第18話:異端審問官
セレスティアの追跡行は、困難を極めていた。
あの「骨の王」は、狡猾だった。
街道をまっすぐ進むかと思えば、森の中の獣道へと分け入り、追手の気配を察すると、川を渡って匂いを消す。
まるで、手練れの斥候のように、追跡のセオリーを熟知しているかのようだった。
――これも、アレン様が教えてくださったことだわ。
皮肉なことだった。
彼女が今、追跡の指揮を執る上で役立っている知識のほとんどは、かつてアレン本人から教わったものだったのだ。
「王女様、斥候より報告です! 『骨の王』の軍団、白壁の街ミリアに入ったものと思われます!」
ジェラール卿が馬を寄せて告げた。
「ミリア……。あそこには、かつて白銀のグリフォン騎士団の駐屯地が」
やはり。
彼の目的は、破壊だけではない。彼は何かを探している。
自分自身の、過去を。
セレスティアは、唇を噛んだ。
急がなければ。
このままでは、ミリアの街が、あのアンデッドの軍勢によって蹂躙されてしまう。
そして何より、これ以上彼に過去を思い出させてはならない、という奇妙な焦りが、彼女の胸を焼いていた。
彼が全てを思い出してしまったら、その魂は、憎悪と絶望で、今度こそ完全に砕け散ってしまうかもしれない。
そんな、予感がした。
「全軍、進路をミリアへ! 急ぎます!」
彼女が号令を下した、その時だった。
地平線の彼方から、一団の騎馬隊が土煙を上げてこちらへ向かってくるのが見えた。
王国の旗だ。だが、その意匠は、王都騎士団のものではなかった。
黒地に、白銀の天秤。
聖教会の、教皇直属の番犬。
「――異端審問官……!?」
ジェラールが、忌々しげに呟いた。
騎馬隊は、瞬く間にセレスティアたちの前にたどり着くと、見事な手綱さばきで馬を止めた。
先頭に立つのは、全身を黒い鎧で固めた、冷徹な貌の男だった。その瞳は、罪人を裁くこと以外、何の感情も映さないかのように冷え切っている。
異端審問官長、ギデオン。
「これは、これは、聖女様。このような辺境でお会いするとは、奇遇ですな」
ギデオンは馬上で、尊大に片手で会釈をした。
その態度は、王女に対するものとは到底思えない。
「我々は、オルティス宰相閣下からの密命を受け、かの『骨の王』を追っておりまして」
「宰相閣下から……?」
セレスティアは、眉をひそめた。
自分に何も知らせず、別の部隊を?
ギデオンは、まるで彼女の心を見透かしたかのように、薄い唇の端を吊り上げた。
「ええ。なにせ相手はアンデッド。我ら異端審問官の、専門分野ですのでな。王女様のお手を煩わせるまでもない、とのお考えでしょう」
その言葉には棘があった。
お前たちのような世俗の騎士団では役不足だ、と言外に告げていた。
ジェラールが、怒りに顔を赤らめる。
「貴様、聖女様に対して、何たる無礼な……!」
「おや、これは失敬」
ギデオンは全く悪びれる様子もなく肩をすくめた。
「して、聖女様。今後のことですが、この件は我々審問官が一任させていただく。貴女様は速やかに王都へご帰還なさいますよう、宰相閣下より、伝言を預かっております」
「……なんですって?」
それは、命令だった。
宰相は、セレスティアを、この追跡行から外そうとしている。
なぜ?
私が、何か彼の不都合なことに気づきかけているとでもいうのだろうか。
セレスティアは、毅然として言い返した。
「お断りします。あのアンデッドの浄化は、聖女であるわたくしの務め。誰にも、譲るわけにはまいりません」
「ほう」
ギデオンの目が、面白そうに細められた。
「……妙ですな。聖女様は、かの『骨の王』に、何か特別な思い入れでも?」
鎌をかけるような、ねっとりとした問い。
セレスティアは、息を飲んだ。
この男は探っている。
私が「骨の王」の正体に気づいているのではないかと。
宰相は、全てを知っているのだ。
「……何を、仰いますか」
セレスティアは努めて冷静に、微笑んでみせた。
「あれは英雄アレン様の魂を穢す、不届きな魔物。一日も早く、光に還して差し上げたい……そう、思うだけです」
完璧な、聖女の答え。
ギデオンは、しばらく無言で彼女の顔を見つめていた。
やがて、彼はふっと興味を失ったように鼻を鳴らした。
「……よろしいでしょう。ならば、ご同行いただいても構いませぬ。ただし」
彼の声が、再び冷徹な響きを取り戻す。
「我々の邪魔だけは、なさらないでいただきたい。あれは、もはや救うべき魂などではない。ただ、滅殺すべき、異端の怪物ですのでな」
その言葉は、セレスティアの胸に、冷たい釘のように打ち込まれた。
この男は、躊躇しないだろう。
あの「骨の王」を、アレンを、木っ端微塵に破壊することを。
それだけは、させられない。
絶対に。
こうして、奇妙な共同戦線が張られることになった。
聖女の騎士団と、異端審問官。
水と油のような二つの集団は、同じ目的地を目指しながら、互いに腹の底を探り合っていた。
セレスティアの旅は、今や、外なる敵と、そして、内なる敵との、二正面作戦を強いられることになったのだ。




