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第百十三幕 欲しかったもの

「鈴原っ!!」

 悠子が闇に呑まれる。

達騎は必死に腕を伸ばしたが、その手は空を切り、悠子の服の裾に触れることもできなかった。

 目の前には、闇の姿の鵺も悠子もおらず、何もなかったかのように暗い空間が広がっているだけだった。

「くそっ!!」

達騎は自分の迂闊さに歯噛みした。

だが、悔やんでいるひまはない。悠子を助けなければ。

ふいに、父が死んだ時のことを思い出し、達騎は慌てて首を振る。

今はあの時とは違う。何も知らず、力のなかった子供でもない。

 達騎は目を閉じ、悠子の氣を探った。

「―――!」

やがて、はるか遠くに、蝋燭ろうそくのようなか細く小さな氣を感じた。それは、日だまりに似た温かなものだった。

(――いた!)

達騎は唇を噛み締め、その氣を追い、肩にいる鵬鱗の光を頼りに、闇のなかを駆け出した。


※※※※※


悠子は、闇のなかをたゆたうように浮かんでいた。

何も見えない。何も聞こえない。まるで闇が全身にまとわりついているかのように、指一本動かせない。

 闇に温度などないはずなのに、自分の体がやけに冷たく感じられた。


――さむい、さむいよ。

頭のなかで、小さな声が聞こえた。それは、幼い子供のように高く、寂しげだった。

 その声を皮切りに、悠子は自分の意識が闇に溶けていくのを感じた。それを怖いと思いながら、けれど抗うこともできず、まるで睡魔に誘われるかのように、悠子の意識は静かに沈んでいった。


――どうして、だれもいないの?ねぇ、だれかいないの?

舌足らずで、自分とは違う誰かを求める声。

――ぼくは、ぬえっていうんだ。なぜかそれだけはわかるんだ。ねぇ、ぼくのこえ、きこえてる?

その声に、けれど誰も言葉を返すことはなかった。

――おねがいだよ!!だれかこたえてよ!!

感情を爆発させるかのような悲痛な叫び。

胸を締め付けるようなその声が響いたその瞬間、闇を切り裂くような白く強い光が辺りを包んだ。同時に、日の光が差しこむような温かさを感じる。

 ばさり、ばさり。

ふいに、羽ばたきが聞こえ、温かさがやんわりと遠のいた。

 視線を上に向ければ、巨大な白い鳥が蛇の尾を揺らめかせながら、翼を羽ばたかせ、ゆっくりと闇のなかを飛んでいくのが見えた。

――きれいだ。それに、あたたかい。

 黒く細い手を伸ばす。白い光が粉のように降り注いだ。その光が指に触れた瞬間、見たことのない映像が頭の中を駆け巡った。

 

群生する青い花の花畑。

黒い羽を羽ばたかせ、黄色の花の蜜を吸う蝶。

 日だまりに寝そべる白と茶の猫。

 草原を走りまわる大型犬。

 家族とアイスクリームを食べる女の子。

 父親とフリスビーをする男の子。

母親とシャボン玉を吹かす幼い兄妹きょうだい

バスケットボールをする男女のグループ。

手をつなぎ、どこかへ向かおうとしている男女のカップル。

 庭に咲く梅の花を縁側で眺める老夫婦。


 それは、暗闇しか知らなかった彼にとって、まぶしく、同時に心惹かれるものだった。

彼は、この映像があの白い鳥のなかにある記憶だということを誰かに教えられなくとも分かった。 

 ――いいな。ぼくもあんな風になりたい。

あの鳥になれば、この一人ぼっちの闇から抜け出せる。たくさんの色と、温かなぬくもりを宿した記憶をもてる。それなら、寂しくなんかない。

 ――ほしい、ほしい、ほしい、ほしい、ほしい。ホシイ、ホシイ、ホシイ、ホシイ。

あの翼が、あのぬくもりが。あの記憶が。

 ――そのためならぼくはなんだってする!!


 それから彼は、闇から抜け出すために、必死に策を考えた。

自身の体を何度も動かした結果、望めば自分の体が長く伸びることを知った。

――これなら、あの鳥に手が届く。

彼は、黒く細い手を握り締めた。


 あの白い鳥を、彼は『ひかり』と呼ぶことにした。

『光』がいつ現れるかはわからない。けれど、現れた瞬間を逃すことだけはしたくなかった。

 彼は、じっとその時を待った。


どのくらい経ったのか。

 時の概念など、彼にはない。けれど、自身が成長していることはわかっていた。黒く細かった手が大きく太くなっているからだ。

 彼がかつての手と今の手を比べていると、白く強い光が闇を切り裂いた。

顔を上げれば、そこには待ち焦がれたものが現れていた。

(今だ――!)

好機を逃すまいと、彼は体と腕を大きく伸ばす。

蛇の尾にその手が触れた次の瞬間、彼は見たことのない場所にいた。

 

『光』ほど強くはないが、見慣れぬ白い明かりが煌々(こうこう)と彼のいる空間を照らす。暗闇しか知らない彼にとって、その空間はとても狭く感じられた。けれど、置いてある調度品も、鼻をくすぐる匂いも、彼にとって馴染のあるものではないはずなのに、妙な懐かしさを感じさせた。

 ふわふわとした毛並のあるクリーム色の絨毯の上には、丈の低い丸テーブルが置かれている。奥からは、何かを焼いているのか香ばしい香りが漂っていた。

 「君は・・・」

その声に視線を向ければ、そこに『光』の記憶にあった人間の男がいた。細面の顔に驚いた表情を浮かべながら、こちらを凝視している。

 直感でわかった。この人間の魂があの『光』に連なるものだということを。


 それに気づいた時、とてつもない歓喜が胸から溢れ出るのを彼は感じた。

これで、得ることができる。あの翼を、ぬくもりを、記憶を。

『やぁ、初めまして。ぼくは鵺。君の魂、ぼくにちょうだい?』

声が弾むのを抑えきれない。だが、喜ぶのはまだ早い。自分はまだ何も手に入れていない。ここからが正念場だ。そう思いながら、彼――鵺は男に自身の願いを告げた。


 けれど、男はそう簡単に魂を渡そうとしなかった。

鵺は、内心苛立たしさを抱えながら、男に攻撃を加えた。

 男の魂を自分のものとするには、肉の器から引きはがすしかない。そのことを鵺は誰に教えられずとも知っていた。そして、自分の能力ちからの引き出し方も。

何度も攻撃し、弱らせ、鵺は男の魂を引きずりおろそうとするが、男は決して魂を渡そうとしなかった。

 男は血を流しながらも、生きようと必死にもがき、生きるか死ぬかの瀬戸際を行き来していた。

 それが鵺にはうっとおしくてたまらない。

なぜ、諦めない。なぜ、魂を渡さない。なぜ、そうまでして生きようとする。


 たった一人で生きてきた鵺にとって、男が足掻く様は滑稽でしかなかった。

(――やめて!)

その時だった。聞き慣れぬ人間の声が聞こえたのは。

(お願い、その人を殺さないで!!)

懇願するかのようなその声に、鵺はさらに苛立ちを募らせた。

『うるさい!』

その声を振り払うかのように、鵺は、今にも倒れそうな体勢で壁に手をついている男に向かって腕を振るった。

 自身の掌から現れたいくつもの黒い棒が男の腹に突き刺さる。

男は目を見開き、ごぷりと血を口から吐き出しながら、床にうつ伏せに倒れ込んだ。



「――っ!!」

声にならない叫びを上げ、悠子の意識は覚醒した。

 冷や汗が背中に伝うのを感じながら、悠子はぴくりと指を動かした。

「あ・・・」

動かせなかった指が動かせることに安堵し、悠子は擦れた声を漏らす。

腕を使い、体を起き上がらせれば、闇は意識を失くした時と同じようにそこにあった。

(――さっきのあれは・・・)

鵺の記億だろうか。悠子は片手を胸元に持っていき、ぎゅっと握り込んだ。

 そこにあったのは、孤独と寂しさだった。

そして、鵬鱗に出会ってからは、鵬鱗を羨み、その身の内にあるぬくもりを欲しいと願った。それを得るためなら、誰を傷つけようとかまわないほどに強く。

幼い子供のように欲しがるだけだった彼は、殺して奪うという残酷な方法で、鵬鱗に連なる――達騎の父親の魂を手に入れた。

悠子はやるせなさに小さく息を吐く。

常闇のなかで一人成長したために、他者と触れ合うことをしなかった鵺は、誰かを思いやる優しさも命を奪う痛みも知らない。

 鵬鱗の記憶を視た時に、それを知ることができればよかったが、それはただ、鵺に自分とは違う他者と、常闇とは違う外の世界を知るきっかけをつくるだけだった。

 彼に良心が生まれたのは、奇跡だったのか。それとも、生まれた時にもっていたものが、鵬鱗を見た瞬間に隅に追いやられていったのか、それは分からない。

 もし、彼が生まれた直後に鵬鱗以外の誰かに出会い、優しさやぬくもりを知ることができていたら、達騎の父親を殺すことはなかったのではないか。多くの妖や人間の心を見透かし、操って、間接的に命を奪い、社会を混乱させることはなかったのではないか。

 そんな事を考えてしまう。


 顔を俯かせていると、視界の角に何かが過った。

「―――?」

暗闇に目の慣れてきた悠子は、それが何なのか確かめようと顔を上げる。

それは、やけに細長く、先端が尖っていた。けれど、意思があるのか、まるでウサギのようにぴょんぴょんと跳びはねている。

立ち上がり、正体を見極めようと目を細めた悠子の目に、跳びはねながらそれはゆっくりと近づいてきた。

「え・・・」

その正体に気が付いた悠子は、思わず目を丸くした。

「もしかして・・・、風雲時雨・・・?」

それは、槍だった。

闇に溶けて色は判然としない。いや、もとから黒い色だから色も何もないのだが。

 だが、身近な槍といえば、達騎の槍である風雲時雨しか思いつかない。自身の心界には、彼の槍があるからだ。

 名を呼べば、「そうだ」とでもいうように、槍は悠子の周りをぐるぐると回り出した。

「でも、どうして・・・」

だが、だとしたら、どうしてここに風雲時雨が存在しているのだろう。達騎が近くにいるのだろうかと軽く周囲の氣を探るが、達騎の氣は感じられない。それに、達騎の声で応えるはずの風雲時雨が自分の意思で動いているのが信じられなかった。

『全く、何なんだ。君たちは』

呆れの滲み出た声が闇のなかに響く。

「――!」

その声の方へ顔を向ければ、ゆらゆらと揺らめく闇――鵺がいた。

『取り込もうとしたら、君に記憶を視られるし、握りつぶそうとしたら、その槍に邪魔される。いい加減、僕の邪魔をしないでくれるかな?』

口調は穏やかだが、隠しきれない怒りが言葉の端々から垣間見えた。

「・・・私を取り込んでどうするつもりですか」

悠子は鵺を見据え、問いかけた。

『君を取り込めば、あの少年が向かってくるだろう。怒りと憎しみを僕に向けて。それは正常な判断力を奪う。その隙をついて、彼を取り込む。・・・彼だけは許せない。鵬鱗の欠片を少しでも持っている彼が』

達騎の命を奪うという発言に、悠子は怒りを覚えながら鵺を睨みつけた。

「草壁くんを取り込んだとしても、あなたは鵬鱗にはなれない!あなたの器は人間です。なれないことはわかっているはず!」

『君に言われなくてもわかっているよ。でも、それでも許せない。どうして、望んでいないはずの彼が僕の一番欲しいものをもっている!!いらないなら、僕がもっていてもいいだろう!!』

まるで、自分が鵬鱗を得るにふさわしい者だとでもいうように、鵺はまくしたてた。

 そこには、他者の心を見抜き、暴き立て、動かそうとする鵺の姿はなかった。相手を見下す余裕さえなく、ただ、欲しいものを求め、癇癪を起こす子供のようだった。

悠子は眉を寄せる。

「・・・あなたは何も変わっていない。今のあなたは、鵬鱗を欲しがるただの子供です」

『そう思うなら思えばいい。僕の意思は変わらない』

よどみない口調に、悠子はきゅっと唇を引き結ぶ。

 鵬鱗になれないと突きつけたところで、鵺の気持ちが変わらなければ意味がない。むしろ、突きつければより頑なになっている印象すらあった。

 ――取り込まれるわけにはいかない。もちろん、達騎は殺させない。

悠子は頭をめまぐるしく働かせる。どうしたら、鵺の意思を変えることができるだろうか。


――悠子ちゃん、一緒に遊ぼ!――

――えー、いやだよ。――

――悠子ちゃんが鬼だとすぐ見つかっちゃうんだもん――

――それに時々、変なこと言うんだよ。ちいさい男の子が足元にいるとか、女の人がいて髪の毛、ひっぱろうとしているとか――


ふと、悠子の頭に、懐かしくも苦い声が泡のように浮かんでは消えていく。

 それは、達騎にも言ったことのない悠子の過去だった。


「私も、あなたのように欲しいものがあった」

『・・・・・・』

口を開く悠子に、鵺がこちらを窺うように自分自身を揺らす。

「私が欲しかったのは、幽霊も精霊も妖も見えなくなる身体からだだった。私は、何もかも受け入れてしまうこの身体をなくしたかった」

悠子は胸元をぎゅっと掴む。

 学校へ通うようになり、悠子にも友達ができた。けれど、氣を感じやすいために、隠れんぼなどの遊びではどこに誰がいるのかすぐわかってしまう。そして、友達にいたずらをする霊がいて、気を付けるように言っても、視えない彼らには何のことか分からない。ひどい時には嘘つきよばわりされることもあった。

 それが悠子には辛かった。自分の力をコントロールしながら、周囲と付き合うのにも時間がかかった。

 いっそのこと、この才能ちからがなくなればいい。そんな事を思ったことも一度や二度ではない。――視えない友人達が羨ましかった。


 そんな思いを胸の内に抱えながら、悠子は高校生になった。

悠子は、すでに鈿女の巫子として資格を得、現世に未練をもつ和御魂にぎみたまだろうと、荒ぶり、現世の人間を傷つける荒御魂あらみたまだろうと、傷つけずに静め、高天原に送るという信念のもと、依頼を受けていた。

 誠実でしっかりと仕事をこなすと周囲からの評価は上々だったが、学校内では一人でいることが多かった。巫子として仕事をしている以上、自身の噂が悪意ある妖や荒御魂に流れ、クラスメイトを巻き込むかもしれない。そんな懸念もあったからだ。

 けれど、その根底に、幼い頃経験したことが尾を引いていないとは言い切れなかった。


そんな時に出会ったのが、直だった。

 その頃の直は、妖も霊も視ることはできなかったが、視ることのできる者ともそうでない者とも分け隔てなく接する人間だった。

直とは別のクラスだったが、彼女が楽しそうに笑いながら、仲の良いクラスメイト達と談笑し、ともに下校していくのを何度か見かけたことがあった。


 接点などないはずだった。

けれど、直と仲の良いクラスメイト達が「こっくりさん」を行い、狐と犬、狸の霊が融合した妖『狐狗狸コクリ』に憑かれてしまい、命の危険に陥ってしまった。直もそれに巻き込まれ、それを救おうと奔走した結果、悠子は直と関わりをもつようになった。

  廊下ですれ違えば、挨拶をされ、帰り際に話しかけられ、他のクラスメイトと一緒に下校することも増えていった。戸惑いながらも、悠子は、内心嬉しかった。しかし、直や他のクラスメイトと深く関わることにはまだ躊躇いがあった。


 達騎と浩一に出会ったのも、その頃だった。『狐狗狸コクリ』の事件で直を助けてくれたことの礼をしたいと彼女を伴って現れたのだ。

「直から聞いた。礼を言う」

「直を助けてくれてありがとう」

達騎が目礼し、浩一が頭を下げた。

「いえ、当然のことをしたまでですから」

改めて礼を言われると、こそばゆい。悠子は、照れの入り混じった顔をわずかに伏せる。

「あの、・・・二人は吉沢さんの友達なんですか?」

男子生徒にも物怖じしない直のこと、彼らの中に仲の良い生徒がいても不思議ではない。

「友達というか、俺達は幼馴染なんだ」

「たくっ、何かあったら頼れって言ったのに、お前はよー」

浩一が直との関係を説明する後ろで、達騎が直に向けて呆れた顔をする。

「頼れっていうけど、学校が終わっても巫子の仕事、休みの日でも巫子の仕事。学生してるんだが、仕事してるんだがわからないあんたにどう頼れっていうのよ?」

「うぐ・・・」

直は眦をきっと上げ、達騎を睨む。達騎は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

「私は私なりにあんたを気遣ったつもりだけど?どうなの?猿田彦の巫子さん?」

腕を組み、直は達騎を見る。

「・・・悪かった」

達騎は眉間に皺を寄せたまま、低い声で謝った。

 彼は猿田彦の巫子だったのか。自分の身近に巫子がいたことに悠子は驚く。

「・・・達騎も忙しかったからな。正直、鈴原さんがいなかったらどうなっていたか分からない。本当にありがとう」

浩一が口元に笑みを浮かべ、再び礼を言う。

 しかし、直のことだ。自分でなくとも誰かの手を借りただろう。悠子であったのは、偶然だ。

「い、いえ。そんなことは・・・」

だが、そう言葉にするのは無粋だろう。悠子は首を振るだけに留めた。

「もう、またそんな硬い言葉遣いして。遠慮しなくていいのに。私はもうあなたのこと、友達だと思っているんだから」

悠子の態度に直が軽く眉を寄せる。だが、一瞬でその眉間は緩み、信頼を全面に押し出した優しい顔をした。

「う、うん・・・」

直の温かな言葉に答えなければと、悠子は頷く。しばらくは、意識して話さなければ、敬語混じりの言葉遣いは抜けないと思った。


彼らと出会い、しばらく経った頃、直と達騎、浩一と一緒に下校する機会があった。

悠子は、達騎に一度聞いてみたいことがあった。同じ巫子である達騎なら、理解してくれるかもしれないと思ったからだ。

「・・・あの、草壁くん、聞きたいことがあるんだけど」

「ん、何だ?」

「草壁くんは、力がなくなってほしいって思ったことある?」

達騎が不思議そうに片眉を上げる。

「力って、巫子の力ってことか?」

「――うん」

巫子として働いているというのに、その力を否定する言葉を吐くことは、若干躊躇いがあった。だが、それでも長年抱えていた思いを誰かに聞いてほしいという気持ちが強かった。

「・・・・・」

前方で話す直と浩一の穏やかな声と、雀のチュンチュンというかわいらしい鳴き声、ざわざわと風が木々を揺らす音を耳の端に捉えながら、悠子は達騎の口が開くのを待った。

「俺はそう思ったことはないな。この力を早く使いこなしたいとは思っていたが」

「・・・そっか」

期待していたものとは違う返事に、悠子は思わず肩を落とした。けれど、それは達騎のせいではない。巫子であろうと、抱えている思いが同じであるとは限らない。

「お前はあるのか?なくしたいと思ったことが」

「えっ、・・・あ、うん」

逆に問い返され、悠子は戸惑いながらも頷いた。はぐらかしてもよかったのだが、達騎の真剣な瞳を見て、思い留まる。そのまま流すのは達騎に失礼だと感じたからだ。

「巫子としては失格だと思うけど・・・」

達騎の瞳を見ていられず、悠子は視線を逸らす。

「まぁ、力があるってことは厄介事も引き寄せるからな。お前の気持ちも分からなくはない」

一定の理解を示すその言葉に、悠子は達騎の顔を見る。二対の瞳は静かに悠子を見ていた。

気づけば、悠子はこう尋ねていた。

「・・・怖くはない?その力で嫌われたりとか、誰かを巻き込んでしまわないかとか思ったりしない?」

達騎は、あー、そうだなと言いながら、小さく息をついた。

「まぁ、嫌われるのは、仕方ねえって思うしかない。そいつがそう思うなら俺にはどうしようもないからな。誰かを巻き込むっていうのも怖がってたら何もできねえし。そうなったらなったで、何が何でも助けるって開き直ってる」

多少投げやりにも聞こえる口調だったが、茶の瞳は強い光を湛えていた。そこにはたとえ嫌われたとしても、自分は自分だという意思と、巻き込んでも絶対に助けるという意思が垣間見えた。

「・・・・強いね」

吐息混じりに呟けば、達騎は前髪をかき上げた。

「強いって言うか、いい加減なだけだ。むしろ、お前が周囲を気にし過ぎなんじゃねえのか?そんなんじゃ、いつか潰れちまうぞ」

「・・・・・」

確かに達騎の言う通りだ。わかってはいる。けれど。それを実行できるかは別なのだ。

 結局、自分は達騎のように、誰かに怖がられる覚悟も、巻き込んだとしても絶対に助けるという覚悟もできていないのだ。

悠子は、楽しそうに話をしている直と浩一、柔らかな表情を二人に向けている達騎を見る。

 自分はなれるだろうか。

直のように分け隔てなく接することのできる人間に、浩一のように他者を思いやることのできる人間に、達騎のように自分の思いを貫き通せる人間に。


 彼らと交流を始めたその時から、悠子の心にある『欲しかったもの』は『なりたいもの』に変わっていった。

 

 「けれど、友達ができて、私の気持ちも少しずつ変わっていった。今でも時々、この強すぎる才能ちからがなければいいと思うこともある。でも、この力がなければ、友達に会うこともなかったし、たくさんの人達を助けることもできなかった。私を認めて、受け入れてくれる友達がいてくれたことで、私は自分をほんの少し好きになれた。そして、ありのままの私を受け止めることができるようになった」


鵺にはそんな存在がいなかった。彼の在り方は、人としての器を手に入れても、仲間ができても変わらなかった。

彼を責め、警察に突き出すのは簡単だ。だが、それだけでいいのだろうか。

鵺の記億を視た悠子には、躊躇いが生じていた。

確かに、彼が起こしたことは許せることではない。しかし、鵺を生み出した環境にも少なからず原因はある。

 ――全て環境のせいと言わない。選んだのは、鵺自身だ。犯した罪は、鵺自身が負わねばならない。

 けれど・・・。

悠子は蠢く闇――鵺を見つめる。

 彼が感じた孤独は、完全に理解できるわけではないが、想像はできた。



悠子は、右手を真っ直ぐ鵺に伸ばした。

『何の真似だ?』

鵺が訝しむような声を上げる。悠子は口元を引き結び、一呼吸置くと、すっと口を開いた。

「・・・友達に、なりましょう」

その言葉に、鵺が弾かれたように動いた。

『同情のつもりか!?反吐か出る!!』

声には、怒りと敵意が溢れていた。

 ピリピリと産毛が逆立つような気迫に、けれど悠子は一歩も引かなかった。

「あなたが本当に欲しかったのは、自分を認めて、受け入れてくれる誰かだったんじゃないんですか?」

『なんだとっ!?』

「鵬鱗に出会う前、あなたの記億にあったのは、寂しさでした。一人でいることが辛くて、たくさんの記憶とぬくもりをもつ鵬鱗になりたいと願った。違いますか?」

『それと、君と僕が友達になるのとなんの関係がある?』

「そうすれば、あなたはもう一人じゃない。もし、それで不安だというなら、『楔』をしましょう。あなたの一部を私の心界に置けば、心界の動物たちがあなたを受け入れてくれる。・・・それなら、もう寂しくないでしょう?」

『君のメリットはなんだ?僕の一部を受け入れて、僕を操ろうっていうのか?』

警戒の色を解かない鵺に、悠子は苦笑した。

「あなたを操ったところで、私に何の益があるというんですか。私はただ、あなたを助けたいだけです」

『はっ、勝手に寂しいのだと決めつけて、助けたいなどとのたまうとは。ただの自己満足じゃないか』

「自己満足・・・。確かにそうかもしれません。でも、それであなたが少しでも満たされるのならかまいません」

『まったく、話しにならないなっ!』

心底呆れたという口調で、鵺は悠子の言葉を跳ねつけた。

『ようするに、君は鵬鱗の代わりというわけだ。だが、そんなもので僕は靡かない!僕は、君もあの少年も取り込んで、一番欲しかったものを手に入れる!!』

意気込む鵺を前に、悠子は静かに問いかけた。

「鵬鱗を手に入れた後、あなたはどうするつもりですか?」

『どうするって、別にどうもしない。手に入れればそれで終わりだ』

何を言っているんだというような訝しげな口調の鵺に、悠子は小さく息を吐いた。

「・・・もし、あなたが願った通りになるなら、あなたは鵺でも人間でも鵬鱗でもない、その三つの種族が入り混じった唯一の存在となるでしょう。そして、今までのように他者を駒のようにしか見ておらず、生き続けるなら、あなたは本当に『ひとり』になる。それは、常闇にいた時と同じです。それでいいんですか?」

『・・・・・・』

当時のことを思い出したのだろう、鵺が押し黙った。

「――あなたのやったことは許されることじゃない。きちんと裁かれるべきだという考えは変わりません。けれど、助けたいという気持ちも本当です。・・・たった一人、この暗闇のなか、生き続けたあなたの寂しさや辛さは、本当の意味で私は理解できないでしょうけど、想像することはできるから。楔をすることで、その寂しさが少しでも癒されれば、私は嬉しい。だから――」

悠子は、右の掌を鵺に向けた。目元を緩ませ、押し黙ったままの彼に再度告げる。

「友達に、なりましょう」


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