第16話:黒鉄の進撃
俺は、進んでいた。
東へ。王都へと続く、古い街道を。
主要な街道ではない。かつて宿場町として栄えたであろう村々を繋ぐ、今は寂れた忘れられた道だ。
追手は、まだ来ていないようだった。
あの聖女も一度は軍を立て直すだろう。時間はまだある。
だが、いずれ必ず来る。俺の正体を確かめるためにか、あるいは、今度こそ俺を浄化するためにか。
どちらにせよ、悠長に構えている暇はなかった。
砦での戦いの後、バルドとは合流した。
彼は俺の意図を汲み、軍勢の半数を犠牲にしながらも、見事に追撃を振り切ってくれた。
今の俺の軍勢は、五十にも満たない。
だが、その一体一体が戦いを経験し、より強靭になっていた。砦で蘇らせた元王国兵のアンデッドたちは、生前の練度を保っており、もはやただのガラクタではなかった。
《団長。このまま進めば、次の街は『白壁の街ミリア』です》
バルドが、フェイドの隣を歩きながら思念を送ってくる。
彼の頭蓋骨には、斥候として喰らった人間の記憶が残っているのだろう。
《ここは、かつて我ら白銀のグリフォン騎士団の、第二駐屯地があった場所。……何か、手がかりが残っているやもしれません》
第二駐屯地。
その言葉に、俺の魂が微かに反応した。
また、記憶の断片が甦る。
石造りの兵舎。訓練場の、乾いた土の匂い。仲間たちと交わした、くだらない罵声。
そうだ。行かなければ。
そこに、俺が何者だったのかを知る、手がかりがあるかもしれない。
俺の目的は、もはや単なる破壊ではなかった。
あの吟遊詩人の歌。捏造された英雄譚。
オルティス宰相は、なぜ、俺を英雄に仕立て上げる必要があった?
真実を隠蔽するだけなら、俺たち騎士団の存在そのものを、歴史から抹消すればいい。
それをしなかったのは、なぜだ。
『英雄アレン』という偶像が、奴にとって、何か利用価値があるからに他ならない。
――だとしたら、俺がすべきことは一つだ。
――奴が作り上げた偽りの偶像を、俺自身の手で、粉々に打ち砕いてやる。
俺が、生きて、いや、この骨の体のまま存在している。
その事実こそが、奴の計画を狂わせる、最大の脅威となるはずだ。
二日後、俺たちの眼下に、白い壁に囲まれた街が見えてきた。
ミリア。
城壁の上には、王国の旗がはためいている。
俺たちの接近は既に察知されているようだった。壁の上には兵士たちが弓を構え、城門は固く閉ざされている。
《どうなさいますか、団長。正面から攻めますか?》
バルドが問う。
俺は、首を横に振った。
無駄な損害は出したくない。目的は、駐屯地の跡地だ。
《……夜を待つ》
俺たちは、街から少し離れた森に身を隠した。
夜の帳が下り、三日月が雲間から冷たい光を投げかける頃。
俺は、バルドと、特に身軽なスケルトンを十体だけ選び、行動を開始した。
正面からではない。
街の西側。そこは高い崖になっており、城壁も他の場所より低い。警備も手薄のはずだ。
俺は崖の下に立つと、新しく得たミノタウロスの腕に力を込めた。
指先の骨を、鉤爪のように岩肌に突き立てる。
そして常人離れした腕力だけで、崖を登り始めた。
他のスケルトンたちも、それに続く。
俺たちは、音もなく城壁の上に取り付いた。
見張りの兵士が、二名。
俺は、合図も送らず、その背後から忍び寄った。
兵士が物音に気づいて振り返る。
その顔が恐怖に歪むよりも早く、俺の骨の手が彼の口を塞ぎ、首の骨をへし折っていた。
隣の兵士も、バルドが音もなく処理していた。
俺たちはロープを下ろし、後続を引き上げる。
そして、まるで夜の闇に溶け込むように、街の中へと侵入した。
目指すは、街の北側にある、騎士団の駐屯地。
街は、静まり返っていた。
家々の窓からは、明かり一つ漏れていない。
だが、その静けさは不気味なほどだった。まるで、街全体が息を殺しているかのようだ。
罠か?
いや、違う。これは、恐怖だ。
住民たちは、俺たちの襲来を恐れ、家に閉じこもっているのだ。
やがて、駐屯地の石壁が見えてきた。
今はもう使われていないのか、門は錆びつき、壁には蔦が絡まっている。
ここだ。
俺が、アレンだった頃の、もう一つの居場所。
俺は、錆びた門を、力任せに押し開いた。
ギィィ、と耳障りな音が、夜の闇に響き渡る。
その音に、呼応するかのように。
駐屯地の影という影から、無数の赤い光が、一斉に灯った。
それは、魂の火。
待ち伏せだ。
だが、相手は人間ではなかった。
闇の中から、一体、また一体と、異形のアンデッドたちが姿を現す。
それは、俺の知らないアンデッドだった。
人の体に獣の頭蓋骨が縫い付けられている。
あるいは、何体もの死体を無理やり一つに繋ぎ合わせたような、冒涜的なキメラ。
その全てが、腐臭と、禍々しい魔力を放っていた。
そして、その中央に、一人の男が立っていた。
黒いローブを目深にかぶっている。
その手には、黒曜石の杖。
「――お待ちしておりましたよ、『骨の王』」
男の声は、粘つくように、いやらしい響きをしていた。
「貴方がここに来ることは、オルティス様より、予言されておりましたので」




