第十二幕 ロボット襲来
「今朝、会議で決定した。芸術鑑賞会で行った『紅と青』の公演は延期、再上演は未定だ。劇団山瀬にも連絡をいれて、承諾してもらった。楽しみにしていたみんなには悪いが、今後もことも考えてのことだ。すまないが、わかってほしい」
翌日、担任の隼から、途中で中止となった『紅と青』の公演についての説明があった。
2-Aの面々は、声を上げることこそなかったが、若干ざわめいた雰囲気を漂わせながら、隼の説明を聞いていた。
「あーあ。続きが気になってたのに。どうせなら体育館でやってくれればよかったのにな~」
ショートホームルームが終わり、直は机に頬杖をつきながら、開口一番に言った。
「あの事件があって一週間くらいしか経ってないですから。まだ、あの時の恐怖が残っている人達もいるでしょうし、すぐには無理と判断したんでしょう」
直の机の前に立った楓が、市民ホールの事件に巻き込まれた全学年の生徒の気持ちを考え、学校側が下した決定に、肯定の意を示した。
「そうだね。妥当な判断だと思うな」
一週間経ったとはいえ、妖が襲ってくるなどという経験はそうそうない。いくら、妖と共存し、霊の存在を認識しているといってもだ。
「まぁ、そりゃ怖かったけど。でも、あの事件は劇とは関係なかったんだし・・・」
納得がいかないという表情を浮かべる直。演劇部に所属していることもあるからか、演劇に関しては妥協したくないらしい。
「直さんのように割り切ることができればいいんでしょうけど」
苦笑する楓に、直の頬が膨れる。
「何よー。私が図太いみたいじゃない」
不機嫌さを隠そうとしない直に、険悪な雰囲気になることを危惧した悠子は、慌てて言った。
「まっ、前向きなのはいいことだと思うよ!」
だが、悠子の気持ちを無駄にするような一言が、直の脇から言い放たれた。
「図太いだろ、実際。スプラッタ系の映画見に行った後、焼肉を大量に食ったお前が。繊細のせの字もみえやしねえよ」
呆れたような声音で、達騎が口を挟んできたのだ。
「失礼な!っていうか、聞いてたの?」
「聞こえたんだよ。お前の声、でかいしな」
「誰がでかいって!?普通でしょうが!」
ぎゃんぎゃんと子犬が噛みついているような口喧嘩を、達騎と直は繰り広げる。
口を挟める余裕などなく、悠子と楓は茫然と見ていることしかできなかった。
「・・・悠子さん、あなたに言わなきゃならないことがあるんです」
「何?」
達騎と直の言い争う声を聞きながら、悠子は楓の方を向く。楓の表情は、張りつめていた。
「直さん達が大首に襲われた時、私、『力』を使いました」
「・・・そっか」
悠子は頷く。楓の気持ちは知っていた。直の前では、何の力も持たない人でいたいと口にしていたからだ。
「直ちゃんには話したの?」
すると、楓は視線を泳がせ、おずおずと口を開いた。
「それが、タイミングがつかめなくて。事件の直後はバタバタしていて言えませんでしたし。昨日、言おうとしたんですが、タイミング良く直さんに話しかけてくる人もいて、その、無理でした」
申し訳ない、と顔を俯かせる楓に、悠子は優しく言った。
「落ち込むことないよ。ゆっくりでいいんじゃないかな」
「でも、大分日が経っていますし、何だか直さんに嘘をついているようで心苦しいです」
楓は、がくりと肩を落とす。
(楓ちゃん真面目だからなぁ・・・)
そんな彼女の様子を見て、悠子は腕を組み、考えた。
学校で言えないのなら、外で話す場所を設ければいいのかもしれない。
「あ、じゃぁ、『ローズマリー』で話す?今日は、二人とも部活ないよね?私は、掃除当番だから少し遅くなるけど、放課後、『ローズマリー』で落ち合うっていうのはどう?」
悠子の話を聞いて、楓の表情がぱっと明るくなる。
「・・・そうですね。そうしましょう」
力強く頷く楓に、悠子はにっこりとほほ笑んだ。そして、今だ達騎と言い争いを続けている直に言った。
「直ちゃん、今日の放課後、『ローズマリー』でお茶しようって楓ちゃんと話してたんだけど、直ちゃんも来る?」
「行くー!」
即答する直に、悠子と楓は顔を見合わせ、くすりと笑った。
「ところで、悠子さん。その首、どうしたんですか?」
すると、楓が悠子の首筋を指さして、言った。その右側の首筋には、湿布が貼られている。
「あ、これ?昨日、ちょっと寝違えちゃって・・・」
屋上で達騎と格闘した際、悠子は首筋を打たれた。
最初は何も感じなかったのだが、家に帰り、着替えようとした時、鋭い痛みが右の首筋に走ったのだ。それから、右側に首を動かそうとすると、痛みを感じるようになった。
あははと、乾いた笑い声を上げる悠子に、楓が心配そうに首筋を見た。
「大丈夫ですか?痛くありません?」
「動かさなければ大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」
悠子は、楓を安心させるように微笑んだ。
キーンコーン、カーンコーン。
一時限目のチャイムが鳴り、数学の教師がやってきたことで、その場はお開きとなった。
悠子、直、楓、達騎、その他、話をしていた生徒達は、それぞれ自分の席に戻っていった。
五時限目は体育だった。
体育は校庭で行い、男子はサッカー、女子はバトミントンに分かれ、それぞれ行うことになった。
「お前らー、こっちだー」
二年の体育教師、岩城堅二が、砂埃が舞う校庭の真ん中に立ち、2-Aの面々を呼ぶ。
「あれ、達騎、膝、どうしたんだ?すごい痣だぞ?」
体育館の更衣室で、制服から、白いTシャツにハーフパンツという運動着に着替えた悠子は、背後で聞こえてきた浩一の言葉に、思わず背筋を正した。
左側に首を傾け、目線だけ後ろを向けば、同じように運動着に着替えた浩一と達騎が歩いていた。
ハーフパンツの下から覗く達騎の膝頭には、円形状の赤黒い痣ができていた。
(あれは、昨日、私がつけた・・・!)
思った以上に噛みついていたらしい。内出血している膝頭を見て、悠子は内心蒼褪めた。
「ああ、これな」
達騎は、感情の読めない声音で言い、痣を見た。
「昨日、椅子で思い切りぶつけたんだ。すっげー、痛かった」
眉をしかめ、痛かったという言葉に、達騎は力を込める。
「そりゃ、災難だったな」
達騎の言葉を疑うことなく、浩一は、気の毒にといった風に達騎に言った。
痣を見ながら、申し訳ないという気持ちが悠子のなかに生まれたが、謝らないと言った手前、何も言えないことは分かっていた。
目線を膝頭から外そうとしたその時、達騎と思い切り目が合った。
慌てて、首を正面に戻すと、針のような痛みが走った。
「つっ!」
小さく呻き、痛みに耐えながら、悠子は、生徒達とともに堅二のもとへ急いだ。
「悠子ー!行くよー!」
「はーい!」
遠くで直が手を振り、合図を送るのを、悠子も同じように手を振って返事を返した。
直が、羽根の形のシャトルを持ち、ラケットに当てる。シャトルが飛んでくるのを、右手に持ったラケットを構えながら見ていた悠子は、誰かに見られているようなねっとりとした視線を感じ取り、体ごと後ろを振り返った。
「・・・・!!」
だが、それはすぐに霧散してしまった。
背後に広がる緑の森は静かに佇み、時折吹く風に、枝々をそよがせている。
気のせいだったのだろうか。
じっと森を見つめる悠子に、直の声がかかった。
「悠子ー!何してるのー!シャトル、そっちに行ったよー!」
「あっ!」
直の声に、バトミントンの最中だったことに気づいて、悠子は慌てて振り向く。
「いたっ!」
運悪く、額にシャトルが当たり、悠子は思わず蹲った。
「ちょっ、ちょっと、大丈夫!?」
直が、驚いて駆けこんできた。
「大丈夫。ちょっとぶつけただけだから」
額を摩りながら、悠子は笑う。心配そうに眉を寄せる直に、悠子はそばに転がったシャトルを掴み、立ち上がった。
「中断させちゃってごめんね。さ、やろう!」
「う、うん」
頷き、元の位置に戻っていく直を見ながら、悠子は思った。
(あの視線、気のせいだといいんだけど)
胸の内にもやもやとしたものを感じながら、悠子はバトミントンを再開させた。
放課後、全ての授業が終わり、生徒達は次々と帰っていく。その時、直に声をかけられた。
「悠子、私達、先にローズマリーに行ってるね」
「うん、わかった」
リュックを背負った直が手を振り、スクールバックを手に持った楓が小さく頭を下げて、教室を出て行く。それを見届けた悠子は、教室の奥にある掃除用具入れに足を向けた。
箒とちりとりを持って、床を掃き、教室の黒板に書かれた文字を黒板消しで消して、濡れたぞうきんで、チョークの粉が溜まったチョーク置きを綺麗にした。
そして、集めたゴミ袋を二つ持ち、ゴミ捨て場となっている、体育館脇にある物置へと向かった。
階段を降り、下駄箱で靴を履き替え、悠子は外に出た。右に曲がり、校舎と体育館、食堂を繋ぐ渡り廊下を抜ける。抜けた先には、芝生が生い茂った小さな中庭があった。
その中庭を突っ切り、体育館へと足を伸ばす。やがて、体育館の右脇に鎮座する灰色の物置が悠子の視界に入った。
刹那、頭上に影が射した。
何事かと思い、顔を上げると、見たこともないロボットが宙に浮いていた。
ロボットは、悠子の目の前に静かに降り立つ。
それは、サッカーボールほどの大きさの球体が何十個と連なり、人の形を象ったロボットだった。球体は黒く、目にあたる部分は赤く点滅している。ロボットは、右腕の球体から巨大なナイフを、左腕の球体からハサミを出現させ、突如、悠子に振りおろしてきた。
「はっ!」
悠子はゴミ袋を投げ捨てると、氣を溜め、両手を襲いかかってきた右腕と左腕の球体に叩きつけた。
バキリという音とともに、ロボットの右腕と左腕は真っ二つに折れ、地面に重い音を響かせて落ちる。
しかし、それもつかの間、折れた右腕と左腕は瞬時に再生し、再びナイフとハサミを出現させ、悠子に切りつけてきた。
空を切る音を響かせながら、ナイフとハサミは交互に襲ってくる。
それらをぎりぎりのところで避けながら、悠子は長引かせれば、こちらが不利になると悟った。だが、たとえ武器を破壊しても瞬時に再生してしまうロボットを、どうやって止めればいいだろうか。
悠子は、攻撃を与えてくるロボットの氣を読もうと考えた。無機物といえど、動いている以上、どこからかエネルギーは与えられている。それを受け取っている部分を破壊すれば、ロボットの動きを止めることができるかもしれない。
「白蓮!」
悠子は、両手を胸の前にかざし、言霊を唱えた。巨大な蓮の花が悠子の目の前に現れ、盾となって、ナイフとハサミの攻撃を止める。
悠子は、じりじりと迫るナイフとハサミの切っ先を白蓮で受け止めながら、ロボットを視た。
白い煙のようなものがロボット全体を包むように覆っている。その煙の大本は、ロボット本体の中央にある球体から溢れだしていた。
あれは氣だ。そして、中央の球体が、ロボットが動くための心臓だ。
「やぁっ!」
悠子は白蓮を出したまま、ナイフとハサミの切っ先を押し返し、ロボットの懐に飛び込んだ。
右手に氣を溜め、白い煙が泉のように湧き出る中央の球体に腕を伸ばす。
「―――つっ!」
その時、背中に鋭い痛みが走った。
後ろを振り返っている暇はなかった。悠子は構わず、右手を球体に叩きつけた。
「はぁっ!!」
声を出し、押し込むように力を込める。すると、球体にいくつものヒビが入った。
その球体から溢れ出ていた白い煙が徐々に少なくなっていき、やがて完全になくなった。かと思うと、ロボットはぴたりと動きを止め、ガシャンという金属的な音をたてて、うつ伏せの格好で地面に倒れ込んだ。
「はぁ、はぁ、はぁ」
悠子は荒い息を整え、地面に座り込んだ。
ナイフを出現させた右腕とハサミを出現させた左腕は、悠子を囲むように地面に伸びていた。それらの切っ先からは、赤い血のようなものがついていた。
背中に右手を回し、その手を正面に戻せば、指先に血がついた。
背中に痛みが走ったのは、このためだろう。
「・・・また、怪我しちゃった」
父や母にまた心配をかけてしまう。
背中がじくじくと痛むのを感じながら、悠子は茫然と座り込んでいた。このロボットがなぜ自分を襲ったのか。考えることはあったが、今は命の危機から脱することができた安堵感でいっぱいだった。
「鈴原っ!!」
突如、悠子の耳に、切羽詰まった達騎の声が飛び込んできた。
その声のほうに顔を向ければ、黒い槍―風雲時雨を握りしめた達騎が慌てたように駆けこんできた。
「大丈夫か、って、おい、怪我してるじゃねえか!」
達騎は悠子の前に膝をつく。そして、背中の怪我に気づき、驚いたように声を上げた。
「あ、うん」
放心状態から抜けきらず、悠子は達騎の姿を目にしても上手く反応できなかった。
すると、達騎が顔を大きく顰めた。
「保健室、行くぞ。立てるか?」
その表情とは裏腹に、声は優しかった。悠子は頷き、立ち上がる。一瞬、ふらつくが、達騎が肩を支えてくれたため、倒れることはなかった。
「行くぞ」
達騎が腕を掴み、悠子の歩調に合わせるように歩く。
「あ、ゴミ袋・・・」
ゴミ捨ての途中だった事に気づき、悠子は足を止めた。
「いい。俺が捨てとく」
足を止めた悠子の腕を強めに引っ張り、達騎は再び歩き出した。
保健室につき、達騎はそのドアを開けた。
「あら、珍しい」
机で書きものをしていたらしい紫は、現れた達騎と悠子に軽く目を見開いた。
「鈴原が背中に怪我をした。見てくれ」
達騎は、悠子を丸椅子に座らせる。
「俺はゴミ捨てに行ってくる」
そう言って、達騎は保健室から出ていった。
「鈴原さん、背中、見せてもらえる?」
紫は、優しい笑みを浮かべ、悠子に言った。
「・・・はい」
悠子は頷き、紫に背を向けた。
制服は、白のブラウス、灰色のブレザーの両方とも、背中側が綺麗に裂かれていた。治療を終えた紫は、ロッカーに置いてある白衣を、ブラウスを着た悠子にはおらせた。
その頃には、悠子も放心状態から抜け出していた。
「ありがとうございます。教室に戻って、ジャージに着替えます」
「別に来て帰ってもいいのよ?」
「いえ、大丈夫です」
「・・・そう」
悠子が首を横に振ると、紫は、それ以上強くは言わなかった。
「それで、何かあったか聞いてもいいかしら?その傷、偶然できたものじゃないわね?」
「・・・・・」
怪我が故意のものであると見抜かれ、悠子はどう言い訳をしようかと考えた。
紫は、戦いとは無縁の一般人だ。ロボットに襲われたといったところで信じてはもらえないだろう。だが、不審者に襲われたといえば、事件を大きくしてしまう。
その時、保健室のドアを誰かが叩いた。
「どうぞ」
紫が返事をする。ドアを開け放ち、現れたのは達騎だった。達騎は不機嫌さも隠そうとせず、ドアをピシャリと閉めると、右腕に抱えたものを保健室の床に転がした。
それは、悠子が破壊したロボットだった。かなりの大きさだったはずだが、氣を使って運んだのだろうか。
「これは・・・」
紫が驚いたように目を見開く。
「鈴原に怪我を負わせたヤツだ。あんたの情報網ならわかるだろ?」
達騎の言葉に、悠子は弾かれたように顔を上げる。
紫は、一般人ではないのだろうか?
窺うように達騎を見ていると、その視線に気がついたのか、達騎が口を開いた。
「本条紫は、ここの保健医だが、鬼討師に属する情報部の人間だ。ちなみに、体育教師の岩城も鬼討師だ」
「・・・そうだったんだ」
鬼討師であるかないかは、見た目では判断できない。氣を感じ取れても、どんなものかを感じ取れるだけで、判断材料にはならないのだ。
「それから、この高校には鬼討師が貼った紋術で、結界がはってある。侵入者が入れば、すぐに青木や岩城が駆けつけてくるはずだが、今回はそれがなかった。なぜだ?」
達騎は、鋭い眼差しを紫に向ける。
「おそらく、ロボットだったからでしょうね。結界は人間や動物には反応するけれど、機械には反応しないのよ。でも、また同じことが起こるとなると、考えないといけないわね」
「・・で?これが何かわかるか?」
「ちょっと待って」
紫は、机にあるノートパソコンを立ち上げる。キーボードを叩く音とマウスを操作する音が保健室に響いたが、しばらくして紫の手が止まった。
「あっ、あったわ。スフィア・ヒューマノイド。『遠隔操作可能。緋緋色金で作られているため、破壊されても瞬時に再生』」
「緋緋色金」と聞いて、悠子は目を見開いた。
緋緋色金―近年、沖縄の海域で見つかった金属だ。錆びず、ダイヤモンドよりも硬い。破壊しても、なぜか瞬時に再生してしまう。様々な学者がこの金属を調査したが、分からないことが多い。そのため、資源としては使われず、沖縄の博物館で厳重に管理されている。
「緋緋色金だと?なんでそれがロボットに使われてるんだ?」
達騎が驚いたように声を上げる。彼の言う事は最もだ。管理されているはずの緋緋色金が市場に出ており、ロボットに使われているのだから。
「分からないわ。このサイト、闇オークション専用のサイトなんだけど」
そう言って、紫は、悠子や達騎がノートパソコンを見やすいように体を右斜めにずらした。
悠子は椅子から立ち上がり、達騎もその隣に立った。
そこには、赤黒い画面を背景に、数枚の写真が載っていた。その内の一枚は先ほどのロボット―スフィア・ヒューマノイドで、写真の下には、紫が言った『遠隔操作可能。緋緋色金で作られているため、破壊されても瞬時に再生。ただし、心臓(動力源)を破壊されると再生不可』という言葉が書かれていた。その隣には、金額まで載せてあった。
「鈴原、これと戦った時、どうだった?」
達騎に聞かれ、悠子は言った。
「腕を壊したんだけど、すぐに再生したよ。緋緋色金で作られているのは、嘘じゃない」
「マジか・・・」
悠子の言葉に、達騎は考え込むように顎に手をやる。
「でも、誰が一体こんなものを?それに、どうして鈴原さんを襲ったのかしら?」
紫の疑問に、悠子は答えを返せなかった。達騎も、パソコンの画面をじっと見たまま動かない。
その時だった。
ヴー、ヴーというバイブ音が保健室に響いた。
達騎の手が動き、胸ポケットから黒の携帯電話を取り出す。達騎は、折り畳んだ携帯を開き、ボタンを押すと、耳元に当てた。
「俺だ」
どうやら電話だったらしい。
様子をうかがっていると、達騎の顔がにわかに険しくなった。
「七海とコウが攫われた?」
その言葉を聞き、悠子は体を強張らせた。
「ちょっと待て。直、お前、今どこにいる?・・・校門前?」
直がいる場所を聞いた悠子は、白衣を翻しながら保健室のドアを開け、廊下を走り出した。
保健室を出た直後、達騎の制止の声が聞こえたような気がしたが、構っていられなかった。
(楓ちゃん、早瀬くん・・・!)
足を懸命に動かし、悠子は校門へ向かう。
「鈴原、待て!!」
廊下を走り、下駄箱へ向かっていると、背後から達騎の声が聞こえた。だが、悠子は止まらなかった。
しかし、いくらもしない内に左肩を掴まれ、強制的に足を止めさせられた。振り返れば、真剣な表情の達騎と目があった。
「・・・お前は保健室にいろ。後は、俺と陽燕と沙矢で何とかする」
楓が攫われたとなれば、ボディーガードである陽燕と沙矢が行動を起こすはずだ。彼らは、一定の距離を保って楓の身辺を警護し、楓の氣を感じ取り、何かがあれば駆けつける。
「その怪我じゃ、うまく立ち回れないだろ。・・・俺が怪我させたのもあるが」
ぼそりと言いつつ、達騎は振り切るように言葉を紡いだ。
「術が使えないが、俺は俺のできることをする。楓とコウは必ず助ける。だから、お前は保健室に戻ってろ」
「・・・・・」
達騎の瞳には、悠子を気遣う色が見えた。
それは素直に嬉しい。けれど、悠子はその言葉に従うことはできなかった。
「草壁くん、ありがとう。でも、私、行けない」
「なぜだ?」
訝しむ達騎に、悠子は言った。
「私、体育の授業の時、嫌な視線を感じたの。誰かに見られているようなねっとりとした視線だった。あの視線、もしかしたら楓ちゃんを見てたのかもしれない。気のせいだと思って、深く考えなかったけど、もしそうなら私のせいだ」
「別にお前のせいじゃないだろ。攫った奴のほうが悪い」
断言する達騎に、悠子は首をゆるりと振った。
「でも、直ちゃんや楓ちゃんに何かしら注意していれば、防げたかもしれない。だから、保健室でじっとしているわけにはいかないの」
拳を握り、悠子は達騎を見る。唇を引き結び、達騎の口が開くのを待った。たとえ、ダメだと言われても行く覚悟だった。
「・・・分かった」
ややあって、達騎が頷いた。その言葉に、悠子の表情が和らぐ。
「ただし!」
しかし、達騎は鋭い口調で、悠子をひたりと見据えた。
「無茶をしない。無理をしない。できるか?」
念を押すように言う達騎に、悠子はこくりと頷いた。
「うん」
悠子の返事に、達騎も頷き返す。
「よし、行くぞ」
そして、達騎は悠子を先導するように前を走った。悠子はその背を追いかけながら、校門へ向かうため、達騎とともに下駄箱へ走った。