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公爵令嬢の見る夢は

笑い声の響く街

作者: 朝霧凉
掲載日:2026/02/20

大変お待たせいたしました。

待ってる方いらっしゃたら嬉しいです。

公爵家一家が処刑された。


一面がその言葉で埋まる新聞を読む。


「へー」


喜びも悲しみも感じない。

それでもあの日々を思い出し、達成感と満足感に体が満たされる感覚があった。

自分が危険を冒してまで集めた情報と、殿下が平民から信用され得た情報から、あの悪逆非道の公爵家一家が……元の家族が処刑された。

これでまた一つ、殿下の治世が良い方向へ向かうだろう。

自然と鼻で笑ってしまう。

やっぱり悪は滅ぶものなんだ。


「貴族は民の為にあり、常に正しく生きなければならない」


あの家の養子になった時、跡継ぎの勉強の為に読んだ本の中に書いてあった。

貴族は平民の為に?あんなに平民を苦しめながら何を教えているのか。

正しさとは何なのか?

この家に正しさがないことは分かる。

そして、義父である公爵ににやけ顔で言われた言葉を思い出す。


「法律の隙間を知る事だ。そうすれば奴らの訴えに意味がない事がわかるだろう」


そうか……。法律が正義なんだ。


そこからは法律を主に勉強しつつ、公爵の行動を法律に照らし合わせて批判してきたが、鼻で笑うばかりで何も変わらない。

隣にいた姉と名乗った女も冷たい目で見つめてくるばかりで、何も言わない。

使用人も誰一人他者を助けようとしない。

それがあの公爵家での日常だった。


そのまま学園に入学し、殿下と本音で話し合い、友人となれた。

後々側近として働く事も約束された時に思い至る。

殿下の治世に公爵家は邪魔になるだろう。

そして今、やっとあの公爵家一家が処刑された。


(僕の身分は低くなったけど、殿下の側近でいられるならまあ納得できるかな)


新しく父親になったサリヴァン子爵は領民思いで慕われている。あの公爵家と違って学ぶべきことは多い。

これからの殿下の治世の為にも、前向きに学んでいこうと決めている。


その時、ドアをノックする音が小さく聞こえた。

新聞を机に置いてドアに向かう。


「エフレム、入っても良いかい?」

「ああ、お義兄様でしたか。どうぞ入ってください」


ドアを開けて、義兄を招き入れた。

気弱そうで、優しい性格が顔に出ている、特別目立つとこのない顔で、サリヴァン子爵の跡取り息子だ。

こんな悪逆非道の公爵家の一員だった人間にも優しく接してくれている。

まあ殿下の側近でもあるし、後々は得な事が多いかも知れないが、今はまだ学生の身だから返す物がないのは心苦しい。


「どうしました?」

「エフレムに手紙が届いたから持ってきたんだ」

「なぜお義兄さまが?」

「まあ、なんとなくだよ」


そう言って手紙を渡される。その手紙は殿下からだった。


「ありがとうございます」

「いや……。ああ、そうだ。えっと……」


そう言って何か聞きたそうにする義兄に眉を顰める。


「何ですか?」

「あー、新聞は読んだかい?」

「ええ、先ほど読みました」

「そうか。大丈夫かい?」

「何がですか?」


まどろっこしい。はっきり言えば良いのに。


「公爵家が……その」

「ああ、元公爵家ですね。思ったより遅かったですね」

「遅かった?」

「ええ、すぐに処刑されるのかと思いました」


そもそも今まで野放しにしていたのが間違っていたんだ。

何故誰も手を出さなかったのか。皆が集まって情報を纏めれば直ぐにでも処刑出来たはずだ。出来たはずなのにそうしなかった貴族にも何か罰を与えるべきなのに、そこは無視をする今回の結果には不満がある。

特にあの侍女頭。リサといったか。身分剥奪のみだなんて。まあでも、殿下が決めた事に文句を言うつもりもない。殿下は間違えることもあるが、常に民の事を考えているから良い皇帝になるだろう。


「……調査に時間がかかったのかもね」

「まあ、そうですよね。証拠は結構集めたんですけどね」

「落ち込んではないかい?」

「何故?」

「家族だった者達が亡くなったから。いや、平気なら良いんだ」


鼻で笑う。家族だって?


「僕はあの人達を家族だと思ったことはありません。あの人達はどこまでも悪でしたから」

「そうか」

「他人が、しかも犯罪者が処刑されたところで僕は傷ついたりしません。悪は滅ぶべきですから」

「十分わかった。もう大丈夫だよ」


手で制されて言葉を止める。


「じゃあ、手紙を届けに来ただけだから……」


そう言って扉の方へ向かう義兄。


……諦められた?何に対して?


気づいたら義兄の袖を掴み引き留めていた。


「エフレム?」

「お義兄様。僕はこの家で何か貢献していきたいと思っています。あんな家で育ちましたが僕は違う。僕は正義を知っている。だから……」

「エフレム」


そっと頭を撫でられる。

慌てて顔を上げると、優しく微笑む義兄に撫でられていた。


この撫でられる感覚、どこかで知っている。でも、どこで?

記憶には……ない。


「あまり焦らなくて大丈夫」

「お義兄様……」

「まだ学生だろ?この休暇が終わったらもう一度学園で学んでくると良い」

「僕はもう学ぶことはないと思います」

「うん。エフレムはよく頑張ったね。でも、もう少し大人になると良い」


その言葉に手を振り払う。


「僕は常に正しく生きようとしています。大人は正しく生きなくてはいけないのではないですか?」

「正しさとは人によって違うものだ」

「正しさは一つしかありません」

「じゃあエフレムの言う正しさって何?」

「法律です」

「そうか。それも正しさではあるよね」

「それも?」


お義兄様は何も分かっていない。正しさは一つしかない。そうであるべきなんだ。

悪は悪で、正義は正義であるべきだ。だから。


「法律が正義であるべきです」


その言葉に、義兄は困ったように微笑む。


「多分エフレムも分かってるんだと思うよ。認めていないだけだ」

「何を」

「ほら、殿下からの手紙だろう。早く読んで返事を書きなさい」


そう言って本当に部屋を出ていく義兄。

ドアが閉まるのを黙って見送る。


腑に落ちない。あそこの地獄を何も知らないくせに、分かった風な顔をして。

あそこの領民は殺伐として、いつだって睨みつけてきた。僕は何もしていないのに。

ここの領民は笑顔で迎えてくれるじゃないか。義兄は敵意というものを何も知らないんだ。


自然と拳に力が入ると、紙の音がして思い出す。


殿下からの手紙


何を書いているのだろうか?きっと元公爵家の事だろう。

急いで手紙を開ける。

そこには学園の休みが終わる前に、一度集まらないかというお誘いだった。

重要な報告会だ。いつも殿下の側近候補が集まって情報を交換する大切な時間。

さっそく返事を書かないと。



数日後、殿下の執務室に向かっていた。

影響力のあった公爵家が完全に無くなった事で、まだ少し慌ただしい空気を感じる。

相変わらず長い廊下を歩いていると、廊下の向こう側から殿下の恋人の男爵令嬢が歩いてきた。

世の中の暗い部分も知らず、自分の理想ばかり押し付ける人だ。

殿下はその理想を夢見ているのだろう。

いや、確かに彼女の理想が叶うのなら、そうなった方が良いとは思うが、世の中の仕組みが阻んでくる。


(そんなことも知らないで)


世間知らずを鼻で笑う。

と、目の前で彼女が止まり、目があった。

こうまでなったら挨拶しないといけないと体を彼女に向ける。


「エフレム様。ご機嫌よう」

「こんなご時世ですからね。ご機嫌ではないですが。貴女は元気そうですね」

「おかげさまで。日々勉強してます」

「ああ、あの女が受けてた教育ですか?」

「あの女……。そうですね。あの方と同じ教育を受けているのだと思います」

「子供でも大丈夫なものなので、肩の力を抜いてやると良いですよ」

「そうですね。これを幼い子供が受けていたのですね……」


いつも底抜けに明るい人なのに表情が暗くなる。

邪魔者はいなくなり、殿下の婚約者になって、思い通りにいってるはずなのに。


「何か悩み事でもあるのですか?」

「最近考えるのです。どうしてって」

「どうして?」

「そう。どうしてあの方は耐えられたのでしょう」

「どういう意味ですか?」

「皇后になるつもりもない小さな女の子が、どうしてこの教育を完璧にこなせたのでしょうか。簡単なものではないのです。殿下とともに国を背負う為の教育です。私の判断で何人もの民が犠牲になる可能性もある。命の選択もしなければいけない。どうして小さな女の子が耐えられたのでしょう。どうしてそこまでして復讐なんて……」

「復讐?何を言っているのですか?」

「……え?」


聞きなれない言葉につい口を挟む。小さな女の子とはおそらく元義姉の事だろう。

あの血も涙もない女。名前も思い出したくない一族の一人娘だ。


「あの女は復讐こそされても、復讐する相手などいないでしょう」

「……何を」

「散々領民を苦しめてきた女ですよ。そんな感情あるわけない」


あの地獄のような日々を思い出して鼻で笑う。


「あの女のせいでどれだけの民が殺されたと思ってますか?どれだけの恨み言を言われたと?処刑された時、皆喜んだのではないですか?」

「エフレム様、知らないのですか?」

「何をでしょう?あの一族の悪行など皆知っていますよ」

「いえ、そうなんですね」


彼女は何か納得している様子だが、癪に触る。

もしかして、僕の知らない何かの話か?

何故僕は知らないのに、この人は知っているのか?

殿下の婚約者だからか?

自分のあずかり知らないところで進められる僕の話は、少し不快だ。


「貴女は何を」

「いえ、もう大丈夫です。殿下が部屋でお待ちです。もう皆さんいらっしゃいますよ。私はこれから先生がいらっしゃるので参加出来ないのですけど。ごめんなさいね」


そう言って足早に去っていく背中を見送る。

しばらくして殿下の執務室を目指して歩き出す。


胸の中にいら立ちが広がって、気づいたら拳を強く握りしめていた。


(馬鹿にしているのか!何も知らないだと?)


ぐるぐるする思考を頭を振って散らす。

今は殿下との報告会に集中しなければならない。

そうこうしているうちに、殿下の執務室にたどり着いた。

扉の前に立つ近衛に名乗って待つ。

しばらくして入室の許可が出る。


「エフレム・サリヴァンです」


入室した先には、殿下の側近候補が揃っていた。

元生徒会のメンバー、保育教諭だった先生、

その先の椅子には殿下が座っている。


「エフレム。元気そうだな」

「はい。申し訳ありません。僕が最後ですね」

「いや時間には間に合っている。皆が早いだけだ」


その言葉に空気が和らぎ、いつもの雑談が始まる。

学園の噂や、僕含め皆の近況など話題は尽きない。

学園と同じ空気だ。

それにホッと息をつく。


(僕が僕としていられる場所は、やっぱりここなんだな…)


改めてこの空間を作り上げた殿下を、そしてこの空間に入ることが出来ている自分を誇りに思う。

これが次の世代の国を動かす仲間なんだ。


話は雑談から報告になっていく。

災害や不作、特産品や流行、貴族たちの力関係の変化、そして


元公爵家一家の処刑


「そういえば確認したいことがあったんですけど」


騎士団長の長男、アランが殿下に向き直った。

いつも周りを警戒して、正面から殿下と話すことは公の場でしか見たことがないアランが、少し言いづらそうに殿下を正面から見つめる。


「何を聞きたい?」


今思い出したかのように言っているが、おそらく今日一番聞きたかった事なのだろう。

殿下もそれには気づいている。

(殿下はそういう機微に敏感だから)


アランが何度か呼吸をする。

周りも静かに待っている。


「あの女、自分から処刑を望んだと伺いました」

「……ああ」

「だからですか?」


まどろっこしい。

アランは何を言いたいんだ。


「処刑場の前まで馬車を出したそうですね」

「え?」


つい声を上げてしまった。

皆が僕を見るのがわかる。

驚きすぎて瞬きもせずに殿下を見つめる。

殿下の表情は無表情で、考えが読めない。


(馬車?処刑場まで歩いたのではないのか?)


「なんだエフレムは知らなかったのか?」

「いや、新聞には街を歩いたとあったが」

「それはあの女の両親だろ。処刑場に着く頃には投げられた物でボロボロだったそうだ」

「そこにいなかったのか?」

「ああ。その後ろで馬車に乗っていたらしい」

「それは……」

「そこまでだ」


殿下が声を上げ、ゆっくりと外に目を向けて考え込む。


「アランは間違っていたと思うか?」

「は。いや。間違いとまでは思いませんが、何故とは」

「そうだな」

「ここにいる皆で目指した結果だったので、何故最後に温情など、と」

「……そうだよな」

「殿下は間違いだと?」

「いや、あれで良かったと思っている。今はこれで納得出来ないか?」

「えー」


書記をしていたカイルが分からないという顔をする。

僕も同じ顔をしているのだろうか。

カイルと目が合って、肩をすくめて苦笑しているのに共感を返す。


「私はあれで良かったと思っている。しかし説明するにはまだ少し整理が出来ていない」

「どういう?」

「考えが纏まったら、いや、覚悟が決まった時に皆には話そう。それまで少し待ってもらえないだろうか?」


(いつか話してくれるなら、待っても良いんじゃないか?)

皆同じ思いで視線を合わせる。

結局は皆、殿下を信頼しているんだ。

そうしてアランが簡易的な敬礼を殿下に送った。


「は。差し出がましい質問でした」

「いや、構わない。これからも疑問に思うことは聞いてくれ。今ここにいる者は、私が最も信頼している者だ。意見があれば遠慮せず言ってくれて構わない」


真摯な殿下の様子に嬉しく思う。

この場は納得しよう。

皆が頷き笑顔が浮かぶ。


「じゃあ、僕からもう一つ良いですか?」


カイルが声をあげる。

殿下が頷く。


「お城でのおススメお昼寝スポットってどこですか?あまり日差しの当たらないところで!」

「そういえば、学園でもお前寝てたな……」


部屋が皆の笑い声で満たされる。

詰まった息もほどけて、いつもの空間が戻ってくる。


(ああ、良かった)



時間になり今日は解散になる。

次回はまた手紙で連絡が入る。

今は忙しいから不定期になるのはしょうがない。


「エフレム、少し残ってくれないか?」

「はい、殿下。構いませんが」


皆が部屋を退出していく中、呼び止められて振り返る。

別に急ぎの用事もないので構わないが、なんだろうか。

不思議に思いながらも殿下に近寄る。

全員退室した時、部屋に静寂が満ちた。


「えー、殿下?紅茶でも入れましょうか?」

「ああ、ありがとう」


新しく紅茶を入れて殿下に差し出す。

この間、特に会話はない。

二人して紅茶を飲みながら無言だ。


(どうしよう。無駄話というものをしたことがあまりないから、何を話して良いのか…)

困り切った時に、ついに殿下が話し出した。


「エフレム」

「はい、殿下」

「サリヴァン子爵とは上手くいっているか?」

「はい、かねがね問題なく。良くしていただいています」

「そうか。領民にも慕われて評判の良い方だ。色々学んできて欲しい。私はまだまだ未熟者だからな」

「そんなことありませんよ。殿下は素晴らしい方です」

「そうか?」

「はい、間違いなく」


確信をもって返答する。

その言葉に殿下は軽く笑ってカップを持つ。

そして、ふと真面目な顔を作って自分を見つめてきた。


「今日の話だが、エフレムはどう思った?」

「どう、とは?」

「馬車で処刑場まで連れて行った事だ」


(なぜ僕に聞くのだろうか?)

疑問と不安が顔に出たのだろう。

殿下が少し苦い表情をして紅茶に口をつけ一息ついた。


「……私はあれで良かったと思っている。その考えは変わらないんだ。しかし、批判する貴族はいるからな。特にあそこには苦しめられた貴族や民衆が多い」

「そうですね」

「エフレム、お前は不満はないのか?」

「ないのかと言われれば……」

「やっぱりあるのか?」

「そうですね。馬車の件以外であれば一点だけ」


(今なら殿下と自分以外誰もいないからと言っても良いのだろうか?いや、この処刑に関しては自分が一番の功労者でもあるし良いのか……)


「あの侍女頭」

「侍女頭?」

「あの人も犯罪者ですよね。あの一家と共に罪を犯していました。もと男爵か何だか知らないけど、平民と変わらないような生活だったそうではないですか。身分剥奪のみは何の罰にもならないのではないかと」

「ああ、そうか」


何かに納得して考え込む殿下を見つめながら、これで正されるのではないかと期待する。

しかし殿下は真剣な顔をするだけで動かない。結局、一度決まった事は変わらないのか。


「お前はあの二人はどうしようもない悪だと思うか」

「勿論です」

「やっぱりそうだよな」


当たり前の事を改めて聞かれる。

あの二人とは姉と呼んでいた女と侍女頭だろう。あの二人も公爵家の悪行に加担し、何人もの平民の命を奪ってきたのだから、どう考えても悪だろう。いや、加担ではない。率先してやっていたのだ。


「私は考え続けていかなければならないと思っている」

「何をですか?」

「本当に悪だったのかを」

「あの二人も命を奪ってきたのです。悪でしょう」

「……私はお前のそういう考え方が好きだ」


いきなりそんなこと言われても、反応に困るが嬉しい。

少し口元が緩むのを咳払いで誤魔化す。


「悪いことを悪い。罪を犯した者を犯罪者と呼ぶのは当たり前だという考えは正しいと思う。しかし、上に立つ者としてそれだけでは駄目だと思うんだ。そうあの時に気づかされた」

「あの時ですか?」

「そうだ。時には選ばなければいけない命もある、という事だ」


自分の知らない何かがあったのは知っている。まだ話してもらっていない。自分に話さないのは必要ないからだと思っていたが、殿下を悩ませているとなったら別だろう。


「何があったのですか?殿下を悩ませるような事はご相談ください。出来ることはなんでもしますよ、公爵家を処刑に導いた時のように」


殿下は僕をみて軽く笑う。


「その言葉に助けられるよ。しかし、上に立つ者として罪を犯した者の事情を聞くべきだと思うんだ」

「罪を犯した事に変わりはないのです。事情を聞いてもやったことは変わらないでしょう?」

「そうだな。でもエフレム、それでもお前の知らなかった事もある。……あの公爵家の処刑は、私たちの実力ではないんだ」

「民衆の協力もありましたからね。しかし、信頼を得て協力してもらうのも実力です」

「違う、違うんだよエフレム。信頼を得たのも、情報を得て纏めたのも私たちの実力ではなかった」

「何を」

「私たちは掌の上で転がされていただけだったんだよ」


沈黙が落ちる。理解が出来ないのかしたくないのか。情報を纏めたのは自分で、信頼を得たのは殿下だ。そう信じてきたし、そうであるべきなんだ。誰の掌の上だったんだ?あの処刑で得をした人間はいるのか?


「私は迷ったんだ。だから希望通りにした。でも、馬車に乗せたのも、身分剥奪で終わらせたのも私からの感謝の気持ちだ」

「……感謝」


感謝の形が馬車と身分剥奪?意味が分からない。

殿下は書類を一つ持ってきて、自分に差し出す。その書類にはあの侍女頭だった女性の現在の住む場所が記載されていた。


「一度話をしてみたら良い。あの時の動きや、誰の計画だったのか。彼女は良く知っている」


住所はそんなに遠くない。公爵領から動いておらず、いつでも軽く行ける距離だ。

でも、犯罪者と話して来いだって?


「正しい事が間違いであると?」

「いや、エフレムには正しくいて貰いたい。そうだな、私が間違えた時に正しい道を示して欲しい。しかし、正しいだけでは守れないものもある。上に立つとはそういう事だと思い知っただけだよ」

「……わかりました。近いうちに一度話を聞いてきます」

「ああ。……さあ、引き留めて悪かった。飲み終わったら帰って良い」


殿下は複雑な表情を浮かべて椅子に座る。

何かに迷っておられる。

もしあの侍女頭と話したことで何かわかるなら。殿下の迷いを払えるなら、しょうがないから話を聞きに行こう。


(でも、やっぱり不満ではあるんだけど)

残る不満に鼻を鳴らして、紅茶を飲み干す。


(予定もないし、明日にでも行ってみるか)


そう決心して立ち上がった。



朝から数時間、体を揺らされて辟易する。

クッションを入れているとはいえ、前ほどではないから体も軋んでくる。

そんな不調を無視して侯爵家の馬車の窓から外を眺める。

ここはすでにあの一家が治めていた領だ。

しかし、記憶にある風景とはどこか違っていた。

まず、人が歩いている。あの頃はしんとして、馬車で向かおうものなら皆頭を下げて見送っていた。誰一人顔など見えない。

しかし、今は顔を上げて、なんなら笑顔を浮かべている。

子供が声を上げて走り、女性が数人笑いながら話し込んでいる。


「こんなに違うものか」


その変わりように驚きを隠せない。

そして何より、この街では常に玄関に暗い色の布がかけられていたはずだが、今は一枚も見当たらない。


(あの布が不気味で、あまり領地に下りなかったんだよな)


あまりにも違う雰囲気に、自分たちの功績を感じる。そして、殿下の素晴らしさを実感する。

この街は殿下のおかげで生まれ変わった。

また殿下に報告しようと決心して、目的地まで街を眺める。


「エフレム様、到着します」


御者の声でハッとする。

気づけば少し田舎の風景の場所についていた。

心なしか緑や花が多い。

しばらくして馬車が止まった。

御者が扉を開けるのを待つ。


(ここまで来たは良いが、何を話せば良いのか……)


悩んでいると扉が開いたので、ゆっくり馬車を降りた。

最初に感じたのは土の匂い。

そして微かな花の香り。

公爵家が作った花園の噎せ返る花の香りではなく、優しい香りだ。

前を向くと小さな家があり、横には小さな花しかない花壇があった。

そこにあの侍女頭がいた。

地味なワンピースに腰からのエプロンを付けて、真剣に土をいじっている。


(贅沢に慣れた人間だから、物を育てる事が苦手なのか)


小さな花など、誰でも咲かせることは出来るだろう。

そう思いながら侍女頭に近づく。


(いや、‟元”侍女頭か)


自分の間違いに気づき鼻で笑う。

今は汚れた平民だ。

元侍女頭に声をかけようとしたらゆっくりとこっちに振り返った。

僕が誰なのか認識したのか、目を見開き、そしていつもの冷たい視線に代わる。

この視線が癪に障る。


「あら、坊ちゃん。ご無沙汰ですね。今更なんの用でございますか?」

「第一声がそれか。相変わらずだな」

「申し訳ありません。今から性格を変えるのは難しく」

「お前はいつもそうだ。僕の話を聞こうともしないで」

「まあ、坊ちゃんの話で有意義な時間を過ごせたことがございませんので。私も忙しかったのですよ」

「不敬だ」

「申し訳ありません。自覚はしているのですが。で、何の用でございましょう」


冷たい視線は変わらない。

この侍女頭はいつだって何もしていない自分を責めてくる。

元義父や元義姉には従順だったのに、何故か自分にだけ厳しい。


「今日は話をする気があるんだな」

「ええ。時間はたくさん余ってますので」

「今は遊びも世話も何もないからな」

「そうなんですよ。今は約束を守る事だけですね」

「約束?」

「坊ちゃんには秘密です」

「……なぜ?」

「腹が立つので」

「だから何故いつも僕を嫌う。今は嫌われても分かる。お前をここまで落とした一端は僕のせいだ。悪いとは思っていない。勘違いされたら困る。今日僕は謝りに来たのではない」

「……は?」

「しかしお前がその態度なのは、僕があの家に引き取られた時からだ。一体僕が何をしたんだ?」

「本気で仰ってますか?」

「ああ。いつも腑に落ちていなかった。僕はお前に何もしてないだろう?領民もそうだ。僕は虐げたり、拷問などしていない。何もしていないのに冷たい視線ばかりだ」

「貴方は……どこまでも貴方は、坊ちゃんですね」

「どういう意味だ」

「何も知らず、知ろうともせず。呆れて物も言えませんよ」


また馬鹿にされている。

いつもならここで怒って部屋に帰っていた。しかし、ここは屋敷ではないし、なにより今日は殿下の為にここにいる。

憎々しい事に話を続けなければいけない。

良く考えると、今の立場は自分の方が圧倒的に上だ。この女がどんなに辛辣な言葉を言おうが、それは変わらない。


(そう思うと滑稽だよな)


今のこの女の状況を。

喚けば喚くほど惨めになる。

鼻で笑う。

途端に侍女頭の無表情な顔に苛立ちが浮かぶ。


「用がないならお帰りください。今日は人が来るので」

「お前の家を訪ねるような人間なんかいるのか?」

「残念ながら一人だけ」

「珍しい奴だな」

「馬鹿にするだけならお帰りください」


土で汚れた手を伸ばして帰そうとしてくる。

それに下がりながら少し慌てる。


「いや、聞きたいことがあってここまで来たんだ!」

「私がそれに答えるとでも?」

「しかし」

「話すことはありませんよ」

「殿下が!お前と話して来いと!」

「殿下が……」

「そうだ!あの公爵家、いや、元だな。元公爵家の処刑の話を聞いて来いと」


元侍女頭の動きが止まる。

何か考えているように、エプロンで手を拭う。


「殿下はあの処刑は僕たちの力ではないと仰っておられた。何故そう仰ったのかさっぱりだ。だって僕たちが優秀だから情報を得られたし、騎士団を動かせたんだ」


その瞬間、元侍女頭が長いため息を吐いた


「坊ちゃんのそういうところが……。はぁ。わかりました」


こちらを睨みながら元侍女頭は更に口を開く。


「殿下には恩義があります。貴方の為でなく殿下の願いとしてお話ししましょう」


ついと小さな家を指さす。


「今から花を摘もうとしていたので、先に家でお待ちください」

「ああ。いや外でも大丈夫だ。あの家は狭そうだ」

「外では話せないこともあるのですよ。我慢してください」

「……ああ、わかった」


まあそうか。そういう話だから聞いてくるように言われたんだよな。

しょうがないから小さな家に向かう。

音を立てながら扉を開ける。

家の中は薄暗く、意外にも余計な物は何一つない殺風景な部屋だった。

座るところも少なく、部屋の真ん中に机と椅子が2脚。部屋の片側に整えられたベッド。その横に小さい戸棚がある。

しょうがないから椅子に座る。

改めて部屋を見渡す。

殺風景な部屋に唯一の彩なのか、花壇の花が机の真ん中に飾られている。


(まだ瑞々しい花だけど、追加で摘むのか…)


そう思っていると扉が開く。

机上の花より少し多めの花を持った侍女頭が、こちらを一瞥して水場に向かう。

そこで花の根元を軽く洗い、ついでに手も洗って部屋を横切る。

ベッド横の引き出しからリボンを取り出し、目の前の椅子に座った。

ただ何も話さずそれを見つめる。

侍女頭は静かにリボンで花を纏め始める。


「それはここに飾るものじゃないのか」


つい声をかける。

こちらを一瞥して花に目線を戻す。


「ええ。これは今日向かう先に供える花ですよ」

「供える……」

「犠牲になった仲間に供えるのです」

「仲間?なんの仲間だ。また悪だくみでもしているのか?」

「坊ちゃんは何を聞きに来たのですか?あの時の話でしょう?」

「処刑の時の話だ」

「それまでの話でしょう」

「それまで?」


花に向けていた目線を真っ直ぐ僕に向けてくる。

その視線に動けなくなる。


「ええ。あの一家を処刑台に送るのに払った犠牲と我慢、奪われた仲間と抱えた苦しみ。それを聞きに来たのでしょう?」

「……はあ?」




語られた公爵家の悪行。主に元義父の行動。

あの屋敷の隠し部屋。拷問部屋なんてものもあったのか。

そこの掃除を命じられるメイド達の恐怖。


「何故メイドは訴えなかったんだ」

「どこにですか?どこに訴えたら良かったのでしょう」

「司法に」

「言い換えましょう。訴えに行った者も数名いましたよ。その日のうちに処刑台に立たされておりました」

「は?」

「訴えた内容は全てその者がやったこととして、斬首でもなく苦しんで苦しんで死んでいく方法で処刑されておりました。殺されずに訴える場所はどこにあったのでしょうか」


言葉を失う。

司法が駄目ならどこに訴えれば良いのだ。

いや、でも僕は処刑されなかった。


「まあでも、この辺りは働いていた者は全員知っていますから」

「僕は知らなかった」

「お嬢様がお伝えしてましたよ?貴方は怒るばかりで話になりませんでしたが」

「そうだったか……?」

「お嬢様は言葉足らずなのです。坊ちゃんの事も大事にしてましたよ。覚えてますか?坊ちゃんが熱でうなされて動けなくなった夜」

「熱?いや何も」

「まだ幼い頃です。まだ坊ちゃんを認めるかどうかの時。知恵熱でも出したんですかね」

「馬鹿にしているのか」

「いえ、ただお嬢様は不器用だと再認識した夜でした。あの夜、誰も坊ちゃんの看病をしたくないと投げ出して」

「初めて聞いたが」

「意識がありませんからね。黙って聞いていただけます?」

「ああ、そうか」

「夜中お嬢様は坊ちゃんの部屋にお水を持って向かわれて、起きない坊ちゃんに戸惑われておりました。水も飲めず、意識も戻らず。幼いお嬢様に出来るのはただ頭を撫でるだけで」

「頭を……撫でる?」

「ええ、ただただ頭を撫でておりました。しばらくして水には蓋をして部屋に戻られましたが」


頭を撫でる。

少し前の事を思い出す。今の義兄に撫でられた感覚。初めてではない気はしていた。まさか元義姉が?


(いや、だから何だというんだ)


「マークとクレアが殺された夜もそうでした。ベッドの中で声も出さず一晩中泣いておられた。朝起きたら目元が少し腫れていて。慌てて冷やしました。そういう私も腫れていたのでしょうね。お嬢様にタオルを渡されましたよ。けれどお嬢様は決して人前では泣かず、喚かず感情を抑えておられた。もう立派な大人ですね」

「マークとクレア?」

「資料にありませんでしたか?ダグと最初に立ち上がった二人です。道半ばに公爵に殺されてしまった」

「ダグ……」

「名前も覚えておりませんの?領民のリーダーとして、殿下とお話していた者がいたでしょう?」

「ああ、あの男か」


鼻で笑う。


小汚い格好のまま殿下の前に現れるから好かなかったが、有力な情報をくれたあの平民。


「坊ちゃんは、旦那様を嫌ってましたよね」

「ああ、元義父をな。当たり前だろう」

「ええ、当たり前ですね。誰もが旦那様を嫌ってました」

「それより、どうしてその三人と繋がりがあるんだ?」


ため息をついて立ち上がる。

そのまま小さな布を水に濡らして戻ってきた。

静かに花の根元に布を巻く。


「街をご覧になりました?」

「ああ」

「何か気づきませんでしたか?」

「何か?ああ、そういえば陰気臭い入口の布がなくなっていたな。あれはこの地域の習慣ではなかったのか」

「気づいたんですね」


元侍女頭が冷笑を浮かべる。


「あの布は、公爵家が街に行く日にかける合図です。そして、犠牲になった者の家の布をずらす。その家の人間なのか、一家で連れていかれた時は近所の中でこちら側の人間が。それを別の仲間が確認して知らせるのです」

「言えば良いじゃないか」

「誰が公爵に話すかわかりません。こちら側を知らせないためには、言葉を出さないのが一番ですよ」

「なるほど。それで、連れていかれたのを知らせてどうするんだ?」

「荒業ではありましたが、たまに救い出せるので」

「救い出す」

「ええ。後の機嫌は悪くなりますが、そこはお嬢様や周りのごますり野郎共がなんとかしてましたね」


疑問が浮かぶ。

公爵家の予定は最重要機密だった。

いつ襲撃されるか分からなかったから、元義父も隠したがっていた。


「どうして民はあの男が行くことを知っていたんだ」

「簡単ですよ。お嬢様が私を通じてダグに知らせてましたから」

「……はあ?」

「連れていかれた者がいた時は、ダグ側で合図を送り、私が確認してお嬢様に知らせていました。そこから道順を導き出して、馬車や道に細工したり?まあ、色々やりましたね」

「ありえない」

「そうですか?」

「だってあいつはそんなに優しい人間ではないだろう」

「優しくはないですよ。ええ、勿論。それは私もダグもです。優しいだけの人間にはなしえない事です」


少し微笑みながらも懐かしむように手元の花を見つめる。

自分を忘れたようなその態度に、今まで黙っていた事実に腹が立つ。


「だが、あの女も犯罪者だ」

「だから処刑されたのです」

「許されるものではない」

「そうですか」

「そうだ。あいつも気分次第で人を死に追いやっていた!」

「いいえ」


言葉が止まる。

否定された。

だってあの女、顔が嫌いだと追いやった人もいた。

元侍女頭を見る。

視線が合う。


「いいえ。お嬢様は選んでおりました。誰を殺したら効率が良いか」

「……効率」

「ええ、大体は旦那様の取り巻きです」


取り巻き。そんなの多かった。パーティーに参加する者はほとんど取り巻きみたいな者だった。

そこでもいきなり怒り出し、数名国外へ追放していた。

他にも無礼だとその場で取り押さえて、後日処刑台へ連れていかれた者もいる。


「追い出した人の中には、旦那様に人質を取られ脅されて離れられず苦しんでいる者もおりましたね」

「いや、あいつは気分や快楽で人を」

「いい加減にしてくれませんか」


……怖いほど無表情だ。

いや、目だけが怒りで揺れている。

いつもは冷めた馬鹿にしているような目だった。

こんな目は初めてだ。


「お嬢様は快楽で民を殺めたりしませんよ。いつも処刑に追いやっていたのは、民を苦しめる旦那様の取り巻きでした。その中でもやりすぎた者や、目的に邪魔な者。自分の事しか考えない悪魔みたいな、そんな人ばかりでした」

「……目的ってなんなんだよ」


なんとなく分かってきた。でも分からない。分かりたくない。それなら何故処刑台に行ったのか。


「お嬢様の目的は、旦那様、奥様、そしてお嬢様自身を処刑台に送る事でした」


本当に、そうなのか。

あの処刑で得をした人間は、義姉だったのか……


「その為に、ダグや私が動きました。知っていますか?お嬢様は5歳の頃から分かっていましたよ」


まさか、そんな小さい頃から?


「仲間が殺されても涙を見せず、寝る間も惜しんで情報を集めて、少しでも多くの民を救おうと足掻いていました。坊ちゃんは?何をしてましたか?」

「僕は……なにも」

「ええ、何もしませんでしたね。誰一人救おうともせず、ただ過ごしていました。せっかく

旦那様がどのような人なのか教えてあげていたのに」

「だって何もできなかった」

「本当に?お嬢様はずっと救ってました。それでも全員は無理だった」


(殿下、僕が見てきた物はなんなのでしょうか……)


「坊ちゃんが動けば救えた命もありましたよ」


自信が揺らぐ。

今までの価値観が崩れそうになる。


「捕まえやすいように資料もまとめて、わざと机の上に置いていても、貴方は読みもしないで通り過ぎる。私たちがパーティーだと家から離れても、何もしないで早々にベッドに入る。その間にも民は苦しんでいるのに。貴方は全てに目を閉じ、耳をふさいで。一体何をしていたの?」

「知らなかった」

「知ろうともしなかったからこんなにかかったのです。殿下がいなければもっとかかっていたでしょうね」


殿下が……。そうだ。結局自分たちだけではどうしようもなかったじゃないか。

僕が動いても変わらなかった。


(何を偉そうに)


国が、殿下が動かないとダメだった。

結局は人任せだと鼻で笑った。


「それを止めなさい!」


いきなり怒声を浴びせられる。

呼吸が止まり、汗がつたった。

声を荒げて怒ったところを見たことがない。

どこか冷めた態度、従順に頭を下げる、そういう人間だったはず……。


「貴方は旦那様を嫌っているけど、あの家で一番旦那様に似ていたのは貴方でしたよ」

「……え?」

「あらゆるものを鼻で笑って!嫌いな人と癖って似るものでしょうか?貴方が鼻で笑う度に旦那様が重なって殺したくなる」


何も言えなくなる。

癖?え、癖が元義父と一緒?


「いいえ。癖だけじゃない。精神性もとても似てる。常に平民を下に見て、誰がいなくなっても気づきもしない!屋敷で働いていた人間の何人の名前を言えますか?洗濯婦の名前は?料理人の名前は?庭師の名前は?貴方は何人言えますか?」


使用人の名前?

そんなの覚えてない。

身近な者以外、覚える必要性を感じなかった。


「お嬢様は全員の名前を覚えてました。旦那様の犠牲になったらすぐに気づいてました。使用人もちゃんと人なのだと分かってくれていた。旦那様も貴方も私たちなど壁の染み程度だったのではないですか?ああもしかしてもう私の名前も忘れましたか?」

「リサだろう」

「ええそうですね。私はリサです。ちゃんと覚えてたんですね」

「お前の名前はわかる」

「私を覚えているのはお嬢様のそばにいたからでしょう?」


反論出来ない。

そうだ。いつも二人でいたから。元義姉が呼んでいたから。


「貴方の精神性を感じるたびに、鼻で笑う度にあの時の憎しみを、苦しみを思い出すのです。知ってますか?あの屋敷で大切な人を奪われていないのは貴方だけですよ」


耳を塞ぐことも出来ない。


「皆が罪を犯しました。皆加害者で、そして被害者でした。あの狂った屋敷でどうしたら良かったのでしょう」

「それは」

「罪を犯さなければ死ぬのは自分です。誰も助けてくれない。そんな世界だったんです。貴方は!……坊ちゃんはお嬢様に守られて気づいてませんでしたね」

「守られて?」

「それすらも気づいていない。だから貴方は坊ちゃんなんですよ。甘えたお坊ちゃんです」


何も言えない。

こんなに馬鹿にされているのに、リサの手と足が震えている。目元は潤んで、それでも真っ直ぐ僕を睨む。


沈黙が続く。

ただ、花に巻いた布から落ちる水の音しか聞こえなくなっている。


「今更です」

「……え」

「今更言っても誰も帰っては来ません。マークもクレアも……お嬢様も。もう十分話したでしょう。これ以上は話したくありません」

「……最後に一つだけ教えてほしい」

「聞くだけ聞きましょう」

「リサ、お前と義姉は誰を奪われたんだ」

「……教えません。坊ちゃんには絶対に」

「何故」

「腹が立つので」


何も知らなかった自分に呆れる。

腹が立つ。

それにはこんなにも思いが詰まっていたのか。

そしてこれはリサの意地でもあるのだろう。


「わかった」


静かに立ち上がる。

自分は何も知らなかった。それでは駄目だった。知ろうとしなければいけなかった。いや、知っていなければいけなかった。


(本当に今更だ。でも今から変えていこう)


「リサ、今日は邪魔した。また来る」

「二度と来なくて大丈夫です。顔を見せないでください」

「今後も僕の悪いところを教えてほしい」

「いいえ。もう話はしません。帰ってください」

「では手紙を書こう」

「破り捨てます」


また鼻で笑いそうになり、息を止める。


(危ない。この癖もなくさないと)


見送りはない。

静かに扉を閉めて馬車に向かう。

当たり前のように馬車が止まっていて、御者が馬の世話をしている。

これが通常なんだ。

怯えて、泣いて、罪を犯すのは異常だ。


では異常の中に生きる人間は?

対抗する力のない人間は?

声を上げる場所がない人間は?


……それも罪になるのか?


御者に声をかけ、馬車に乗り込む。

しばらくして走り出した。

揺れが激しい。しかし、もう気にしていられない。


(罪を犯したら犯罪者だ。だけど……)


そうしなければいけなかった。そういうこともあるのだろう。

知っていながら黙っているのも、そうしなければいけなかった事情があるのだろう。

どうしても法律は正義だと考えてしまう。もうこれは変えられない。

でも、正義の中にも隙間がある。元義父は悪い方に使ったけれど、自分は殿下の為に。

より良い未来の為に知っていこう。


(疲れた)


今日は根幹が揺さぶられて精神的にもやられた。でもまだ昼過ぎだ。帰宅したら父上のところに話を聞きに行こう。

僕の知らない話を聞きたい。領の話も。

世の中知らないことばかりだ。


(そういえば……)


熱で浮かされた時、少しだけ意識が戻る時があった。

頭を優しく撫でられて、誰が撫でているかと思って目を開けた。

視界がぼやけてよく見えなかったけど、心配そうな綺麗な瞳と見つめあった気がする。

あれは


「そうか。あれは姉様だったんだ」


出会った頃の呼び方で、敬意を込めて。

こみ上げるものを押し戻すように、強く目を閉じる。

姉様、何も知らなくてごめんなさい。

この領を守ってくれてありがとう。


(殿下に報告しないとな)


少し憂鬱になりながら窓の外を眺める。

街は相変わらず賑やかで、笑い声が聞こえる。

皆が顔を上げて歩いている。


この風景を作ったのが姉様なのか……。


「すごいな」


僕に出来るだろうか……。

いや、やらないといけないんだ。

姉様は公爵領だけだったかも知れないが、僕は国なんだ。

一番大変なところは姉様が片付けてくれた。

だから


「しっかり知っていかないと」


自分はまだ未熟者だと思い知った。何から始めたら良いのか分からないけど、目の前の課題から始めよう。

姉様が救ったこの街が、この国が更に発展していく為に動ける立場にいるのだから。

きっと殿下となら間違えない。いや


「間違えても気づいていけるはず」


誓おう。

何を誓うかも分かっていないけど。

もっと良い王国になるように。

姉様に、殿下に。


笑い声の響くこの街に。

お読みいただきありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
1作目、2作目は大好きで何度も読み返していましたが、こちらの話は信じられないほどの蛇足で、前作までとの整合性も取れておらず読まなければよかったと後悔しました。
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