第20話:二つの真実
白壁の街ミリアの東門は、固く閉ざされていた。
セレスティアは馬上で、その静まり返った街を見据えていた。
街の中からは、何の物音もしない。だが、その静寂がかえって不気味だった。
まるで、巨大な獣が息を潜めて、獲物を待ち構えているかのように。
彼女の隣には、異端審問官長ギデオンが、黒馬に跨って並んでいた。
「……どうやら、我々の到着には気づいているようですな」
ギデオンは、つまらなそうに言った。
「ジェラール卿、まずは城門を破られますかな?」
ジェラールは、苦々しい顔でギデオンを一瞥すると、セレスティアに向き直った。
「王女様、ご命令を」
「待って」
セレスティアは、それを制した。
「何か、おかしいのです。街が、静かすぎます」
彼女の脳裏に、あの「骨の王」の、狡猾な戦術が蘇る。
砦での戦い。彼は、陽動と奇襲を巧みに使い分けた。
この静寂も、何かの罠かもしれない。
「……臆したかな、聖女様」
ギデオンが、嘲るように言った。
「所詮は骨の化け物。我ら神の使いの軍勢を前に、震え上がっているだけのこと。――者ども、破城槌を用意せよ!」
ギデオンが、独断で命令を下す。
彼の部下である審問官たちが、手際よく準備を始めた。
その時だった。
街の中央、大通りを、一体のゾンビが、ふらふらとこちらへ向かって歩いてくるのが見えた。
たった、一体。
その異様な光景に、誰もが息を飲んだ。
「……斥候か? あるいは、伝令か?」
ジェラールが、訝しむ。
ゾンビは、何の敵意も見せず、ただ、おぼつかない足取りで歩いてくる。
そして、城門から数十歩手前で、まるで糸が切れた人形のように、その場に崩れ落ちた。
ぴくりとも、動かない。
「……何かの、罠だ。近づくな!」
ギデオンが、鋭く警告する。
だが、セレスティアは、何か見えない力に引かれるように、馬から降りていた。
「王女様!?」
ジェラールの制止も聞かず、彼女は一人、そのゾンビへと歩み寄っていく。
近づいて、分かった。
ゾンビの右手には、一枚の、古い羊皮紙が握られていた。
まるで、これを届けに来たかのように。
セレスティアは、躊躇いがちに、その手紙を抜き取った。
羊皮紙は、二つに折られている。
彼女が、それを開いた瞬間。
凍り付いた。
そこに書かれていたのは、二つの、異なる筆跡だった。
一つは、流麗な、見慣れた文字。
『――親愛なるアレン団長へ……近々、君に直接、極秘の任務を依頼することになるだろう』
間違いない。これは、宰相オルティスの筆跡だ。
なぜ、アレン様への私信が、こんな場所に?
そして、その裏。
そこには、震えるような、しかし、力強い筆跡で、こう書き殴られていた。
『――宰相、魔族と通ず』
セレスティアは、息を飲んだ。
頭を、金槌で殴られたかのような衝撃。
宰相が、魔族と?
馬鹿な。ありえない。彼は誰よりもこの国を愛し、魔族を憎んでいたはず。
これは、あの「骨の王」が、我々を混乱させるために仕組んだ、卑劣な罠だ。
そう、思うはずだった。
だが、彼女の脳裏に、いくつもの疑念が、パズルのピースのようにはまっていく。
アレン様の、不自然なほど少ない矢の数。
私の行動を、先回りするかのような、宰相の親書。
そして、私を、この件から遠ざけようとするかのように現れた、異端審問官。
もし、この手紙が、本物だとしたら。
もし、アレン様たちが、魔族ではなく、宰相の陰謀によって殺されたのだとしたら。
だとしたら、あの「骨の王」は――アレンは、何のために蘇った?
復讐。
その一言が、雷のように、彼女の心を貫いた。
「……聖女様、何と書かれていたのですかな?」
いつの間にか、ギデオンが背後に立っていた。
セレスティアは、咄嗟に手紙を胸に隠した。
この手紙を、この男に見せてはならない。
直感が、そう告げていた。
「……いいえ、何も。ただの、汚れた紙でしたわ」
彼女は、努めて平静を装って、微笑んだ。
「どうやら、我々をからかっただけのようです。行きましょう、皆さん」
その時だった。
街の城壁の上。
そこに、一体のスケルトンが、静かに立っていた。
ボーン・コマンダー。
ロード。
アレン。
彼は、何も言わなかった。
ただ、その蒼い魂の火で、セレスティアを、じっと見つめていた。
その視線は、問いかけているようだった。
――お前は、どちらの真実を信じる?
と。
セレスティアは、胸に隠した手紙を、強く握りしめた。
彼女の心は、二つの真実の間で、激しく引き裂かれていた。
国が教える「英雄の物語」と。
今、骨の王が突きつけた「裏切りの物語」。
彼女の選択が、これから、この国の全てを変えることになる。




