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第百十一幕 鵬鱗

「草壁くん、駄目だよ!!」

悠子は両手を広げ、達騎の前へ出た。達騎に鵺を殺させるわけにはいかなかった。

「気持ちはわかるけど、あの人を殺しちゃだめ!!」

必死に言い募れば、なぜか呆れたような溜息をつかれた。

「お前って奴は・・・。あいつのせいで死にかかったっていうのに。ほんと、お人よしだな」

苦笑を浮かべた達騎は、ぽんと悠子の頭に手を置いた。

「安心しろ。もう殺す気はねえよ」

「え」

さらりと言われ、悠子は目を丸くした。いつの間に。どんな心境の変化だろうか。

「といっても、あいつを許すつもりはねぇ。一発、いや、何発かは殴る。だが、実際、殺す気でかかるとあいつから手ひどいしっぺ返しを食らうからな。それには注意しねえと」

「どういう・・・?」

眉を寄せ、その言葉の意味を問おうしたその時、拓人とみちるが慌てながら、こちらに駆けてきた。

「悠子、無事か!?」

「上を見たら、落ちそうになってて急いできたんだけど、大丈夫!?体はどこも痛くない!?」

二人の剣幕に驚きながらも、悠子は答えた。

「あ、はい。大丈夫です。どこも痛くありません。くさか――達騎くんが助けてくれました」

苗字を言おうとして、みちるがいることに気づき、咄嗟に名前で呼んだ。何とも言えないむず痒さを感じながら、悠子は達騎を見る。

「そうか。私は悠子の父親で、鈴原拓人という。達騎くん、娘を助けてくれてありがとう。本当に感謝してもしきれない」

そう言って、拓人は頭を下げた。

「私からも礼を言うわ。私の名は草壁みちる。ちょっとは名の知れた猿田彦の巫子よ。悠子ちゃんを助けてくれてありがとう」

みちるは達騎に向けて微笑んだ。

「あ、いや・・・」

戸惑うように、達騎は拓人とみちるを交互に見た。無理もない。一度会ったことのある自分の父と実の母親に礼を言われ、どう対応していいかわからないのだろう。

二人が達騎を覚えていないことに、悠子の胸が痛む。だが、一番辛いのは達騎だろう。たとえ、自分で選んだことだとしても、自分の記憶が消えているという事実を目の前にすれば、戸惑うのも当たり前だ。

悠子は手を伸ばし、達騎の左手をそっと握った。びくりと肩を揺らし、達騎は弾かれるように悠子を見た。悠子は、安心させるように笑みを浮かべ、小さく囁いた。

『大丈夫。これから覚えてもらえばいいんだよ』

達騎は「生きている」のだから。

「――ありがとう。達騎くん」

その「ありがとう」には『助けてくれて』という意味と、『生きていてくれてありがとう』という意味も込めていた。揺らぐ瞳を逸らすことなく見つめていると、達騎の表情が、ふっと和らいだ。

気持ちが伝わったのだろうか。悠子には推測することしかできない。

達騎は、握り返しはしなかったが、悠子の手を離すこともなかった。それが答えなのかもしれない。

 二人に視線を戻し、達騎は口を開いた。

「・・俺は当然のことをしたまでで、です。あの、頭を上げて、ください。なんかむず痒い・・・」

敬語を使うのに慣れていないのか、途切れ途切れに言葉を繋げながら、達騎は拓人とみちるに答えた。



「・・・僕の心に聞けとはどういう意味だ?」

鵺が口元を拭いながら、体を起こし、立ち上がった。

達騎、悠子、みちる、拓人は、一挙手一刀足も見逃すまいと鋭く見据える。

「そのままの意味だ。覚えがないなら、別にいいぜ。とりあえず、ぶん殴るのは決定だからな」

「・・・・・」

鵺は苛ただしげに眉を寄せる。

 不穏な空気に悠子が一抹の不安を覚えていると、達騎が三人を呼んだ。

悠子、拓人、みちるが達騎の周りに集まると、彼は鵺の方へ顎をしゃくった。

「あいつは、命に関わるような状態に陥ると、布状のものを出す。そいつは攻撃性が強いだけでなく、しち面倒臭いことに、霊力――つまり、術を使おうとすると、その布が気配を消して攻撃してくる」

「ということは、純粋に体術だけで勝負ってことね。長引くと厄介そうだから、ちゃっちゃっと終わらせちゃいましょう」

槍を腕に挟みながら、みちるは右拳を左の掌に打ち付ける。

「防御でも術を使えないのは難点だが、仕方ない。臨機応変に対応していこう」

「はい」

みちると拓人の言葉に、悠子は返事を返し、達騎は頷いた。



 眉を寄せ、不穏な雰囲気を漂わせる鵺に対し、拓人は攻撃の構えをとり、みちるは槍―陽光翡翠ようこうひすい―の石突を向けた。悠子も構える。

「――来い」

達騎は、背にある黒い翼をしまい、転がった風雲時雨を呼ぶ。風雲時雨は起き上がり、達騎の掌に納まった。

そして、みちると同様に、達騎は石突を鵺に向け、対峙した。

「――!!」

その時、隣にいた悠子は、山から吹き下ろす夏の風に似た、力強く澄んだ達騎の氣のなかに、負の感情を煮詰めたように重く、マグマのように熱く澱んだ氣が混じっているのを感じ取った。それは、目の前にいる鵺の氣によく似ていた。

思わず達騎の方を向く。


「くっ、あははっ、ははははっ!!」

刹那、鵺が腹を抱えて笑い出した。

 思いもかけない鵺の行動に、悠子は思わず固まる。他の三人も同様のようで、鋭い視線を鵺に向けたまま、様子を窺っていた。

鵺はひとしきり笑うと、涙の浮かぶ目元を拳で拭い、大きく息を吐いた。

「そうか、そういういことか!――まったく、腹がたつ!!」

口元に笑みを浮かべたまま、けれど怒りを隠すことなく叫んだ鵺は、腹に巻いていた黒い布のようなものを引き剥がす。すると、そこから大量の血が溢れ出した。そこへ、鵺はナイフのように指先を揃えた右手を、そのまま傷口に向かって振り下ろした。血が溢れ出す傷口が、さらに大きく開く。

 直後、達騎の焦りの滲んだ声が響いた。

「まずい!気絶させ――っ!!」

達騎が言い終わらないうちに、鵺の背中から、長く黒い布状のものが数十枚と現れ、瞬く間に踊り場に広がると、悠子、達騎、みちる、拓人に襲い掛かってきた。

 みちると拓人の姿が布に覆われ、見えなくなる。しかし、それに気をとられてはいられなかった。

大波のように襲い掛かる黒い布は、ドドドドッと鈍い音を立てながら、踊り場を穴だらけ(貫通はしていなかったが)にしながら、じりじりと悠子と達騎を柵の方に追いこんでいった。まるで、闇が形を成したかのようなそれに、本能的に恐怖を感じながら、悠子はどうにか突破口を開こうと、目を皿のようにして布を見つめた。

 しかし、避ける隙間すら見つからない。

ぐっと唇を噛み締めながら、悠子は攻撃の構えをとり、両の掌に氣を集中させ、力を込める。そして、襲い掛かってくる布を掌で弾いた。

 弾いた瞬間、布とは思えないほどの強固な感触に、悠子は思わず目を見開いた。

「くそっ!!重いし、硬い!!」

石突で布を払いながら、達騎も苦々しげな表情を浮かべる。

 二人で布を次々と弾きながら、どうにか足場を確保していたが、やがて、一歩も引けなくなってしまった。これでは、共に串刺しになるだけだ。

 その時、まるで天啓のように、それは、ふと舞い降りてきた。

意思があるかのように動く布に『鏡月』を使えば、一時でもあの動きを止めることができるのではないか。

 術を使えば、気配を消して布が襲ってくると言っていたが、襲われている状況は、今も変わらない。

このままでは、鵺を気絶させる前に自分達の命が危うい。

『鏡月』の能力は、触れた者の記憶を読み取り、記憶の中にある存在を映し出す。その時間は、秒に満たない一瞬だ。それで布の動きが止まるなら、万々歳だ。

(やってみる価値はあるかもしれない――)

だが、それを成功させるには、悠子一人の力では無理だ。

「草壁くん!」

「なんだ!?」

互いに布を弾きかえしながら、悠子が達騎を呼ぶと、達騎が答えた。

「三十秒、時間を稼げる!?」

「何する気だ!?」

「『鏡月』を使ってみる!もしかしたら、この布の動きを止めることができるかもしれない!」

一瞬、達騎の顔を見た。

目を軽く見開き、次いで唇を強く引き結んだ達騎は、力強い声で言い放った。

「・・・やってみろっ!!」

背を押すような声音に、悠子はしっかりと頷いた。

 

構えを解き、悠子は大きく深呼吸する。

その隙を突いて、布が悠子の左右を囲むように迫ってきた。

「お前の相手は俺だ!!」

悠子の前に達騎が踊り出ると、風雲時雨の穂先を伸ばし、左側の布に向けて半径に薙ぎ、布を退かせる。そして、その背からは、同じように二本の黒い布が現れ、襲ってくる右側の布を押しとどめていた。

本来の達騎の氣に、熱く澱んだ鵺に似た氣が混じる。

だが、もうそれに戸惑いはなかった。達騎の力を信じ、『鏡月』を発動させる。

それが、今自分がやるべきことだ。

悠子は、押しとどめられている布に向かって、手を伸ばした。

「・・・・うっ!!」

触れた直後、まるで火に触れた時のような、じりじりとした痛みを伴った熱さが掌を襲う。それに負けじと意識を集中させ、悠子は『鏡月』を発動させた。

 


※※※※※



――それは、闇だった。

 何も見えない。聞こえない。光さえ射さない黒々とした闇。獣も植物も、太陽も月の姿すらなかった。

すると、冴え冴えとした闇のなかに、一筋の光が差した。

光の正体は、白く輝く巨大な鳥だった。けれど、下半身に鱗をもち、尾羽がある場所には一匹の蛇が生えていた。体全体から発される光は温かく、優しい。

翼をゆうゆうと広げ、蛇の尾を揺らしながら飛ぶその姿は、神々しく、力強かった。


 その姿に、悠子は精霊王が言っていたことを思い出した。

巨大な白い鳥の姿をし、下半身は鱗で、尾は蛇。妖でも精霊でもない。生命いのちが形を成した存在。名は鵬鱗ほうりん

(これが、鵬鱗。きれい――)

その輝きと力強さに圧倒されていたその時、悠子は気が付いた。闇が纏う濃さが少しだけ弱くなっていることに。

(これなら――!)

それは直感でしかなかった。しかし、鵬鱗なら襲ってくるあの布を止められると、なぜか確信していた。

悠子は、胸の内で強く頷き、目の前を飛ぶ白く輝く鳥を脳裏に思い描いた。



※※※※※


「くそっ・・・!!」

達騎は思わず悪態をついた。

 背から飛び出す布――黒手こくしゅ――をさらに二本増やし、左右から襲ってくる黒手を押しとどめているが、三十秒もつかどうか。

 鵺の黒手の力が強く、気を抜けば、足が後ろへ下がりそうになる。

「このっ!舐めんなよっ!」

達騎は風雲時雨を床に突き刺し、両手を空にすると、自身の手を使って、黒手を押しとどめる。掌から感じるじりじりとした痛みを伴った熱さに、達騎は歯を噛み締めることで耐えた。

 右隣には、布に手を触れ、目を閉じる悠子の姿がある。姿が変わっていないということは、まだ、探している最中なのだろう。

「鈴原――!」

祈るような気持ちで、名を呟くと、次の瞬間、悠子の姿が白く強い光に包まれた。

 まるで、暗闇から出た直後に感じる日の光のように、強く輝く光に達騎は思わず目を細める。

「―――っ!!」

何度も瞬かせ、光に目を慣らした達騎は、悠子が映し取った姿に息を呑んだ。

 それは、自身の心界で見た鵬鱗そのものだった。


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