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第8話:聖女の祈り

 王都を出発して、五日が過ぎていた。


 セレスティア・ルミナスは、愛馬の背に揺られながら、遥か西の地平線を見つめていた。

 目指すは、嘆きの谷。そして、その手前にあるはずの国境の砦。


 彼女の周囲は、王都騎士団の精鋭百名によって固められている。

 先頭を行くのは、騎士団長ジェラール卿。その顔には、深い疲労と、それ以上の緊張が刻まれていた。


 国境の砦との連絡が、三日前に途絶えたのだ。

 斥候の報告によれば、砦には王国の旗ではなく、正体不明の、引き裂かれた布が掲げられているという。

 最悪の事態。砦は既に「骨の王」を名乗るアンデッドの手に落ちた。

 誰もが、そう確信していた。


「……王女様。これ以上は、危険です。一度、体制を立て直すべきでは……」

 副官の一人が、心配そうに進言する。


 セレスティアは、静かに首を横に振った。

「いいえ、進みます。砦の者たちを、これ以上あの穢れた者たちの好きにはさせません」


 その声には、聖女としての慈愛と、王族としての覚悟が同居していた。

 副官は、それ以上何も言えなかった。


 彼女は、胸のペンダントを握りしめる。

 アレンの彫像が、ひんやりと冷たい。


 ――アレン様。貴方なら、こんな時、どうなさいましたか?


 きっと、彼は迷わなかっただろう。

 民を守るためなら、自らの危険など顧みず、ただ真っ直ぐに、敵へと向かっていったはずだ。

 だから、私も。

 私も、貴方のように、強くありたい。


 やがて、軍勢の行く手に、広大な平原が広がった。

 そして、その中央に、彼らはいた。


 黒い、蠢く塊。

 それは、アンデッドの軍勢だった。

 ざっと見て、百を超える。腐臭と死の気配が、風に乗ってこちらまで届いてくる。

 騎士たちの間に、緊張が走った。誰もが、剣の柄に手をかける。


 ジェラール卿が、大声で命じた。

「全軍、停止! 陣形を組め! 弓兵、前へ!」


 王国騎士団は、練度が高い。

 乱れることなく、すぐさま魚鱗の陣を形成する。盾を構えた重装歩兵が前線を固め、その後ろに弓兵が並んだ。

 セレスティアは、本陣の中央、騎士たちに守られるようにして、その光景を見ていた。


 敵の軍勢も、動きを止めている。

 ただの烏合の衆ではない。そこには、明確な陣形があった。

 前衛にゾンビの壁。後衛に、槍や弓を持つスケルトン。


 そして、その中央。

 一体の、異様なスケルトンが、骨の馬に跨って静かにこちらを見据えていた。

 あれが、「骨の王」。

 その傍らには、報告通り、赤錆の巨鎧を纏ったデスナイトらしき影が控えている。


 空気が、張り詰める。

 先に動いたのは、王国軍だった。


「放て!」


 ジェラールの号令と共に、無数の矢が空を覆い、アンデッドの軍勢へと降り注いだ。

 何体かのゾンビやスケルトンが、矢を受けて崩れ落ちる。

 だが、敵の陣形は、びくともしなかった。


 セレスティアは、馬から降りた。

 そして、両手を胸の前で組み、静かに目を閉じる。

 唇から、祈りの言葉が紡がれ始めた。

 それは、聖教会に古くから伝わる、アンデッドを浄化するための祝詞。


「――穢れし魂よ、偽りの生を捨て、光の御許へ還りなさい」


 彼女の声は、決して大きくはなかった。

 だが、その声は戦場の喧騒を貫き、不思議な力をもって響き渡った。

 彼女の体から、柔らかな、温かい光が溢れ出す。

 光は、波紋のように平原へと広がり、アンデッドの軍勢に触れた。


 その瞬間、変化が起きた。

 前衛にいたゾンビたちが、苦しげな呻き声を上げ、その体が内側から浄化の光に焼かれていく。

 何体かが、塵となって崩れ落ちた。

 後衛のスケルトンたちも、その動きが明らかに鈍くなっている。


「おお……!」

「さすがは聖女様だ!」


 王国騎士たちの士気が、一気に高まった。


 セレスティアは、祈りを止めない。

 彼女の額には、玉のような汗が浮かんでいた。この祈りは、自身の生命力とも言える聖なる力を、大きく消耗するのだ。

 だが、ここで止めるわけにはいかない。

 アレン様が愛したこの国を、民を守るために。


 彼女は、そっと目を開けた。

 そして、敵陣の中央に立つ、あの「骨の王」を見据えた。

 他のアンデッドとは、明らかに違う。

 聖なる光を受けても、彼は微動だにしていなかった。

 ただ、静かに、こちらを見ている。

 その空っぽの眼窩の奥で、蒼い魂の火が、ゆらりと揺れたような気がした。


 ――なぜだろう。

 あの蒼い火に見つめられていると、胸の奥が、ちくりと痛む。

 まるで、遠い昔に失くした何かを、思い出させようとするかのように。


 その、一瞬の戸惑い。

 それを見計らったかのように、敵の王が、動いた。

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