Act.1 MAY
そろそろ5月。俺の前から彼女が去って、もう、2年以上が経った。
いや。
“去った”なんて言いがかりだな。
彼女は最初から、俺が想っているように俺のことを思ってはいなかったんだから。俺のひとりよがり、だったんだから。
「ちょっと、聞いてんの?別れ話くらいちゃんと聞いてよね。」
「・・・・・あ?あぁ・・・、ごめん。」
「ったく。もういい。さよなら。」
昼下がりのカフェテラス。オープンカフェで待ち合わせ・・・、なんて、最近では疎遠になっていたカノジョがそう言うもんだから何かと思ったら・・・、別れ話なんて。そろそろかなって思ってたけど、やっぱり、辛くないのはいつものことだ。
カノジョと出会ったのはいつだったか。・・・たしか3ヶ月前、逆ナンされたんだったっけ。自分から俺に惚れといて・・・。こっちだっていい迷惑だったてーの。
「惚れる・・・、ねぇ・・・・・。」
この2年、俺はろくに恋をしていないことに気付いた。うすうす感付いちゃいたけど、実感すると、ちょっとさみしいもんがある。ま、今まで本気で誰かを好きになったことなんて・・・、“恋”したことなんて皆無に等しいが。
でも、一度あの感触を知ってしまったら、他のどんな気持ちよりも大切に思えて・・・、いとしくて、恋しくて、毎日が綺麗に見える。それが“恋”なんだって。
・・・けど、駄目なんだよな。彼女のイメージは鮮烈すぎる。たいした思い出はないのに、彼女に恋したっていう自覚しかないのに・・・、あの“恋”以外、実感できないでいる・・・。
「ま、あいつより抱けないってことよりましか。」
なんて、強がってみたりして。
伝票を掴んで立ち上がって、金を払いながら5月の空を見上げる。
高い空。
今日は快晴。
・・・こんな空は、彼女のことを思い出させてならない。
「ごめん。・・・私、できない・・・・・。」
くそ。なんてこと思い出させるんだ。
舌打ちをすると、レジの女の子が驚いたように俺を見つめた。
「あ、ごめんごめん。君のことじゃないから。」
愛想よく笑って店を出る。・・・今のコかわいかったなー、なんて考えながらも、今の俺にはそれ以上どうこうする気は起きなかった。妙なタイミングで彼女のことを思い出してしまった。女にふられて(いつものことなら)また新しい女を見つけようと思っても、・・・彼女の影には勝てないんだな。これが。
まったく。俺の本能を返してくれ。
彼女と出会ったのは、2年とちょっと前。トモダチのトモダチとかで、たまたま飲み屋で一緒になった。・・・・・第一印象は、“暗い女”。あまりしゃべろうとはしなかったから、そんな人なんだろうと思った。けど俺は、その雰囲気の中に、ひとつ、明るい影を見つけてしまった。それは・・・、たまに見せる、彼女の笑顔。
あかるい笑顔。
顔のつくり自体はコドモで、美人じゃないけど、オトコゴコロをくすぐるなにかがって・・。俺は多分、もうその時から彼女に“恋”してたんだと思う。
「おまえ、アイツに惚れたろ?」
実際、トモダチからそう言われたのもその帰り道だったしな・・・。
「そんなことねぇよ。」
言ってみても、あまりの図星に、下りていた階段を滑り落ちたくらいだ。
「・・・・・もう、にねん、だぜ・・・?」
歩道。六本木の裏通り。昼間は人通りがあまり多くないということをいいことに、その場に座り込む。だから最近の若者は・・・って言われるんだろうけど。でも、俺ももう25だし、ワカモノってガラでもない。
「私、東京に行くことになったから。」
今も頭の中に響くその透明な声。
彼女、元気かな・・・・・。同じ東京にいるのに、一度も会えたためしはないけど。
妙に感傷的になってしまう。
人前じゃいつも当たり障りのない“自分”を作ってしまうこの俺が・・・、妙に、自分を見失ってしまっていた。それもこれも、きっと彼女のせいだ。・・・あんなにきれいな人、見たことなかった。あんなに・・・、きれいな瞳で俺を見つめる人。俺としたことが・・・、すべてを、さらけだしてしまった。
「“私なんて好きにならないで。”・・・・・か。」
煙草をポケットから取り出しながら
「・・・これって5月病かなぁ・・・。」
つぶやく。
・・・・・がらでもねぇ。
立ち上がって煙草をくわえようとすると・・・、ふと、俺の前を懐かしい匂いが横切った。甘い香り。でも香水の匂いじゃない。・・・・・これは・・・。
「あ。」
思わずそう言って、煙草を口から落としてしまった。
「・・・・・え?」
俺の驚いた声に、驚いたように振り返ったのは・・・
「あ・・・・・・・。」
・・・・・“彼女”に違いなくて。
「久し振りね。こっちに来てたんだ。」
「あ?あぁ、言わなかったっけ?俺、こっちが地元なの。」
「そう。2年ぶりくらい・・・だっけ?」
そう言って笑う彼女に、俺は戸惑いを隠しきれないでいた。
「うん、もう2年。」
いや・・・、長い2年だった。
“・・・・・この人は、誰だろう。”
そして俺の中では、そんな言葉が渦巻いていた。
せっかく、この2年焦がれた彼女がこんなに近くにいるのに。俺に向かって話をしているのに。・・・俺には、この彼女が、あの彼女を同一人物だとは思えない。
「・・・・・綺麗に、なったね・・・。」
・・・そう。2年見ないうちに、あの頃よりも、数倍綺麗になっているから。
「やーだ。なに言ってんの。おだててもなにも出ないよ。」
そう言って笑いながらカバンを持ち直す指先も、その笑顔も、その頃よりも輝いていて・・・。これって、ただ2年の間、ずっと俺がこの人に会いたいと思っていたからだけなんだろうか。・・・・・いや、違うよな・・・。
その横顔を盗み見ると、ふいに、その理由がわかったような気がして・・・、俺はそのことを打ち消しながらハンドルをきった。
“仕事で芝浦まで行くとこなの。”“なら、俺もそっち行くから、乗っていかない?”思わず、口から出てしまっていた。・・・わざわざ、2人っきりになんてならないほうがいいのに。
「・・・仕事、順調なんだ。」
言いながら信号待ちで左横を見ると、そこには、2年前とは別人の女がいる。
「うん。順調かどうかはわかんないけど、毎日楽しい。」
“だから”。だからこんなに綺麗なんだって思いたいけど。
「そういや、どんな仕事なのか聞いてなかったね。」
別れは慌ただしかったから。“東京に行く”しか知らなかった。
「・・・んー、なんていうか・・・、カタギの商売じゃないことは確かかな。」
そう言って笑って・・・、俺はどことなくさみしさを感じた。
俺の知ってる彼女は、こんなふうに冗談を言う人じゃなかった。そりゃ、がちがちのカタブツって感じでも、ネクラで冗談の通じないヤツってカンジでもなかったけど・・・、でも、心のどこかに固くて冷たいなにかがあって・・・、表面は春みたいにあたたかいのに、その奥はそうじゃなくて・・・・・、たまに見せるあたたかい心が心地よかったのに・・・、今の彼女は・・・・・。
「青だよ。」
そう言って笑う彼女は、そのすべてが・・・、あたたかい。
彼女はなんとも思わないんだろうか。こんなふうに俺と再会して、そしてこんな密室で二人きりなのに。いくら2年前に終わった関係だからって・・・、俺がこのままホテルにでも連れこんだらどうする気なんだ?まさか俺って、オトコとして見られてないのか?
「仕事以外は・・・・・、どう?」
なんだか空しくなって、俺は一番聞きたくないことを口にしてしまった。わかってるんだもんな、きっとこの人は。・・・・・俺が、自分に手を出さないだろうってことを。
「やめて。もう誰も好きになれない。・・・・・誰も、愛せないんだから。」
あの夜。・・・・・俺はそのことを身体に刻みこんだんだ。
だから、この質問が俺と彼女にとってどんな意味を持っているかということは。よく知っている。・・・けどこんな彼女を見ていると、そんな言葉も言いたくなってしまう。
“俺のことは愛せなかったくせに、誰かを愛しているんだろう?”・・・って。
「・・・カレシ・・・、いるんだろ・・・?」
運悪く赤になった信号を恨みながらも、俺は前を見たままそう言った。
「もう誰も好きになれない。誰にも抱かれたくない。どうして身体が必要なの?どうして身体を欲しいなんて思うの!?本当は、身体だけが必要なんじゃないの!?」
あの時・・・、そういった彼女に俺はなにも言えなかった。・・・そう、彼女はそう言ったんだ。そう言って・・・、俺の前から去っていった。俺達は、何もなかったんだ。
結局、俺ばかりが彼女に熱をあげて・・・、彼女のそのあたたかさに魅かれて。自分のものにしようとして・・・、そして、すべてを失った。俺のことを“いい友達”だと感じていたであろう彼女は・・・、ひどく、傷ついた顔をしていた。
「でも、もうあれから一年経ったんだもんなー。おまえならいるよなー。」
彼女がなにも言えないでいるので、がんばって明るくそう言うと
「・・・・・ごめんね。やっぱり私、乗せてもらうんじゃなかった。」
書類の袋らしいものを抱えて、彼女はそう言う。・・・俺、なに言わせてんだ。
「・・・いや・・、あの、おまえ俺との約束守ってくれたんだろ?・・・・・俺が変な質問するから・・・。俺の方こそ、ごめん。」
“今度会ったら友達”そう約束したのは俺だった。
車はいつの間にか東京湾に沿って走っていた。もうすぐ芝浦。こんな倉庫ばかりが立並ぶ所に・・・、いったい何の用があるんだろう・・・。
「・・・彼・・・、ね。会社の人。」
そう思っていた俺に、彼女が小さく呟く。・・・俺は、心臓が張り裂けそうになる感触を知った。・・・・・自分で聞いたことなのに、今更。
「・・・・・そう。いつから?」
そんなことどうでもいいのに。“もう一度会いたい”そうとだけ思っていたのに・・・、今は、そう思えないでいる。“やりなおしたい”とか・・・、そんなふうな言葉。
「半年くらい・・・・・前。・・・・・気付いたら、すきだった。」
「・・・ふー・・・ん。」
そんなこと言えるわけないし・・・、もう遅いのに。
俺と出会う前のこいつになにがあったのかは知らない。こいつもなにも言わなかったし、誰に聞いても知らなかった。だけど、それがこいつの中に、あの、固くて冷たい塊を作っているということだけはわかっていた。それを溶かしてしまいたい。そうすれば、こいつは俺のことをすきなってくれるかもしれない。・・・そう、思っていた。
・・・・・だけど、俺にはできなかった。むしろ逆のことをしてしまった。でも、こいつが好きになったその男は・・・、こいつのあの冷たい塊を、あたたかく、溶かしてしまったんだな・・・。俺の出る幕はない。こいつが“すき”になった時点で、俺の、そいつへの負けは決まってるんだ。
「・・・・・しあわせ、なんだ。」
窓の外を見つめるそいつを見ずに言うと、見なくても・・・、その返答がわかった。
くやしかった。
・・・・・でも何故か、あたたかかった。
こんなにきれいなこいつは見たことがなかったから。
その男、すごいやつなんだろう。
くやしいけど・・・、完敗だ。
「あ。そこ、右。」
彼女がそう言って、しばらく走ると、ひときわ大きな倉庫が目に入る。
「こんなとこに何の用?・・・まさか、本当にヤバイ商売じゃないだろうね。」
言いながら彼女を見ると、彼女は・・・少し、泣いているように見えた。
「まさか。スタジオよ。リハーサルスタジオ。」
そう言いながら気丈なふりをして・・・、俺はその指についた涙の粒に、俺達に“未来”なんてないことを知る。・・・いや、きっとずっと前からなかったんだ。
「リハーサルスタジオって・・・、まさか仕事って、芸能関係なの?」
俺の問いに彼女は笑って、その大きな倉庫の前で車を止めるように言う。
「ね。カタギじゃないでしょ?」
言いながら、彼女は俺を見つめた。
「ありがとう。」
そしてそう言って・・・、俺はそのひとことに込められた思いを、どこかで感じる。
「いや・・・、楽しかったよ。・・・元気で、な。」
言うと彼女は少し笑って車からおり、車の中には、彼女のあの甘い香りがなくなってしまう。
潮風にだんだん薄れて・・・、いつかなくなってしまうのか。
「しあわせになれよ。」
窓を開けて、エントランスへと歩いていこうとするその背中に言うと、彼女は笑って
「あなたもね。・・・・・元気で。」
俺にそう言った。
彼女が建物の中に消えていく。
そして、開け放たれた窓から入ってくる風に、彼女の香りも消えていく。
でもきっと、これでいいんだろう。いつか俺のこの心の中からも、彼女は消えてくれる。今みたいに、笑って、きれいなままで消えてくれる。
その方がいいんだ。その方が・・・、ずっと、俺らしい。
「5月病・・・、ねぇ・・・・・。」
俺の5月病は、いとも簡単に治ってしまうから。
・・・・・きっと、俺の思い出の中で、きれいに微笑うおまえのせいで。
実は3部作の1話目になります。
続きも書かせていただいているので、宜しかったらそちらもどうぞ、です。




