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首螽斯

雨が降ったのか、空気が湿っていた。


じっとりとした厭な空気が溜まった薄暗い路地裏で、三人程の大柄な男がたむろしている。

皆、何か同じ組織に属しているのか、同じ茶色のつなぎを着ていた。

男達の足元に、何かが転がっていた。


薄汚れているが、それは人間だった。


オレンジのラインが入ったスカート。肩につく程のセミロング。

歳は、十四ほどだろうか。

幼なさの残る、可愛らしい顔立ちをしている。笑った顔が見てみたくなる少女だった。


しかし、少女───リカエナはただ虚ろな目で地面に蹲っていた。


「久しぶりの収穫だ。保安局に嗅ぎ付けられる前にさっさと運んでしまうか」


顔に傷のある強面の男が、リカエナを土足の爪先で小突いて転がした。

リカエナは、そのような屈辱的な扱いを受けてもされるがままだった。

仰向けになって現れた彼女の両手と両足は、麻縄で縛り上げられている。


鷲鼻の男が、リカエナの近くに屈みこんだ。

男は、リカエナの頬が赤く腫れていることに気づいた。


「馬鹿、商品に傷をつけるなと言っただろうが」

「へへ、すいやせん。突然叫んだもんで、つい」

「まったく……使えねぇ」


男が、背後にいた男に向けて声を荒らげた。

男は、肩を竦めて卑屈に笑った。顔にできもののある、醜男であった。顔は浮腫んだようになっていて、盛り上がった肉と肉の切れ間から細い目が覗いている。


鷲鼻の男は、舌打ちをしてリカエナに向き直る。リカエナの頬を掴んで、じろじろと見回した。顔の腫れを確認しているようだった。


労りは、そこには無い。


ただ、調度品を鑑定するかのように、淡々とした目で少女の怪我を確認している。

リカエナは、黙って虚空を見つめていた。


叫びすぎて、涙も喉もすっかり枯れてしまった。

腫れた頬が痛い。助けを求めようと声を上げた時に、殴られたのだ。

口の中は鉄の味で満たされていた。


突然襲った恐怖と暴力に、精神は思考することをすっかり放棄していた。

植え付けられた痛みと、逃げられないという事実が、脳に諦観を植え付ける。


身体も、あちこちが痛んでいる。


服も、靴も地面に転がされた時に汚れて、土まみれになっていた。

お気に入りの靴だったのに、と胸が傷んだ。


帰路についていた時、にわか雨が降ったのだ。


傘を持っていなかった。それに、今日はお気に入りの靴を履いていた。

マリーゴールドのように鮮やかなオレンジ色で、つやつやと光るのだ。その靴が濡れるのが嫌で、急いでいた。


近道となる路地裏を足早に駆け抜けようとした所で、建物の隙間から伸びた腕が自分を掴んで物陰へと引き摺り込んだ。

驚いて、たすけて、と叫んでいた。

そこで、殴られた。


頬を伝わる強烈な衝撃は自分の意識をも飛ばしてしまったようで、頭が真っ白になってしまった。

あれほど人攫いには気をつけろと言われていたのに、とリカエナは己の迂闊さを悔やんだ。


「まぁ、このくらいならすぐに治るだろう。若いしな」

「へへへへ、若い女ですからね。高く売れますぜ」


鷲鼻の男が、立ち上がって顎先でリカエナを示した。

この三人の中では、鷲鼻の男が立場が上であるようだった。

できもののある男が、厭らしく笑ってリカエナに近づいた。

リカエナの口元に、布で猿轡を嵌めた。これで喋ることも、舌を噛んで自害することも出来なくなった。


男は、手に大きなずた袋を持っていた。口を開けると、傷面の男がリカエナを抱え上げてずた袋の中に押し込んだ。

視界が、暗闇に変わる。ずた袋の網目から差し込む僅かな光を受けながら、リカエナは夢を見ているかのようにただぼうっとしている。

これが、夢だったら良かったのに。


リカエナは目を閉じた。眠って、目を覚ましたら、いつも通りの日常が待っていると信じて。

それでも、疼痛を訴える頬は、紛れもなく現実であった。


「よし、帰るぞ。バイヤーの所に行かなきゃならねぇ」

「へい」


リカエナの入ったずた袋を持ち上げようとした所で、男がその手を止めた。

空気を確保するためか、僅かに空いた袋の口から、リカエナは外の状況を少しだけ伺うことができた。


男達が路地裏から自分を運びだそうとした瞬間、反対側からやってきた人影が、男達の前に立ち塞がったのだ。


異様な人影だった。

裾の長い、砂色のコートをまとっていた。

風を受けても、その裾ははためかない。生地が分厚く、重いのだ。

顔に、長い布をヒジャブのように巻き付けていた。そのせいで面差しは、判然としない。

露出しているのは、目元だけだ。


「この男を、知らないか」


男の声だった。

布で覆われているからか、その声はくぐもっていた。

リカエナは見ることが出来なかったが、覆面の男は何かが描かれた紙を男達に見せているらしかった。


ため息が聞こえた。鷲鼻の男のものだった。


「知らないやつはいねぇだろう。不愉快な顔だ……。だが、そいつはとっくに死んだ。そんなことは誰もが知ってる」

「ほら、答えてやったんだからさっさと消えろ。俺たちは荷物の運搬で忙しいんだ」


傷面の男が、覆面の男の肩を強く押した。

突き飛ばす勢いだったが、男は身動ぎもしなかった。傷面の男が、顔を顰める。

荷物の運搬、と聞いてずた袋に視線を落としていた。

袋の口に顔を押し付けて状況を伺っていたリカエナと、ずた袋を見つめる男の、目があった。


慌てて、男がずた袋の前に体を置いて隠した。

リカエナは、うつ伏せのまま猿轡をされた口を地面に擦り付け始めた。


賭けだった。


無視をされる可能性もあるし、逆上した男達に酷い目に遭わされる可能性もある。

それでも、目の前に現れた蜘蛛の糸を手放したくなかった。

顎が、頬が、ずた袋の毛羽立った繊維で傷つく。それでも、何度も擦り付けた甲斐あって、やっと猿轡が緩んで口を露出することができた。


「たすけて!この人達人攫いよ!助けて、お願い!」

「おい!」


声の限り叫んでいた。縛られた手足を滅茶苦茶に動かして、自分の存在を伝えるべく袋の中で暴れる。

腹に衝撃を感じて、痛みと共に動きが止まる。

外から、蹴り付けられたらしかった。

そのまま二度、三度と蹴り付けられる。爪先が腹の柔らかい部分にめり込んで、呼吸が詰まった。


「おい!さっさと行け!こいつは俺がどうにかする!」


傷面の男が叫んだ。それを受けて、リカエナを蹴りつけていた男がずた袋を抱え上げて走り出した。

駄目だった。

二人が足止めしているうちに、自分は連れて行かれてしまうだろう。

売られたらどうなるのだろう。酷い扱いを受け続けるなら、ここで死んでしまった方がましでは無いか。

猿轡が緩んだ今なら、舌を噛むことは可能だ。


死を覚悟した所で、リカエナは己の身体が一瞬宙に浮いたのを感じた。


落下するかと思ったが、直ぐに、受け止められた。

今までの乱暴な扱いではなく、優しい受け止め方だった。

ゆっくりと、身体が地面に下ろされる。


真っ白な光が目を灼く。

袋が、こじ開けられている。ほんの少しぶりの外の景色を見て、枯れたと思った涙がまた流れ出してきた。


覆面の男が、リカエナを見下ろしていた。

男は黙って、リカエナの縄を解き始める。

が、分厚い手袋を嵌めているため、手間取っているようだった。


「あ、あの……」


男の背後に、自分を捕まえた男達が転がっているのが見えた。

皆、白目を剥いて地面に倒れている。

男の仕業だろうか。

それにしては、乱闘があったような気配は無かった。

リカエナは、おずおずと口を開いた。


「助けて、くれたんですか……」

「……」


男は、黙って頷いた。

手袋をつけたまま縄を外すことは諦めたのか、男は手袋を外して再度縄解きに挑み始めた。

その様子がおかしくて、リカエナは微かに笑ってしまっていた。


「……何か、おかしいことでも」

「ごめんなさい、始めから手袋を外せばいいのにと思って……」

「……そうなんだ。僕も、そう思った」


訝しそうに見つめてくる覆面の男に、リカエナは若干の罪悪感を覚えながら答えた。

男は、顔を顰めた。


「いつもこうなんだ……結果を考える前に身体が勝手に動いてしまう」


くぐもってはいるが、声に反省の色が滲んでいた。

男が、麻縄を解き終わった。締め付けられていた肌に、赤く縄の跡が残っている。

手脚に、開放感が戻ってきた。


「立てるかい?人が多い所まで、送っていこう。僕が間に合ったから良かったけど、こういう人気の無い道を通ってはいけないよ」

「は、はいっ。立てます……あっ」


立とうとして、尻餅をついてしまった。腰が抜けてしまっていたのだ。

覆面の男が、目を細めた。


「男に触られることが怖くなければ、おぶって行こう。僕の背に乗るといい」


男は屈みこんで、リカエナに背を向けた。

戸惑いつつその背に跨ると、男はゆっくりと立ち上がった。

異様な風体にそぐわない、優しい男だ。

彼は、何者なのだろう。

男三人を、あっという間に倒してしまった。

リカエナがぼんやりと思考していると、覆面の男が歩を止めた。


「困るんだよな、こういうことをされちゃ───」


低い声が響いた。

男が、覆面の男の前にぬっと立ち塞がった。男は、伸びてしまっている三人と同じ茶色のつなぎを着ていた。

もう一人いたのだ。

体格が、覆面の男の二倍はある。

服の上からでも分かる盛り上がった筋肉に、眉の無い額。

鋭い瞳に、リカエナの口から微かな悲鳴が漏れた。

薄れていた恐怖が、また戻ってくる。覆面の男に、強くしがみついた。


「保安官じゃねぇな、賞金稼ぎ(バウンティ・ハンター)か」


巨体の男が、覆面の男を見て嘲るように言った。


「そうだ。人を探している。教えて欲しい」

「……ハイエナが一丁前にヒーロー気取りか?蛮勇は身を滅ぼすぜ」


覆面の男は物怖じするが、巨体の男はそれを無視して距離を詰めてきた。


「ごめんよ、君を降ろす時間が無い。ここからかなり揺れる!しっかり僕を掴んで、離れないように」

「は、はい!」


覆面の男が、早口でリカエナに叫ぶ。リカエナは、渾身の力で男にしがみついた。

巨体の男が、拳を振りかぶるのが分かった。


覆面の男は、地を蹴って退ることで躱す。

巨体の男の拳に、光るものがあった。

大振りの指輪を四つ繋げたような形の、メリケンサックが嵌っていた。


受ければ、ただでは済まない。

再びの追撃が、覆面の男の顎を掠めた。

男は首を仰け反らせて避けるが、巻き付けた布が男の反射についてこれなかった。


男の拳に巻き込まれて、布が緩む。

布の下にあった、短く切られた黒髪が露出した。


覆面の男が、低く腰を落とした。そのまま、地を蹴って跳躍する。


リカエナは、目を疑った。

たったひとっ飛びで、巨体の男を飛び越すほどに跳躍したのだ。

そのまま、覆面の男は体を捻る。鞭のような靭やかさで、腰の捻りと共に蹴りが巨体の男の顎に炸裂した。


何かが砕ける、嫌な音がした。巨体の男の、顎が砕けたのだ。

先程殴られた時とは比べ物にならない衝撃が、男の体を通じてリカエナを叩く。


リカエナは、目を瞑って男にしがみつく力を強めた。

巨体の男の身体が、ぐらりとかたむく。そのまま、重力に導かれて落下した。

男の身体が地面に転がるより先に、男とリカエナは地面に落下した。


「そのまま、目を閉じていなさい。酷い光景だ」


瞼を開こうとした所で、男が止めた。

血の混ざったピンク色の泡を吹いて、巨体の男が悶え苦しんでいる。

リカエナはその姿を見ることは無かったが、両耳に残る生々しい苦悶の声は色濃く染み付いた。


「……しまった、質問の答えを貰っていない」


黙って歩き出した男は、ぽつりと呟いた。

緩んだ布は垂れ落ちて、隠していた男の素顔と髪をすっかりさらけ出してしまっている。


リカエナが目を開けて真っ先に目に入ったのは、男の旋毛だった。


「誰か、探しているんでしたっけ?」

「ああ……この男さ。探しているんだ」


男はそう言って、片手でコートの懐に手を突っ込むと、折り畳まれた紙をとりだした。

広げて見れば、大きく印刷された、WANTEDの黒字。Dead or Aliveという一文の下に映る、男の顔写真。

賞金首(クリミナル)の手配書だった。


斑猫(タイガー・ビートル)……」

「君のような娘でも知っているのか」


無意識に呟いた名前に、男が反応した。


「ええ、だって、この街は斑猫(タイガー・ビートル)がいなくなる前、最後に目撃された場所ですよ。皆、怯えていたんです」

「そうか……それは大変だったね」

「でも、死んだって聞きました。大きな爆発騒ぎもあって、生きてはいないだろうって。それでも、お兄さんは、探しているんですか?」

「ああ。僕は、賞金稼ぎさ。それも、高額の賞金首(クリミナル)専門のね。少しでも生きている可能性があれば探してみたいんだ」


人通りの多い路地が近づいてきた。リカエナは、男に尋ねる。


「……お兄さん、また会えますか?お礼がしたいです」

「それはできない。僕は、ハンターだ。結果的に君を助けることはできたが、本来はコソコソ犯罪者の首を狙うハイエナ紛いの存在だ。恨みも買っている。……二度と会わないに越したことはない」


男は、首を横に振ると、地面にしゃがみ込んだ。


「もう、大丈夫だろう。僕は、君の家には行けない。ここからは、気をつけて一人で帰るんだ、いいね?」


背から降りて、改めて見た男の顔は、口にガスマスクのようなものを嵌めていた。

声がくぐもっていたのはこのためか、とリカエナは納得した。


「はい、本当に………ありがとう、ございました」


リカエナは、頭を下げた。

また、いつもの帰り道に戻れるとは思わなかった。

嬉しくて、安心して、また涙が零れる。


男が、笑う気配がした。

優しい笑いだった。咄嗟に顔を上げると、男の姿は影も形も無くなっていた。

跳んで移動したのだ、とリカエナは思った。

自分一人抱えて、二メートルは優に超す跳躍が可能なのだ。身軽になったなら、もっと高く跳べるのだろう。


リカエナは、人通りの方に進んだ。


路地裏から出てきたぼろぼろの少女を見て、何人かがぎょっとしたり、心配する声をかけてきた。

それを笑顔でありがとう、もう大丈夫、と躱して、リカエナは帰り道につく。

 

リカエナが賞金稼ぎ(バウンティ・ハンター)の『首螽斯』の存在を人から聞くのは、もう少し先のことである。


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