蛹
酷い頭痛で目を覚ました。
まるで頭蓋をこじ開けられ、中にある脳を好き勝手に掻き回されているような、そんな錯覚すら覚えてしまう。
痛みは収まるどころか、更に強くなる。
脳味噌を乱暴に混ぜられている。
いや、違う。内部から食い破られている。
虫だ。
何匹もの虫が、己の脳を、ぐちゃぐちゃと食い荒らす。
棘を備えた脚が柔らかな脳を引っ掻く。顎に備わった二対の牙を立て、それらを擦り合わせるようにして、咀嚼されていく。
無機質な複眼は、ただ目の前の糧を食い尽くすという本能のみ。
「ううっ………ぐぅ……」
耐えられずに、呻きが迸り出た。
虫が頭蓋を、皮膚の下を、無闇矢鱈に這い回る幻覚がよぎっては、消える。
このままのたうち回りたくなるほど酷い痛みだ。
もはや言葉にならない苦悶の声を漏らしながら、胎児のように体を丸めようとしたところで、自分がベッドの上に寝かされていることに気づいた。
痛みをやり過ごそうと握りしめてぐしゃぐしゃにしてしまったが、清潔な白いシーツが敷かれている。
頭痛の波が引いたのか、周りの状況を確認できるくらいの余裕が生まれたらしい。
見知らぬ部屋だった。
安いホテルの一室だろうか。ベッドに引かれたシーツこそ新しいものの、あちこちに置かれた家具は年季が入っている。
その年季に反して、この部屋には生活感が無い。
今自分がいるベッド、その隣にある木製のクローゼット。壁にぴったりとつけられた木製のデスクと、その壁に設置された鏡。
柔らかな風が左の半身を這い上がる気配に誘われながらその方向に体を向けると、窓があった。
白いカーテンのかけられた窓だ。窓は開けられており、爽やかな風を受けてはためいている。
その向こうに、うっすらと、黒いものが透けて見える。
目が慣れてくると、その正体を判別することが出来た。
窓には、鉄格子が嵌められている。
ふと、嫌な予感に襲われた。
自分は誰かに誘拐され、ここに監禁されているのではないか。
自分がここで目覚めるまでの行動を思い出そうとして、再び激痛が頭に走った。
思わず額に手をやると、ざらざらとした布が巻かれている感触がある。包帯だろうか。
包帯が巻かれるような怪我をした記憶は、無い。
いや、それどころか───
ずきずきと痛む頭痛を堪えながら、鏡の設置されているデスクへと歩み寄る。
心臓が早鐘を打つ。額にも背筋にも、嫌な汗が滲み出ている。
デスクに手をついて鏡を覗き込むと、底には包帯を額に巻いた、若い男の顔が映っていた。
自分が右手を上げれば、その若い男も左手を上げる。
間違いなく鏡面に映し出された自分自身だ。
だが。
「……誰だ?」
首を覆うまで伸びた髪は、青みがかった艶を持ちながら黒々としている。虹彩は赤く、鏡の中で不安そうに揺れていた。
彫りの深い顔立ちは、自分の知りうるどの人種とも違う気がした。
肌は白いようにも見えたし、黄色いようにも見えたし、やや褐色なような気もした。
この顔を、自分は知らない。
これは、誰だ。
歳若い青年は、鏡面の中眉根を寄せて困惑している。
着ている白いパジャマと額の包帯が相まって、どこかの病院の入院患者のような風体だ。
「やぁ、目を覚ましたのかい」
部屋の壁の隅にある、ドアが軋んだ音を立てながら開いた。
目を覚まして初めて聞く他人の声は、清涼な空気のように新鮮だった。
若い男の声だ。年は、自分とそう変わらないだろう。
ゆっくりと、男の声がした方向へ首を向ける。
予想通り、ドアの手前の短い廊下には、一人の若い男が立っていた。
長い髪を、首の後ろで一つに束ねている。
美しい男だった。盛り上がった喉仏や、骨ばった手が無ければ、女だと思っていたかもしれない。
男は、黒いスーツを着ていた。右腕に、紙袋を抱えている。
「買い物に行ってたんだ」
男は、軽やかに言って紙袋に左の手を突っ込んだ。
そのまま手を引き抜く。
取り出されたのは林檎だった。赤く、陽の光を受けて艶めいている。
「しばらく何も食べてないから、腹が空いただろう。用意するから、待ってておくれ」
男が微笑んだ。
そういえば、胃は空っぽだった。
頭痛に苛まれて気にする余裕など無かったが、酷く飢えていた。
林檎の艶めきを見ていると、薄い皮の下にある果実の甘味が脳裏に浮かぶ。噛み付けば、瑞々しい果汁が迸るだろう。
そんな想像に、乾いていた口の中にじわじわと唾液が滲んでくる。
このような状況でも、腹は減るのだ。
己という人間の現金さに、苦笑する。
そこで、一抹の疑念が脳を掠めた。
何故、目の前の男は、自分がしばらく食事をしていないことを知っているのだろう。
先程考えた、厭な予感が再び浮かび出す。
誘拐、監禁、人身売買。
浮かんだ物騒な想像のままに、男を睨みつけた。
睨まれても、男は動じない。ただ、形の良い唇を吊り上げて、穏やかに微笑んでいる。
「おまえは、誰だ」
絞り出された誰何は、ひどく掠れていた。
そういえば、喉も乾いていた。
「俺は錦。姓は無いが、この世界では珍しいことでもないだろう?」
「ニシキ……?」
男の口にした名を鸚鵡返しに呟くと、よく馴染んだ。
頻繁にその名を口にしていた、ような気がする。
しかし、記憶を辿ろうとしたところで、脳天にノミを打ちこまれたような激痛に阻まれた。
堪らずによろめいたところを、錦の手に支えられる。
錦の体格は細身だが、自分の体を支える片腕はびくともしなかった。
鋼のような腕だ、と思った。
極限まで絞りあげられた、一切無駄のない、野生の豹のようなしなやかな肉体。
只者では無い。
何故こんな男が、鉄格子のついた部屋に自分を寝かせていたのか。
それを問おうとしたところで、先に錦が口を開いた。
「俺は、怪我をしていた君を介抱していたのさ。ひどくボロボロだったからね」
錦は片腕で抱えていた紙袋を取り落とした。
落下したそれからは、缶詰やら果実やらが零れ出て、床を転がっていく。
早く拾わなければ、と緩慢な頭で考える。
その思いに反して、体はぴくりとも動かなかった。指先にすら力が入らず、ただ錦の片腕に身を預けている。
ふと、体が暖かいものに包まれた。
眼前に、黒いものが迫る。
それは錦の纏っているスーツで、自分は今錦に抱き締められている。
そう気づいた時には、鼻腔に彼が着けているであろう香水か何かの香りを感じていた。
「良かった、本当に……。酷い怪我だったんだ、頭からもいっぱい出血していて……こうして無事に目覚めてくれるとは……」
錦の声は、掠れていた。涙ぐんだ声だ。
切れ長の目元には、涙が浮かんでいるのかもしれない。
錦は自分の背を慈しむように撫でた。その手つきは優しかった。
繰り返し撫でられていると頭痛はいつの間にか消え、今はただ、心地よい微睡みの波が自分の意識を引きずり込もうとしている。
しかし、そのまま眠る訳にはいかなかった。
この錦という男は、自分と何か関係があったことは間違いない。
ならば、己が何者だということも、教えてくれるはずなのだ。
この、自分が誰だか分からないという、耐え難い恐怖と孤独から、解放して欲しかった。
ベッド、鏡、窓、カーテン、林檎、缶詰、香水、若い男。
このどれも、自分は知っている。どういう用途で使われるものか、食べるものか、知っている。
分からないのは、自分の事だけだ。
教えてくれ、俺は、誰なんだ
不安のままに吼えようとしたところで、意識は急速に眠りの渦へと引き込まれていった。
眠りたくないと抗おうとしても、視界は暗黒へと変わる。
「もう、手放さない」
最後に耳に届いた、低い呟き。
それはおそらく錦のもので、やはりこの男には何か己をここに閉じ込めておく目的があるのだ。
警鐘が鳴る。ここで眠ってはいけない。
この錦という男は、まだ信用できない。
その願いも虚しく、己の意識は闇に溶けた。
◆
次に目を覚ました時は、再びベッドの上だった。
まだ、体は怠いが、起きなければいけない。
重たい瞼を引き上げると、ベッドの傍らに佇む黒いシルエットがぼんやりと見えた。
「おはよう。といっても、日は暮れたけどね」
錦だ。
ベッドの傍に椅子を置いて、その上に腰掛けて自分を覗き込んでいる。
男は黙って眉根を寄せた。
寝ている顔を見られるのは、良い気分では無い。
それは己の性格か、それとも本来の自分の性質なのか。
今の男には、まるでわからなかった。
「君が起きてから、食事を用意しようと思ってね。待ってたんだ」
錦が椅子を置いている傍らには、ライトを備え付けた棚がある。
埃ひとつないその綺麗な棚に、小皿と、いくつかの食器と、木の鞘に入った小さなナイフが置かれている。
錦の手には林檎があった。
意識を失う前に見たものだ。
窓を見た。
カーテンと鉄格子越しに、橙色の空が見えた。確かに、日は暮れている。
「喉が乾いただろう。飲むかい」
錦は、棚に置いたガラスのコップを手で指し示した。
腕に力を込めて、上体を起こす。
ベッドボードに背を預けたところで、錦がコップを差し出した。
手で受け取る。
ここまでの動作に、大して問題はない。
コップに口をつけて、中身を飲む。水だ。少し、熱を持っている。
「白湯だよ。空腹に、冷水は良くないんだ」
サユ。
聞きなれない言葉だったが、喉の乾きが潤されていく喜びに夢中で、どうでもよくなった。
コップの中身を飲み干したところで、錦に向き直った。
どうしても、尋ねたいことがあったのだ。
「俺の、名前は」
「君の名前は、斑猫。姓は知らない。俺と同じさ」
錦はあっさり答えた。
「斑猫……」
反芻する。
不思議な気持ちだった。
空虚でふわふわとしていた自分が、いまこの空間ではっきりと形を持ったような気がする。
ふと、目頭の辺りが熱くなった。
涙が滲んでいた。
「そんなに不安だったかい?ごめんね、もっと早く教えてあげれば良かったね」
錦は罰の悪そうな顔をした。
「俺は……なぜここにいるんだ?」
「君は頭を打って、怪我をしていたんだ。この近くには病院が無くてね、手当と療養を兼ねてここに運んだのさ」
錦は話しながら、小さなナイフで林檎の皮を剥いていた。くるくると果実を回転させながら皮を薄く削り取っていく様子を見て、器用なものだ、と思った。
「俺は、なぜそんな怪我を……?」
「事故だよ。足を滑らせて、高所から落ちたのさ。幸いにして打撲や擦過傷はそこまで残らなかったが、意識はなかなか戻らなくて……」
「俺はどのくらい眠り続けていたんだ?」
「そうだね、二週間くらいかな」
ぎょっとした。
慌てて錦の方を見るが、彼は涼しい顔でリンゴをすりおろしている。
「二週間……?ダメだ、何も思い出せない」
「ゆっくりでいいよ。まだ、本調子じゃないだろう」
「そうだ、何か……新聞とか、ラジオとか、そういったものは無いのか?」
頭を抱えたところで、複数の可能性に思い当たった。
外界からの情報があれば、この空白を埋めることが出来るかもしれない。
上手く行けば記憶が戻る手がかりを掴めるやもしれぬ。
しかし、希望に反して、錦はゆっくりと首を振った。
「生憎、ここには無いんだ。新聞が配られてるエリアでも無いし、電波も来ない」
「そうか……」
斑猫は肩を落とした。
「それに新聞は今の君には……そうだな、これを読んでみてくれ」
錦は椅子から立ち上がり、ベッドから離れた場所にある戸棚に向かった。
数作並べられた本は、そこまで汚れてはいないものの、タイトルの箔が剥げていたり、背表紙に傷があったりした。随分と年季の入ったもののようだ。
錦は、その本を斑猫に差し出した。
ぱらぱらと捲ってみる。
そこで、違和感に気づいた。
文字としては読むことができるにも関わらず、分からない箇所があるのだ。
それは文章の一節であったり、単語であったり、様々だった。
口に出そうと思えば、問題なく発音できる。しかし、意味を理解する、または思い出すことができない。
既知の言語のはずなのに、見知らぬ国の言葉のようだった。
「君は頭を強く打ったと、俺はそう言ったね」
「ああ」
「頭を打ったせいで、言語中枢が少しやられてしまっているようなんだ。一時的に君の脳は、失語症のような状態になっている。まだ君は、完全に回復できてはいないのさ」
眩暈がした。
もう一度本の頁に視線を落としてみるも、依然として視覚から得た情報を噛み砕くことはできない。
「実は、君の覚醒は今日だけじゃない。君は覚えてないだろうけど、何回か目を覚ましているんだ」
「俺は、どのくらいここにいるんだ」
「二ヶ月くらいかな。長く眠って、起きて、の繰り返しさ」
「俺はその間ずっとこんな状態なのか」
「いいや、初めの方はもっと酷かったよ。今は林檎を見れば林檎だと認識出来るだろうけど、前はそれも出来なかった。おはようと声をかけても、その意味をわかっていなかった。順調に回復しているんだよ」
回復している。
とてもそうは思えないが、わからないのは一部の文章だけで、会話にはそこまで差し障りは無い。何もかもが分からず、異星人になってしまったかのような状況に陥っている訳では無いのだ。
そう思えば、確かに回復しているような気がしてきた。
この部屋で、虚ろな顔で天井を見ている己に、錦が今のように優しく言葉をかけている状況が脳裏によぎる。
ただ虚空を見つめる己に、錦が声をかけている。
おはよう、おやすみ、大丈夫か、調子はどうか。
これは林檎、これはベッド。シーツ。風が吹いている。窓を開けよう。カーテン。白。光。
それはおそらく錯覚ではなく、かつての記憶だ。
そうか。自分で覚えていると思っていた単語や記憶は、錦が根気強く教えてくれていたからなのか。
過去の記憶をほんの一部でも思い出せた喜びと、生きる屍のような自分を見捨てなかった錦への感謝と共に、薄暗い疑念がゆっくりと鎌首をもたげた。
「なぜ……お前は俺を助けているんだ?お前は、かつての俺と関わりがあったのか?」
「俺かい?俺は、そうだな。君の親友だよ」
「しんゆう」
知らない単語だった。斑猫は、錦の口の動きを真似て鸚鵡返しに呟いた。
「特別な友だち……といえばわかるかな」
「俺と……お前が?」
「そうだよ。覚えていないなら、それでいいさ」
錦は微笑んだ。
その微笑みはどことなく、寂しげな憂いを感じさせた。
この微笑みを絶やさない優男に、そのような表情を取らせていることに、少しばかり胸が痛んだ。
「君は怪我をしていた。そして、この辺りには病院が無かった。そして、君は自分の名前も、状況も説明できないどころか、半身に麻痺があった。さらに、俺も君を担いで移動するのは難しかった。それで、ある程度回復するまでここで療養させようと思ってね」
「ここはどこなんだ」
「山の中腹部だよ。名前は、あるかもしれないが俺は知らないな」
「山なのに、こういう部屋があるのか」
「廃れていたホテルだよ。ああ、シーツや食料は新品だから安心してくれ」
「なぜ、俺とお前は山に来ていたんだ」
「調査だよ。使われなくなった建物や、その中の調度品を調べに来ていたんだ。街の方に持っていけば、骨董品は売れるからね。最もこのホテルには、そういったものは無かったけど」
錦は、すらすらと答えていく。
嘘は言っていない、ように思える。
錦の目は青く、澄んでいる。
美しい瞳だった。
錦は、「斑猫」と友だったと言った。
記憶を無くす前の「斑猫」も、この瞳を好ましく思っていたのかもしれない。
「なら、俺……斑猫という男は、どんな人間だったのか知らないか。性格や、やっていた仕事や趣味とか……むぐ」
最後まで言い終える前に、錦がフォークで刺した林檎を斑猫の口の中に押し込んだ。
反射的に咀嚼すると、爽やかな甘味と、香りが口の中に広がる。
五角形に小さく切られたそれは、さほど噛み砕くのに支障はなかった。
「どう?」
「……美味しい」
「咀嚼は問題無いみたいだね。でも、液状の方がいいかな。はい」
錦は、小皿に入った擦りおろされた林檎を、スプーンで掬って差し出してきた。
口に含めというのか。
非難の目を向けると、錦は笑みを深くした。
「そう渋い顔をしないでくれよ。もし零したら、掃除するのは俺なんだからな」
スプーンを口に含むと、錦がスプーンを傾けて中身を流し入れる。
どろり、とやや塊を残した液状の林檎が広がる。
甘く、ややぬるくなったそれを嚥下した。
「……」
「美味しくなかった?」
「いや……うまい」
未だ、胸の内には棘が刺さっている。
その棘はじくじくと痛んで、己の意識を呼び戻す。
その痛みが警鐘なのか、それとも記憶が戻る前触れなのか。
ただ、今はこのぬるま湯に心地良さや安堵を覚えているのも事実だ。
錦がまた、スプーンを差し出した。
それを飲み込む。
繰り返す度に、腹が満たされていくのを感じる。
「なぁ、錦。状況はだいたい分かった。ただ、お前が買い物をしてるということは、この近くにそういう店があるんだろう。俺も連れて行ってくれないか」
林檎を食みながら、錦を見る。
錦は残念そうに首を横に振った。
「まだ駄目だよ。もう少し回復してからね」
「文字が読めないから駄目なら、この辺りの散歩くらいは」
「それも駄目。君、さっきも気を失っただろう。いつ倒れるかわからないんだ。そういうことが起こらなくなったら、連れてってあげるから」
それもそうか、と思った。
今は目を覚ましたから良いものの、一度眠りについて、目が覚めなかったら一大事だ。
錦は、間違ったことは言っていない。
「なら、あの格子は何なんだ。監禁じゃないか」
「あれは……しょうがないんだ。元々この建物に備え付けられていてね。俺ひとりじゃ外せない」
「手を貸してやろうか」
自然と、言葉が飛び出した。
この回復仕切っていない体で、できるはずも無い。
男二人とはいえ、工具も何も無い状態でどうにかできるわけが無い。
それでも何故か、自分には工具などなくともあの鉄格子をどうにかできるような気がしてならなかった。
錦が瞠目した。
スプーンを小皿に差し入れていた手が止まる。
「……いいよ。病人に無理はさせられないさ」
「そうか。確かにな」
「林檎はもう無くなったよ。どうする?食べられそうなら、スープとかも作るけど」
「いや、いい。また眠くなった」
「そう……それじゃ、おやすみ」
斑猫はベッドに再び横になった。
目を閉じると、錦が食器を片付ける音がする。
その無機質な音を聞いていると、また眠気の波がきた。
今度はよく眠れそうだ。
斑猫が眠りについた頃、錦は食器を洗っていた。
風呂場の洗面台で、手に持った円柱状の容器から水を出して、食器の汚れを流していく。
水は、流石に引かれていないらしかった。
錦が買ってきたと見られる袋が、洗面所の外に置いてある。その中には、ガスのボンベや、手持ち式の電灯があった。
錦は、スーツのジャケットを脱いでいた。
黒いジャケットの下は、鮮やかな赤いシャツを着ていた。
腕を捲りあげて洗面台に立つ錦の、腰のあたりに何か下がっている。
そこには、ホルスターに包まれた拳銃があった。
───────ピピッ
軽快な電子音が響いた。
錦は、食器を洗う手を止め、タイルの壁にかけていたタオルで水気を拭う。
ズボンのポケットに手を差し込んだ。
───────ピピピッ
電子音。
錦が取り出したのは、小型の携帯端末だった。
端末の画面には、電波が通っていることを示すアンテナのマークが表示されている。
錦は、端末を耳元に当てた。
通話が開始される。
「ハァイ、錦。元気にしてる?」
通話越しに響いてきたのは、若い女の声だった。
「僕とお話しようよ、忽然と姿を消した賞金首【斑猫】を取り巻く今の状況を!君にとっても……有意義だと思うよ!」




