お願い
出入り口の上に空いている窓から暖かな日差しが差し込んで私たちが座るテーブルを照らしている。
昼下がりの陽気。
差し込む光によって空気中の塵が照らされてキラキラと輝いている。魔術ギルドの少し古めかしい雰囲気と合っていて、どこか胸の奥に郷愁に似た不思議な感覚が胸に去来した。
雰囲気が心地良くて、懐かしくて、心が凪いでいく。
アカネが戻って来るまでの間リリエと二人で心穏やかに談笑した。
フリンルルディまでどうやって来たのかだとか、ゲームをやってみてどうだったかだとか、本当に他愛もない話だ。
リリエは距離感を測るのが上手いのか必要以上に私の事情に踏み込んだり好奇心交じりに詮索したりすることは無かったから特別身構えることも無く自然にお話しできて次第に気が緩んでいく。
怖くて人付き合いを避けて来た私だけれど、こうやって相手を知って相手に知ってもらい徐々に距離が近づいて行くひとときに心地よさを初めて知った。
柄にも無く漠然と人と人との関わりが人間の心を充実させるのかな、なんて考えたりもして。
何のしがらみも無く人とお話しして関わっていくことがこんなにも満たされることだと知らなくてとても新鮮だった。
……アカネとは割と急だったし。
私たちは結び忘れていた友好を結んだ。
リリエのプロフィールはキャラクターのみではなくプレイヤーネーム付きで送られてきて、リリエも距離が近づいたと感じてくれているようで嬉しくなる。口には出さないけれどきっと例えキャラが変わっても仲良くしてくれるという意志の表れだと思うから。
リリエのプレイヤーネームの欄には『ブンモク』と書かれていた。なんだか意外と古風な名前だ。
「変な名前だって思ったでしょ?」
「へ? いや古風だなとは思ってけど、どんな由来……なのかは聞かない方が良いのかな」
私のプレイヤーネームが自分の名字である一条を由来としていることから他の人もそうかもしれないと思い至った。私自身由来を問われたら困ってしまうし、もしかしたらプレイヤーネームの由来を聞くのはマナー違反かもしれない。
リリエは小さな指を唇へ当て、「ん。それは内緒」と無表情でウィンクをしながら言った。
今のリリエは私と友達になりたいとガチガチになりながら伝えてきた様子の片鱗は露ほども見えず、今のリリエの印象はクールだがお茶目で、どこか大人の余裕すら感じてとても聞き上手な人といった感じだった。
……最初は何だったんだろう。初めましての人だけ苦手で一度懐に入れてしまえば大丈夫なタイプなのかな。
私とは逆のタイプだなぁ、となんともなしに思いながらお話をしていると階段を駆け下りてくる跳ねるような足音が聞こえてきた。
足音の主を探るために階段の方向へ視線を向けると朱色のポニーテールとツートンな翼を揺らしていたのが見えた。
人の足音は意外と個人を雄弁に語る。音を聞いた時に予想した通りアカネだった。
「ねぇねぇ、魔術作るのパズルみたいでめっちゃ面白かったよ! なんかログインしてなくてもIRで魔術組んだりできるみたいだしめっちゃハマっちゃいそー」
アカネは充実した時間を過ごせたようでホクホクとした顔で魔術の作成がどれだけ面白かったか身振り手振りで伝えてくる。
あまりの熱冷めやらぬ様子に思わず体をのけぞらせて、こくこくと頷いて相槌を打つ。
「ふっふっふ。早く二人にも『アカネフレイムフェニックス』をお披露目したいね!」
「え、なんそれ」
リリエが目を白黒させながらアカネに問いただしているうちにアカネの脇に浮遊しているウィンドウを覗き見た。
視聴者の方々は一部始終を見ているはずだ。
≪アルファルファ:マジで終わってるw≫
≪クロケア:聞いてるこっちが恥ずかしい≫
≪セイバー:技の名前を付けるセンスが絶望的に無い≫
≪ベルウッド:友人ちゃん代わりに名前つけ直してくれんか≫
≪いちみる:これ魔術発動する度にマジで言うんか?≫
どうやら『アカネフレイムフェニックス』とはアカネが作った魔術の名前らしい。
コメント欄はその絶望感溢れるネーミングセンスに対して非難囂々。改善を求める声とこれはこれでアカネらしくて面白いからと現状維持を支持する声とで紛糾していて、目を逸らしたくなる程に混沌とした様相を呈していた。
……え? これ本気なのか配信だから道化を演じてるのかどっち?
アカネは私とリリエと並み居る視聴者諸賢の困惑など一切合切気が付いていないかのように振る舞い、充足感で満ち満ちた様子で莞爾と笑った。
「二人ともありがとね! 満足したよ」
「う、うん。意外と早かったね」
「そうかな? 20分弱くらいかかっちゃったしめっちゃ慌ててたよ私」
「えぇ、気にしなくてよかったのに。楽しかった?」
「うん! あのね――」
配信に表示して貰うお願いをする機会を窺うためにそれとなく会話を続けていると、アカネはいかに魔術を作ることが楽しかったかを立て板に水を流すように語りだした。
のべつ幕なしに続く魔術談。
一体どのタイミングで配信に表示して貰うお願いを切り出せばよいのか分からなくなって焦りから頭が真っ白になる。
私は魔術についてのお話しに相槌を打っているうちに臆病風に吹かれてしまって話を切り出すタイミングすら窺うことを止めてしまった。
右往左往していると見かねたリリエがそっと息をついてさりげなく口を開いた。
「アカネ、ちょっと私達からお願いしたいことがあるんだけどいいかな?」
「え? いいよ! なんでも言ってよ!」
アカネはリリエからのお願いと聞いて嬉しそうに手を合わせて先を促した。
焦っていた落ち着かない気持ちが波のように引いていき、思わずホッと息をつく。
一歩後ろからアカネとリリエの姿を呆然と見つめた。
私のことなのに蚊帳の外に置かれた状態で、目の前で話が進もうとしている光景に疎外感と言いようもない危機感が襲い来る。
……いや、本当にこのままでいいの? アカネに頼むことすらリリエ任せにして自分はただ見てるだけ?
私は自身の現状を客観視して、背中に氷柱を押し付けられたような感覚が走る。
今ある現状を粛々と受け入れるだけの主体性の無い事ばかりして。恐怖を感じる事全てに縮こまりながら嵐が過ぎ去るのだけを待って。人に心配ばかりされて施しを受けるばかりで。
私はこれから先もそんな人生を送るの?
その先に目標を達成できる私はいるの?
生まれて来た責任を本当にこのままで果たせるの?
「待って!」
考えるよりも先に体が動いていた。
自分の手がリリエの服の裾をわずかにつまんで引き留めている。目の前の光景がまるで他人事のように見えて、一拍おいてこの手が自分自身の手であると気が付いた。
「やっぱり、私の口から直接頼みたい」
俯き、服を摘まむ自分自身の手だけを見つめてまるで譫言のように自分の意思を口に出した。
私もきっと心の底では気づいてるんだ。ここで引き下がったらきっともう二度と戻れなくなる。
ずっと甘えて生きてしまう。
もう、後に引けない。
でもそれでいい。
後が無いくらいが臆病な私にとってはちょうどいいんだ。
リリエは心底嬉しそうに声を出して笑い、安らぐような優しい声色で「分かった」と告げる。
そして私の背をそっと押して「頑張って。なにかあったらフォローするから」と耳元で囁いた。
「ありがとう」
……うん、大丈夫。リリエもいる。それにアカネの説得に失敗しても死ぬわけではないんだから。
何度も自分に言い聞かせて深呼吸しながらアカネを見る。
不思議そうな顔で、それでいて私が話し出すのを急かすことなく待ち続けていた。
私は乾坤一擲の意気でアカネの名を呼んだ。
「んー? なあに?」
「アカネさえよければ私の姿を配信に表示して欲しい」
私は真摯にアカネを見つめ「お願いします」と言いながら頭を下げた。
意識の埒外にある発言だったのかアカネは鳩が豆鉄砲を食ったような表情をした後、不可解そうに首を傾げる。
「どしたの急に」
「えっと、このままの配信だと私たちのやり取りが分からずに視聴者の方々に申し訳ないって思って」
「キョウが責任感じることじゃないよ?」
「それでも、です!」
アカネは腕を組み、顎に手を当てながらうんうんと呻吟して考え込むような仕草をする。
眉根を寄せている様子を見ていると次第に許可されないのではないかと不安になってきて、軽く拳を握って耐えた。
「……ダメ」
「……やっぱり素人が配信に出演しても面白くないから?」
「ううん、そんな理由じゃないよ。誰しも最初は初めてだし、初々しいのもそれはそれで個性だからね。それにどのみち私は自分の配信ですべての人間を楽しませることが出来るなんて思うほど傲慢じゃないよ」
「じゃあ、なんで?」
息が詰まって少し挫けそうになるけれど、最初から拒否される可能性もあると覚悟はしていた。それにアカネは意地悪したくて拒否している訳ではないと分かっている。
私は諦めず説得の糸口をつかもうとした。
「キョウに私の配信に出るメリット無いから。それはなんかヤダ!」
「えぇ……」
腕を組み、駄々っ子のようにそっぽを向くアカネの様子に思わず呆れの声が漏れた。
アカネのおどけた行動に緊張の糸が緩む。
私が配信に表示されることで得られるメリットはある。けれど公言していいのか分からない。
お父様から直接告げられた『大会の決勝戦をゲームの宣伝として使う計画』は公に公開されている情報か分からないから言っていいのか私には判断がつかなかった。
もし公にされていないのならばあまり良くはないだろう。
しかしさほど重要な情報では無いし、例え巷間に喧伝されたとしてもソースが不明瞭だ。
大会に出場する人々にはプライバシーの関係上伝えておかなくてはいけない情報だと思うからあらかじめ発表している可能性もない訳ではない。
ゲームの事情に疎い私にはここまでしか思い至ることは出来ず、確証を得るまでには至らなかった。
けれど問題になる可能性は限りなく低そうだ。
私は散々迷いながらも意を決してアカネに伝えることにした。しかし一応保険はかけておく。
「……ある。けどくれぐれも内密にして欲しい。アカネを信用して伝えるよ」
「あるんだ! ……うん。約束するよ」
私が真剣な表情で内密、信用という言葉を使ったからかアカネはいつになく神妙な面持ちで頷いた。
話さなればアカネの配信に表示して貰えないし、あわよくば目的に協力してもらうことも無くなってしまう。
何かを得るにはリスクを取らなきゃいけない。
何か別の理由をあたかも本当の理由としてでっちあげることもできる。けれど私の気持ち的にそんな不義理なことは出来ないし、したくない。
少し前の私なら警戒に警戒を重ねてネットで合っただけの人に秘密にしなければいけないかもしれないことを話す選択肢なんて思い浮かべもしなかっただろう。
けれどアカネなら大丈夫だろうという確信があった。信頼と言っても良いかもしれない。
多分ここが、アカネを信じて一歩踏み出せるかどうかが目的を達成できるかの分水嶺。
「……耳を貸して」
意を決して息をつきながらアカネに告げると、アカネは少し顔を傾けるようにしながら器用に小さな翼のような耳を動かして耳打ちできるようにしてくれる。
つま先立ちして背伸びをしながらアカネの耳に口元を寄せた。ふさふさの耳が鼻にあたってこそばゆい。
私は努めて小さな声で囁く。
「実は一月後に行われる武星祭という大会の決勝戦をゲームの宣伝として使う計画があるの。そこで優勝することが私の目的」
「え……」
「宣伝として使われた時に誰とも知れない人よりも多少知名度のある人が出て来た時の方が話題性があるでしょう?」
私はあえて露悪的に伝える。
黙って利用するよりも最初から伝えていた方が気が楽だというのもあるけれど、もしこれで利用されることを不快に思うようなら傷の浅い内に断ってくれるだろうという思惑もある。
それに、なんとなく責任を果たすためだとか言って伝えるよりもこっちの方がアカネの好みだと思った。
声を低くして悪役っぽく、それでいて少しだけ揶揄うようにアカネの耳元で呟いた。
「アカネの配信を利用してしまおうかと思って」
「ふっ、ふふ」
体を折り曲げて体を震わせていたアカネはこらえきれなくなったように笑い出す。
「あっはは! 悪ブリすぎだよ!」
利用すると伝えたにも関わらずアカネはたまらないと言わんばかりに口を開けて笑い、「すごく面白そう。私こういうの大好きだよ!」と言う。
アカネは嬉しそうに笑い、少し恍惚とした表情で舌なめずりをした。
嫌悪感を露わにするか呆れた表情をするかだと予想していたので、予想外の反応に困惑してしまう。
何がそこまでアカネの琴線に触れたのだろうか。
「そ、そんなに笑わなくても……」
「だって似合わなすぎるよ」
アカネはひとしきり笑って乱れた息を落ち着けると、「あ、そうそう。一応注意というか伝えておくね」と言いながらメニューを操作する。今度はアカネが私に一歩近づいて小さな声で耳打ちした。
「キョウ、『大会の決勝戦が宣伝で使用される』ことが非公開情報だという前提で話してるでしょ? 詮索しないけどなんとなくキョウの秘密に気がついちゃった。武星祭の決勝が宣伝に利用されることは公開されている情報だから次から気を付けてね」
「えっ」
思いがけないことを言われて動揺を隠せない。
その様子を見てアカネは口元を抑えて笑い、リリエは怪訝な表情をする。
武星祭の決勝が宣伝に利用されることが公開されている情報だというのは一応可能性としては考えていたので驚きは少ない。
『大会の決勝戦が宣伝で使用される』という公開されている情報をゲーム事情に詳しくないはずの私がわざわざ内密にとか信用とか念押ししてから言い出した挙句、大会優勝が目的と言いだした。
情報を精査して私がゲームの関係者とつながりがあることに気がついてしまったのだろう。
なんだか余計な心配をして保険を掛けたせいで墓穴を掘った気がする。
……いやいや、最初からバレてしまうのも承知の上で目的を言ったんだから!
「うん、やっぱり表示しちゃおっか! けど条件があるよ!」
「……私にできることなら」
しおしおと意気消沈しながらもうどうとでもなれという気持ちで粛々と受け入れる。もう意図せずに無駄な弱みを他人に渡した私に拒否権なんて存在しない。
アカネが弱みを握ってどうこうしようとするなんて思っていないし、確たる証拠もないから公開したところで無駄なのは分かっているけれど私はあまりの自分の迂闊さに絶望していた。
そんな私とは対照的にアカネは溌溂とした笑顔で胸を張る。
そして大々的に発表でもするかのように宣言した。
「目的を追うのもいいけどキョウが楽しむこと! 遠慮せずにやりたいと思ったことは全部やりたいっていうこと!」
「……えっと?」
「その代わり私がキョウの目的を最大限サポートしてあげる!」
そう言ってアカネは少しかがむようにしながら手を差し伸べた。
窓から取り込まれた日差しがアカネを照らしていて朱色の髪と翼がキラキラと輝いている。私は少し心掴まれるように感じ入って放心してしまって、まるで一つの荘厳な宗教画みたいだと思った。
「どう? それでいいかな?」
優しく微笑みかけながら首を傾げて問いかけてくる。
私を心の底から慮って尊重してくれて、本気で私の目的を支えようとしているのが分かった。
胸のあたりがきゅっと閉められるような思いがして、目頭が熱くなる。
……どうしてこの人、こんなに優しいんだろう。優しくしてくれるんだろう。
「……うん、お願いします」
不思議に思いながらもなんだかふわふわとして朦朧とした心地になって、私は光の中にあるアカネの手を取る。
日に当たっていたからかどこか温かく感じて、私の手にしみこんでいるように錯覚した。
まだ責務を果たさずに楽しみながら生きて良いなんて思えない。人生の礎も何も分からないけれど、いつか責務を果たしたらアカネみたいに色んな楽しさを見つけながら、色んな人に手を差し伸べて生きて行きたいって。
形にはなっていないけれど漠然とそう思った。
「もちろん私もサポートするよ。私も配信に表示してね、アカネ」
「勿論だよリリエ」
私と違ってリリエはすんなりと表示させて貰えていることになんとなく釈然としないものを感じて頬を膨らませているとアカネが私の頬を軽くつまんできた。
不満な感情がありありと表情に現れていたらしい。リリエは仕方なさそうに笑い、アカネは「もう、拗ねないの」と言って私の頭を撫でながら優しく微笑む。
「じゃあ早速やろうか! 配信!」
私は自然と頬が綻んで深く頷いた。




