第17話:ペンダントの記憶
駐屯地の跡地は、罠の巣だった。
黒いローブの男――オルティスが差し向けたネクロマンサーは、この場所を自らの工房へと作り変えていた。
地面からは骨の手が突き出し、こちらの足首を掴もうとする。建物の影からは、おぞましい縫合アンデッドが、錆びた刃物を振り回しながら襲いかかってきた。
「ククク……良いぞ、良いぞ! もっと踊れ、骸の王よ!」
ネクロマンサーは、後方で黒曜石の杖を掲げ、甲高い声で笑っている。
その杖から放たれる紫色の魔力が、アンデッドたちを操っているらしかった。
《団長、あいつを叩きます!》
バルドが、巨体に見合わぬ速さで突進しようとする。
だが、その進路を、三体のキメラ・アンデッドが塞いだ。
《――下がれ、バルド!》
俺は思念で制止する。
《こいつらの狙いは、俺だ。お前は、周りの雑魚を片付けろ》
俺は、自らネクロマンサーへと向かって駆け出した。
当然、縫合アンデッドたちが壁となって立ちはだかる。
一体が、鎌のような腕を振り下ろしてきた。
俺は、それを新しく得たミノタウロスの骨腕で受け止めた。
ガキン、と硬い音がして、相手の鎌がへし折れる。
力が、違う。
俺は、そのまま腕を振り抜き、アンデッドの胴体を粉々に粉砕した。
「ほう……! 素晴らしい力だ! それほどの魂、是非とも我がコレクションに加えたい!」
ネクロマンサーは、興奮したように叫ぶ。
どうやら、こいつは俺を殺すのではなく、捕獲し、操り人形にするつもりらしい。
どこまでも、胸糞の悪い話だ。
俺は、敵の死体を踏み越え、ネクロマンサーとの距離を詰めていく。
あと、十歩。
その時、俺の足元で、地面に描かれていた魔法陣が、禍々しい光を放った。
しまった。
「かかったな、愚か者め!」
魔法陣から、無数の黒い鎖が飛び出し、俺の四肢に絡みついた。
魂そのものを縛り付ける、拘束魔術。
体が、鉛のように重くなる。動きが、鈍る。
「クハハハ! これで終わりだ、骨の王! 貴様の魂は、我が主オルティス様への、極上の献上品としてくれるわ!」
ネクロマンサーが、勝利を確信して、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
俺は、鎖を引きちぎろうと藻掻くが、それは俺の魔力を吸い取り、さらに強く締め付けられるだけだった。
まずい。
このままでは――
その時だった。
俺の胸の奥で、何かが、カッと熱くなった。
肋骨の隙間にしまい込んでいた、あの革袋。
聖涙石。
石は、まるで心臓のように鼓動し、淡い、しかし、力強い光を放ち始めた。
―――貴方が、どんな暗闇にいても、道を見失わないように。
―――わたくしの光が、きっと、貴方を導きますから。
金色の髪の少女の、声が、聞こえた。
その声は、俺の中で渦巻いていた憎悪や混乱を、優しく、鎮めていく。
そして、光は、俺の体を縛り付けていた黒い鎖に触れた。
ジュウ、と肉の焼けるような音がして、鎖が、いとも簡単に溶けていく。
聖なる力が、邪悪な魔術を打ち破ったのだ。
「なっ、馬鹿な!? なぜ聖属性の力が……!?」
ネクロマンサーが、驚愕に目を見開く。
俺は、その隙を、逃さなかった。
地面を蹴る。
拘束から解放された俺の速度は、もはや彼の目で追えるものではなかった。
俺は、一瞬で、彼の懐に潜り込んでいた。
ネクロマンサーの顔が、恐怖に引き攣る。
彼は、咄嗟に杖を盾にしようとした。
だが、遅い。
俺の錆びた剣が、杖ごと、彼の心臓を貫いていた。
「……が……は……」
ネクロマンサーの口から、血の泡が漏れる。
「……あり……えぬ……アンデッドが……聖なる……力を……」
それが、彼の最後の言葉だった。
主を失ったアンデッドたちは、動きを止め、やがて崩れて塵となった。
駐屯地には、静寂が戻る。
俺は、ネクロマンサーの亡骸から剣を引き抜いた。
そして、胸で、まだ温かく輝いている聖涙石を取り出した。
この石が、俺を救った。
セレスティアの、力が。
俺は、石を握りしめた。
また、記憶が、流れ込んでくる。
今度は、もっと鮮明に。
それは、この駐屯地での、記憶だった。
訓練を終えた夕暮れ。俺と、彼女は、二人で兵舎の屋根に座って、街の灯りを眺めていた。
『――アレン。いつか、戦いが終わったら、何をしたいですか?』
『……そうだな。小さな家でも建てて、静かに暮らしたい』
『まあ、貴方らしくない』
彼女が、楽しそうに笑う。
『……お前は、どうなんだ、セレス』
『わたくしは……。わたくしは、貴方の隣で、その家で淹れたお茶を飲んでいたい、です』
その言葉に、俺は何と答えた?
思い出せない。
ただ、その時の、どうしようもなく満たされた、幸せな気持ちだけが、骨の体に蘇る。
そして、その幸せな記憶は、今の俺にとって、どんな拷問よりも、心を抉るのだった。
俺は、聖涙石を、再び革袋にしまい込んだ。
憎い。
オルティスが。俺から、この日常を奪った、あいつが。
そして、こんな記憶を思い出させる、セレスティアが。
……いや、違う。
一番憎いのは、こんな記憶を蘇らせて、揺らいでいる、俺自身だ。
俺は、駐屯地の奥へと、足を進めた。
まだ、何かあるはずだ。
俺が、アレン・ウォーカーだったという、もっと決定的な証拠が。
そして、俺が、彼でいてはならないという、絶望が。




