つくりもの
もしも「私」がつくられたものであったのなら、世界とはなんだろう。朝がくれば太陽が昇り、夜がくれば星が煌めく。観測者はもちろん「私」。だから、目覚めたときが朝で、眠るときが夜。時間なんて関係ない。目覚めた後は顔を洗い、「私」の1日が始まる。
ラジオを聞いて時計の時刻を合わせたこともあった。
テレビに映る時間を見てバスに乗り遅れないように慌てて出かけたこともあった。
携帯電話に着信がないか確認して駐車場に向かうこともあった。
スマートフォンで調べものをして目的の内容が語られない記事を読んで落ち込んだこともあった。
今日の日程を考え、私がするべきことへと動いていく。なんてことのない日常。繰り返された日常。
はじめは私がしたことではなかったのに、私がすることになっている。そして、いつの間にかしてきたことになった。
川が山奥の小さなせせらぎから、河口の濁流へと移りゆくように、私が抱えるものも大きくなった。
だからだろうか、時々考えることがある。もしも私がつくられたものであったのなら、「世界」も同じようにつくられたものであったなら。
「私」は「世界」の観測者。
今日という1日をつくり、明日をつくるために眠りにつく。「夜」は未知数、夢はまぼろし。目覚めたら忘れられるもの。悲しい物語も、楽しい物語もきっとつくれる。
これはそんな「夜」を覗き見る物語。
なにが起きても大丈夫。目覚めた時には忘れているのだから。