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黒山羊さんと白山羊さん  作者: 櫻木サヱ


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声を出す場所

町内会館の蛍光灯は、少しだけちらついていた。

夕方六時。

仕事終わりの大人たちが、無言で椅子に座っている。

古い床は、足音をやけに大きく反響させた。


白石は、入口近くの席に座っていた。

背筋を伸ばし、両手を膝に置く。

いつもの姿勢。

いつもの“白石くん”。


視線が集まるのを、肌で感じる。


「今日は、再開発についての説明会です」


前に立つ職員の声が、淡々と響く。


「歩道橋は老朽化が進んでおり、安全面を考慮して撤去——」


ざわり、と空気が揺れた。


「代替ルートは、少し遠回りになりますが——」


白石は、唇を噛んだ。

少し、じゃない。

毎日使っている人にとっては、生活が変わる距離だ。


手が、自然と上がりかける。

——いつもなら、ここで意見を言う。

丁寧に、角が立たないように。


でも、胸の奥が、重い。


「白石くん、どう思う?」


予想通り、名前が呼ばれた。

期待の色をした視線が集まる。


白石は、息を吸った。

そして、少しだけ、黙った。


「……俺は」


言葉が、喉で止まる。


“白石くんが言うなら”

その先が、もう見えてしまう。


その瞬間、後ろの席から、低い声がした。


「反対です」


ざわめきが、はっきりと広がる。


黒沢だった。


背中を丸め、視線を床に落としたまま。

それでも、声は確かだった。


「……あの橋があるから、仕事に間に合ってる人がいる」


誰かが、ひそひそと囁く。


「黒沢?」「あの無愛想な?」


黒沢は、一瞬だけ拳を握り、続けた。


「安全の問題なら、直せばいい。

なくす理由には、ならない」


職員が戸惑ったように言う。


「ですが、費用が——」


「費用の話なら、協力する」


白石は、思わず振り返った。


黒沢は、顔を上げていなかった。

でも、その背中は、逃げていなかった。


「俺の工房で、補修の設計は出来る。

材料だって、全部新品じゃなくていい」


会場が、静まり返る。


誰かが、呟いた。


「黒沢が、喋ってる……」


その言葉が、胸に刺さったはずなのに、

黒沢は、言葉を止めなかった。


「俺は、黙ってるのが楽だった」


初めて、黒沢が本音を口にする。


「でも、黙ってる間に、

必要なものが、勝手に消えていく」


白石の喉が、熱くなる。


「……橋は、通路じゃない」


黒沢は、ゆっくり息を吐いた。


「生活だ」


しん、とした空気の中、

白石が、立ち上がった。


「俺も、反対です」


声が、少し震えた。

でも、逃げなかった。


「今まで、俺が言うと、

みんな“いい案だ”って言ってくれた」


自嘲気味に笑う。


「でも今回は、俺が言う前に、

言ってくれた人がいる」


白石は、黒沢を見た。


「一人で決めないでほしい。

この町のことだから」


視線が、分散していく。

一人に集まっていた期待が、少しずつ解けていく。


沈黙のあと、年配の女性が口を開いた。


「……私も、あの橋、使ってる」


「俺もだ」


「子どもが通る」


声が、連なり始める。


職員は、深く息を吐いた。


「……意見として、持ち帰ります」


完璧な勝利じゃない。

でも、確実に、何かは変わった。


会館を出ると、空は薄暗くなっていた。

街灯が、歩道橋を照らしている。


白石は、しばらく黙ってから言った。


「……ありがとう」


黒沢は、肩をすくめた。


「白石が黙ったからだ」


白石は、小さく笑った。


「俺、初めてさ。

“いい人”じゃない顔、した」


「……悪くなかっただろ」


「うん」


二人は、歩道橋の下で立ち止まる。

見上げると、いつもの鉄骨がある。


「声、出してよかった?」


白石の問いに、黒沢は少し考えてから答えた。


「……怖かった」


正直な答え。


「でも、橋よりは、落ちなかった」


白石は、息を吐いて笑った。


黒と白は、並んで立つ。

どちらかが前に出るでもなく。


橋は、まだ、そこにある。

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