第19話:影と影
駐屯地の奥。
そこは、かつて騎士団長だった男の私室だった。
アレン・ウォーカーの部屋。つまり、俺の部屋だ。
部屋は、荒らされていた。
あのネクロマンサーが何かを探していたのか、あるいは、俺の死後、誰かが意図的に物色したのか。
引き出しは開け放たれ、床には羊皮紙が散らばっている。
他に、めぼしいものはなかった。
机の引き出しの奥に、鍵のかかった小さな木箱が残されているのを、俺は見つけた。
俺は、ミノタウロスの腕力で、その箱をこじ開けた。
中に入っていたのは、一冊の、古い日記だった。
表紙には、アレンの父親の名が記されていた。
先代の、白銀のグリフォン騎士団長。
俺は、ページをめくった。
そこには、騎士としての葛藤や、家族への想い、そして、若き日のオルティスについての記述があった。
『――オルティスは、聡明な男だ。だが、その瞳の奥には、時折、底知れぬ闇がよぎることがある。彼は、力を求めすぎている。国を守るための力ではなく、彼自身の劣等感を埋めるための、渇望に近い何かを』
父親は、見抜いていたのだ。オルティスの、本質を。
日記を読み進める。
そして、最後の方のページに、俺は信じられない記述を見つけた。
『――宰相が、魔族と密会している、との情報が入った。馬鹿な。何かの間違いだ。だが、もし、それが真実だとしたら……。この国は、内側から腐り落ちることになる。俺が、止めなければ』
そのページは、そこで終わっていた。
おそらく、この直後、彼は何らかの事件に巻き込まれて、命を落としたのだろう。
事故死として、処理されたと聞いている。
だが、これは。
俺は、床に散らばっていた羊皮紙に、再び目をやった。
その中に、一枚だけ、差出人の名がない手紙が混じっていた。
『――親愛なるアレン団長へ。君の忠義には、いつも感謝している。さて、例の件だが、君の懸念はもっともだ。私も、国境付近の魔族の不穏な動きについては、憂慮している。近々、君に直接、極秘の任務を依頼することになるだろう。その時は、頼んだぞ』
俺は、この手紙と、父親の日記を、並べて見比べた。
極秘の任務。魔族との密会。
そして、この流麗でありながら、どこか計算高い文字。
――この手紙を書いた人物こそが、父親が警戒し、俺たちを罠に嵌めた張本人。
記憶はない。だから、断定はできない。
だが、魂が、この骨の髄が、確信に近い何かを叫んでいた。
これは、あの男が書いたものだ、と。
宰相、オルティス。
脳裏に、柔和な笑みを浮かべた男の顔が、フラッシュバックする。
ピースが、はまった。
その時だった。
《団長、斥候より報告!》
バルドの、切羽詰まった思念が飛び込んできた。
《……街の東門より、二つの軍勢が接近中!》
斥候のスケルトンが見た映像が、俺とバルドの頭の中に直接流れ込んでくる。
一つは、見慣れた王都騎士団の軍旗。聖女の部隊だ。
問題は、もう一つの方だった。
全員が、漆黒のプレートアーマーに身を固め、その胸には**白銀の天秤**の紋章が刻まれている。彼らが掲げる旗もまた、黒地に天秤。その装備は、通常の王国軍とは明らかに異質だった。
その紋章を見た瞬間、バルドの魂が激しく動揺した。
《……あの旗印……間違いない……!》
彼の思念には、恐怖と、そして深い嫌悪が混じっていた。
《――**聖教会の異端審問官**です! なぜ、奴らがこんな場所に……!?》
異端審問官。
聖教会の、狂犬どもか。
俺の記憶にはない。だが、バルドの魂から伝わってくる情報で、それがどのような連中なのかは理解できた。神の名の下に、あらゆる非道を許された、もう一つの「法」。
オルティスめ、騎士団だけでは飽き足らず、教会の犬までけしかけてくるとはな。
《団長、どうなさいますか! ここは、もはや袋の鼠……!》
《……いや》
俺は、静かに首を振った。
《好都合だ》
俺は、駐屯地の窓から、街を見下ろした。
住民たちは、まだ家に閉じこもったままだ。
だが、彼らも、いつまでもそうしているわけではないだろう。
俺は、バルドに命じた。
《お前は、残りの者たちを率いて、この街の地下水道を通って脱出しろ。そして、王都近郊の森で、俺を待て》
《なっ、では、団長は!?》
《俺は、奴らを引きつける。そして、確かめたいことがある》
俺は、一体のスケルトンを呼び寄せた。
斥候として使い、喰らった、若い兵士のなれの果てだ。
俺は、そのスケルトンの頭蓋骨に、思念を送り込んだ。
《――お前の知る、王都の地理を、全て俺に渡せ》
スケルトンの記憶が、俺の中に流れ込んでくる。
大通り、裏路地、下水道、そして、城の構造。
完璧な地図が、俺の頭の中に描き出された。
俺は、先ほどの差出人不明の手紙を手に取った。
そして、その裏に、父親の日記から見つけた、決定的な一文を書き記す。
『――宰相、魔族と通ず』
俺は、その手紙を、一体のゾンビの手に握らせた。
そして、そのゾンビに、最後の命令を下す。
《――街の中央広場へ行け。そして、聖女の前に、これを落とせ》
ゾンビは、ぎこちない足取りで、闇の中へと消えていった。
影が、影を操る。
俺は、この街を、巨大な盤面に見立てていた。
さあ、ゲームの始まりだ。
聖女と、審問官と、そして、亡霊の俺。
この盤の上で、最後に笑うのは、誰か。




