白い人、黒い人
昼下がりの商店街は、午前中の喧騒を嘘みたいに忘れていた。
シャッターの半分閉まった店、色褪せたポスター、風に揺れるのぼり。
白石は、トートバッグを肩に掛け直しながら、ゆっくり歩いていた。
「白石くん、さっきのありがとうね」
八百屋の女将が、店先から声をかけてくる。
「いえいえ。重そうでしたし」
白石は笑って手を振る。
その仕草も、声の高さも、もう身体に染みついている。
——優しくて、いい子。
そう言われるたび、胸の奥で小さく何かが擦れる。
でも、今さら訂正の仕方なんて分からない。
白石は角を曲がり、工房の前で足を止めた。
木の匂いが、通りにまで流れている。
扉の奥から、規則正しい音が聞こえた。
コン、コン、コン。
黒沢だ。
ガラス越しに見える背中は、黙々と作業を続けている。
誰にも見せない集中の姿。
白石は、なぜか息を整えてから、扉を開けた。
「邪魔する」
音が止まる。
黒沢が振り返り、驚いたように目を見開いた。
「……白石?」
「今、いい?」
「……ああ」
工房の中は、静かだった。
木屑が床に散り、削りかけの板が並んでいる。
生活感よりも、仕事の気配が強い場所。
「相変わらず、落ち着く匂いだな」
白石がそう言うと、黒沢は少しだけ眉を寄せた。
「……そうか?」
「うん。ここに来ると、ちゃんと呼吸できる」
その言葉に、黒沢は何も返さなかった。
代わりに、視線を作業台へ戻す。
「何か用か」
「用ってほどじゃないけど」
白石は、作業台の端に置かれた椅子に腰を下ろした。
「今日、橋で話したこと……さ」
黒沢の手が、一瞬だけ止まった。
「俺、ああいうこと言うの、初めてで」
「……そうか」
「黒沢はさ、どうして何も言わないの」
刃物を置く音が、少しだけ強く鳴った。
「言っても、変わらない」
短い言葉。
でも、重い。
白石は、視線を床に落とした。
「俺ね、期待されるのが嫌なのに、
期待されない自分は、もっと怖い」
黒沢は、ゆっくりと白石を見た。
「……白でいるの、やめたらいい」
「それが出来たら、楽だよ」
白石は苦笑する。
「でもさ、“白石くんが言うなら”って、言われると、
断れなくなるんだ」
沈黙が、工房に落ちる。
外を通る車の音が、遠くで響く。
「……俺は」
黒沢が、ぽつりと言った。
「最初から、期待されなかった」
白石は、息を呑んだ。
「だから、黙ってる方が楽だ」
白と黒。
真逆の場所に立ってきた二人。
でも、苦しさの形だけが、よく似ていた。
そのとき、工房の外が騒がしくなった。
「え、橋、なくなるの?」
「再開発だってさ」
通りすがりの声が、はっきりと聞こえた。
白石と黒沢は、同時に顔を上げた。
「……橋?」
白石が呟く。
黒沢は、扉の向こうを見つめたまま、静かに言った。
「なくなるらしい」
白石は立ち上がった。
「それ、困る人多いよ。
通学路だし、年寄りも使ってる」
「でも、決まったら終わりだ」
黒沢の声は、どこか諦めていた。
白石は、拳を握りしめる。
「……俺、動く」
黒沢は、首を振った。
「白石が動いたら、皆、期待する」
「それでも」
白石は、真っ直ぐ黒沢を見た。
「今回は、俺一人じゃやらない」
黒沢は、その視線を受け止めた。
「……俺を、巻き込む気か」
「うん」
即答だった。
黒沢は、しばらく黙ってから、小さく息を吐いた。
「……勝手にしろ」
でも、その言葉の奥に、拒絶はなかった。
工房の外で、風が吹く。
橋はまだ、そこにある。
だが、確実に、何かが動き始めていた。




