先帝の無念を晴ら……わたし、ただのメイドなんですけどおおおっ!?
暖かな……。
それでいて、おごそかな光の粒子が、頭上からわたしを包みこむように注がれる。
同時に、脳裏へ浮かび上がる姿は――歴々の皇帝陛下たち。
最初に浮かび上がった姿は、野性的な形に整えられた赤髪が特徴の剣士――リオン·レバンヌ。
皇族として最後に帝位を継いだ人物でもある彼は、七災神の一人カノーナに討たれるも秘伝である継承法を発動させ、現在に至るまでの礎を築いた。
次に浮かび上がった姿は、銀髪を腰まで伸ばした美女にして魔術師――セレス·ノーグレイン。
宮廷魔術師としてリオン陛下へ仕えると共に、その恋人でもあった彼女は、継承法によって七災神カノーナが扱う秘術を見切り、これを討ち取る。
以降は、生き残りの皇族を保護しつつも、継承法によって帝位を継いだ初めての皇帝として、魔術研究所建設などへ尽力した。
姿が浮かんだ三人目は、重装兵ガルダス·ロストール。
帝国の盾として名高い実力者だった彼は、寿命を迎えたセレスの跡を継ぎ、無頼の格闘家たちを配下とし、南部の高原地帯にまで至る足固めを行った。
さらにその過程で、隣国ガンバーレンと友好条約を締結し、かの国で起こった王位継承問題に関しても、うかつに内政干渉せぬ慎重な対応を見せている。
堅実な采配は、派手さこそないが、彼の実直さを示しているといえるだろう。
四人目は、商売女がごとき露出の多い装束に身を包んだ美女――ミレイユ·フォン·ヴァルゼ。
その出身は、なんと――アサシン。
ただし、悪人しか切らぬ義賊だ。
やはり寿命で亡くなったガルダスの跡を継いだ彼女は、まず滅亡したガンバーレンの再興に着手。見事、この国を復興させた。
のみならず、近海を荒らし回っていた海賊団をも屈服させ、帝国の海軍力及び海運力まで大いに増大させたのだ。
結果、帝国は外海を隔てたパング王国とも友誼を結ぶに至る。
いよいよ、帝国は日の出の勢い。
寿命で亡くなったミレイユ様から帝位を受け継いだのが、格闘家チャムヤだ。
この方については、よーく知っていた。
何しろ、帝位を継いだのがつい先日のことだったから。
確か、即位した時のお言葉は「この鍛え上げた拳を、帝国のために!」。
わたしの記憶でもそうだし、光の粒子と共に降り注ぐ彼自身の記憶がそうであると告げている。
彼の功績は、実に短い文章で表すことができた。
すなわち……。
――修練場にて『神龍』の陣形開発に寄与。
――以上! 終了ッ!
……である。
なぜ、即位間もない彼の功績がそれだけであると、断言できるのか。
それは、この数日をもって彼の治世が終了したからだ。
もっとも、その事実を知る者は、今現在、このわたしだけであったが……。
どうして、わたしだけが知っているのかって?
それは、このレバンヌ帝国が、継承法という特殊な儀式魔術によって帝位を受け継ぐ国家であるから。
かの術法により、歴代皇帝の記憶と技は、その時、最もふさわしい者へ帝位と共に受け継がれるのであった。
つまり、さっきからわたしに降り注いでいる粒子の正体は、発動した継承法……。
受け継いだチャムヤ皇帝の記憶によれば、彼の最期はこのようなものである。
下水道の査察へ行き……。
滑って転んで頭を打って――気絶!
何しろ、場所が場所であり、気を失った(と思われる)彼の頭が倒れ込んだのは、水の中であった。
気をつけよう。
人は、五センチの水たまりでも溺れ死ぬことができるから……。
と、いうわけで、だ。
皇帝の死がきっかけとなり、条件を満たした継承法が発動!
こうして、わたしに歴代の意思と技と記憶が流れ込んでいるのである。
感じる……感じるぞ……!
今までの自分から、生まれ変わっていくのを……!
「今、受け継ごう。
歴々の皇帝の力と記憶を……」
我知らず、唇が言葉を紡ぐ。
そして、こう言い切った。
「――先帝の無念を晴らす!」
降り注いだ粒子の全てを吸収し、グッと拳も握ったところで我に返る。
どうしてか?
答えは、単純。
「いや、わたし……ただのメイドなんですけどおおおおおっ!?」
さっきから、ギャイギャイと叫んでしまっているが、これを余人に聞かれる心配はない。
なぜならば……。
「というか、今、お手洗い中なんですけどおおおおおっ!?」
スカートをまくり上げた状態で便座に座ったわたしの叫びが、事前に誰もいないと確認している宮殿内公衆便所の中でこだました。
--
帝国暦1123年……。
帝国の頭脳として知られる男――宮廷魔術師エルノは、腰まで伸ばした金髪を払いながら、自身の執務室にて懊悩することとなっていた。
彼ほどの天才が苦悩する理由はといえば、ただ一つ……。
「まさか……。
まさか、陛下が下水道で滑って転んで頭を打って亡くなられているとは……!」
このことである。
ちなみに、遺体は下水の中へ生息する魚によってツンツンされていた。
五代目継承皇帝チャムヤ……格闘家の恥さらしとしか言えない最期だ。
「いや、それだけならば、まだいい。
問題は……」
「……陛下がお亡くなりになられたというのに、継承法によって力を受け継いだ次代の皇帝陛下が名乗り出てこないということですな」
執務机を挟んで向き合う文官が、エルノの言葉を引き継ぐ。
「念のために聞きますが……。
エルノ様が継承されたわけでは、ないのですよね?」
「俺が継いだのなら、とうに名乗り出ている。
それに、継承法の発動時は、次代皇帝の頭上に光が降り注ぐことは知っているだろう?
陛下が亡くなられた当日、俺は魔術研究所で報告会に出席していた。
もし、継承したなら魔術師たち全員の目で見届けられていたさ」
若いということ以外、取り立てて特徴がない青年文官の言葉に、美男子中の美男子と呼ぶべき魔術師は、眉間を揉みほぐしながら答えた。
「では、傭兵魔術師の方々も該当しないと……。
こちらでも、軽装兵·帝国狩人の両筆頭やガンバーレンの聖騎士、海賊団頭領などへ問い合わせていますが、今のところは外れです」
「傭兵剣士たちも違うと言っていたな。
……主立った者は、全員該当せずか」
今日、何度目か分からぬ溜め息を吐き出すエルノである。
――コン、コン。
……と、執務室の扉を叩かれたのは、その時だった。
「入れ」
「失礼します。
お茶をお持ちしました」
扉を開け、カートと共に入ってきたのは、一人のメイドである。
年の頃は、十五か六といったところ……。
艷やかな黒髪は真っ直ぐに伸ばされており、おでこを広く見せる形に整えているのが特徴的だ。
とりわけ印象的なのがアメジストを思わせる大きな瞳で、帝国伝統のメイド服をビシリと着こなした姿は、可憐のひと言であった。
「もう、そんな時間だったか。
君もどうだ?
彼女の淹れてくれるお茶は、格別だぞ」
「彼女は?」
エルノに促されるまま、執務机へ茶と焼き菓子を並べ始めたメイドの姿へ、文官が首をかしげる。
「アイナと申します。
最近、宮廷に仕えることとなりました」
「ふうん……。
見たところ、パングの出身ですか?」
優雅にお辞儀しながら名乗ったアイナの姿を見て、文官があごへ手を当てた。
――パング王国。
先代皇帝ミレイユが友誼を結んだ同盟国であり、貿易国である。
また、両国間では留学生のやり取りも盛んであり、中には、こうして帝国内で就職する者も存在した。
「その通り。
茶の産地として知られる同国の出身だけあって、茶葉の扱いでは右に出る者がいないとメイド長のお墨付きだ」
ややほくほくとした顔で口を挟むエルノだ。
この宮廷魔術師が茶の時間をことのほか大事にしていることは、宮廷内において公然の秘密である。
「では、遠慮なく私も頂きましょう」
部屋の隅に置かれていた椅子を、文官自らが引っ張り出し……。
執務机は、にわかなティーテーブルと化す。
「では、失礼します」
茶の準備を終えたアイナは、メイドとして完璧な所作と共に退室しようとしたが……。
「ああ、そうだ」
それに待ったをかけたのが、エルノであった。
「アイナよ。
変なことを聞くが、こう……城内においていきなり光の粒子に降り注がれている人間を見たりはしていないか?」
――グワッシャーン!
派手な音を立ててカートごとアイナがずっこけ、乗せていた品々をぶちまける。
「お、おい」
「大丈夫ですか?」
「あわわわわ……」
慌てて声をかけるエルノと文官には構わず、四つん這いの姿勢となったまま呂律の回らぬ口を開くアイナであった。
他の場所へも配膳に行く予定だったのだろう。
カートから落ちた茶器類は毛の長い赤絨毯で受け止められたものの、中のお湯などがこぼれてしまっている。
アイナは、それを懐から取り出したハンカチ――パング式の刺繍が美しい逸品だ――で慌てて拭き取ろうとしていたが、結果、這いつくばる形となっており、なかなかの無様さだ。
「し、失礼しました……。
それと、そのような怪奇現象は全然まったくこれっぽっちも心当たりがないです……!」
先ほどまでの優雅さは、どこに忘れてきたのか……。
ドタバタとしながらカートを立て直し、転がった品々を片付けながらアイナが答えた。
「う、うむ……。
急に驚かせて、済まなかったな」
――そんなにビックリさせるようなこと言ったかな?
……と、思いつつもとりあえず詫びておくエルノだ。この心遣いが、女子にモテる秘訣である。
「ま、まあ、メイドが出入りする範囲の人間が、継承法に適用されることはないでしょう。
今は、七災神の驚異に世界が脅かされている時……。
皇帝に求められるのは、当代の帝国において最強であることですからな」
「うむ……そうだな!」
文官と共に茶をすすりながら、そのようなことを言い合うエルノだ。
――カーン!
――カーン! カーン! カーン!
……危急を知らせる鐘の音が城内に響き渡ったのは、その時のことであった。
--
この日……。
麗しの帝都キャメロットを襲った災禍は、地下深く……下水道からその姿を現した。
例えるなら、巨大化したタコがそのまま胴体となり、人間の下半身を取り付けてボロ布も被せたかのような……。
奇怪にして形容しがたい姿をしたモンスターが、突如として帝都各所の下水道入り口から出現したのである。
「おのれ! 七災神の手先か!」
「このキャメロットを、モンスターごときにやらせはせんぞ!」
立ち向かうは、帝都キャメロットを守護する帝国兵たち……。
だが、これが――かなわない。
「こ、こいつ……水の魔術を使ってくるぞ!?
――ガボッ!?」
渦を描く高圧の水に飲み込まれ、全身をボロ雑巾のようにされた兵士が断末魔の叫びを上げた。
「くそっ……!」
「だったら、接近戦だ……!」
同僚を殺された兵士が怒りに燃え、接近戦へ持ち込んだが、これは――地獄。
敵モンスターは巨大なタコのような胴体をしており、すなわち、八本の触手を備えている。
そして、それら触手は一本一本が思いもよらぬ怪力を備えており、しかも、柔軟にして自由自在な動きで襲いかかってくるのだ。
「があああああっ!?」
まさに――なぶり殺し。
骨という骨をへし折られ、内臓も潰された兵士が街路に倒れ伏した。
遠隔攻撃ならば、水魔術。
接近戦においては、八本の触手。
下水道から現れたのは、遠近共に隙の無い強力なモンスターなのである。
「こいつら……なんていう強さだ!」
「一般兵じゃ相手にならないぞ!」
かろうじてこのモンスターへ対抗できるのは、重装兵や傭兵剣士といったそれと知られる強者たちのみ……。
だが、敵の数を思えば、多勢に無勢であった。
エルノが出陣したのは、そんな精鋭たちによる防衛線が城の眼前へと押し込まれつつあった矢先のことである。
「今、助けるぞ!」
叫びながら、城門を飛び出し……。
その手で練り上げた魔術が、発動された。
放ったのは、火と風の合成魔術。
吹き荒れる超高熱の風が、モンスター共を飲み込んで焼き殺す強力な術だ。
四代目皇帝ミレイユが発見した古文書を基に、つい最近エルノが開発した術であり、現在の帝国においては最強の攻撃魔術である。
「おお! エルノ!
助かったぞ!」
一同の前に出て守りの剣を振るい、四方八方から迫る触手のことごとくを切り払っていた重装兵が、振り返りながら笑みを浮かべた。
質と数……双方で押し込まれつつあった状況に、光明が差したと思えたのだ。
だが……。
「数が多すぎる……!」
救援として駆け付けたエルノは、一段高い城門前へ立っていただけに、この状況を客観視することができてしまっていたのである。
敵モンスターたちの狙いはただ一つ――この城。
そのため、民家や商店などは歯牙にもかけず、各所の下水道入り口から続々と城門に集結してきていた。
その前には、たった今エルノによって焼き殺された同属の焼死体が五、六体は転がっていたが、それがこやつらに恐れを抱かせることはないようだ。
魔力には、限りがある。
他の精鋭たちと力を合わせたところで、どれほどの敵を倒せるか……。
「せめて、皇帝陛下がいたら……!」
それは、誰かが漏らしたほんの小さな弱音の言葉。
だが、管楽器でも吹き鳴らしたかのごとく、エルノたちの耳と胸へ浸透していく。
三日統治で終わったチャムヤ帝はともかくとして、それ以外の継承皇帝は統治者にして最強の戦士であり、常に最前線へ立ち、群がる敵を蹴散らし続けてきた。
皇帝が前線に立ち、精兵を率いて戦うというのは、すでにレバンヌ帝国の基本戦術と化していたのである。
それがまかり通るのは、仮に今の皇帝が倒れようとも、すぐにその力と記憶を受け継ぐ次代の皇帝が立ち上がるという継承法の力があったこそ……。
今、継承法によって歴々の力と遺志を受け継いだはずの新皇帝は、姿を現していない。
いや、ただ隠れているだけならば、まだいいだろう。
もし……。
もし、なんらかの理由により、継承法そのものが未発動に終わっていたのなら。
戦いにおいては、時に、頭となる者を討つことで早期の決着を図ることができる。
今のレバンヌ帝国軍は、まさに頭を失い、士気が崩壊しつつあった。
--
「いやいやいやいやいや!
無理無理無理無理無理!」
城内の窓から城門前の戦局をうかがい、一人つぶやく。
なぜ、こんな所からこっそり様子を見ているのか?
なぜ、ふつぶつと一人つぶやいているのか?
それは、ここに来たのが、自分の意思半分、使命感半分であったからだ。
継承法によって力を受け継いで以来……。
わたしの中では、すぐに名乗りを上げて新たな継承皇帝として君臨すべきだという思いと、そんなのはゴメンであるというわたし自身の意思が、常にせめぎ合っているのであった。
確かに、歴代の皇帝が磨き上げてきた技術は、全てがわたしに受け継がれている。
例えば、これまで火と風の魔術を扱ったことがないわたしであったが、今はエルノ様と同等か、それ以上の実力を備えていると自覚していた。
だが、それがどうしたというのか?
何度でも言おう。
「わたし、ただのメイドなんですけどおぉ……」
――本当にか?
誰か……。
ひょっとしたならば、わたし自身が心中でそう問いかけてくる。
「――ぐうううおあああっ!?」
そうこうしている内に、城門前の戦いでは、ついに守りの要である重装兵が重傷を負い、戦闘不能に追い込まれており……。
いよいよ、帝国軍の敗北が決定的なものとなりつるあった。
「くっ……!」
仕方なしに――駆け出す。
今回だけであると、誰にともなく心の中で宣言しながら……。
--
「ここまでか……」
右手を突き出すも、魔力不足によって合成術は不発に終わり……。
ついに、エルノは諦めの言葉を吐き出すに至っていた。
いや、エルノだけではない。
周囲を見れば、帝国狩人や傭兵魔術師など、共に戦ってきた精鋭たちが、絶望の表情を浮かべている。
もはや、ここまで。
かくなる上は、どれだけ道連れにできるか。
エルノたちが覚悟を決めたその時だ。
「あれは……?」
「雨……?」
突如として空に暗雲が現れ、ドス黒い雨を降らし始めたのである。
しかも、それは敵であるタコ人間どもにのみ、降り注いでいるのだ。
「これは……まさか!?」
エルノがそうであると判断できたのは、降っている雨から、あまりに濃密な冥の魔力と死の気配を感じ取れたから。
そう……これは、冥の魔力だ。
ごく一部の、アンデットと呼ばれるモンスター種族が扱う魔力であった。
あの雲と降りしきる雨は、そういった性質の魔力によって具現化したもの……。
「伝説の冥魔術……!
ミレイユ帝が探し求め、パング王国に扱う一族がいるらしいと突き止めたものの、調査は進展していなかった。
それが、どうして……」
エルノの言葉に、答える者はいない。
その代わり、モンスターどもに変化が起きた。
「おお! 見ろ!」
「雨を浴びた敵が、次々と倒れていくぞ!」
「これは……絶命している!?」
仲間たちが叫んだ通り……。
冥魔力に満ちた雨を浴びた敵の個体たちが、次々と倒れ……ピクリとも動かなくなったのだ。
なまじ密集し、こちらを威圧するように進撃してきたのが仇となったのだろう。
敵の過半数が雨を浴びて死する結果となっており、すでに、彼我の戦力差は逆転している。
「雨が止むぞ!」
「これこそ、まさに神々の助け!」
「残ったモンスターを討ち取れ!」
冥魔術の雨雲が消え去り……。
さすがに動揺の様子を見せるタコ人間たちへ、帝国の戦士たちが次々に切りかかっていく。
「神々……? そんなはずがない。
一体、誰が……」
決して不信心者ではないが、かといって楽観的でもないエルノは、すぐに神の助けという可能性を切り捨て、周囲の様子をうかがった。
実のところ、魔術というものはそう射程距離が長くない。
ゆえに、今のが予想通り伝説の冥魔術であるとしたなら、術者は最低でもこちらの様子をうかがえるどこかにいると踏んだのだ。
果たして、その予想は――正しかった。
人ならぬモンスターとの戦いであり、出撃した誰もが注意を払わぬ位置――後方。
そこら辺の倉庫から失敬したのだろうローブを被り、城門の陰からこちらをうかがう小柄な影の姿が目に入ったのである。
ただ、迂闊であったのは、その影にもエルノの視線を察知されてしまったということ。
「――待て!」
呼び止めるも、小柄な人影はすぐに姿を消し去ってしまう。
その身のこなしときたら、アサシンであった四代目皇帝ミレイユのよう……。
やはり、この人物こそ継承法によって歴々の力を受け継いだ新皇帝なのだ。
「くっ……」
歯嚙みしながら、誰もいない城門の地面を踏み締める。
「むっ……」
それを踏まずに済んだのは、まだエルノの運が尽きていない証左といえるだろう。
地面を踏んだ足の隣に落ちていたもの……。
それは、パング様式の刺繡が特徴的なハンカチであった。
--
「失礼します。
お茶をお持ちしました」
「ああ、入りたまえ」
いつも通りの涼やかな言葉に、扉を開く。
さして重くもないこの扉の向こうへ入れることを、うらやましがる同僚は多い。
なぜなら……。
こここそは、帝国一の美男子であり、帝国の頭脳として知られるエルノ様の執務室であるからだ。
まあ、わたしからすれば好みの殿方ではないし、ちょっとお茶の味が分かる魔術師様というだけだけど。
そのエルノ様は、山積みとなった書類に目を向けることなく、なぜかわたしをガン見しており……。
「すぐにご用意をいたします」
その様子に居心地の悪さを感じながらも、いつも通りに茶の支度を開始する。
「アイナ。
どうかな? この帝国へ来て、上手くやれているか?」
と、そんな風にしていると、急に声をかけられた。
これも、常ならばないことだ。
「そうですね。
皆さん、よくしてくださっていますし」
一体、どうしたのか……?
普段とまるで違う行動を不審に思いつつも、愛想笑いで返す。
「謙遜するな。
君は働き者で大活躍だと、メイド長から聞いてるぞ」
あら、メイド長様……ありがたいこと。
「もったいないお言葉です」
心の中で上司にお礼を言いつつ、上司よりずっと上司な人物へ軽くお辞儀で返した。
ふうん……たまには、下っ端のメイドも労っておこうという算段か。
そう解釈したわたしに続いて向けられたのは、とんでもないお言葉だったのである。
「それに、先日、下水道から大量発生したモンスターとの戦いでも、まさに無双の活躍だったからな。
……新たな皇帝陛下」
――ガッシャーン!
同様のあまり執務机にティーポッドを落としてしまったが、エルノ様は書類を抱えつつ、さっと立ち上がって回避した。
継承した記憶で知ってはいたが、魔術師にしておくにはもったいない身のこなしだ。
「ひ、人違いですヨー」
「皇帝陛下ともあろうお方が、ウソはいけませんね」
ヒラリ……。
書類を小脇に抱え直し、懐から取り出されたのは――わたしのハンカチ!
――し、しまったあ!
――どこでなくしたのかと思っていたら、あの時かあ!
「な、なんの変哲もないハンカチですネー。
きっと、どこでも買えますヨー」
「実に珍しいパング様式の刺繍が施されたハンカチですね。
念のため、キャメロット中の商店で聞き込みをさせましたが、このような品を扱う店はないそうです」
顔はニコニコ。
声は冷たく否定される。
……チイイッ! この方向性はダメか!
……ならば!
「ええと、その……なんといいますか。
――そ、そう!
わたし、あくまでも一介のメイドですし」
「……一介のメイドは、伝説として伝え聞く冥魔術を使いこなしたりはしませんし、そもそも継承法に選ばれないでしょうな」
あくまでただのメイドでしかないと誤魔化そうとするも、静かな……それでいて、抑揚のない声で制された。
というか、話し方が――コワイ!
人らしい感情が一切感じられないというか、どこかモンスターじみてすらいるのだ。
「そ、その……えっと……」
「あなたは、当代の皇帝陛下です。
その責務、ヤッていただきます」
目を泳がしながらなおも逃れようとするわたしに向け、やはり笑顔のまま、淡々とした声で告げられる。
いや、これは、言葉の使い方こそ臣下のそれだが、半ば命じられているというべきだろうか。
しかも、こちらを見つめるエルノ様の全身からは、竜のそれを思わせる怒りの炎が漂っているし、よく見たら額の隅に青筋が浮かんでいるのだ。
――わ、わたし……。
――どうなっちゃうのー!?
お読み頂きありがとうございます。
「面白かった」「続きが気になる」と思ったなら、是非、評価やブクマ、いいねなどをよろしくお願いします。