第百幕 惨劇
雪の被った山々を横目に、清らかな水をなみなみと湛えた九龍川を渡った光介は、五年ぶりに故郷の村へ帰ってきた。
すでに太陽は昇り、温かな日の光が立ち並ぶ茅葺の家々に当たり、鈍く銀色に光っていた。
たっぷりと水を湛えた水田。畔で遊ぶ子供ら。牛を引く老爺。井戸端でおしゃべりに興じる女たち。
村の入り口から垣間見える人々の営みが変わっていないことを光介は知った。
姿を隠しながら村に入ろうと思ったが、村を経ってからすでに五年は経っている。
青が自分に気付かないくらいだったのだから、村人に会っても気づかれない可能性はある。それなら好都合だ。ただの旅人として堂々と村に入ればいい。
青は、村の中へ入っていく。向かう先は、伍助の家だ。
幸いというべきか、誰にも会うことなく、光介は伍助の家に辿り着いた。
村で一番大きい茅葺の家は、五年前と変わることなく重厚な雰囲気を保っていた。
光介は、滑らかな銀杏の木板でつくられた引き戸の前に立っていた。
「すいません。旅の者ですがどなたかいらっしゃいませんか?」
できるだけ柔らかい口調で、声を張り上げる。
しばらくすると、奥からぱたぱたと小さな足音が聞こえ、ガラリと引き戸が開かれた。
現れたのは、縹色の小袖を着た三十代ほどの女だった。眦が鋭いせいか、頑なな印象を受けた。女は、光介を値踏みするように見つめると、口を開いた。
「何か御用ですか」
発した声は、明らかに光介に不審を抱いているものだった。光介は小さく頭を下げると、眦を下げた。
「朝早くから申し訳ない。旅の者ですが、井戸の水を飲ませてもらってもいいでしょうか。昨日からずっと飲まず食わずで」
たいていの家には奥まったところに井戸がある。炊事や洗濯の移動が短くなるようにと、裏口近くに置いてあるのだ。
水をもらう振りをして家に入り、伍助を探す。それが、光介の計画だった。
「たまき、どうした?」
その時、女の背後から男の声が上がった。女―たまき―が振り返る。
「旅の方だそうです。昨日から何も口にしていないようで、水をもらいたいと」
たまきが振り返ったのと同時に、光介も目線を向ける。すると、上り口に一人の男が立っていた。
すらりとした長身に、整った顔立ち。灰色の着物に紺色の帯を締めた男は、たまきの言葉に軽く目を瞠り、そして、光介の方を見た。
「それは、それは。大変でしたな。私は、この村の長で伍助という者です。そうだ。家に上がっていきませんか。水と言わず、食事もご用意しましょう」
伍助は、名案だと言う風に顔を輝かせ、光介を誘った。
「・・・いや、しかし・・・」
光介にとっては願ってもいないことだった。けれど、即答すれば怪しまれる。わざと言いよどみ、戸惑うような表情を浮かべてみせた。
「遠慮することはありません!ここは娯楽の少ない村ですから、あなたの旅の話を聞かせてくれると嬉しいのですが」
その言葉に、光介は空いた手をぴくりと動かした。
今、ここで伍助に手をかけることもできた。だが、そばにはたまきがいる。
伍助が親しげに声をかけていたから、彼の妻か縁者のどちらかだろう。
彼女のいる前で、伍助を手にかけるのは憚られた。
それは、かつての自分を思い出すからか。人を殺すことには変わりないというのに。何を今更。
自嘲気味に心の中で呟くが、実行する気はなかった。
嬉々とした笑みを浮かべる伍助を前に、光介は内心をおくびにも出さず、するりと表情を緩ませて、頭を下げた。
「・・・そこまでいうなら、願ったりかなったりです。お世話になりましょう」
「そうこなくては!」
光介の言葉を聞いた伍助は、両手をぱんっと打ち合わせると、佇んで様子を見ていたたまきに顔を向けた。
「たまき!お客様だ!食事の用意を!」
「・・・分かりました」
光介からは、たまきの凛とした背中が見えるだけで表情は分からない。ただ、伍助の言葉に一瞬何かを言いかけるような間があったが、口を開いた言葉は了承を示すものだった。
たまきが振り返り、光介に体全体を向ける。
その顔に表情はなく、冴え冴えとした冷たい光を浮かべる瞳だけがあった。
「どうぞ、上がってください。とりあえず、水を用意させます」
淡々とした口調で言葉を紡ぎながら、塞ぐように立っていた引き戸の前から身を引き、光介を家に招いた。
敷居を跨ぎ、光介は中に入る。
「さぁ、上がってください!部屋には私が案内しましょう!」
今にも飛び跳ねそうな勢いで、伍助が手招く。光介は、自身が浮かべる強張った表情に気付かれないよう、顔を下に向けながら草履を脱ぎ始めた。
家に上がった光介は、伍助の案内で縁側を歩いていた。何でもこの先の部屋が、客をもてなす部屋だという。
光介が視線を左に向ければ、そこは美しい庭だった。
小さく水を湛える二つの池に、精巧な赤い橋がかけられ、苔むし、年季のはいった岩石がいくつも鎮座している。新緑に彩られたツツジの木や紅葉、太く曲がりくねった年代ものの松が周囲に溶け込むように植えられていた。
澄んだ青空を背景に、ひばりの鳴き声が高く響く。
これから復讐をするとは思えないほどの穏やかな空気に、光介は、思わず自嘲気味に笑みを浮かべた。
「ここがそうです。さぁ、どうぞ!」
鼻歌でも歌いそうな様子で、伍助が襖を開けた。
そこは、何畳ものの畳が敷き詰められた大部屋だった。まだ新しいのか、い草の青々とた匂いが鼻につく。
「どうぞ、お好きなところへ!」
伍助が部屋に入り、光介もその後へ続く。
部屋の中央に定位置を定めた光介は、刀を外し、畳の上に置くと、その脇で胡坐をかいて座った。
光介の前に伍助も正座をして座る。
ちょうどその時、まるで時を見計らったかのように、たまきが湯呑を持って現れた。
盆を畳の上に下ろし、湯気のたつ湯呑を光介と伍助のそばに置く。そして、正座をし、一礼すると、一言も発することなく部屋を出て行った。
「いや、愛想がなくてすまない。たまき、――妻は私にたいしてもあんな調子でね」
後頭部をかき、伍助は苦笑する。
「だが、たまきの料理はうまいんだ。きっと君も気に入ると思うよ」
瞳に柔らかい色を滲ませ、そう口にする伍助は、ただ妻を思う夫だった。
光介の胸に苦々しい思いが込み上げてくる。杏里と夕輝、そして翠蓮を殺したお前がそんな顔をするのか。今、お前は何を思い、何を考え、ここに立っている。
「・・・そうですか。それは、楽しみです」
黒々と渦巻く感情を押し込め、光介は無理やり笑みを作る。そして、湯呑を手に取り、口をつけた。その味は、まるで光介の思いを代弁したかのように苦かった。
伍助は、光介の旅の話を聞きたがった。適当に話すこともできたが、できれば怪しまれたくない。
光介は、用心棒の頃に行った村や町、国のことを話すことにした。
その話をしていると、たまきが食事をもってきた。膳の上に、きゅうりとなすの漬物や大根と人参の煮物が置かれている。箸を使い、それらを口に入れれば、糠漬けの味やだしの浸み込んだ味が光介の舌に転がった。
「うん、うまい!さすがたまきだ!」
自分のことのように嬉しそうに笑う伍助に、思い切り眉を顰めそうになるが、漬物と煮物は確かにうまかった。
杏里は煮物を作るのがうまかった。逆に漬物はどんなに短く漬けても塩辛くなってしまい、膳の上に出るときは、二人で「しょっぱい!」と口にするのが常だった。
ためしに光介が漬物をつけてみれば、なぜかうまくいった。それ以来、煮物は杏里、漬物は光介の担当となった。
光介は、煮物ののった器を手に取る。
杏里の煮物の味がどうだったか。それすら光介はもう覚えていない。杏里と一緒になってからは、何百回と食べていたというのにも関わらず。
(杏里・・・)
涙が零れそうになるのを、光介は大根と人参をかきこむことで耐えた。同時に、それらを奪った伍助を―彼に気付かれないよう―憎々しげに睨みつけた。
話をしながら、食事を続けていると、気づけば、開け放した襖から西日が射しこんでいた。
伍助は目を丸くしながら、光介を見る。
「これは、これは。ずいぶん長く話してしまったな。旅の方。宿のほうは決めてあるのですか?」
「いや、決めていない。一刻も早く水をもらいたかったからな」
「それはちょうどいい。よければ、私の家に泊っていかれませんか?いい酒があるんですよ」
深く笑みを浮かべ、伍助は右手で猪口の形をつくった。
「・・・そうだな。では、お言葉に甘えて」
奥歯を噛み締め、、右手をぐっと握り込む。
(寝静まった時が、お前の最期だ・・・)
そう思いながら、嬉しそうに笑う伍助を見つめた。
西日は消え、襖から見える空は、星が一面に咲き誇る紺色の空となった。
春とはいえ、山から吹き下ろしてくる風は冷たい。それは部屋を漂い、伍助のいう「いい酒」を口にする光介の火照った頬を冷ましてくれた。
夕餉はすでに終えていた。もともと、先に食べていたから、品数はそんなに多くはなく、焼きさんまにわかめの味噌汁、麦飯と質素なものだった。といっても、村長の食事だ。稗と粟の飯、具のない味噌汁、漬物、めざしだけの村人の食事よりは豪華だった。
「その刀、とても美しい装飾が施されていますね。年代物ですか?」
にこやかに談笑していた伍助が光介の刀に視線を映した。同時に光介も視線を刀に向ける。
柄には格子模様が刻まれ、鞘には波型の模様が描かれている。鍔には、光介には分からない花の模様が刻まれていた。
「俺もくわしくは知らないが、まぁ、そうだろうな」
「すばらしいですね。私、刀には少々目がなくて。買ってまではいませんが、妻には内緒で町の骨董品を見るのが楽しみでして・・・」
柔らかな表情を浮かべる伍助の瞳から、鋭い獣のような光が顔を出す。それは、息のない翠蓮に向かって言い放った時と同じものだった。
なににせよ、ろくなことではない。
それを敏感に感じとった光介は、猪口を膳に置き、刀を手に取った。
「悪いが、これは商売道具なんでね。誰にもやる気はない」
「これはお恥ずかしい。欲しいといった覚えはなかったのですが」
きっぱりと告げると、伍助は頬を掻き、申し訳なさそうに頭を下げる。すると、何かを思いついたかのようにぱっと顔を上げ、おずおずと、しかし好奇心を隠せない子供のように目を輝かせた。
「・・・せめて、もっと近くで見せてもらうことはできないでしょうか。あなたの刀は、とてもすばらしい。私が生きている内に見れるか見れないかというものです。触れはしません。ただ、見るだけでいいのです」
「・・・・・」
懇願する伍助に、光介は、心の中で軽く眉を寄せた。伍助の表情には、ただ刀に対する興味だけが見えたが、すばらしいと口にした時に、一瞬浮かべたあの光が気になった。
だからだろうか。光介の右側――閉め切られた襖の向こうに、妙な気配を感じたのは。
畳を擦るような音とともに、幾人もの人の気配が感じられたのだ。
「気持ちは分かるが、やはり駄目だ。悪いが、他を当たってくれ」
伍助の方を見ることなく、光介は刀を差し、立ち上がる。
「・・・それはできませんねぇ」
次の瞬間、ねっとりとした伍助の声が響く。同時に、閉め切られた襖が、ぱんっと音をたてて開き、そこから十数人の村人が姿を現した。
男女入り乱れた彼らの手に握られているのは、鋤や鍬、そして包丁という物騒なものだった。慣れたように真上に掲げ、光介に対し、獲物を狙う野生の獣のように見つめている。
「・・・何の真似だ」
だてに用心棒を生業にしていない。荒事は見慣れていた。
ただ、五年前とはまるで違う村人達の様子に、光介は違和感を覚える。
伍助を見れば、彼は腕を組み、ふっと鼻を鳴らした。
「悪いが、あなたには死んでもらいます」
さらりと口にしたのは、光介の死を予告するものだった。伍助は、仕方がないのだという表情で両腕を広げた。
「この村は、五年前から不作続きでね。とてもじゃないが、米作りだけでは食べていけない。だから、金を持っていそうな輩を家に招いて、そのおこぼれをちょうだいしようというわけですよ。あなたの刀は、この村に入った時に彼らから話を聞いていましたから」
ようするに、光介の刀を見た村人たちが、金目のものになると勘付き、伍助に報告したということか。
(最悪だな・・・)
伍助が村長になってから、この村はろくでもない方向に進んでいたらしい。それを誰も否定せず、唯々諾々(いいだくだく)と伍助に従っている。
五年前もそうだが、この村に住む人間の本質はそう簡単に変わっていないらしい。
思わず、口元に乾いた笑いが零れる。同時に、黒々とした怒りが胸の内から溢れ、気づけば、口を開いていた。
「・・・そんなに考えるのが嫌か。お前達のやったことで、何人死のうと、自分達に被害がなければどうでもいいか」
そのよく知恵の回る頭で、あくどいことを考え、実行する伍助にも腹が立つが、その伍助に何の疑問も持たず、操り人形のように動く村人達に、光介は失望した。
伍助の憎しみは、蜷局を巻く蛇のように渦巻いていた。それに爆発するような激しさはなく、ただ、マグマのように沸々と煮えたぎっている。
光介は、柄を握りしめ、刀を抜いた。
そして、その切っ先を伍助の喉元に向けると、流れるような動作で突きを繰り出した。
「がっ!!」
伍助が信じられないという顔で、光介を見つめる。
刀の切っ先は寸分違うことなく、伍助の喉を切り裂き、伍助の上半身を血で濡らした。
それだけではなく、光介の手や腕、果ては頬にも返り血が飛び散り、血のむせ返る臭いが和室に漂う。
伍助が、ごぽりと口から赤黒い血を吐き出し、血走った瞳を光介に向けた。
殺気の篭った目つきに、けれど光介は何の感情も浮かばなかった。
「・・・ただの飾りだといった覚えはない。刀を持った人間を舐めすぎたな。俺が誰も殺せないと思ったのか?」
ぐっと力を込め、光介は伍助の喉元から刀を引き抜いた。
伍助の体は、綿のない人形のようにぐらりと傾ぎ、背中から倒れ込む。その目に、すでに光はなかった。
光介は、刀を一振りし、ついた血を薙ぎ払う。そして、固まったままの村人達に目を向けた。
まさか、村長が死ぬとは思わなかったのだろう。彼らは茫然としたまま、息のない伍助を見つめていた。
用は済んだ。
この村がどうなろうと知った事ではない。幼い日に暮らし、杏里と出会い、夕輝を儲けた村ではあったが、もはや何の感慨も湧きはしなかった。
「村長は死んだ。仇をとるなら相手になるぞ」
そう口にするが、村人達に聞こえてはいないだろう。そこには、先ほどの野生の獣のような彼らはおらず、ただ、親を失った子供のように途方に暮れている姿があるだけだった。
戦意のない人間と戦う趣味はない。
光介は刀を収め、屋敷を出ようと村人達に背を向けたその時だった。
開け放たれた襖の陰から、一人の女が現れた。その手には出刃包丁が握られている。
「っ!!」
放たれた殺気に反応した光介は、相手の顔をろくに見もしないまま、反射的に刀を抜き、女を斬り上げていた。
我に返った光介が、廊下に血だまりをつくり、倒れた女を見やる。縹色の小袖が、赤く血で染まっていた。
女は、たまきだった。
目を見開き、光介は動かないたまきを見つめることしかできなかった。
伍助を斬ることを選んだのは自分の意思だ。だが、たまきは違う。しかし、斬ったのは、まぎれもない自分だ。
今まで震えることのなかった手が震える。
『その刀は、もうお前の魂そのものだ。それを振るうときは、自身の魂を削っていると思っておけ』
かつて、師であり、同業者であった斎の言葉が頭の中を駆け巡る。
伍助を殺す。その罪を背負う覚悟はあった。
だが、殺すつもりのない相手の命を奪った。その罪を背負う覚悟など光介にはなかった。
考えも及ばなかった。
用心棒という、刀を振り下ろす仕事をしている以上、斬らないという選択肢は存在しない。自分の命を守るため、依頼人の命を守るため。その命を奪うことは多々あった。
しかし、たまきは違う。
斬ったのは、もはや反射に近かった。
その時、光介は気づいた。伍助を殺すために強くなった自分が、伍助の知略さえ潰すことのできる武力を得ていたことを。それは、誰かを守り、己の命を守る力ではあるが、同時に周りの人間を不幸にする力だということを。
「うわあぁぁぁっ!!」
叫び声が聞こえ、振り向けば、村人たちが武器を振り上げ、光介に向かって駆けてきた。
その目には、怯えと恐怖と殺意が見てとれた。
刀を振るったことで、彼らの感情を刺激してしまったようだ。
彼らの動作は、用心棒として働いていた光介からしてみれば止まって見えるほどだった。
刀を使い、避けることは可能だった。
けれど、たまきを手にかけた事実が光介を躊躇わせた。
光介は刀を振るうことなく、村人たちが自分に向かって鋤や鍬、包丁を振り上げる様を見つめることしかできなかった。
「はぁ、はぁ、はぁ」
荒い息を吐きながら、光介は血濡れの刀を握り締めていた。
体のあちこちに傷ができ、着物は返り血で濡れていた。
動かず、武器が振り上げられるのを黙って見ていた光介だったが、頭とは反対にその体は彼らの攻撃を避け、そして、そのまま刀を振り下ろしていた。
結果、あの和室には、事切れたいくつもの死体ができあがっていた。
光介の体は、わずかな殺意でも反応し、頭で考えることとは別に無意識に動けるようになってしまっていたのだ。
光介は、ぐっと奥歯を噛み締める。
村人達には失望したが、殺すほどの憎しみなどもっていない。
だが、光介の心とは裏腹に、体は「村人憎し」とでもいうように刀を振るう。
心と体が別の人間になったようなそんな錯覚を覚えた。
けれど、そんなことを思ったところで意味はない。手をかけたのは自分だ。
それを忘れてはいけない。
鉛を飲み込んだかのような心地を感じながら、光介は、大きく息を吸う。
さぁ、次は夕輝の仇である、角熊だ。
青に会う前に、光介は角熊―蒼牙―の情報を掴んでいた。
蒼牙は、この村から少し離れた森を縄張りとし、白亜という蛇と何匹かの羽虫を仲間にしているという。
(待っていろ・・・)
光介は刀を掴み直し、村へ出ようと歩を進めた。
その時、足音が聞こえ、同時にいくつもの草鞋をはいた足や裸足の足が光介の目に映った。
顔を上げれば、子供、女、男、老婆、老人、様々な人々が光介の前に立っていた。
その手には、小刀や武器にもなりそうにもない箒などを持っている。その目には、鋭い光があった。
「刀を渡せ!!」
十歳くらいの少年が、小刀の切っ先を光介に向けて叫んだ。
少年の声を皮切りに、女、男、老婆、老人も声を上げる。
「それを渡しな!!」
「それが私らの命綱なんだ!!」
「とっとと渡せ!!」
眦を吊り上げ、怒鳴る彼らに、当初、村に入った時に感じたあの穏やかな雰囲気は欠片もない。
伍助の意思は、子供から大人まで行き届き、もはや村の様相を呈していなかった。
「悪いが、渡すことはできない。他を当たってくれ」
静かに声を上げるが、村人の表情は変わらない。
「私達に死ねというのか!!」
「お前に良心はないのか!!」
口ぐちに言い募る彼らに、光介は眉を寄せる。
村長―伍助のやり方にあぐらをかいた結果がこのあり様だ。情けをかけるつもりはない。
「・・・俺には、やることがある。そこをどいてもらおう」
威嚇するように、刀を向ける。しかし、彼らは怯まなかった。
「お前をここから出すわけにはいかない!!その刀は俺達のものだ!!」
髭面の男が叫ぶと同時に、「そうだ、そうだ!!」と煽るように人々が言う。
その様は狂気だった。そして、それはついに爆発した。
「殺せ!!こいつを生かして帰すな!!」
「刀を取り上げろ!!」
「人数はこっちの方が多い!!有利なのは、こっちだ!!」
雄叫びを上げ、村人達が一斉に襲い掛かってくる。
数は、総勢四十人。
これほどの人数を相手にするのは、光介にとって初めてだった。
無意識に刀を振るわないよう、彼らの攻撃を避けようとするが、周りを取り囲まれ、一歩も引けない状況に陥った。
「うおおっ!!」
一人の女が錆びた包丁を手に光介に突っ込んでいく。
光介は、女の攻撃を避け、その鳩尾に空いた拳を叩き込んだ。しかし。
「があっ!!」
女は気絶することもなく、口を大きく開け、光介の腕に噛みついた。
ぶちりと、肉の切れる音が響く。
「っ!!」
痛みに顔をしかめながら、光介は女の襟首を掴み、村人の方へ放り投げた。
尻餅をつき、女が地面に倒れた次の瞬間、信じられない事が起こった。
村人達が、女に向かって足や手を使って殴り、ついには手に持った武器を振り下ろしたのだ。
女の白い手がぱたりと力を失い、動かなくなる。
「何を考えている!?」
思わず、光介は叫んだ。血の気が一気に引くのを感じる。なんなんだ。これは。
信じられないと言う風に、村人を見れば、彼らは「何かおかしなことでもしたか」というように不思議な顔をしていた。
「お前を殺せなかったんだ。使えない奴が生きていても仕方がない」
最初に、小刀の切っ先を向け、吠えた少年が淡々とした声音で言い放つ。
ぞっとした。
子供が真顔でそんな言葉を口にするということが、この村の異様さを物語っていた。
「行くぞっ!!」
動かなくなった女を踏みつけ、村人達は光介に襲いかかってきた。
小さく息を吐き、光介は腹に力を込める。
今、ここで死ぬわけにはいかない。
覚悟を、決めた。
刀を構える。それは、今にも襲い掛かろうとする村人達に向けられた。
(恨むなら、恨め。俺は、――背負っていく)
柄を握りしめ、光介は村人に向け、静かに刀を振り上げた。