亡霊ウィンタースポーツチーム『ユキクズレ』
しいな ここみ様が主催する『冬のホラー企画3』の参加作品になります。
概要はこちら
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日が沈んでから数分がたった。ここ、寒木山スキー場では、ナイター用のライトがぽつぽつと灯りはじめていた。俺は頂上付近から麓まで滑走する最難関のスキーコースを、たった一人で滑っている。
いや、正確には俺のほかに、人じゃないのが大勢いるんだ。俺はいま、そいつらから逃げるために、必死で雪山を駆け下りている最中なのさ。
俺の後ろで、雪煙をあげながら迫ってきている、あれだよ。一見すると雪崩のような、白い物体の集まりに見えるだろ?
違うんだ。あの集合体は、寒木山で密かに語り継がれている都市伝説――
――山で亡くなった人たちの霊が集まった、ウィンタースポーツチーム、『ユキクズレ』なんだ。
「ほらほら、もっとスピード出さないと、捕まえちゃうよー」
零度に近い空気を切り裂きながら滑っているにも関わらず、あの冷たい声は、不思議なほど俺の耳に届いてくる。声の主は、ユキクズレのメンバーたちを先導する、女性スキーヤーの亡霊だ。噂では、彼女が現在のリーダーだという。
装備や服装は、普通のスキーヤーとたいして変わらない。しかし、その首から上はあまりにも特徴的。雪のように白い肌と白い瞳、氷のように透き通った長い髪の毛を、風に晒したまま滑っているのだ。
「みんな、仲間が増えるかもしれないよ、がんばっていこーね」
彼女はそんな状態でもペラペラ喋っている。フェイスマスクで防寒している俺ですら、くちびるが冷たくてカサカサしているってのに。
「オッケー、チームのニューカマー、秒読み段階だぜ!」
「永遠にこの山で遊ぼうじゃないか、お兄さん」
彼女の後に続く亡霊たちは、実に様々なやつがいる。髪や肌こそ白っぽい色で統一されているものの、スノーボードに乗ってるチャラっぽいやつ、そりに乗ったじいさん、雪だるまになって首と手足だけ出ている運動オンチなどなど、チラッと後ろを見るだけでもその個性が丸わかりだ。
奴らに追いつかれてしまったら最後、否応なしにこのバラエティー集団の一員に加えられてしまうって寸法だ。チクショー! 彼女にフラれてムシャクシャしてたとはいえ、最難関コースなんか選ぶんじゃなかった。夕方のここが、一番出やすいって聞いてたのに!
「キミ、けっこう滑れるほうでしょ? このコース、もっと楽しくしてあげるわ、それっ!」
リーダーが妙なことを言ったと思うと、前方にある雪が、次々とせり上がり始めた。
「うわっ!」
「ははっ、ようやく声が聞けたね」
かわそうとしたが避けきれず、雪の塊に乗り上げてしまった。頂点をこえて、少しの間、俺の体が宙に舞う。地面に着地する瞬間、足に全身全霊の力をこめて踏ん張り、なんとか転ばずにすむことができた。
「キャッホー!」
「ヒャホ、ヒャホ、ヒャッホーイ!」
「ウェェーイィ!」
後方を確認すると、奴らは雪の塊をジャンプ台がわりにして、空中で様々なポーズをとったり、大胆な技をキメたりしてやがる。くそっ、人が必死に逃げているところだってのに、陽キャどもめっ! ……亡霊の陽キャって、ちょっと変だな。
「へー、まだ後ろを振り返る余裕があるんだ」
冷たい声にぎくりとした。
「キミも好きなだけ技キメていいよ。もし失敗して手足や首の骨を折っちゃっても、私たちのチームに入れば関係なくなるからさ、あははっ!」
冗談じゃねえ!
俺は声を振り払うように、より姿勢を低くしてスピードを上げた。スキーは俺が唯一得意なスポーツなんだ。お前らの仲間にされてたまるか。
「まだまだ麓まで長いよー。たどり着くまでに、そのスピードを保てるかなぁ?」
リーダーの彼女はなおも、余裕たっぷりに煽ってきやがる。しかし、彼女の言うことも無視できなかった。ユキクズレから逃れるには、麓のセンターハウスような、暖の取れる場所までたどり着く以外にないそうだ。見た目通りだけど、奴らは暑さが苦手らしい。
俺の勘だと彼女は生前、プロのスキーヤーだったんじゃないかと思うぐらい、華麗な身のこなしをしている。おまけにあの余裕っぷり、まだ本当の実力を見せてないんじゃないか。だとしたら、このままだとジリジリ距離を詰められて……。
「それじゃ次は、ノーマルヒルのスキージャンプを体験させてあげようかな」
考えろ、考えるんだ。他に何か生還する可能性が高いルートはないのか。
……あ!
俺は思い切り右足に重心をかけて、左側にある、雪をかぶった林のほうへ進路を変更した。
「あれ、どこに行くの?」
ほのかな闇を抱えた林の中へ、俺はひるむことなく突っ込んでいった。
それからしばらく、考える暇も無かった。最難関コースがかわいいぐらいの超難度。ストックを杖のように操りながら、木々の間を縫うように滑っている。たびたび木に体がぶつかって、とても華麗とは言えないが、転ばなきゃ御の字だ。
「ちょっ、速っ」
「あぶねっ」
「痛てーっ!」
後ろからは余裕の無さそうな声が聞こえてくる。俄然、希望とともに、俺の神経はますます研ぎ澄まされていった。
林の闇が徐々に薄れてきて、ついに俺は転倒することも激突することもなく、林を抜けることができた。さすがの奴らも、あの林には手こずっただろう。このまま撒けたかもしれないぞ。
そう思って、俺は後ろを振り返る。
大きな白い瞳が、すぐそこにあった。
「あーっはははは! キミ、やるじゃない!」
宙に舞う長い髪が、まるでバケモノの触手のようで、凄まじいまでの威圧感を放っていた。笑い顔も狂気に満ちている。俺は逃げるように顔をそむけた。
「あのスピードで林を突破するなんてね、わたしもつい熱くなっちゃった。でも残念、わたしを振り切るには、まだまだスピードが足りないよ」
やっぱり彼女は格が違う。今までも後ろのメンバーたちに合わせて、スピードを抑えてやがったんだ。
「こうやって近くで見てみると、キミはますます似ているね、あの人の後姿に」
だが、まだだ。まだ俺には望みがある。
「そう、わたしが雪崩に巻き込まれたあの日……わたしを見捨てて逃げていった、あの元カレにそっくり!」
多分、もうすこしで、見えるはずなんだ。
「キミをチームに迎えることができたら、わたしの凍りついた魂も、少しは癒されるのかな」
諦めるな、がんばれ、俺。
「ほら、もうちょっとだよ。もう少しで、キミの背中に手が届く」
凍りつくような声がすぐ後ろで囁かれはじめた時、雪煙のむこうに、ぼんやりとオレンジがかった光が見えた。
「やった、思った通りだっ!」
「へっ?」
急に叫びだした俺に、彼女は少々戸惑ったようだ。
そして雪煙の向こう側に、光の主である建物も見えはじめる。
「こ、ここは? ちょっ、キミ、スピードを緩めないの」
当たり前だ、緩めるもんか。
光に向かって進んでいくと、雪煙が晴れ、目の前に竹でできた大きな柵が現れた。
「おりゃあああーっ!」
「ええっ、ウソでしょ、突っ込むつもり!? くっ、だめ。避けきれない!」
俺は全力のスピードで、竹の柵を突き破った。スキー板が引っかかり、俺の体は宙に投げ出された。すぐ後ろにいた彼女も、同じように転倒して宙を舞っている。
「これは……池? それに煙? いやちがう、これは……!」
彼女の声が途中で途切れ、大きな着水音が耳に響いた後、俺は視覚と聴覚が鈍くなった世界を数秒間さまよった。
「……あっちぃ!」
水面から顔を上げ、ようやく俺は叫びをあげることができた。
「ひいぃ、鼻がいてえ!」
俺は急いで、ニット帽とゴーグル、フェイスマスクを脱ぎ捨てる。
すると、どこからともなく、あの声が聞こえてきた。
「なるほど、温泉、ね。してやられたよ」
あたりを見回したが、湯けむりが濃霧のように立ちこめていて、人らしき姿を確認できない。それでも俺は勝利宣言をするように、声にむかって言葉を返した。
「そうさ、俺は途中から、ここ、寒木山荘の天然温泉を目指してルートを変更していたんだよ!」
「わたしとしたことが熱くなりすぎて、山荘が近くにあることに気がつかなかったなんて」
「とにかく、ここ以上に暖かい場所なんてこの山には無いはずだぜ。俺の逃げ切りだ、そうだろう!」
突然、大きなつむじ風が吹いてきて、湯けむりを一気に吹き飛ばしてしまった。
「そのとおりね。くやしいけど、もうキミをメンバーにするだけの力は残ってないよ」
現れたのは、膝より上を温泉から出して立っている、あのリーダーだった。腰に手を当てて、顔はどこか不満げで、そして……何一つ、服を身に着けていなかった。
「ちょ、ちょっ、なんで!? ウェアは、着ているものはどうしたんだよ!」
「さっき温泉に突っ込んだせいでさ、全部溶けちゃったよ。せっかくなめらかな質のいい雪で作ったのに」
俺はしばらく、彼女の美しい姿に釘付けになってしまった。全身真っ白で、固い雪で作った彫刻のよう。よく見ると、体のあちこちで、澄んだ汗が流れている。溶けてきているのだろうか。つーか、あの装備も服装も、全部雪でできてたのかよ?
「そういえば、あんたのチームメイトはどうしたんだ。溶けちまったのか?」
「うん? 仲間たちなら、あそこでくつろいでるよ」
彼女が指さす方を見てみると、溶けかけた雪だるまみたいな物体が、何十体も湯船に浸かっていた。
「いやー、温泉なんて久しぶりだぁ」
「芯までとろけちまうぜぇ」
こ、こいつら、溶けてんのに温泉をエンジョイしてやがる!
「今回はわたしたちの負けだけど……キミを追いかけていた時、本当に楽しかったよ」
あの時とは違い、人間的な温かみのある声が聞こえてきて、俺は彼女のほうを振り向く。
「キミとなら、また熱い冬を過ごせそう」
白い顔がほんのり、紅色に染まっていた。どうも温泉の熱さのせいだけではないようだ。
そして彼女は、チームメイトの方を向き、ぱんぱんと手を叩いた。
「さあみんな、体が全部溶けてしまわないうちに、帰りましょ。わたしたちがいるべき、寒木山の万年雪の中へ……」
彼女は両手を天に掲げるような仕草をした。彼女の体が細かく崩れ始めている。むこうのチームメイトたちもだ。
「来年、また一緒に滑りましょ。約束だよ」
彼女は俺の方を見て、笑った。あたたかい笑顔だ。次の瞬間、彼女たちは大きな粉雪へと変わり、風に舞い上がって、暗闇の空へ飛んで行ってしまった。
しばらく呆然としていたけど、やがて、足もとからじわじわと温泉の温かさを感じるようになり、ようやく生き延びたことを実感しはじめた。
ウェアを着たまま、俺は湯船に浸かり、大きく息を吐く。
「何気に来年の約束まで取り付けられちまったじゃねーか……もし約束すっぽかしたら、呪われたりすんのかなぁ」
ユキクズレが飛んでいった空を見上げながらいろいろ考えていると、どこからか、ガラガラと戸の開く音が聞こえた。
「おおーすげぇ、こんなに広い露天風呂があるんだあ」
「夜空も景色もいいですよ。特訓の疲れを癒すにはもってこいですね、センパイ!」
やたら体格のいい女子たちが、裸で何人もやってきた。
……ってまずい! ここ、女湯だったのか!
「ん、あそこにいる人はなんだ? 服着てねえか?」
しまった、気付かれた。
「キャーッ! 男! 男が女湯にいるよお!」
「てめー! 変態野郎かっ!」
「ああ、いや、ちょっとまってください! これには深いわけが……」
「うるせえ、今すぐ捕まえてやらあ!」
弁明もむなしく、俺はデカい女子たちに力づくで湯船から引っ張り出され、そしてがっちり体をホールドされてしまった。
「オラオラ! この女子プロレス団体、『イエティガールズ』の肉体を覗こうとしたのが運の尽きだよ。お縄を頂戴するまでの間、特訓したての技をたっぷり味わいな!」
「ギャーッ! ユキクズレ! こいつらの頭を冷やしてくれーっ!」
とほほ、俺の恋路の雪解けはいつになるのやら……。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。