魔法少女の失敗
碧い蛹が消え去って、しかし怪物は立っている。
失敗した、とアルケルミーは力無く俯く。二人を区切る流れの中で最後に告げられた言葉は冷たく無機質だ。
「残念だけど、時間切れだ」
力を与えた杖の言葉。事実だけを言う、正しい言葉の刃。
続く彼の言葉が彼女の頭に響く。不快感は無いはずのその声に、けれど不快な思いを募らせる。
「手遅れになってしまった以上……葬るしかない」
「嫌……だ」
「彼等は少数だからこそ成立する。このまま放置すれば多少の生徒を犠牲にした後、自己崩壊を起こす」
ああ、彼の言うことは果て無く正しく嘘はない。魔法少女故に脳内に共有された知識がそれを教える。だが、アルケルミーの腕はピクリとも動かなかった。
前方の怪物は最早、アルケルミーを瑠美とは認識しなくなり、崩壊し、結びつきの弱まった空きを埋めようと手当たり次第に襲わんとする欲求が活発にその異形を動かす。
今は近いためにアルケルミーを攻撃しているが、その攻撃が杖の障壁によって防がれるなかで甲斐がなく、しばらくもせず標的を変えるだろう。
だからその前に、目の前の怪物を制してその鼓動を止めなければならない。それはアルケルミーもよく理解している。
……だけれども、彼女は二人を、二人であった怪物を倒す踏ん切りはついていない。かと言って杖の言葉が正しいと解っている為に彼女は勝算なく再び心の中に入ろうだなんて事はせず。
「……嫌だよ!……っ真帆!牧くん!こっちを見て!!」
そう、呼びかける。
ただ信じたい。まだ二人が帰って来れる事を、引き戻せると信じたかった。
しかし杖は無慈悲に告げる。正しさを説いて。
「……それでも、やるしか無い。僕は君という人間を通してしか世界に干渉できない」
杖が自身に与えた鎖。それが他人を傷つける事はとうに知っている。その存在を悔やむ事はあろうと、それは錬金術師と呼ばれた自分に必要な措置であることに違いなく。
……抜け穴もある。魔法を使う補助をしたように、仕向けてしまえばいい。だけれども、その方法を使う事は彼の目的に反する。
だから彼は、そうして正しさを説くしかなかった。
「guOooo……」
ついに怪物は瑠美の呼びかけに応える事は無かった。怪物の体は、解けていったあの心のうちと対応してか同じように端から泡沫のように消えていく。
それでも体は強靭で強力で打ちつける暴力の嵐が、障壁を叩くたび、空気を切り裂く轟音が鳴る。
やがて、怪物はその眼を瑠美から逸らした。
向けた視線は校舎。グラウンドを占拠された先生生徒軒並みは抗うわけにもいかずかと言って逃げるわけにもいかず、ただ固唾を飲んで見守っていた。
多関節の怪物が腕脚を折りたたみその姿勢を低くした。
かと思えば、伸ばし――
「……っアルケルミー!」
言葉が先か、跳躍が先か。ともかくして怪物はバッタのように校舎へ跳んだ。
「|al me kalm ealkhe melkhel al khel me《アル ミ ケルミ アルケー ミルケル アル ケル ミー》!!」
彼女の言葉で、彼女の意思で向けた杖から放たれた一条が怪物の胸を突き刺した。それはマーカー。それだけで怪物は止まらない。
アルケルミーもまた飛翔し、続く力を綴る。
軽やかなその身を捉え、ゴムのような皮膚を裂き、その身だけを滅ぼすための許されざる言葉を調合する。
「本を開け、文字をなぞれ。未知なる領域への狭間をなぞれ。認識されし汝は既知であり、体を持ち、なぞることができる。故にこの一撃は必殺必中、放て滅びの【エリス・アイテール】!!」
杖から放たれたプラズマの熱光線が大気を焼き、空間を焼き、そして異能の怪物までもを軽々と焼き貫き、溶かし消滅させていく。
視界全てを白に染める程の極光の中で、怪物の二人の悲鳴とも雄叫びともつかない叫びが寂しげに響き、涙すらも瞬く間に蒸発させるその余光が、アルケルミーの頬をも焼き赤ませて。
そうして光が収まると、そこには怪物の姿は影も形すらも存在しなかった。
途方もなく呆気なく。ただの光線一つで怪物は影さえ消え去った。同時にアルケルミーの中で二人という存在すらも攫っていって。
「……終わった、の?」
「………そうだよ」
この勝利を喜ぶことは到底できない。かといって怒ることも、他人事のように哀しむ事もできない。
だから瑠美は苦しかった。生きることも感情を動かす事も、これほど苦しいと感じた事はおそらく初めてだった。
虚には感情は入らない。虚にあった場所に元あった二人への感情は行き場を失い、難民と化した感情が渦巻くさまだった。
「【Casting OFF】」
解除のまじないと共に瞬いた閃光に包まれて、アルケルミーは瑠美へと戻る。天色の衣は元々着ていた高校の制服へと戻り、安全用のアルミホイルも頭に巻かれていた。
体だけは取り変わる事はなく、しかし魔法少女になっていた際の疲労がドッと瑠美に押し寄せた。
だるく重い体は震える事すらままならず、瑠美の瞼は降りる帷のようにそっと閉じられた。
「……今は、今はただ、おやすみ瑠美。」