怪人 現る
昼ごはんを食べていなかった私は、途中から空腹のあまり杖さんの授業を放棄して逃げた。
私の訴えで彼が魔法で3Dプリンタのように生成したおにぎりは怖くて口に入れる事はできなかった。
なんだあのほかほか具合。熱いまま握った感じとかあまり均一に力が加わってない感じとかまで再現しやがって!それがしたからビビビと生まれてくるのだから、本当に怖い。
しかもなんで?と聞いたら、勉強といえばおにぎりでしょ、だと!あれは深夜遅くまで勉強する受験生を労う為に母親が手製で作るから意味がある!大事なのはおにぎりでなく手製!!労いの手製であればねこまんまですらお釣りが来るからいいの!!!
と、まあなにさ。ねぎらってくれようとする気持ちは嬉しかったけど、それはそれとして朝から何も食べていない状況で訳もわからもんものを口にする気はなかったのだ。
鞄を携え早退を告げ、私はとんずら。一路ハンバーガーショップへ向かう。油まみれのポテトが食べたいお年頃だ。
杖さんはといえば、いつのまにか鞄の中に入りながらも
「先ほどまでのやる気は何処へ……?」
と苦言を呈している。耳がいたい。いや耳で聞いている訳ではないけど。
杖さんの話でわかった事だが、やはり杖さんは大気を震わせて喋っている訳では無いらしい、やっぱしテレパシー的に、電波で伝えてるとか。その気になればラジオで聴けるというものの、時代は現代日本に於いて、ラジオというのはあまり使われないので具体的にはわからんでした。
「ありがとうございましたー」
なんて声を受けながらほかほかのポテトとおまけのバーガーの入った袋を片手に提げる。もう片手はジュースの独壇場。おしゃれぶってフラペチーノなのが乙なのだ。分けてあげる友達だけが居ないのが寂しいね。
「ん……」
と中身をちゅーちゅー吸いあげながら手持ち無沙汰に人の動きを追う私の瞳が一人の人物を捉えた。見覚えのある顔と、記憶にない制服姿の少女。どうやら誰かを追っているのか目より頭を振り回して何かを探している様子。
「どうしたんだい瑠美」
「いや、ちょっと気になる人を見て……あでも話の続きしたいでしょ?このまま帰ろ」
「ああいや、瑠美の勘は鋭いところがある。気になったなら僕のことより優先すべきさ。君が生きるべきのは怪物の領域ではなく、人の領域なのだから」
「……よくわかんないけど、わかった」
私は彼女を追って走った。フラペチーノちゅーちゅー。
私が追いつく頃には、彼女は路地裏にまで探す手を深めていた。
「やっほ。何かお探しかね典子ちゃん」
「瑠美先輩!お久しぶりです!堂内三丁目の事件以来ですね、あの時は見ず知らずの私達を助けていただいて助かりました」
私の声に振り向いた少女は救いの神を見るように私へ視線を投げかける。
その少女こと高柳典子ちゃんは真帆の中学の後輩で、いつもの如く事件で知り合った仲だ。というか主に真帆の友達だったので友達の後輩とかいう最早関係皆無、のはずなのだがやはり、真帆の存在が消えた事で私が事件を解決したと認識がすり替わっているようだ。
「あー……久しぶり。んで何かお困りのご様子だったけどどうしたの?」
「それが友達がいなくなっちゃって……」
何処かへと向かいながら、典子ちゃんは話し始める。
探しているのは彼女の友人千葉知羽ちゃん私達に憧れはるばる通うこの高校で、初めてできた大切な友達だという。この短い一ヶ月半ほどでかなりの思い出を重ねたらしく、語る言葉は感情が籠る。彼女は糸を手繰るように思い出を引き出した。
しかし、その破局も些細なきっかけであった。どうやら知羽ちゃんは家庭の都合で勉学と門限厳しく、今までは勉強会、塾での自習などとアリバイ企て目を掻い潜っていたものの、ついにバレてしまったそう。
典子ちゃんと一緒に入るはずだった部活動すら、逆鱗によってカットされ、ふたりは今後を話し合う。
事情を理解し、少ない時間でより思い出を重ねようと画策する典子ちゃんに対し、とうの本人知羽ちゃんは却って過剰に門限を気にし勉学に打ち込むようになった。典子ちゃんを置いてけぼりにするほどに。
そして、エックスデイ。今日遂に典子ちゃんは二人で会話を設けることに成功。知羽ちゃんはこう言ったという、「私は駄目なので裏切りたくない」。その真意が判らず考えていたところ、気づけば知羽ちゃんは何処かへと行ってしまっていた。
「――でも先輩がいてくれてすごく心強いです!まるで二人力!……ってか何美味しそうなもの食べてんですか?くださいありがとうございます!」
聞きながら減っていた腹をバーガーで満たすような、先輩失格の私を彼女は弾劾する。しかしそんな典子ちゃんもポテトを差し出せばサクサクとついばんで顔を綻ばせた。
「それで、後輩ちゃんはどこに向かっているのかね」
友人との馴れ初めを話し始めてから、迷いがちだった典子ちゃんの足は、いつの間にやら一つの方向へと定まっていた。
「はい、先輩に話して思い出しました。知羽は結構アグレシッブで色んな場所にスケッチブック持ってくのが趣味なんです。知羽が見つけて欲しいと思ってくれてるならそこに間違いは無い、って思います」
「……私に手助けなんかできそうにもないけれど、少し離れた場所で見守るよ」
「ありがとうございます……心強いです、とても」
「ならよかった」
果たして、向かった先は高校の裏。まさか早退したのに戻ってくるとは思えまいて。
既に放課後チラホラと帰路に着く生徒が見え、なんとなく気まずい気持ちを抑えつつ、すぐそばの林に入る。
そこはまさしく学校の裏山だ。
元々は学校と共に買い取られた山なりの地形だけど、景観の理由安全面の理由。資金的な理由から誰も手出しできなかったその裏山には立ち入り禁止の柵で囲われ、数多の時代の七不思議に点々とその名を記すのみ。先生の目が近いので不良さえも集まらない穴場スポットだ。私も普段は立ち入らないが……。
典子ちゃんを追って暫く歩くと、異世界のように景色が花畑がに切り替わる。開けたなだらかな台地には光が差し込み、脛ほどもない花々が手を伸ばすように花開き揺れている。
そして、典子ちゃんに案内されるように訪れた花の園の中心には、一人少女が佇んでいた。綺麗な黒髪の、恐らく知羽ちゃんとやら。
「なんか、甘い……?」
「そう?……本当だ」
典子ちゃんに言われるままに嗅ぐと、確かに花の匂いにしては不自然な甘さ。開けた瞬間にはもうこの匂いが押し付けられ、言われなければ違和感すら感じなかったかもしれない。
甘く甘い、泥のようにとけた香り。かぐほどに、少女に近づくほどに強く、強烈に鼻孔をくすぐるその匂いに、私は楽園を幻視する。
そして私には覚えがある。この匂い、二人が合一したあの時あの教室で鼻を通ったあの甘さをどうして忘れられようか。なにか猛烈に嫌な予感がして、典子ちゃんを急がせて。
そして鞄の中の杖さんが、一人でに揺れた気がした。
「知羽……!」
花畑に二人、少し離れて私がそれを見届ける。まるで雪上のようにてんてんとつけられた足跡。急いで来たために花を踏み荒らした私達と違って知羽ちゃんの周りに踏み跡は無い。しかし、彼女の足元には積み重ねられたスケッチブックが開いた花弁のように広がり、折れた筆が踏み荒らされた花茎のようにして散らばっていた。
「知羽……ごめん。まだ君がようやく言ってくれたあの言葉の意味が……わかってないけど。でも私……謝り、たくて……」
「……典子ちゃん」
知羽と呼ばれた黒髪の少女は困ったように典子ちゃんを見る。言葉を選んでいるのか、その口は言いたげに動くが中々続く音は出ない。そしてその瞳は何処か虚ろに見えた。
「その……裏切られただなんて、感じてないから。そう思わせちゃった事も……知羽の負担とかも考えずああ言っちゃった事も……だから私もっと話したいの。君に言って欲しいの……」
「ごめん典子ちゃん……大丈夫…………もう大丈夫…なの……だって私……ようやく」
どうしてと聞き返す前に、甘い匂いがさらに増した。燃えるように、沸騰するように溢れ出した水が、知羽ちゃんの周りを包み、その手を取る。
手を取る水はやがて辛うじて人の形に変化していき。それはまるで不定形な道化のようにゆらめきながら知羽ちゃと見つめ合う。
まるで夢のような、現実味のない現象だ。しかし、私はこれを知っている。咄嗟に鞄の中の杖さんを掴もうとした私に機先を制して怪物は私に腕を向けた。破裂した水の一滴が私の腕を貫く。燃えるように熱い痛みがジンジンと私の腕先をむやみに震わせた。
「……くっ!」
「ああ、邪魔を、邪魔をしないで頂けますか……!!そうでなくとも貴女は…!」
「なっ……」
奴は喋った。二人の怪物よりも人の姿から離れ、もはや生物かすらも疑わしい姿をして、しかしはっきりとした言葉。それは人の声では無かったが獣の声でもなくて、まるで水がそのまま喋っているように透き通って私の鼓膜を響かせた。
「まずい、瑠美。奴は怪物にして、怪物でなく。自己崩壊をしない内社会を形成する公約者……【怪人】だ!!奴はその一人、【変え保ちパンタ・レイ】!!」
鞄の中から声がして、杖さんの焦る言葉に押されるように私は杖を手にし抜き去る。怪人、テロスという存在がなんなのかは分かってはいないけど、そのパンタ・レイとやらは今まさに知羽ちゃんを連れ去るべく、彼女を異形の体で覆い、此方を睨みつける。
「……タレス!【わかたれしタレス】!【裏切り者のタレス】!!やはり!やはり!魔法少女とやらはお前の道楽か!或いは享楽かそのような悲劇で塔を積むなど……!悲劇の塔など許されぬ!断じて許されぬ!」
「たとえ……許されぬ事だとしても……!」
「私は、二人の事を悲劇にしたくないから!」
私が頭に巻いたアルミを解くと、瞬時に天衣を纏い転身する。
魔法少女、アルケルミー。それが戦う私の名前。私が抗う意思を示す言葉!
「……転身!魔法少女!アルケルミー!……典子ちゃん、下がってて。知羽ちゃんは私が救い出す!説明はその後にでも!」
「……はい!信じてますよ、先輩」
典子ちゃんを背に下げて、私は前に歩み出る。貫かれた傷にはいつのまにかファンシーな絆創膏が貼られ心なしか痛みも飛んでいる。……これなら戦える。そんな気がした。
遂に翼を羽ばたかせ、水滴の羽を散らす怪人。空へと高く舞い上がる人間大の雫を追い、私も地面を蹴った。踵に込めた力に反して、その跳躍は高くそして速い。
ほぼ垂直にも関わらずどんどんと距離を詰めていく。
「アルケルミー。奴は見ての通り不定形の怪人だ。あらゆる物理は意味を成さない。だけどわかる事はある。体から離れた雫は、彼の体ではない!」
「切り離せってことね!……なら!!」
奴を倒す手段はある。怪物を消し去る必滅の極光ならば、確かに怪人の全てを抹消できるだろう。……しかし奴の抱える少女ごと、あるいは少女以外を狙うのは、今の私にもできないことだ。
杖さんの言葉に従って、まずは知羽ちゃんを切り離す。
吐息と共に口から漏れ出た許されざる言葉が、呪文を紡ぐ。
碧銀の光が私たちを包み、姿を変えた。杖さんは銀の剣に、天の衣は銀の鎧に。物理的な干渉に意味がなくとも、イメージは力を持つ、と杖さんに共有された知識の一つがそう唸る。魔法少女の魔法はイメージの力だ。剣であれば狙いを切れる。銃であれば狙いを撃てるだろう。
だからそれは私の想像力を補強する、切りたいものだけ切り離す片刃の剣の一振りは、なるほど脳裏の知識になぞってパンタ・レイの体を両断し、その体を単なる色水へと変えた。
ただしそれは一瞬のこと。幻の如く一瞬にしてその体は再生し、宙に投げられた知羽ちゃんを掴むべく腕をのばした。水ゆえに、腕は人の可動あらゆる生物の常識を超え、腕のように、或いはゴム人間のように人外に伸ばされる。だけどそれがあの怪人の恐らく限界点。翼をもがれたパンタ・レイはイカロスの如くその身を大地へ堕した。
花畑に蜜が広がるがやはり知羽ちゃんは無傷だ。彼女を包む粘性の体はその衝撃をすべてかわし切ったのだ。やはり、倒せはしないが無力化はできるし、何故かはわからないけれど、彼は彼女を傷つけない。たとえその身を犠牲にしても守ろうとする。
再生を優先して動けないパンタ・レイに目掛けて私は刃を振り下ろしながら落下する。
対して、人の体を取り戻しつつある怪人が再生した片目で私をにらむ。
「全てを裁断する剣……!やはり怪物が如く、理外の力を振るうか……!!なるほど、確かに。崩壊を思える怪物には荷が重い。けれどどうやら、不死身の私はそうでない。であれば無疵の君。新たなる魔法少女アルケルミーが為に説きましょう」
「涙を堪え、飲み干せ」
怪人の言葉と共に、涙のようにとろける体が、やがて更なる怪物へと変じた。
人の身の二十倍はあろうかという体積の剛腕が私に突き出され、私は液状の腕へと沈み込む。
怪物に続いて怪人が出てきました。表記揺れでなく確実に違うものです。
そもそも喋ってるし、自己崩壊しないし…