、これで諦めるわけにはいかない!

『サぁ、これデ終わりダっ!!』

男は、悠子の肩にかけていた手を離す。肩から手が離れるその一瞬、悠子は逆にその肩に思い切り力を込めて手を置いた。

『ぐッ!!』

悠子の行動は彼にとって思いがけないものだったのだろう。驚いたように目を見開き、大きく呻き声を上げた。

落ちないよう、悠子は男の肩にしがみつく。両腕に震えるのを感じながら、悠子は男の目を見た。

『・・・私を殺すと言いましたね。けれど、いずれ私の命は尽きます。何十年後か分かりませんが。千年以上待てたのなら、数十年などすぐでしょう。それではいけませんか?』

今すぐにでも殺したい男にとって、その言葉は屁理屈に聞こえるかもしれない。しかし、死してなお殺人を犯すことを許せるわけがなかった。このままでは、彼は荒御魂として現世を彷徨い、猿田彦の巫子によって根に送られるか、鬼討師によって自然に還されることになる。どちらも人に転生するまでには長い時間がかかる。

男は、妻である『まほろ』に会えなければ意味がないと思っているようだが、それでも前世とは別の形で出逢う可能性だってあるのだ。男がやろうとしていることは、それを先延ばしにする行為であると同時に、傷ついた魂をさらに傷つける結果になる。

 『断風たちかぜ』を使い、高天原に送ることもできるが、悠子はそれをするつもりはなかった。

どんなに苦しく、辛くとも『殺さない』。

それを貫き通すことを心に、――魂に誓っているのだから。

『ジカンかせギなどムだダ。オレはいマ、ここデおまエを殺ス!!』

男は、悠子の両腕を引き剥がす。

――悠子の身体が宙に浮いた。

『まほろ』が罪を犯すことを望むとは思えない。けれど、それを口にしても火に油を注ぐだけだ。だから、自分の命を全面に押し出し、男が望みを変えてくれるよう願ったが、彼の意思は固かった。

 想いも言葉も彼に届かなかったことに、自分の無力さを感じながら、悠子は唇を噛み締める。落下する恐怖を感じながら、術を発動させようと、必死に力を練った。

 その時、がくんと体が大きく揺れ、何かに支えられたかのように落ちる動きが止まった。

腹周りに力強さと温かさを感じ、目線を下に向ければ、それは人の腕だった。顔を上げれば、大鹿の背に乗った鬼討師が悠子を抱えていた。

 鬼討師は、半分を人、半分を骸骨の姿となった男――がしゃどくろに鋭い眼差しを向けていた。鬼討師がすっと口を開く。

「もう十分だろう。いい加減、休んでもいいと俺は思うがな」

眼光鋭い目つきは裏腹に、その口調はひどく穏やかだった。

『やすム!!なにヲやすムというのダ!!おれにヤスみなどナイ!!』

怒り狂うがしゃどくろに、鬼討師は口調を崩さないまま呟いた。

「いいや。お前は休むべきだ。怒りと憎しみを溜めこんだままいるのは辛いだろう。今、楽にしてやる」

一拍置いて、鬼討師は力ある言葉を告げた。

「――花に還れ。風巻花飛ふうかんかひ

その言葉を唱えた途端、大鹿の口から赤、白、黄、オレンジ、紫、ピンク、黄緑、青など、様々な色の花びらが吐き出された。それらは風に乗り、渦を巻きながらがしゃどくろに向っていく。がしゃどくろは避けようとするが、上下左右に移動しようが、手で振り払おうが、花びらは散り散りになることはなかった。むしろ男に貼りつくように近づいてくる。

『ナ、なんダ!これハ!!』

その表情には、振り切れない焦りと花びらに対する恐れが見てとれた。

「怖がることはねぇよ。そいつらに包まれて、お前は花びらになる。自然の一部になるのさ。そうなれば、もう怒りや憎しみに振り回されることもなくなる」

鬼討師の言葉を聞いたがしゃどくろは、目を見開く。そして、顔半分を青ざめさせながら、首を勢いよく振った。

『い、イヤだ!!オレはまだ、俺でイタい!!』

鬼討師は、ふうっと呆れたように息を吐いた。

「さっき、この子を殺そうとした奴が何言ってやがる。お前は自分で自分の首を絞めた。怒りと憎しみを腹ん中に収めていれば、お前はお前のまま高天原に行けたかもしれない。だが、お前は感情のままに動くことを選んだ。その結果がこれだ。諦めて還れ。俺は、この子のように優しくはない」

鬼討師は、冷たく突き放すように告げた。

『ウあぁぁぁぁぁぁァァァァッ!!』

がしゃどくろは絶叫し、鬼討師に向かって飛びかかった。赤い骨の手が鬼討師の顔にかかると思われたが、その骨の指先は、瞬く間に花びらに包まれ、五色の花びらに変化した。

それもつかの間、がしゃどくろは手だけでなく、体全体を花びらに包まれた。

竜巻のようにくるくると舞う花びらに取り囲まれたがしゃどくろは、一瞬のうちに花となり、舞い上がる花びらの一部となった。

やがて、花びらの大群は、吹き上げてきた冷たい風にさらわれていった。

最後に、ピンク色の花びらが一枚、雲の向こうへ飛んでいくのを、悠子は沈痛な面持ちで見つめていた。



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