選ばれる日
掲示板に貼られた紙は、思ったよりも小さかった。
でも、その文字は、やけに重たく見えた。
「歩道橋再開発 最終判断説明」
白石は、紙の前で立ち止まったまま動けずにいた。
指先が、無意識に丸まる。
「今日、か」
背後から、黒沢の声がした。
「……ああ」
二人並んで、紙を見る。
肩が触れそうな距離。
でも、もう避けない。
「結果、もう決まってる気がする」
白石の声は、低かった。
「だろうな」
黒沢は、淡々と答えた。
「会議は、形だけだ」
白石は、少し笑った。
「前ならさ、
“分かりました”って言ってたと思う」
「今は?」
「……分からない」
正直な答えだった。
説明会は、前より人が多かった。
年寄り、学生、子ども連れ。
橋を“使ってきた人”の顔が、そこにあった。
職員が前に立つ。
「安全性、予算、利便性を総合的に判断し——」
白石は、途中から聞いていなかった。
隣に立つ黒沢の呼吸だけが、やけに近い。
「撤去の方向で、進めます」
空気が、落ちた。
誰もすぐには声を出さない。
それが、この町の癖だった。
白石は、一歩、前に出た。
——来た。
視線が集まる。
昔なら、胸が張っていた場所。
「……納得、出来ません」
ざわり、と空気が揺れる。
白石は、深く息を吸った。
「便利かどうかじゃない。
ここで暮らしてきた時間を、
数字で切らないでほしい」
言葉は、きれいじゃなかった。
でも、逃げなかった。
黒沢は、その一歩後ろで、立っていた。
職員が困ったように言う。
「感情論では——」
「感情です」
黒沢が、言った。
会場が、はっきりとどよめいた。
「生活は、感情で出来てる」
黒沢は、前を見ていた。
逃げない目。
「危ないなら、直す方法を考えればいい。
壊すのは、最後だ」
白石は、振り返らなかった。
後ろに、ちゃんと人がいると分かっていたから。
「ここを使ってる人、
今日、これだけ集まってる」
白石は、会場を見回した。
「それが答えじゃないですか」
沈黙。
長い、長い沈黙。
やがて、職員が言った。
「……再検討します」
完璧な言葉じゃない。
約束でもない。
でも、白紙に戻った。
説明会が終わり、人がばらける。
外は、夕暮れだった。
歩道橋の下で、二人は立ち止まる。
「……疲れた」
白石が言う。
「俺もだ」
黒沢は、正直だった。
白石は、空を見上げた。
「結果、どうなるか分からないな」
「……ああ」
「それでもさ」
白石は、手すりに触れた。
「今日は、ちゃんと立ってた気がする」
黒沢は、少しだけ頷いた。
「声、出してた」
「一人じゃなかったし」
黒沢は、ゆっくり言った。
「……それが、一番だ」
橋の上を、誰かが渡っていく。
足音が、二人分、三人分、重なっていく。
選ばれる日だった。
でも、選ばれたのは、橋だけじゃない。
黒と白は、
もう、役割じゃなかった。




