第15話:聖女の疑念
戦いは、痛み分けに終わった。
突如現れた野生のアンデッドの群れは、敵味方の区別なく襲いかかり、戦場を掻き乱した末、そのほとんどが破壊されるか、あるいはどこかへと去っていった。
セレスティアは、野戦陣地の天幕の中で、騎士団長ジェラールの報告を聞いていた。
「……味方の損害、死者三十、負傷者四十。うち、重傷者は王女様の治癒の光により、一命を取り留めております。ですが……」
ジェラールは、苦々しい顔で言葉を続けた。
「敵の主魁、『骨の王』を取り逃がしました。混乱に乗じて、東へ向かったものと思われます」
東。
その方角に何があるか、セレスティアには分かっていた。
いくつかの村を越えれば、迂回路にはなるが、やがて王都へと至る道だ。
「追跡隊を……」
「いえ、お待ちください」
セレスティアは、ジェラールの言葉を遮った。
彼女の心は、まだ乱れたままだった。あの「骨の王」と対峙した時の衝撃が、今も胸の奥で渦巻いている。
あの剣の構え。
あの蒼い魂の火に見つめられた時の、ペンダントの熱。
そして何より、彼が苦しみ、混乱していた、あの姿。
あれは、ただの憎悪に満ちたアンデッドの姿ではなかった。
まるで、失われた何かを取り戻そうと、もがいているかのような……。
「ジェラール卿。一つ、お尋ねしても?」
「はっ、何なりと」
「……アレン様の、最後の出撃に関する公式の記録を、見せていただくことはできますか?」
唐突な申し出に、ジェラールは僅かに目を見張った。
「アレン団長の……で、ございますか? もちろん、構いませぬが……一体、何故それを?」
「少し、気になることがありまして」
セレスティアは、それ以上詳しいことは言わなかった。言えなかった。
自分の心の中に芽生えた、あまりにも突飛で、不敬でさえある疑念を、口にすることなどできなかった。
ジェラールは、部下に命じて、すぐに記録の写しを持ってこさせた。
それは、羊皮紙の巻物だった。
セレスティアは、それを受け取ると、そっと広げた。
そこには、アレン率いる白銀のグリフォン騎士団が、王命により嘆きの谷へ出撃した日付、目的、そして、その後の顛末が記されていた。
『――魔族の大軍と遭遇。我が騎士団は、王国の盾として奮戦し、敵軍に多大な損害を与えし後、全員、名誉の戦死を遂ぐ』
簡潔な、あまりにも簡潔な報告。
その報告書をまとめたのは、宰相オルティス。そして、それを承認したのは、父である国王。
セレスティアは、何度も、何度も、その短い文章を読み返した。
何かが、おかしい。
彼女の記憶の中のアレンは、決して無謀な戦いをする男ではなかった。彼は、誰よりも仲間を大切にし、生きて帰ることを信条としていた。
その彼が、一人も生還者を出さずに「全員、名誉の戦死」?
彼女は、巻物をさらに読み進めた。
添付資料として、騎士団の出撃前の装備リストが記されている。
剣、鎧、盾……そして、食料と、矢。
その矢の数の項目を見た時、セレスティアは、はっと息を飲んだ。
「……少ない」
「え?」
思わず漏れた呟きに、ジェラールが聞き返す。
「矢の数が、少なすぎます」
セレスティアは、指でその項目をなぞった。
「大規模な魔族の軍勢と戦うにしては、この矢の数は……まるで、短期の偵察任務にでも向かうかのようです」
ジェラールも、その項目を覗き込み、眉をひそめた。
「……確かに。言われてみれば、不自然な……。ですが、これはオルティス宰相閣下が承認された、公式の記録。間違いなど……」
「では、何故アレン様は、このような僅かな矢で、無謀な戦いに挑まれたのですか?」
セレスティアの問いに、ジェラールは答えることができなかった。
沈黙が、天幕に落ちる。
その沈黙を破ったのは、外からの伝令の声だった。
「申し上げます! 宰相閣下より、王女様へ親書が!」
一人の騎士が、蝋で封をされた手紙を手に、天幕へと入ってきた。
セレスティアは、それを受け取ると、封を切った。
中には、オルティスの流麗な文字が並んでいた。
内容は、彼女の身を案じる言葉と、戦況を気遣う言葉。
そして、最後に、こう締めくくられていた。
『――かの「骨の王」は、英雄アレンの魂を穢す、許されざる存在。何としても、貴女様の手で、浄化なさいますように。それが、今は亡き英雄への、最大の弔いとなりましょう』
その一文を読んだ瞬間、セレスティアの心に、冷たい疑念が走った。
なぜだろう。
この文章は、あまりにも、完璧すぎる。
まるで、誰かが書いた脚本のように。
「骨の王」を悪だと断じ、彼女にそれを討伐させるという役割を、一方的に押し付けてくるかのような。
セレスティアは、手紙を強く握りしめた。
――本当に、そうなのでしょうか、宰相閣下。
――もし、もしも、あの「骨の王」が、アレン様の魂を穢す存在ではなかったとしたら?
――もし、彼こそが……。
そこまで考えて、彼女は激しく頭を振った。
ありえない。
そんな、悪夢のようなことが、あるはずがない。
だが、一度芽生えた疑念の種は、もう、消すことはできなかった。
「ジェラール卿」
彼女は、顔を上げた。その青い瞳には、もう迷いはなかった。
「直ちに、追跡の準備を」
「はっ! やはり、あの『骨の王』を……」
「ええ」
セレスティアは、天幕の入り口に立ち、ロードが消えた東の方角を見据えた。
その先には、村々を繋ぐ街道が、やがて王都へと続いている。
「彼を、逃がしはしません」
ジェラールは、その言葉を、聖女としての強い使命感から来るものだと解釈した。
だが、彼女の心にあったのは、それだけではなかった。
――貴方は、一体、誰なのですか。
それは、もはや、魔物を討伐するための追跡ではなかった。
失われたはずの過去と、隠された真実を確かめるための、旅の始まりだった。




