喫茶ニヒリズム
あと1.2話程度で完結予定です。
どうぞ最後までお付き合いください。
「どうせ変わりゃしないさ」
今激しく人気を高めている若手政治家のポスターを街角で見かけた彼がつぶやいた一言である。
彼はもともと、利権争いにまみれた政治を憂い政界の改革を起こしたいと考えていた人物の
一人であったが、彼の支持していた議員が汚職に片足を突っ込んでいたということが
大々的に報道されてからは彼の政治への関心も全くと言っていいほど薄れてしまった。
彼の心にニヒリズムなる魔物が住み始めたのもこの頃からだった。
それまで平凡なコンビニ店員としてバイトをしていた彼には、ある一種の疑惑が浮かんできたのだ。
「こうして働いて何になるんだろう」
彼の疑惑はだんだんと積もっていき、その疑惑はニヒリズムの食糧となった。
彼の心を覗くのはここまでにしておこう。
今の彼の心の中は希望一割絶望九割ととても人に見せられたものでないから。
先ほどの無関心を呼び起こした若手政治家のポスターを
横目で見た彼は商店街の雑踏の中へと踏み出した。
それは彼にまだ希望が残っていることの証拠である。
もし完全にモラリズムを捨て去っていれば今頃は迷いなく回帰の扉を組み立てているだろう。
そうせずに現代人の汚れた精神が垣間見えるこの商店街に踏み込んだということは、
まだ彼に一般人的精神の残っている証拠なのである。
一般人的精神だからこそ出来る、商店街を何の目的も持たずに
ぶらぶらするという荒業を彼は難なくこなすことが出来た。
商店街を歩く彼の眼に映るそこかしこにあふれかえる
仮面をかぶった一般人たち(普段の彼にはこう見えていた)が
今の彼にはとてもキラキラと光るダイヤモンドやルビー、サファイヤに見えていた。
これも一般人的精神がもたらす麻薬的効果である。
彼が一般人的精神で快感に身を委ねているとき、それは起こったのだった。
彼が立っている場所から数メートルの範囲で
突然真夜中に赤ん坊わめきたてたような大きなざわめきが起こった。
元々騒々しい商店街の数倍の騒々しさであった。
人間、好奇心には勝てないもので、特に一般人的精神に
支配されていた今の彼にはそのざわめきの方へ目を向けない方が困難であった。
そして彼の見たものは、赤黒い液体を周りに散布し地面に直に横たわっている人々と、
確実に銃刀法に違反していると思われる刃渡り15cm以上の刃物を手にし、
自分の洋服に付いた返り血を眺めて呆然と立っている人物だった。
彼含め周りの一般人的役割の人々はわめきたてた。
早く救急車を、なんて声もあれば何をしているんだ君はなんて怒号が飛んだりもした。
普通の一般人的精神をお持ちの人々ならば自分が
どこかの推理小説の登場人物のように振る舞ったりするのであろうが、彼は三流ニヒリストだ。
彼の心に巣食うニヒリズムが一般人的に振る舞おうとする彼を嘲笑していた。
彼はニヒルな笑いを顔に浮かべて踵を返しかけた。
その時初老の紳士気取りの男(彼には気取り屋に見えた)が彼に向かって怒鳴り散らした。
「人が死んでるのに笑うとはなんだ!改革がなんだ、人を助けられもしないで笑ってやがる!」
恐らくどこかの政治家の信者とでも見られたのだろう。
この言葉を呪文のように聞き流した彼はさらに笑みを深め、
踵を返し喫茶ニヒリズムへと向かった。